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竜の覇者(31)




「今日の輸送予定はどうなってる?」
「ジョズ隊、コーザ隊、ブラハム隊です。それぞれ運ぶ荷のリストがこれです」
 合同会議から一ヶ月が過ぎた。ティレク地域の収穫は、最終的に前年度の2.5割ほどに落ちていた。他の地域は収穫期たけなわで、暖かい箇所から順次、あらかじめ会議で決められた量を西部地域へと運んでいる。
「隊長は?」
「はい、すでに準備を終えて鉢ノ広場に集合しております」
 サンジが輸送計画表を作成し、各大厳洞での輸送割り当てを算出した。その上でゾロと一緒に今度は各大厳洞を訪ね回って、大厳洞ごとの輸送分担を取り決めていった。
 輸送計画はあらかじめ見込み収穫量にて算出していたが、実際に収穫期が始まると細かな修正が必要になった。まずティレクの必要量が少し増え、それに従って各地域の西部への輸送量負担も少しずつ増やさざるを得なかった。
 また、大量輸送とは別途、日々の巡回飛行も回数を減らすわけにはいかなかったし、もちろん糸降りも定期的にあった。
 周期表にない予定外の糸降りは、その後も時折小規模ながらあったし、それはつまり常に糸降りに備えつつ、食料輸送という余計な仕事も行わなくてはならないという、竜騎士にとって厳しい、毎日緊張が絶えない状況であった。

 サンジとゾロは最初の輸送計画を立てた時から、各大厳洞を一緒に訪ね回っていた。
『ほうほう、噂のハイリーチェスの次期洞母どのですか』
 サンジが訪問したときになにがしかの好奇の目を向けられなかったところはなかった。統領や洞母、飛翔隊長クラスは普段どおりにふるまうだけの礼儀があったが、中にはあからさまにサンジを観察していた無礼な騎士もいた。
 テルガー大厳洞のミホーク統領は、実子であるゾロが訪ねてきたにもかかわらず、ゾロ自身には声を掛けずちらと見ただけだった。ミホーク統領はサンジに向かい『用件は』と尋ね、淡々と輸送分担についての説明と依頼を聞くと、『承知』とだけ言って会見を終わらせた。

「おい、お前の父さん」
「あ?」
「…なんだか、すっげぇ淡泊なのか? それとも他人の目があるところでは照れてしまう性質なのか? 殆ど話らしい話、してねぇだろ」
「…ああ、あの人はいつもああだ。別に俺に対してだけじゃねえ」
「え? そうなのか? それにしても口数少ねぇ人だったなあ」
「確かにそうなんだが」
 うーん、と言いながらゾロは後頭部を掻いた。
「でも、あの人の言葉は重みがある。普段あまり積極的にしゃべらない分、口にした言葉は全て本気だ。だから、承知、と言ったならそれで充分。信用していい」
「へええ…」
 そういや、ミホーク統領と面と向かって話をしたのは初めてだよなあ、確かあの人も感合ノ式には来ていた筈だけど、と思いつつ、ずんと背筋を貫くような、一緒にいると感じる重圧感はなるほどゾロの父親だと納得もした。ゾロもまた、無言のうちに相手に与える重圧感がある。幼いころは感じなかったが、成長するにつれそれには徐々に気が付いていた。
(上に立つ者ってやっぱああなんかな)
 俺にはあんな風格はない。統領ではないから必要ないかもしれないけど、かといって他の洞母のように品のある風情はそれこそ皆無だ。
 あちこちの大厳洞を回って統領や洞母と話し合いを重ねるに従って、そういった思いは何度もサンジの頭を掠めた。
「こら、また何を思い悩んでんだ」
 ゾロがぽんとサンジの頭をはたいた。
「ゾロ…」
 ゾロには俺のように全ての竜と会話できたり、人の心の感情を読んだりはできないはずだけど。
「お前は気を抜いてるとすぐに顔に感情が出るからな。ナンかまたくよくよしてたろ」
「し、してねえ!」
「何考えてたか知らねえが、考えるだけ無駄だぞ? お前がそういう顔してるときは決まってすごくアホっぽいことが理由だからな」
「アホとは何だ! 俺はどうやったらもっと洞母らしくなるかとか統領とはどうあるべきかとか考えてだな、」
「ほおら、やっぱりアホじゃねえか。いいか、考えてもみろ? 確かにミホークはちょっと見すげえ威圧感があるが、普段はそりゃあ役立たずだぞ? 一体どれだけの人間が奴の『暇つぶし』に被害を被ったか。それにだ、いいか? うちの統領の普段を知ってるだろ? あれは『穀潰し』っていうのに近いよな。つまり、それぞれみんな変人なんだよ、大なり小なり。というか個性がある、と言うべきかな、竜騎士ってやつは。特に統領なんてのはみな強烈な個性の固まりだ。それにつきあっているんだから洞母だって普通と違うさ。大事なのは、」
「──大事なのは、竜が選んだってことなんだ、だろ?」
「そうだ。だからくだらねぇことで思い悩むな。お前は立派にやってるよ。この綿密な輸送計画を作成したのだってお前だし、そもそもうちの飛翔隊長たちに『てめぇらは飢えることの恐ろしさがわかっちゃいねえ!』って啖呵切って黙らせたのもお前だ。さ、次行くぞ」
「お、俺は…」
 今にして思えば、大胆なことを言ってのけたもんだ、と思ったがゾロがさっさとバシリスに跨ってしまったので言い訳の言葉はもごもごと口の中だけで消え果てた。


 テルガー大厳洞の次に訪問したのはベンデン大厳洞だった。
「ここで最後、だよな」
 確認しつつ竜から滑り降りる。降りながら何か知らないが不穏な空気を感じ取っていた。
「……?」
 この件についてゾロとサンジが各大厳洞を訪ねてゆくということはあらかじめ太鼓の伝報で伝えられていたはずだった。
 なのに誰も迎えにこない。そりゃ赤絨毯を敷いて欲しいなんて贅沢は言わないが、せめて誰かこの寂しい状況を説明できる人が──。
 とりあえずラティエスとバシリスに峰の縁で待っていてもらい、ゾロとサンジは狭い通路を人がいそうな方角へと歩いていった。
「ハイリーチェスのお二方!」
 いきなり呼び止められる。慌てて振り返ると、細身の竜騎士が二人を見下ろしていた。
「出迎えもせず失礼いたしました。私は緑竜ホルリスの騎士、マードック。ベンデン大厳洞へようこそ。皆揃って貴方達を歓迎いたします…といいたいところですが、生憎と統領の病状が悪化したために、皆そちらへ意識がいってしまっているのですよ」
「エドワード・ニューゲート殿が危ないのか?」
 統領エドワード・ニューゲートといえば、別名『白ひげ』と呼ばれるくらい、ベンデンにその人ありと知られた人物だった。
 あだ名の髭は常にピンを両頬にそそり立ち、眼光鋭く、巨躯を駆使しないでも、声の一喝だけで人を瞬時に黙らせるほどの覇気を持っていた。
 ただ近年は時折寝込むことも多くなっているという噂も聞こえていた。既に首位洞母は次代のアルビダに代わっていたので、アルビダの黄金竜ナボースが交合飛翔をしたら、統領も交代するだろうと言われていた。
 白ひげの退陣を惜しむ声は多かったが、年齢と、持病がますます悪化の一途を辿っているとあっては、これも潮時と納得するしかなかった。

「危ない…といえば危ない、ですが。しかし今度もまた持ち直すでしょう。あと何回持ちこたえるのかはわかりませんが」
「療法師どのは何と?」
「療法師ノ長がたびたびいらして、痛みを和らげる薬草を調合してくださったのですが、やはり長い間身体を酷使し続けたせいなのでしょうか、病は抑えられそうにありません。年齢には勝てないということを認めるのは辛いものがあります」
「そうですか…」
 二人は揃って悲しげな表情になる。白ひげは二人がまだ少年でしかない頃からすでに白ひげとしての名前を轟かせていたくらいの豪傑で、ある意味彼らにとっては生ける伝説でもあったから、今回初めて言葉を交わすことができるとときめきにも似た期待があったのだ。
「それでは、統領どのには改めてご挨拶に窺うとして、統領補佐の方にお目通り願えないでしょうか。大変な時とは存じますが、こちらも時機を逃してはならない用件ですので」
 如才なくサンジが言う。マードックはしばし逡巡した様子を見せたが、「こちらへ」と二人を案内した。
「しばしこちらの部屋にてお待ちください」
 扉の中を覗くとテーブルと椅子が置いてあるだけの何もない小部屋だった。
「すぐ何か飲むものと軽くつまめるものをご用意します」
 壁にかかっていた伝声管を取ると、何かぼそぼそと注文をし、そのまま出て行こうとする。
「あ、の、」
「何か」
「統領補佐は、ええっと確かエースどの、でしたよね。どれくらいでいらっしゃいますか?」
「…すぐ参りますよ。では、」
 言って扉を閉じかけたときだった。ばたばたっと足音がして慌てた声が重なった。
「おお、マードック、ここにいたか。探したぞ。首尾はどう──」
 声はバタンと慌てて閉められた音に中断された。
 もしゾロとサンジが一ヶ月前の太守会議に出席していたとしたら、少しだけ漏れ聞こえた声がベンデン城砦のフィヌカン太守のものだと判ったかもしれない。しかしこのとき彼らは、統領の容態が悪いから皆気が立っているのだろうとしか思わなかった。

「暇…だな」
「ただ待ってろって言われてもなあ」
 これだけ見事に何もない状態では、何もできやしない。沈黙の帳が二人を包む。
 壁にかかったランプがジジ…と音をたてて炎をゆらめかせた。獣脂の焦げる匂いが漂う。
「何か話せよ」
「何かって何をだよ。お前こそ何か話せ」
「俺には何も話すことなんかねえよ。それよかお前の方が話すことあンだろ」
「ねえ」
「ねえの?」
「ねえったらねえ」
「……」
 そしてまた沈黙。
 伝声管で注文されたはずの飲み物はいくら待っても届かなかった。
 時折、扉を開けて誰か通路を通りかからないかと左右をじっと見てみたが、ばたばた走り寄ってきた先ほどの男以外、誰もこの部屋の付近には来なかった。
 サンジは、膝に置いた手がじっとり汗ばんでいるのに気づき、ごしごしとこすった。なんだかいたたまれない。ゾロとは同じ岩室で起居しているけれど、こんな風にただじっと膝つき合わせて座っているなんてことは、普段、ない。
 ふと息苦しさを感じて、ため息をひとつつくと、立ち上がってまた扉を開けてみる。何もないことを確認してまた部屋の中に向き直ったときに、ゾロと視線が合った。

「──……」
 琥珀色の目が、ランプのあかりを映しこんで、飴色に光って見えた。
 ──なんで。
 なんでそんな目で俺を見る? 
 サンジはその場に凍り付いたように、ただじっと黙ってゾロの目を見つめていた。
「お、れ、──」
 ようやく絞り出すように声を上げる。しかしすぐに声は中空に漂い消えた。
 なあ、俺らは大厳洞ノ伴侶だけど、その前に乳兄弟だったよな。一緒に育ったんだよな。マキノさんの小さな岩室で。
 お前が俺を大厳洞に入れてくれたんだ。大怪我して動けなかった俺を見つけてくれたのはお前だって聞いた。
 その後も、怖じけがちだった俺を連れ回してくれたのもお前だし、竜騎士になる夢を捨てようとしてたときにあきらめるなと言ったのもお前だ。
 お前がいなければ、今の俺はない。だけど俺は、俺は──

「そんな顔をすんな」
 ゾロがふ、と目尻をゆるませて言った。
「怯えたような目をしやがって。それでも洞母か。ラティエスに叱られるぞ」
「──ッ! 俺はッ!」
 むっとしてサンジは言い返す。ゾロは笑って立ち上がるとサンジに近よって、額をピンと弾いた。
「そら、そうやって怒ってるほうがマシだ。その口はまるでアヒルだなァ? 昔っから拗ねるとそんな口しやがって。グワッて鳴いてみな?」
「この! ばかにしやがって! ゾロのくせに!」
 ぽかすかとゾロの胸ぐらを叩く。二人とも怒っているフリをしつつ口元は笑っていたが、視線だけは器用に合わせないようにしていた。
 互いの内面を見透かすことのないように。

 自分さえまだ知り得ない真の気持ちが知られないように。


 

  

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