こちらのプルダウンボックスで読みやすいスタイルをお選び下さい。






竜の覇者(34)




「なあに、騒がしい。統領が療法師ノ長の診察を受けていらっしゃるのよ。静かに…」
「すみません! こちらにキダ師がいらっしゃると聞いたので。大変申し訳ないのですが、キダ師に至急ベンデン大厳洞へお越し願えないでしょうか? エドワード・ニューゲート様の容態がまた急にお悪くなって…!」
「なんと──先日診たときは大層お元気になられたと思ったが…」
 急いで扉を開けると、息を乱した騎士が立っていた。あれ、この人、とサンジが記憶をまさぐる。
(確か、ベンデン大厳洞へ行った時にゾロと俺を案内してくれた──)
 その騎士もサンジを見て驚いた表情をした。
「マードックどの、でしたな? ベンデンの」
 キダ師が騎士に向かって言った。療法師ノ長は最近頻繁にベンデン大厳洞を訪れているのでベンデンの騎士はよく見知っているらしい。
「──! はい。こちらの統領を診療中に大変失礼とは思いましたが、なにぶんにも緊急でして──」
 マードックはサンジに向けた奇妙な表情を一瞬でかき消し、今度は必死な顔で療法師ノ長に懇願の目を向けた。キダ師は突然の展開に声を呑んでいる。
「別に、よいぜ。ちょうどこっちの診察も終わったところだし。どうぞ行ってあげて下さい、キダ師。お言いつけはちゃんと守りますから。それより今は白ひげの方が心配でしょ。俺の方はあとじっとしているだけなんだしね」
 マードックは目に見えてほっと肩の力を抜いた。
「ありがとうございます! それでは、できるだけ急いでお願いいたします。私はまだ他に回って統領の容態を知らせないとならないところがあるので、これで失礼します──」
 返事も聞かないまま、あわただしく礼をすると、来たときと同様ばたばたっと駆け去っていってしまった。後に残された人々はほんの数分の急な展開に一瞬ぽかんとするが、すぐ慌てて口を開いた。
「では、私は急いでベンデン大厳洞に行かねばならないようだ。申し訳ないがこれで失礼するよ。さて、誰か私をベンデンまで運んでくれるようにお願いできないだろうか」
「白ひげが! 危ない危ないと聞いていたけれど、今回あんなに慌ててキダ師を呼ばれるなんて、本当に厳しい状況なんでしょうね。ええ、どうぞキダ師はいらっしゃって──。うちの統領は私どもで面倒をみますから。寝台にくくりつけておけばいいんですから、楽なものですわ」
「ひっど…。はいはい、わかってますって。ではまたいつか、今度は美味い酒でも飲みながらゆっくりお話しましょう」
 それぞれが一斉に話を始め、そして一斉に黙った。サンジが言う。
「でも、誰がキダ師をベンデンにお運びするんですか?」
 糸降りの最中である。飛べる騎士は全員出払ってしまっている。度重なる手不足で、竜児ノ騎士すら間隙の飛べるものは全て駆り出されている。
 ベンデン大厳洞は大陸の反対側だ。間隙飛翔のできる竜と騎士でなくては行ける場所ではない。加えて糸降りのルートを避けて飛ぶことも必要だ。大厳洞に残っているのは、シャンクスを始め、怪我が酷くて飛ぶことのできないものか、まだ間隙飛翔ができない竜児ノ騎士しかいなかった。他の竜騎士たちが火焔石の補給のために戻ってくるのはあと二時間ほども先だろう。

「ラティエスが身重でさえなかったら…」
 サンジがぽつりと漏らした。
「だめよ、サンジ。そんなこと、考えるだけでも、ダメ」
 マキノが言う。
「そんな否定的な事、ラティエスに聞こえたら、お産に影響が出るかもしれないわ。いい? 『もしも』は絶対言ってはならない言葉よ」
「うん、ごめん、マキノさん」
 きゅ、とサンジは唇を噛む。突然、寝台の上から笑い声が上がった。
「おい、何て顔してるんだ、四人とも。竜ならいるじゃねえか、ハキスが。そして五体満足でぴんぴんしてる竜騎士がここにいる。どちらも間隙を飛べるし、ベンデンへ行ったこともある。どうだ?」
「シャンクス! それって…無理ですよ!」
 マキノが猛烈に抗議の声をあげた。
「何の無理がある? なあ、サンジ。お前はハキスの声が聞こえるだろう? お前にしかできないんだ。わかるな? 今は緊急事態ってヤツだ。お前しかキダ師をベンデンに送っていけるヤツはいない。行ってくれるな?」
「そりゃ確かに…。でもハキスは俺が乗ることを了承してくれるでしょうか?」
「俺が言い聞かせるから大丈夫──ハキス?」
 シャンクスの目が宙を向いた。
「──いいってさ。サンジなら普段からよく知ってるし、乗せてってあげるとよ」
「でも、ラティエスは?」
「今、彼女は寝ているんだろ? そっと急いで行って寝ている間に帰ってこい。送り届けるだけなんだから、そんなに時間はかからないさ。ハキスと俺が黙っていればバレない」
「俺がラティエス相手に隠し事なんかできるわけないでしょう。どうせいつかはバレます。それくらいならちゃんと話しますよ。まあ、怒るかもしれないけど、きっとそれは彼女が寝ているときに黙って行ったことに対してでしょう。最初から許可を得れば彼女だってちゃんと許してくれます…というわけで、俺とハキスとでお送りします。急いで支度して下さい。俺はハキスに騎乗帯をつけてきます」
 シャンクスが指し示した棚から騎乗帯を取り出して、サンジはすぐ外に来ていたハキスにてきぱきと着け始める。
「ああ、皆さんに言っておかなくては。サンジがハキスに乗っていったということは、是非ここに居る皆さんの胸の内だけに留めておいて欲しい。竜が自分の騎士以外を騎士にするというのは、あまり好ましいことではないでしょうし」
「もちろんです。しかし、初めて聞きますよ、こんなこと。大厳洞ノ伴侶同士ですら竜を交代して乗ることは絶対できないと思ってました」
「あははあ、残念ながら俺の方はラティエスには乗れない。なぜならラティエスの声は俺には聞こえないからね」
「なんと…! ということは…?」
「さすが洞母、というところだろうねえ」
 にやり、とシャンクスはいたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「サンジは伝説に残るような洞母になるだろうよ」


 大厳洞の他の人間に見られないよう、シャンクスの岩室の外に突き出している岩棚から直接ハキスは飛び立った。力強い青銅竜の思念を感じて、サンジはまだ少し残る後ろめたさを無理矢理振り払った。
「大丈夫ですか、キダ師」
 自分の後に乗せた療法師ノ長を気遣う。工舎ノ長ともなれば、竜に乗る栄誉も何度もあるだろう。今も慣れた様子でハキスによじ登り、騎乗帯で身体を固定した。それでもサンジは礼儀正しく尋ねた。
「問題ないとも。君もハキスにも感謝するよ。ベンデンはよい後継者が育っているとはいえ、白ひげどのを失うのはかなりの痛手だ。間に合うといいが…」
「微力を尽くします。さ、間隙に入りますので、しっかり騎乗帯に掴まっていて下さい」
(ハキス、準備はいいかい?)
 そしてベンデン大厳洞の照合座標をしっかりと脳裏に浮かべた。
(モチロンダトモ)
 二人を乗せた青銅竜はその瞬間、間隙に入った。



 それから半刻ほど後、黄金竜がふわりと鉢の広場に舞い降りた。フルールスから降りたロビンは何事かと飛んできたマキノに困惑した表情で言った。
「鍛冶師を呼んでくれないかしら。吐炎具の調子が悪くて、何故だか最初の一吹きだけ炎を出したら、あとはうんともすんとも言わなくなってしまったの。燃料はちゃんとあるし、目詰まりをしているようでもないし…」
「急いで直させましょう。その間、何か軽く食べていかれては?」
「ありがとう。でもいいわ。ちょっとシャンクスの様子だけ見てくるわ。出発のとき、随分拗ねていたから」
「あー…、多分今行かれても寝ていると思いますよ。先ほどキダ師がいらして、あと一ヶ月は安静と言い渡していかれたんです。それでまあ…ごねられても困るし、キダ師も去り際にこっそり耳打ちしてくれた方法をとったんです」
「療法師ノ長が? 何て?」
「…あまり煩いようなら、飲物にフェリスの汁を混ぜてしまえ、って」
 二人の女性は顔を見合わせてぷっと吹いた。ハイリーチェス大厳洞ノ統領の性格も広く知られたものだと感心してしまう。
「まあま、それならしばらくは『安静』でいられるわね。っと、サンジは? 吐炎具を直してもらうのを待ってるより、サンジの吐炎具を借りた方が早いわ」
「──あ、あの子はちょっと今、出かけてて。でも、別に吐炎具なら喜んでお貸しするでしょう。急いでいるのでしょう。私がとってまいりますわ」
「あら、いいわよ。貴女は貴女で忙しいのだし、サンジだって私が岩室に入るのを嫌がるとは思えないわ。直接行って取ってきます。その方が早いし」
 言いながらすでにロビンはサンジとゾロの岩室に向けて歩き出していた。歩きながら、出かけると言ってもラティエスが飛べない今サンジは一体どこへ行ったのかしらとふと疑問に思う。
 一方マキノはロビンにならきちんと打ち明けてもいいと思ったが、急いでいる今の短い時間に事の経緯をわざわざ説明しなくても、と思い直していた。

 ロビンは扉を開けて主のいない暗い岩室に足を踏み入れた。手燭を借りてくればよかった、と覗き込みながら思う。わざわざ部屋の明かりを灯す時間が惜しい。まあ、扉を大きく開けていれば、廊下からの光でなんとか吐炎具を見つけることくらいできるだろう。あんなに大きいものだし。
 扉を開け放って部屋の中へ二、三歩さらに踏み込んだ。どこだろう? 寝台の脇か、机のそばか──
 暗い部屋の中で目が慣れるのを期待しながらぐるりと見回した。そのとき、頭に酷い衝撃を受けて、ロビンはその場に昏倒した。

 マキノは、ロビンが手燭を持たずに行ったことに気づき、傍を通りかかった下働きを掴まえて、ランプを持たせてロビンの後を追わせた。
(今日はいろいろなことがありすぎるわ)
 糸降りだけでも忙しくて目が回りそうだというのに。これから補給のために竜騎士たちが戻って来始めると、大厳洞中がまた大騒ぎになる。
 キダ師の入れ知恵は有り難かった。少なくとも今日の間はシャンクスのことを考えなくていい。
 そのとき、ガチャンとガラスの割れる音とさっきの下働きのくぐもった声が聞こえた。
 ぱっと振り仰ぐと、サンジとゾロの岩室の扉が大きく開いていて、その中からの音だと知れた。
 何かがおかしい。
「誰か、一緒に来て!」
 声が上ずっているのが分かった。何か嫌な予感がする。ばたばたばたっと数人で駆け込む。見ると──
 床に落ちたランプは、ガラスが砕け散りながらもまだそこで炎を揺らめかせていた。黄色くゆらゆらと影を落とす輪は、下働きの男とロビンが倒れている姿を映し出していた。


 

  

(33)<< >>(35)