竜の覇者(37)
少し前。
ほぼ大陸中央に位置するルアサ城砦の一室に、緊急に主だった城砦の太守と統領が集まっていた。その顔ぶれをみると、いつぞやティレクに集まった人々とおおむね同じだった。しかしそこにハイリーチェスのベンとロビンの顔はなかった。
「一体なんだってまた緊急の招集なんだ? ここのところ多すぎないか? 我々皆呼ばれてすぐ『それじゃ』と参上できるほど時間がある者ばかりじゃないことはわかっているだろうに」
「まあまあ。忙しいのはいずれも同じですとも。ですが竪琴師ノ長からの緊急招集では、無視するわけにもいかないでしょう」
「ち。それでその呼び出した本人は?」
「それは…」
尋ねられた太守はぐるりと室内を見渡す。長身の竪琴師はまだ視界に見あたらなかった。
「おやおや、今日何故呼ばれたか、理由はまだ聞いてないのか?」
代わりにベンデン城砦の太守、フィヌカンが大柄な身体をゆすって話しかける。
「ハイリーチェスの騒動をまだ誰も知らないのか?」
「例の、男の洞母がいるところだろう。それが?」
話しかけられた方は怪訝そうな顔で尋ねる。確かに男性の洞母というのを認めるには未だに違和感がつきまとう。しかし最近の大がかりな西部地方への食料運搬事業では緻密な計画と運営に優れた手腕を見せられたし、会って話をしたところ何ら憶するところなく堂々と意見を交わすことができる騎士だと好もしく思えた。伴侶の黄金竜だってそろそろ産卵すると聞くしもう受け入れても問題ないという気になっていた。そもそも自分が庇護を受けている大厳洞ではないというのが大きいのかもしれないが。
眉をひそめた太守──イスタ城砦のカウエル太守だった──に向かい、フィヌカン太守はことさらゆっくりと一言ずつ区切りながら口にした。
「首位洞母を──例の──男の洞母が襲い──首位洞母が──意識不明の重体になった──とか」
カウエル太守はますます眉間の皺を深くした。
「まさか──? いくら何でも、そんなことがあり得る筈がない」
実際会った自分には分かる。そんなことをしそうな人間にはこれっぽっちも見えなかった。
カウエル太守の当惑を余所に、途端に傍にいた他の太守や統領が話の輪に加わる。
「いや、あり得るかもしれないぞ。何しろ、あの洞母に関しては曰く付きで、すべてが『初めて』のことだらけなんだからな。初めての首位洞母争いがあったって」
「そんなこと、許せるわけがないだろう。統領は何と言ってるんだ? あのシャンクスが黙ってそんなことをさせているわけがないだろう」
「それが統領はほら、怪我で…」
「怪我をしていようが何だろうが、大厳洞の出来事に関しては統領が最終責任を持つことになっているだろう」
「いや、それは違う。大憲章によれば、大厳洞内の最終責任は洞母が持つことになっているはずだ」
「では今回のような場合はどうしたらよいのか? 次席洞母が首位洞母を襲ったとは」
ぱんぱんぱん、と大きく手を叩く音が聞こえ、雑談の声が知らず大きくなっていたのがぱたりとやみ、叩いた手の主に視線が集中した。
「皆様、急な招集にもかかわらず、こうしてお集まりいただいて恐縮です」
声の主は長身の竪琴師ノ長だった。
「本日緊急にお集まりいただいたのは、ハイリーチェス大厳洞で事件が起こったからです。その事件というのは、分かっているところでは、首位洞母が襲われ、巻き添えを食って下働きがひとり死んだ、と」
集まっていた太守、統領が一斉にシンとなった。事は噂の域を出ていたということを認識して、その重大さに視線が厳しくなる。
アイスバーグは出席者のその変化に気づいたかどうか、変わらぬ口調で続けた。
「そしてその最有力容疑者が次席洞母ということで、現在拘束されています」
部屋全体に動揺の声が低く上がった。
「折悪しく、そのとき統領は怪我の治療のため眠っており、現在も証言ができる状況ではありません。また、統領補佐、次席統領、」
ここでアイスバーグはちょっと言葉を切って自分の言が正しいかどうか迷って、そのまま続けた。
「…この二人も糸降りのために大厳洞を離れており、現場を見てはいませんでした。この由々しき事態に面して、ハイリーチェス大厳洞内だけで処理するのは困難と判断し、皆様にお越し願ったわけです。また同時に、流言飛語を抑え、無用な動揺を領民や竜騎士たちの間に誘うことのないよう、情報管理をお願いしたい。ただでさえハイリーチェス大厳洞に関しては、昔からニュースの絶えないところではありますが、」
少しだけ首を傾げ、言葉の裏に含むものを匂わせる。それも一瞬で消え、すぐに真剣な表情をとりもどして続けた。
「…あー、今回のこれに関しては、少々、噂話にして楽しむには厳しいものがあります。真偽のほどがどこにあるにせよ、下手をすると一般の人々からの竜騎士、特に洞母に対しての価値観を揺るがすことになりかねません。そうなることを避けるため、まずは徹底した情報統制をお願いしたい。竪琴師の工舎から各城砦、大厳洞に配置している太鼓師へは暗号通信で通達を回してあります。あとは皆様がそれぞれの責任範囲で目を光らせていただければ有り難いです」
「他に容疑者がいるのか?」
真っ先に手を挙げて発言したのはフィヌカンだった。
「今のところは、まだ何も。ただ、その事件が起こったのは糸降りの最中で、大厳洞じゅうの竜騎士はほとんど出払っていたということです。容疑者である洞母サンジは、伴侶ラティエスが身重であるため留守番として残っていた。そして首位洞母が吐炎具の故障のため戻ってきたとき、その姿を見たものがいない。他の全ての人間は首位洞母が襲われたときに何をしていたかどこにいたかの証明ができていた。と、そういうわけで次席洞母のサンジが容疑者となっているわけです。また、犯行はおそらく次席洞母がその脚で蹴ったのではないかと思われています。彼は普段から長靴に錘を入れているそうで、おそらくその部分を使用したのではないかと」
「なら、もう決まりじゃないかね。そのオトコ洞母が犯人だろう」
フィヌカンは鼻を鳴らしてこれでもう決着とばかりに腕組みをして椅子にふんぞり返った。その様子にアイスバーグは困ったように苦笑して口を開く。
「まあ、まだそれが事実と判明したわけではないでしょう。まだサンジだけが出来た筈、といった消極的な証拠しかありません。本人も全否定しているそうですし。まず事実確認をして、本当にサンジがロビンを襲ったのかどうかを確認してからでよいでしょう」
「しかし、そいつだけがその不埒な行為を為しえたのだろう。そもそも男の洞母なんてあり得ん。そいつが洞母だ何だとちやほやされたのに味を占めて、もっと上の地位を狙ったのだろう」
明らかに悪意の籠もった言い方に、さすがに数名眉をひそめた者が居た。特に大厳洞ノ統領たちはほとんど不快に感じたようだった。洞母という役職は生半可な技量ではつとめられないことを彼らはよく知っている。
「それも含めて、確認をしなくてはなりません。シャンクス、ロビンの回復を待って、大法廷を開くまで、皆さん余計な憶測をするのは謹んでいただきたい」
最後はぴしりと鞭のような口調でアイスバーグが締めた。なおまだ不満を言い足りないといった風にフィヌカンはぶつぶつと口の中で唱えていたが、他の者たちが席を立ってしまうので慌てて後れないように続いて部屋を出ていった。
「…チッ」
小さく口の中で舌打ちをする。廊下を出たフィヌカンに、背後からそっと近づいた人物が低く声をかけた。
「会議はいかがでしたか」
ベンデン大厳洞の緑ノ騎士、マードックだった。フィヌカンは不満そうに鼻を鳴らしただけで返答に代えた。
「…まあ、アイスバーグは慎重派ですから。しかしもう一押してあの洞母を失脚させるのはわけないことでしょう、貴方様のお力なら」
「お前は他の太守や特に統領たちの頑固さがわかっておらんのだ…! 特に統領たちはあの胸くそ悪いオトコ洞母が騎士だというだけで信用しようとする。そろそろあの黄金竜が出産しそうだということもさらに甘い目で見させる要素だ」
「確かに、まさか本当に卵を産むまでいくとは思いませんでした…」
マードックは何か思い出すように視線を宙に浮かせ、不愉快そうに眉間に皺を寄せる。
「そもそも、何故お前はあっちの首位洞母などに手を出したのだ。最初の予定どおり、あのオトコ洞母の方をやっておけばわしがこんな立ち回りなどせんでよかったのだ」
「…全く持って申し訳ありません。さすがに竜の出産が済むまではと様子を見るだけのつもりだったのですが、たまたま大厳洞が空の状態であの男が残っていたので、千載一遇の好機と焦ってしまいました」
「出産間近の伴侶を置いて遠出をする筈がない、だったかな?」
「はい。騎士とはそうある者です。ただでさえ自分の伴侶の竜とは離れていられません」
「それで貴様はこっそり戻って身を隠していた、しかしなぜ首位洞母を」
「それが…明かりもつけずにあ奴の部屋に真っ直ぐ入ってきたので、あの男に間違いないと思ったのですが」
悔しそうに言葉の途中で下唇を噛んだ。
「殴り倒して、大厳洞から遠く離れた場所でとどめを刺すつもりだったのです。その、騎士が死ぬと竜がすぐ感知して騒ぐので。
ですが、すぐ後に明かりを持って入ってきた者がいて、私は取り違えをしていたのだと解り──」
「フン、とんだドジよのう」
「──申し訳ありません」
ぎりり、となおきつく唇を噛みしめながら、深く頭を下げる。全くもってそのとおりだ。自分のミスに他ならないから言い訳のしようもない。だが何故あのタイミングであの首位洞母はまっすぐに部屋に入ってきたのか。糸降りのまっ最中だったのに。
マードックはロビンが吐炎具の不具合で戻ってきたことは知らなかった。それ以前にサンジがハキスに乗って自分がもたらした要請に応えようとしていたことも。ハイリーチェスがどれだけ人手不足に陥っていたか知っていたら、そもそもキダ師は自分が連れ帰っていた筈だった。ただ憎いサンジの姿を見て、いてもたってもいられなくなったので、適当にその場を辞去し、一端飛び去ったと見せかけてそっとまた大厳洞の背後から侵入したのだった。
「まあ、殺すだけが手段でもない」
口を大きく歪めてフィヌカンが言う。
「要はあのオトコ洞母を、洞母の地位から追い落とせばよい。首位洞母を手に掛け、その地位を手に入れようとした欲深で汚れた男。そんな男はもう洞母とは呼べまい。騎士でもある必要はない。ただ卵を産ませるための雌の番人として一生どこかに幽閉させてしまえばいいのだ」
「そうすれば、黄金竜の数は減らず、生まれてくる卵の中にまた黄金色のモノがある確率も上がります」
「うむ。この次の機会にこそわしの娘が感合するだろうよ。全くあの瞬間を思い出すだけで何度頭が煮えそうになったことか」
「しかし、ルルカ様も何故ベンデン城砦にお戻りになられなかったのでしょう。感合ノ式で感合できなかった候補生は、希望すれば元居た処へ戻ることだってできたでしょうに」
「そこがあの娘の浅はかなところでの。できれば竜の近くで暮らしたいだと。きっとあわよくば竜騎士に見初められて騎士の子供を身ごもることを目論んだのかもしれん。ばか娘が」
吐き捨てるようにフィヌカンが言う。
「ベンデンの太守の血統は、そんな得体の知れない輩にくれてやるものではないわ! それならば洞母くらいなってもらわねば」
マードックはフィヌカンの言葉に頷くふりをして、下を向いて表情を隠した。この太守の娘でいることはなかなか生き辛いものがありそうだ。感合ノ候補生として選ばれなかったら、どこか別の城砦と早々と縁組みをされていたことだろう。おそらく娘はハイリーチェスで初めて自由な暮らしを満喫しているのではないだろうか。
「だのに、あの馬鹿娘、自分を出し抜いたオトコ洞母の下で雑用まがいの仕事なぞしておる。この誇り高きベンデンの血が、あのどこから来たかさえ判らない馬の骨の下にされるなぞ、とんでもないにも程があるわ!」
「まあ、それに関しては同感ですね。『どこから来たかさえ判らない馬の骨』とは的確な表現です。そんな奴を洞母に据え、崇めているなんて鳥肌モノですよ。本当、何故あんな奴がハイリーチェスに転げ込んで来たのだか…」
「お前は昔あそこの大厳洞にいたのだったな」
「…候補生でした、よ…」
マードックは過去形で肯定した。
何度も立った、熱い砂の感触を覚えている。じっと立ってただ待つだけの時間の長いことも。次こそは次こそはと期待を込めて足裏の地熱に耐えるのも何度目になっただろう。卵の殻にヒビが入るのを見るたび期待で心臓が高鳴り、しかし出てきた雛が他の候補生へと向かうのを見て心臓が冷えた。そうして何回目かの孵化ノ儀で、熱い砂の上にも居なかったサンジが選ばれたのを見た。目の前で果たされたサンジと幼い黄金ノ雛との感合の瞬間は、頭から冷水を掛けられたかのような衝撃だった。しばらく声も出ず、その出来たばかりの絆から目も離すことができず、さりとて自分には最後まで何色の雛の声も届くことはなかったのだった。
その後彼はこっそりハイリーチェス大厳洞を出奔した。大陸の反対端のベンデン大厳洞まで行き、名をマードックと変え素性を偽り、ありとあらゆる手を使って候補生の中に紛れ込んだ。そうして緑竜ホルリスと感合を果たすことができたのは、おそらくマードックの執念と化した昏い情熱が雛を引きつけたのだろう。
マードックが苦い過去を思い返していると、フィヌカンが言った。
「さて、それではあのオトコ洞母を確実に破滅させるには次にどういった手がある?」
「左様ですね、容疑を確定させなくてはなりません。今のところ『奴以外の人間にはそれをやってのけることが出来なかった』という消極的な証拠しかありませんから、奴がどんなに容疑を否定しようと言い逃れできない『絶対的証拠』というものを用意してやればいいのです」
「それはそうだ。で、どうする?」
「とりあえず、ハイリーチェスへもう一度潜り込んで…」
ちょうどマードックがいいかけた時、糸降りの接近警報が鳴り響いた。