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竜の覇者(40)




 激しく剣が交わった。最初の一合はギィィン、と周囲の空気をふるわせて鳴り響いた。続けて二合、三合と音が重なる。
 ゾロはどうしても生じる間合いの差に不利を感じていた。それでも隙あればマードックの長剣をはじき飛ばすことができないかと打ち合った時に強く跳ね上げる。軽くステップを繰り返し、マードックの懐に入っては剣を手からたたき落とそうと試みる。しかしマードックも憎悪と狂気に支配されながら、いや憎悪と狂気に支えられてますます強く剣を振り回すのだった。

 何合目かの打ち合いの時、ゾロはすぐ近くに小さな子供が蹲ってこちらを見ていることに気づいた。
「危ない、どいていろ!」
 ──一体なんでまたこんな民家もない荒れ地に、それも夜明け直後のこの時間に、こんな小さな子供がいるんだ?
 疑問に思う暇もなく、ゾロがあげた声でマードックがその子供の存在に気づき、何を思ったか、その子供へ向かって急に走り出した。
 子供は恐怖の表情を浮かべると背を向けて一目散に逃げ出したが、しょせん子供の足、すぐにマードックに追いつかれて押さえつけられる。
 マードックは子供の首もとに剣を押しつけ、ゆっくりとゾロに向き直ると口を大きくひん曲げてさも嬉しそうににやりと笑った。
「剣を捨てろ」
 マードックが小さな子供の身体ごとゾロに正対したおかげで、ゾロは初めてその子供の顔を正面から見ることとなった。
 ゾロの身体を脳天からつま先まで衝撃が襲った。

(──サンジ…ッッ!──)

 それはゾロが初めて出会った時のサンジだった。
(ということは…)
 ゾロはようやく長すぎた間隙飛翔の意味を理解する。
(なんてことだ! 俺は、あのとき、『サンジが大厳洞にやってきた日』を思い浮かべたんだ…バシリスはそれを忠実に照合座標にしてここへ、この時へ連れてきたんだ…!)
 サンジであろうとなかろうと、子供を人質にとられてはゾロは剣を置くしかない。
(しかし、サンジを、みすみす──)
 どうしたらいい。マードックはまさか今自分が手の中に掴まえているのが、憎くて憎くてたまらないと言ったサンジ本人であるとは気づいていないだろう。しかし、万が一にでも気づいてしまったなら──
 首にあてた剣を軽く引くだけでよい。もしくは押さえつけた手にぐっと力を込めて締めるだけで、全ては終わる。
 逡巡は一瞬だった。
「その子供は関係ないだろう、離してやれ」
 言いながら短剣を地面に落とす。
 マードックが勝ち誇ってさらに歪んだ笑みを見せる。
 そのときだった。
(──いやあ! 助けて!──)
 頭の中に直接、助けを求める声が高く響いた。その切ないまでの純粋な響きに真っ先に反応したのは竜だった。
 バシリスがひと声高く鳴き声を上げると、長い尾を一閃させて抱えたサンジごとマードックを横薙ぎに吹き飛ばしたのである。
「バシリス!」
 ゾロは怒鳴って、地面に放った短剣を拾い上げ、転がっているマードックとサンジへと走り寄った。吹き飛んだ先の打ち所が悪かったのか、サンジは気を失ったらしくそのまま動かない。マードックは逆にうう、と唸りながらすぐに身を起こした。
 起きあがると同時に自分に向かってくるゾロを認め、剣を握り直してまたゾロに打ち掛かる。
「死ね! お前なんか死んでしまえ! お前もあの洞母もみんな死ねばいい!」
 とりあえず自分が一時人質にした子供の正体は判っていないようだと微かに安心して、ゾロは今度こそ真剣にマードックに対峙した。
 何としてもここで彼に負けるわけにはいかない。
 サンジを護る。『強くなれ』と言い続け励まし続けてサンジは充分強くなったけれども、今この時代のサンジを自分が全身全霊をかけて護らなければその全てが無になってしまうのだ。
(そんなことはさせねえ!)
 そしてさらに激しい打ち合いが始まった。

 ゾロにとって、剣での戦いは初めてだった。だが固い決意で繰り出す剣は素早く、マードックを軽々と追いつめる。
 腕の皮膚を切り裂き、足の腿から血を流させ、軽い怪我程度ならよし、殺さなければ──口を利けさえすえば問題ないだろうと判断してからのゾロは強かった。
 しかしマードックも尋常ではない強さを見せた。彼を支えているのは憎悪、濁り凝り固まった積年の憎悪が今彼をつき動かしている全てだった。
 一合、二合と斬り結ぶ。それが五合、十合と重なるにつれ、徐々に互いの足がもつれ、腕の振りが鈍くなってきた。
 マードックはルアサ城砦で太守に付き添っていただけだったが、ゾロは糸降りの指揮をついさっきまでとっていたのである。鍛えているとはいえ、ゾロの顔に疲労の影が濃くなってきた。
 ゾロはまだ転がったまま動かないサンジも気になっていた。まさか頭を打ったんじゃねえだろうな、と悪い方に思考がかしぐ。
 ますます荒くなる息の下、こうなったら、とゾロは決意した。

 ゾロがぐらりと身体を揺らし、大きくよろめいた。その隙を逃さずマードックが剣を一閃させる。
「でえええい!」
 ゾロはマードックの剣を身体の正面で受けた。何も防御しないまま、降りて来た剣の切っ先が皮膚を切り裂いて滑り降りるのを無視して、血しぶきをまき散らしながらゾロは真っ直ぐ踏み込んだ。
 一瞬勝利への確信にマードックは破顔したがそのままそれが凍り付く。
 ゾロが狙ったのはマードックの首だった。短剣を投げつけてのけぞったところを両手でむんずと掴む。そのままぐいぐい締め付けると最初抵抗していた身体が弛緩したので、そこでゾロは手を離した。まだ息があることを確認するやいなや、きょろきょろとサンジを探す。
 すると、いつの間にか起きあがりじっとこちらを見ている視線とかちあった。

(無事だった)
 ゾロは急激に身体の力が抜けてゆくのを止められなかった。早くけりをつけるためとはいえ、まったくの捨て身でマードックの剣を受けた傷は激しく出血している。ぞく、と寒気がゾロを襲った。
 サンジの傍に膝をつく。
(こんなに小さかったっけ)
 最初の出会いからちびっこいヤツだとは思っていたけれど、それでも記憶の中のサンジより遙かに小さく細く、ガリガリに痩せていた。
「お前、大丈夫か」
『サンジ』と呼びかけないように気をつけながら素早く思考をまとめる。
「怪我してるな」
 落ちていた短剣を拾って、腰の鞘を引き抜き、収めてからサンジの足にあてて適当に縛り上げた。
「あ、あの」
 サンジがようやく声を上げる。
「助けてくださってありがとうございます。手当てまで…でもあなたも随分怪我をしているようですが」
「俺は大丈夫だ」
「でも、そんなに血が出て」
 ゾロは自分の身体を見下ろすと、フンと鼻を一つ鳴らして言った。
「お前が無事で、よかった」
「……」
 声を失ってサンジはゾロを見上げた。
 そうだ、この目だ。この光が消えないで本当によかった。
 交わした視線にどんな思いが乗せられていたのか、幼いサンジは知ることはないだろう。しかし、それでいい。サンジがその意味を考える必要はない。少なくとも今は。

 ゾロはともすれば崩れそうになる身体を叱咤して、落ちていたマードックの剣を拾い、マードック自身をバシリスの背にくくりつけると、サンジに向かって手を伸ばした。
 サンジをバシリスのゾロの前に跨らせ、騎乗帯を掴ませる。
 少し考えて、ゾロは自分の騎乗服を脱ぐとそれでサンジをくるんだ。
 小さなサンジはゾロの両腕の間にすっぽりと収まっている。落ちないようゾロはサンジを抱え込むような形で騎乗帯を握り、バシリスを優しく浮上させた。
(ハイリーチェス大厳洞の裏へ。見張り竜に見られないように)
 ごく短い間隙飛翔だったが、それでもサンジには刺激が強かったようだ。怪我のせいもあるのかもしれない。間隙から出てみるとまたしても気を失ってくったりとゾロにもたれかかっている。
 ゾロはサンジをそっと抱え上げると、ゆっくりと大扉に続く道を上っていった。一歩一歩が重い。サンジの身体はほとんど体重がないかのように軽かったが、ゾロは自分の身体の重さに何度も立ち止まっては息を整えなくてはならなかった。
(ちきしょう、目が霞んできやがった)
 ごしごしと手の甲で目をこする。視界はなんとかクリアになったが、さっきからうるさくなってきた耳鳴りは収まらなかった。
 身体じゅうが悲鳴を上げていたが、ゾロは意志の力で黙らせ、歯を食いしばって歩を進めた。

 ようやく大扉に着く。見上げると上のほうにハイリーチェスの記章が浮き彫りにされているのが見えた。サンジをそっと降ろしてそのまま大扉に寄りかからせた。青白い顔を覗き込む。
(お前の人生は俺と出会ったことでひん曲がっちまった。もしここで、お前を普通の民家か城砦に届ければ、お前はもっと平穏な一生を送れるだろう。竜騎士にはなれねえかもしれないが、蔑まされたり、揶揄されたりしない、それこそ安心で安全な、普通の生活を)
(だけどそうしたら、俺とお前はきっと出会うことはないだろう…一緒に育ち、笑い、怒り、共に竜に憧れ、竜騎士となって並び戦う日々はない)
(大厳洞ではこれからお前にとってたくさん辛いことがある…それを知っていても俺はやっぱりここにお前を連れてきた──何より俺が…お前を失いたくないから)
 また、会おう。今度会うときは口もきいてもらえないかもしれないが、それでも大きく立派に成長したお前に会いたいよ。
 そっと色あせた金髪に触れると、ゾロはぐいと顎をあげてどんどん、と大扉を叩いた。


 おそるおそるといった感じで扉が開くのをゾロは物陰に隠れてじっと見ていた。
 以前サンジが言っていたが、同じ時間に『自分』が重なってはいられないはずだ。その証拠にさっきからこの時空間の余所者である『自分』は身体が内側からめくられるような吐き気に襲われていた。それでもちゃんと記憶どおりに運ばれるかどうかだけをそっと確認したかった。
 細く開いた扉が一旦躊躇したあと、徐々に大きく開け放たれる。そこから十一巡歳の自分が顔を出した。
(あんな生意気そうな顔してたんだ)
 自然にくつくつと笑いが浮かぶのをそっと堪えた。
 子供のゾロはサンジを見つけると、びっくりして大声で呼びかけ、そっと覗き込んだあと、慌ててきびすを返して扉の中へもう一度引っ込んだ。
 さて、これでいい。あとはマキノがちゃんとしてくれる。
 ゾロはここまで見届けるとそうっと来た道を引き返した。すっかり明るくなる前に、もとに戻らないとならない。
 何度も何度もふらつきながら、ようやくバシリスの元に戻り、飛び立った。
 何度も意識が遠のきそうになる頭で、最後にようやく現在のハイリーチェスの峰を思い浮かべて、バシリスに間隙に入るよう促した。


 

  

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