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竜の覇者(41)




「────ッッッ!!」
 サンジはうなじがざわざわとするのに耐えられず飛び上がった。
 一体、何が起こっているというのだろう。妙に胸がどきどき高く鼓動を打つ。何かよくないことが起こる前触れか? それにしてもこんな変な気分になるのは初めてだった。
(ラティエス?)
 そっと自分の分身である女王竜に呼びかけた。
(ナアニ?)
(糸降りに行った部隊は皆帰ってきたの?)
(エエ、今シガタネ。疲レ切ッテル様子ダワ。私モ飛ベタラ戦エルノニ)
(もうちょっとの辛抱だよ、お嬢さん。バシリスの姿は見える? 俺が呼びかけても返事がないんだ)
(ばしりすハ…イナイワ。チョット待ッテ)
 ラティエスがバシリスへ向けて呼びかける声がサンジにも聞こえた。竜同士の方が楽に遠くまで思念のやりとりができる。
(ダメ。ドコニモイナイワ。間隙ノ中ニイルノカモ)
 間隙にいるのなら、確かに竜でも感知できない。サンジもラティエスも黙ってしばらく待った。
 三分経ち、五分経っても、どちらもバシリスを感じることはできなかった。
(まさか──死?)
(ソレハナイワ。死ンダラスグワカルモノ)
(だけど、間隙から出られなくなったら、判らないだろう? もしかして──)
 ああ、やはり今が『その時』なのか? さっきゾロが持っていた短剣は、その昔自分を助けてくれた竜騎士が持っていたものだ。あの短剣が唯一の手がかりだったから、何度も何度もじっと眺めて過ごしたものだった。手に取らずとも、間違えるはずがない。
 と、いうことは──
 ゾロが、まさか、ゾロが幼い自分を助けてくれた竜騎士本人だった──!
 気づいた時には愕然とした。それならば、ゾロはこれから過去のあの『時』へ時ノ間隙飛翔をするのだ。
 ゾロは行き、サンジと出会うだろう。だがしかし、無事に『今』へ帰って来たのかどうかは、過去しか知らないサンジにはわからない。
 帰って来たのか、いや来られるのか? サンジは遠くの自分の記憶をたぐり寄せる。あの時、短剣しか持たない竜騎士は、狂ったように長剣を振るう竜騎士に対して最初は防戦しかしていなかった。サンジが捕まえられて気を失った後にはもう勝負はついて、血まみれで立っていた。あんな状態で時ノ間隙飛翔をして無事戻れるのか。
 以前一度、自分が偶然発見した時ノ間隙飛翔では、ずいぶん消耗したのを覚えている。通常の間隙飛翔は、訓練によって通常空間でない場所への出入りの違和感をねじ伏せるが、それの何倍も長いのだ。精神も肉体も充実している時でしか試してみる気持ちにはならない。
 ゾロはそれに加えて本日二度もの糸降りを指揮している。疲労の程度も尋常ではないはずだ。
 もしバシリスが間隙の中で力尽きたら──? もしゾロが照合座標をきちんと形づくれなかったら──? それ以前にゾロはあの後ちゃんと生きていたのだろうか。俺を大厳洞に送ったあと、そのまま力尽きて倒れてしまったのでは──?
 幾通りもの「もし」を考えついて、サンジはぶるりと体を震わせた。
 帰ってこい。帰ってきてくれ。ただお前が、お前が無事で生きていてくれさえしたら…!


 帰りの時ノ間隙は、行きのさらに何倍もの長さに感じられた。
 斬られた傷はずきずきと痛みと熱を持っていたが、凍えるほどに冷たい間隙の中では、却ってその熱のおかげで自分の意識を持ちこたえていられた。
 騎乗服はサンジをくるんだまま置いてきた。あまりにも痩せていて寒そうに見えたから、何よりとにかく目に見える形で保護を与えてやりたかった。
 とにかく今は帰らなくては。帰って成長したサンジの顔を見て、あの痩せた子供があやまたず大きくなったのを見るまでは、倒れるわけにはいかない。
(バシリス──もう少しだけ踏ん張ってくれ)
 バシリスも限界をとうに超えているのをゾロは感じていた。幼いサンジの思念の叫びがバシリスを動かしたが、加減ができないまま尾を振るったせいで、当のサンジが重傷を負ったのだ。
 長い長いトンネルをただひたすらに、戻るべき指標を頭から離さないよう強く思い浮かべながら、ゾロとバシリスは飛び続けた。

 ふ、っとハイリーチェスの見慣れた峰の上に現れた。その時かろうじて残っていた意識の糸がぷつんと切れ、そのまま真っ逆さまに空中を落下していった。


《────ゾロォォォォッッッッ!!》

 ゾロとバシリスが『現在』に戻った瞬間、サンジはすぐとそれを察知した。同時に彼らの意識が途絶えたことも。
 サンジは思念と声の両方で、あらん限りにゾロを求めて叫んだ。その声に竜たちは同調した。

 その時、大陸中の竜が一斉に吼えた。

 近くの竜はさっと飛び上がり、石のように落ちてくる青銅色の染みに向かって突進する。落ちるバシリスに速度を並べ、翼と翼を揃え固めてゆっくりと受け止め、徐々に落ちる速度をゆるめさせた。
 大勢の竜が力を合わせて、バシリスは無事に大厳洞に降ろされた。とたんにわっと人だかりができる。
「一体何があったの?」「あの叫びは?」「なぜ竜たちは竜騎士を乗せずに一斉に飛び立ったの?」「バシリスが落ちてくるなんて!」「くくりつけられているこれは誰だ?」「ゾロ! ゾロ! 血まみれじゃないか!」「誰か! 早く療法師を! ターリー師を呼んできて!」「とにかく先に手当だ!」
 誰もが一斉に大声でしゃべり、誰が何を言っているのかわからない。そこへ、強風の中でも飛翔部隊の末尾までよく通る声が一喝した。

「落ち着け!」

 人々が声のした方を見ると、真っ赤な色が目を焼いた。包帯を巻いた身体にシャツを引っかけただけのシャンクスが立っていた。
「統領!」「ああ、シャンクス…」「統領だ!」「ありがたい!」
 新たなどよめきがあたりを包んだ。シャンクスは自分を取り巻く視線を綺麗に無視して人だかりの中心へ進み出た。
「何があったのかは後回しだ。とにかく先に手当を! 騎乗帯をはずして、二人とも担架に乗せて運び入れろ。バシリスもいくつか火傷があるのを手当して。かわいそうに、すっかり躯の色が灰色に近くなっている…。マキノはいるか?」
「ここよ。ここにいるわ、シャンクス」
 マキノが進み出てシャンクスの前に立った。
「ここをまかせてもいいかな? バシリスの手当と、そこらへんでアホ面さらしている竜騎士たちに竜たちを落ち着かせるよう尻を叩いてくれ。竜児ノ騎士をこき使ってこの青銅の面倒を任せるんだ」
「心得ているわ」
「さすがマキノさん。人を使うのは一番うまいからなあ。じゃあ俺は人間のほうへ行ってみる。ところで、サンジの姿が見えないが、どこにいる? さっきの声はサンジだろう? 完全に叩き起こされたぜ。耳元で糸降りの警報を鳴らされたようだった」
 シャンクスはさっと周囲を取り囲む人々の中にサンジの顔を探すが、見つけられないので不思議そうにマキノに尋ねた。
 マキノはすう、と胸に息を吸い込んで思い切って言った。
「シャンクス、サンジは監禁されてるの。ロビン殺害未遂のかどで」
「なんだって!! ロビンをサンジが? 何で?」
「それは完全に誤解なのよ! だってそれが起こったとき、サンジはキダ師を送りにベンデンへ行っていたんだもの。だけどそれを証明できなくて…」
「なんてこった! それで、ロビンは?」
「頭を殴られて、意識を失っているわ。ターリー師の見立てでは安静にしていればじき目を覚ますだろうって」
「そうか、そっちはまあいい。そして問題はサンジなんだな? さっきのサンジの『声』のこともあるし、まずはサンジと話をするのが一番かな。サンジは監禁されてるって? さっさと釈放して俺のもとに寄越してくれ。俺はゾロのところにいる」
「わかったわ──聞いたわね? 統領の命よ。洞母サンジの監禁を直ちに解いて療法師の部屋へお連れして。そこのあなたとあなた、いいわね?」
「は、はい!」
 マキノは背が大きい方ではないが、小柄な身体から発する視線は有無を言わせないものがあった。直ちに指名を受けた二人が駆け去ってゆく。
「じゃ、頼んだ!」
 シャンクスは先に担架で運ばれていった怪我人二人を追って、その場を去る。マキノはその背中を一秒の何分の一かだけ見つめると、顔を上げて矢継ぎ早に指示を飛ばし始めた。
「シュラは痺れ草の軟膏を翼の火傷の部分に塗ってやって。その前に手を赤草液で洗って、油を塗ってからね。ゲダツはその補助。オームはこっちから回って翼を下から支えて──」


 

  

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