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竜の覇者(6)




 一巡年が過ぎた。
 ゾロは候補生用の白い簡素な衣を着て、落ち着かない様子で辺りを見回していた。今日は孵化ノ儀が行われる。大厳洞中が朝からそわそわしていた。
 洞母ロビンの黄金竜、フルールスが三十二の卵を産んでから所定の日数が経った。卵は孵化場の砂の上で着実に固さを増してゆき、今日が孵化のその日と定められていた。

 朝から竜たちや早駆け獣たちがひっきりなしに行き交い、この晴れの日に揃って祝いをするために各城砦の太守や太守夫人、工舎の代表者、工師たち、それに付きそう師補たちでごった返していた。もちろん、他の大厳洞の統領や洞母も来ている。
 見張り竜がひっきりなしに歓迎の声を上げていた。城砦や工舎の代表者は大陸の反対側から竜に乗ってやってくるので上空は青銅や蒼や褐や緑色の竜たちでいっぱいだった。ちらほらと黄金竜も見えるのは、大厳洞ノ洞母ノ伴侶に他ならない。ハイリーチェス大厳洞は決して小さくはないが、今日ばかりは縁にずらりと竜が留まり、いつもより山全体が縮こまったように感じられる。
 近くの工舎からは早駆け獣に揺られて厳めしい門からこのハイリーチェス大厳洞へ乗り込んでくる。今日は正面の大門も大きく開け放たれていた。

 孵化場にまた誰かが到着したようだ。静かなどよめきが伝わってくる。見ると、黒髪にピンと尖った黒い髭、目つきが鷹のように鋭いテルガー大厳洞ノ統領、ミホークその人が背筋を伸ばしてまっすぐに歩いて来ていた。
 赤と黒を基調にした衣装は、一歩間違えば下品になってしまう難しいデザインで彼でしか着こなせなかっただろう。どこにいても視線を集めるカリスマ性を持った人物であった。
 他の大厳洞ノ統領たちもそこかしこにひな段のあちこちに座って孵化場の熱い砂の上を見下ろしている。
 アオキジ。エドワード・ニューゲートとその飛翔隊長エース。モンブラン・クリケット、隅の方に目立たないようにそっと座ったのは竪琴師ノ長アイスバーグ。しかしどんなに控えめにしようとぬきんでて背の高い彼の姿はどこにいても目立つ。そしてガープ。あの頑固親父というあだ名で親しまれている彼すらもやってきたとは、お祭り騒ぎに飢えているのだろうか。
 そういえば最近は糸降りの間隔が間遠になって来ていた。もちろん糸降りの期間のまっ最中であろうと、孵化ノ儀は大陸じゅうの大厳洞、工舎、城砦におふれを出して盛大に祝う一大イベントであったが、今日は春を盛りの時期でもともと浮かれたい気分の者が多かったようである。

 しかし、浮かれ気分で最初から楽しむ心づもりの観客たちとはうらはらに、ゾロは朝から緊張しっぱなしだった。普段から、年の割に落ち着いているという評価をあちこちから受けているゾロではあったが、今回が初めての竜児ノ騎士の候補生として感合ノ儀に臨(のぞ)むのである。ゾロももう十二巡歳。候補生としては一番年下で、ようやく孵化場の熱い砂の上に立たせてもらえる資格を得たのみではあるが、竜の雛と感合する機会は等分に与えられているはずだ。年齢ではない。
 もし最初の孵化ノ儀で竜と感合できたら……。いやいや、欲は一切考えまい。竜の雛は候補生の中の何を見て選択するのか、感合のメカニズムだけは一切謎のままなのだ。もちろん、候補生の方が卵の数より倍以上は多いのだから、雛に選ばれない子のほうが多いわけだ。一番年下のゾロがそうなる可能性は、多分かなり高い──それでも。

 竜が、選ぶのだ。
 こればかりはどうがんばっても変えられない事実として厳然とあった。ゾロとて、竜が体格も立派で性格もよい年嵩の少年を選ばず、ちびでまだおどおどしているような年下の少年を選んだケースなど、感合ノ儀にまつわるいろいろな逸話はたくさん聞いていた。

「シャンクスが選ばれた時だってねぇ」
 養い親のマキノが炉端で繕いものをしながらゾロに語ったことがある。
「シャンクスも候補生の中では一番年下のグループだったわ。赤毛のちび、赤毛のちび、って他の候補生からからかわれていた。まあ、でも、今の彼を見ればわかるでしょうけれど、彼はからかわれることに対して別に何とも思っちゃいなかったわね。適当にいなして、相手の顔をたてながら腹の中で笑っていたようなところがあるもの。そして、その最初の孵化ノ儀で、ハキスを感合したのよ」
うっとりと記憶の中のそのシーンを思い返してマキノがため息をついた。
「見せてやりたかったわ。その時の、シャンクスをからかっていた男の子たちの顔ったら!」
 体格にものを言わせてシャンクスを使い走りに使っていたような年嵩の男の子たちは、あんぐりとその感合の様子を見てだらしなく口を開けていたという。その直後、自分たちは誰からも顧(かえり)みられることなく熱い砂の上に残されていたことに気づき、驚きが惨(みじ)めさにすり替わっていったのだとも。
「その子たちはどうなったの」
 ぽつりとサンジが尋ねた。相変わらず膝をかかえるように蹲(うずくま)って、自然に誰からも目立たないようにという姿勢をとっている。
「どうもしないわ。もうその子たちは候補生としての年齢を越えてしまったの。何度も孵化場に立って、待つことの経験だけは積んだけれど、最後まで選ばれなかった」
「そういう子は大厳洞を追い出されちゃう?」
「そうね、大抵は生まれ故郷である城砦や工舎に戻るわね。このまま大厳洞にいつづけて竜と竜騎士たちを支える方の仕事に就くという選択肢ももちろんあるけれど。彼らにとってはプライドが許さなかったんでしょう。皆すぐに散り散りになったわ。今はどこでどうしてるか」
「じゃあ、残っていてもいいんだ」
 明らかにサンジがほっと安堵のと息をついた。
「ばかね──」
 マキノがぐいとサンジに向き直って言う。
「あなたは自由なのよ。脚と目のハンデがあるから、竜児ノ騎士の候補生にはなれないかもしれない。だけどここにいたければずっといてもいいし、他にやりたいことがあったら、努力して勝ち取りなさい。大厳洞に暮らす人々は竜の民なの。この大陸じゅうで一番自由だわ。城砦だとそうはいかないことのほうが多いでしょう。身分とかしきたりとか、いろいろとね。サンジは今までそういったところしか知らなかったんでしょうけど、ここは基本的に能力がものを言う世界よ。あと、工舎もそう。もしあなたが何か技能を身につけたいのなら、そしてその才があることを周囲にしっかり示すことができたなら、その専門の工舎へ行って、一生を技能を磨き、後人を育てることに費やすのもいいわ。
 サンジは、何になりたい? 何をやりたいの? それを自分でしっかり押さえて、その目標に向かって努力していかないとね」
 思いがけないところでマキノから人生の講釈を聞かされてしまい、サンジは目を白黒してしまった。まさかそんな話に展開しようとは思いもしなかったのだ。
「僕は──」
 言いかけて口を噤(つぐ)み、下を向いてしまった。ゾロはサンジが深く考え込む姿を見て、自分が竜騎士になることしか考えていなかった、そしてそれしか考えなくてもよかったその幸運を感謝した。

 はっとゾロは意識を今の自分に戻した。竜児ノ騎士ノ長が何か言っている。まずい。何か重要なことを聞き漏らしてはいないだろうか。
「わかったか! ほらそこ! もう一回言うぞ! 竜の雛が殻から出てきたら、とにかく慌てないことだ。雛たちは伴侶ノ相手を知っていて、まっすぐそちらへと歩いてくるが、殻から出たての雛は皮膚も羽根もまだ脆(もろ)い。下手にぶつかってお互いに怪我をしては大変だ。そして雛は伴侶ノ相手しか見ていない。くれぐれも雛の邪魔をしないように。手出し厳禁だ! そっと一歩後ろか脇に退がるだけでいいんだからな。落ち着いて行動すること! そしてもし雛と感合できたならば、雛を励ますんだ。優しく、力づけてあげること。そしてゆっくりと孵化場から連れ出して外の餌場へ誘導するんだ」
 年老いて白髪まじりの頭を振り立てながら、竜児ノ騎士ノ長ヤソップはぐるりと神妙な顔つきの候補生を見渡した。
「いいか、てめぇら。竜が、選ぶんだからな。だけど今回選ばれなくたって気に病むこたぁない。一回の感合ノ儀で感合しなきゃならないなんてこたぁぜんっぜんないんだからな! よし、さあ行け、どんどん歩け! ほうら、竜たちの歌声が始まったぜ!」
 
 ブーン、というような竜のうなり声が大厳洞じゅうに響いていた。それはとても低く、地響きのように静かに振動を伝えていたが、だんだんと大きくふくらんできて、今や明らかに新たな命を歓迎する歌となって大厳洞全体を揺るがせ始めた。
 竜児ノ騎士ノ長ヤソップに率いられて、候補生たちは一列になって孵化場の砂の上を歩いた。皆一様に神妙な顔をしているが、あまりの熱さにときどき足をひょい、と持ち上げるようにリズムを崩してしまう。ヤソップはちらちらを背後を振り返り、この厳粛な式でだれかがとんでもないヘマをしでかさないか心配のあまりしかめ面になっていた。

 ゾロはすり鉢状の底にあたる孵化場からひな壇を埋めている面々をちらと仰ぎ見た。びっしりと人で埋め尽くされているため、誰がどこにいるのかはわからない。おそらく、自分の実父のミホークもあのどこかにいるのだろう。彼は自分が最初の孵化ノ儀で感合したら少しは誇りに思ってくれるだろうか。
 いやいや、父がどう思うかは関係ない。あくまでもここにいるのは自分ひとり。自分という器が試されるだけの話だ。これから誕生する雛のうち誰か自分を選んでくれるだろうか。
(自分が自分を誇れるかどうか)
 その昔、ミホークがゾロに向けて言った言葉を思い出す。もしも選ばれなかったとしても、恥じることはないのだ。竜児ノ騎士となれた仲間たちを素直に祝福し、胸を張って退場しよう。

 候補生たちは砂の上にほぼ等間隔に並べられた卵をぐるりと取り囲むように立った。峰の縁にぐるりと留まった竜たちの歌声が耐えられないほどに大きく反響する。
 と、最初の卵がぐらりと揺れ、殻にヒビが大きく入った。皆が注視する中、その卵はさらに大きくぐらぐらと揺れたかと思うと、突然中から鋭いくちばしが現れ、一瞬後には楔形の頭をふりたてながら雛が飛び出てきた。褐竜。その雛は砂の上に降り立つと濡れた翼をよわよわしく打ち振りながら、どたどたと真っ直ぐ少年たちへと向けて歩いてくる。その進行方向上の少年が、雛と目が合った瞬間、信じられないという風に大きく目と口を開け、驚きの表情のまま固まった。左右にいた少年がそっとその新しい褐竜ノ伴侶の背を押し、雛の方へ進ませた。
 少年はすぐ雛の前に膝をつくと、優しくそっと頭を撫でてやり、低い声でお前ほど立派な竜はいやしない、なんてすばらしい竜なんだろう、と繰り返していた。生涯でこれほどの歓喜の瞬間はないという様子に、観客たちは、あるものは自分がその昔感合したときのことを思い返し、あるものは少年の表情からその感情を分かち与えられて、皆がその喜びの連鎖に打ち震えた。

 気がつくとそこここで卵が割れ、殻から新しい雛が誕生して、その度に少年たちの輪の一部がすこしづつ欠けてきていた。もう半分以上の卵が孵化し、残すは十数個の卵を残すのみとなっている。
 ふと、少し離れたところにあるひときわ大きい卵が揺れ始めた。卵の段階では、どれが青銅か、褐か、はたまた蒼か緑かということはわからない。卵の段階でわかるのは黄金竜の卵だけだ。あれは色も大きさも他の卵とは別格であり、一度の産卵に一個でるかでないかという稀少なものである。実際今回の孵化ノ儀には黄金竜の卵はなく、少女の候補生はいなかった。
 だが、大きさから判断して、これは間違いなく青銅竜の卵だろう、と皆が認めた卵が今やようやくごとごとと揺れはじめた。ぴしり、とヒビが入った音を、ゾロはこの喧噪の中で確かに聞き取り、何の音だろうと振り返ったとき、ちょうど殻から飛び出た雛と目が合った。

 その瞬間。
 ゾロは生涯その瞬間を忘れはしないだろう。慈愛、尊敬、理解と愛情、すべての暖かな感情がゾロの中に流れ込み、心臓を鷲掴んだ。喜びがゾロの身体を満たした。あふれんばかりの暖かさ。
 ゾロは視線をはずすことなくできる限りの早さで伴侶のもとへと動いたが、端から見ていたものにはよろよろとしか見えなかっただろう。
 しかしゾロの中では周りじゅうのすべてが一切関係ない遠いものとなって、雛の鳴き声も観客のどよめきも、底辺に流れ続ける竜たちの歌声もまるで聞こえなくなっていた。

(ボクハばしりすダヨ)
 伴侶となった青銅ノ雛の声がゾロの頭の中に響く。ゾロは初めて聞く竜の声を全く動揺することなく、当然のように受け止めた。常にそばにいて心を通わせることができる存在──この感激は竜を得たものでしかけしてわからないだろう。
(素敵な名前だ)
 ゾロは心からそう思った。バシリス。生涯の伴侶。
(俺はゾロだ)
(ぞろ)
 オパールのように複雑にきらめく複眼と見つめ合った。そのまま吸い込まれそうになる。
「お腹が空いているんだよな」
 目のふちを掻いてあげながら、優しく声を掛ける。
(ウン、ソウナノ、ダッテ長イコト殻ノ中ニイテ、何モ食ベテイナインダモノ)
 雛は哀れな鳴き声をあげ、空腹を訴えた。
(オナカガスイタヨ)
 ゾロは濡れた翼をきちんと折りたたみ、砂がつかないよう気をつけてやりながら、バシリスと共に孵化場を出て行った。後に残る羨望のまなざしと、無数の観客の賞賛の声は全く意識に残っていなかった。ゾロはただ、胸を張って堂々と退場することを心がけた。これからは自分に恥じないというだけではなく、自分の伴侶、この魂の半身に恥じないように生きていこう、と固く誓った。


 

  

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