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竜の覇者(9)




 いい加減、孵化ノ儀のたびに落ち込むのもやめにしねぇと──

 自分で自分に言い聞かせる。いっそのこと、孵化ノ儀を見なければいい。その日一日だけわがままを言って暇をもらって他の場所で過ごすのもいいし、宴会の準備だといって厨房に籠もりっぱなしになっていたって誰も怪しむものはいまい。
 孵化ノ儀の直後は招待客を交えて盛大な祝宴が開かれる。当然厨房とその周辺の者たちは朝からその準備にかかり切りになっているわけだ。でもほとんどの人間が感合の瞬間だけは見に行ってしまう。厨房もその例外ではない。

 孵化ノ儀を見ない。感合のあの瞬間を、あの喜びが身体じゅうに満ちあふれて輝いている顔を見ないでいる──。
 それはできない、と結局サンジはあっさり結論を出した。あれは誕生の瞬間だ。雛と少年は、互いの中に自分が必要としているモノを見つけて引き合い、ひとつの『輪』として生まれるのだ。それを見ずにはどうしてもいられない。

 それに、今度の孵化ノ儀は特別だった。
 洞母ロビンの女王竜、フルールスが久方ぶりに黄金竜の卵を産んだのだ。
 それは一際大きく、濃い黄色味がかった殻で、他の卵とは一段上の場所にうやうやしくひとつぽつんと置かれていた。
 フルールスは神経質そうに卵を見ていて、側を離れようとしない。近寄るものはぎろりとその大きな複眼でにらみつける。
 ロビンが、誰もあなたの卵をとりゃしないわよ、となだめながら餌場へと彼女を連れ出していくのだが、それ以外の時間はほとんど卵の傍に陣取っていた。
 もうすぐ殻がもっと固くなって、竜たちが歓迎のうなり声を上げて今日が孵化するそのときだと知らせてくれるだろう。
 時折、サンジは孵化場全体を見渡して、この熱い砂の上が白い衣の少年たちと卵から孵った雛たちの喜びの鳴き声で満ちるのを想像した。いいや、今回は少女たちもいるはずだ。何せ女王竜の卵があるのだから。

 女王竜──黄金竜は青銅竜以上に稀少で貴重だった。なにしろ、唯一卵を産んで次代の竜たちの母となるものだからだ。
 通常の孵化ノ儀では、その大厳洞に暮らす少年たちだけで候補者が構成される。しかし黄金竜ノ騎士候補には、大陸中の城砦、工舎、他の大厳洞から年頃の少女たちを連れてくるのだ。女王竜ノ伴侶はすなわち大厳洞ノ洞母となるため、血統、気性、特別の才能の有無など、これはと思われる少女たちを厳選して連れてくる。この選定のために竜騎士が行う捜索の道行きを探索行と呼び、大厳洞に協力的な箇所では進んで娘たちを差し出すが、そうでないところでは「いい娘」を大厳洞が連れて行ってしまうと竜騎士が訪ねてくるとわざと目に触れないように隠してしまったりした。

 幸い、ここハイリーチェス大厳洞は赤毛の統領シャンクスが放埒で豪放な性格でありながらも、それをうまく手綱をとって引き締めるロビンのおかげで、日々の営みは円滑で常に活気に溢れ周囲の城砦、工舎でも人気だったので、今回の探索行ではそれほど苦労せずにすでに数名の少女たちが連れられて来ていた。
 サンジはちらりとだけ見た少女たちが、皆すらりと上品で、顔立ちも美しくそれぞれに魅力的だったので、なんとかお話する機会がないかなぁ、心の中で画策していた。

「何アホ面さらしてんだ、このチビナスが」
 突然後ろから声を掛けられた。
「チビナスっていうなぁ! この…」
 振り向きざま大きく右足を振り上げた。振り向く腰の回転を利用して、踵(かかと)が大きく弧を描く。右は不自由な方の脚だが、軸にしないで振り回すぶんにはこうやって蹴り足に使うことができた。
「おっと」
 ぱしん、と片手で踵を受け止められた。しかし体重が乗っていたぶん、受け止めきれず大きく後ろへよろめく。
「…っぶねぇ。おまえいつの間にこんな技身につけたんだ?」
 サンジは、てっきりゼフだと思っていたのが乳兄弟の青銅ノ騎士だったので、踵を掴まれたそのままの姿勢で目を瞠(みは)る。
「なんで、ゾロ、おまえ、こんなとこにいんだよ」
 竜騎士はこんな時間こんなところにいるはずないだろ、バシリスはどうした、自分の岩室でゆっくり眠っていていい時間だろ、と次々と疑問がわいてくるが、言葉として出てこない。
「妙に目が冴えちまってさ。それに俺はこの時間空を見てるのがガキのころから好きだったんだ」
 ゾロはゆっくりサンジの踵を離し、まんまるになっている目に向けて語りかけた。
 東の方角を二人して見る。太陽はすでに水平線あたりにたなびいている雲から完全に離れ、強く暖かい光を放ち始めている。
「これだけ明るくなると、赤ノ星が見えにくいな」
 ゾロはさすがに竜騎士だけあって、常にその存在を意識している星を真っ先に捉えていた。
「そういや、この間は無事に初陣果たせたそうじゃねぇか。おめっとさん」

 赤ノ星から連想して、サンジはようやくゾロに言いたかったことを言った。結局、初陣の日は直前にゾロと二言三言交わしただけで、あの後互いの忙しさに追われて顔も合わせていなかった。同じ大厳洞に暮らしていても、生活基盤が異なれば、意識しない限り会わない顔があるのは当たり前だ。
 ゾロは一応乳兄弟であったし、初陣の時の様子とかいろいろ聞きたかったが、正式に青銅ノ騎士になったゾロはなんだか遠くに行ってしまったようで、わざわざ呼び止めて話しかけるのも気後れがしていた。
 だから今、ゾロとゆっくり話しができる機会がいきなり降ってわいて、少なからずサンジはうろたえていた。
「で、どうだった? 糸は手強かったか?」
 しかしそこは幼いころ一緒に起居を共にした仲で、すぐに昔そうだったように気安く会話が進んだ。そこには何の見栄も計算もなく、ゾロも子供の頃に戻った心地で、サンジやマキノにその日経験した出来事を語って聞かせる口ぶりのまま、初めての戦いの様子を、その時感じたことや思ったことまで交えてサンジに語ったのだった。
「へええ」「うわ、それはすげえ」だの短い相づちを打ちながら、サンジはゾロの話しに聞き入った。こうしているとホントにガキの頃に戻ったみてえ、と思えてきて自然と頬がゆるむ。

「何、にやにやしてンだ?」
 ゾロがそんなサンジを見咎める。
「いんや。だっておまえ、楽しそうだもん。不謹慎かも知んねえけどさ──いいな、って思った」
 ゾロはサンジから目を反らすと、手すりの向こうの空を見上げた。
「──うん。実は──楽しい。糸胞をやっつけてる時、バシリスに火焔石を与えるとき、糸胞を追いかけて飛ぶとき、その間ずっと血が騒ぐって感じだ、実のところ。おまえにもこの感覚を知って欲しいって思って、ホントは狙ってここへ来た…悪りぃ」
「何で。おまえが経験したことそのまま話してるだけじゃん。俺は騎士にはなれないけど、おまえの話聞いてて、俺まで空を駆けた気分になれたぜ、ちゃんと。だから、ありがとな」
 サンジは、ゾロの気遣いが嬉しかったし、また少し前に練達の騎士たちがゾロの通常より早い初陣についてあれこれ意見していたので不安に思ったことが払拭できたので、二重に嬉しく感じた。
 大丈夫だ、こいつは人より早く初陣を果たしたことで増長なんかしやしない。そんな矮小(わいしょう)な心なんざ持ってやしねえんだ。さすが青銅竜に選ばれるだけのことはあるぜ。

「そろそろ、戻らねぇと」
 厨房への扉をくぐると、ふたりともほっと息をついた。夜明け直後の外気は春とはいえまだまだ冷たい。サンジは竈(かまど)にかけてあった鍋からクラを二つカップに注ぐとひとつをゾロに渡し、自分もふうふう湯気とあごにあてながら飲み干した。
 飲み終わると大きな寸胴鍋に水をなみなみと入れて竈(かまど)にかける。朝食用のスープの準備を始めながら背中ごしにゾロに話しかけた。
 ゾロの初陣の話題が一段落すると、自然と今度の孵化ノ儀の話となる。ゾロにしてもサンジにしても、黄金竜の卵の孵化を体験するのは初めてのことだった。ゾロはもっと幼い頃にテルガー大厳洞で女王の孵化があったはずだが、さすがに子供すぎて見てはいなかった。結局ここハイリーチェス大厳洞に暮らすようになって初めて女王の孵化に立ち会うことになる。
「黄金竜ノ騎士候補の子たち、見た? かわいい子ばっかだったよな」
「あー…、興味ねぇ。なんか確かに普段見かけねぇ女がいるな、とは思ったけど」
「てめぇ、朴念仁にもほどがあるぞ! 少しは周囲の人間の動向に気を遣え!」
「使ってるさ。飛翔隊長とか、俺たちの小隊以外でも、速くうまく飛ぶやつとかはいつもマークしてる。負けたくねぇからな」
「…ったく、飛ぶことに熱心なのはいいけどよ。ちょっと考えてもみろ。女王竜ノ騎士だぜ? それってもしかしたら、いつかおまえと一緒に交合飛翔するかもしんねえってことだろ? おまえだって青銅ノ騎士なんだから、バシリスが今度生まれてくる女王を飛ばせる可能性だってあるわけだ。どうだ? 少しは興味出てきたか?」
 ゾロはきょとんとして、そっか、と小さくつぶやいた。さらに小さく、でも俺は先週初陣終わったばっかで、そんなことまで考えられねえ、今は、ともごもごと言った。
「おまえにはさ、そういう未来もあるってこと自覚しろ。竜騎士、それも青銅竜ノ騎士になったんだから、何か責任ある地位にいつかはつくさ。そういう視野も考えに入れとけ。今は飛ぶのに夢中なのは無理ねぇけどな」
 まだクラの残るカップを手に、ゾロはサンジの背中を見つめる。
(こいつ、いつの間に…)

 しかし次のサンジの言葉に見直しかけた賛嘆の言葉が引っ込んだ。
「俺もあのかわいこちゃんたちとお近づきになりてえなあ。けど、厨房の見習いなんかとは口きいてくれないだろうしなあ。もともとあちこちの城砦や工舎でいいとこのお嬢さんなんだろうし」
 ゾロはカップを脇に置いて厳しい目でサンジを見た。
「てめぇは何でそう自分を卑下したがるんだ。ガキのころからずっとそうだよな。どうして自分に自信を持てない?」
「だって…俺ぁここで生まれたわけじゃあないし、偶然拾ってもらっただけの、親ナシの流れモンで、卑しい人間なんだからよ」
「だから! 最初からあきらめるんじゃねぇって! てめぇはずっと毎日、割り当てられた仕事に文句ひとつ言わねえで、朝から晩まで働いてるって聞いてるぞ。真面目で偉いって俺にまで聞こえてる。それにその蹴り、俺でなかったら今ごろ骨の一本や二本イッてたと思うぞ。足を少しくらい引きずってたって、実際生活に支障がねえじゃねえか。候補生にだって、そうやってもっと自分をアピールしてみたら今からでも認めてくれんじゃねえのか?」
「それは! でも何て言やいいんだよ! それに拾ってくれたマキノさんやいろいろ一から教えてくれたゼフのジジィには恩があんだろ! ここが俺が居るべき場所だ。下ノ洞窟で俺はてめぇら竜騎士たちを支えてやるのが、俺の「分際」ってもんなんだよ!」
「…てめぇはそれで本当に満足してるのか。それがてめぇの本心なんだな?」
 すっとトーンを落とした低い声でゾロが聞く。聞きながら、でもサンジの本心はそうではないだろうと確信していた。こいつはすげえ意地っ張りだから、自分自身でも認めやしないだろうけど、竜と、そして竜騎士への憧憬は消えてはいやしない。実際に竜に選ばれなかったのなら、いやがおうにもあきらめざるをえないけれど、そのチャンスすら与えられない状態では、簡単にあきらめられないだろう。難儀なことだ。
 ため息をそっとつくと、頑なに背中を向けたままのサンジに向かって「ごっそさん」と声を掛けて出て行った。


 

  

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