こちらのプルダウンボックスで読みやすいスタイルをお選び下さい。





金瞳

 




「じゃあ、俺が最後だな」とサンジが言った。
 風のない、蒸し暑い夜だった。ぱたりとも帆は動かず、索具もだらりと垂れ下がったまま、オイルを流したような海面にサニー号は不規則に上下動を繰り返している。
 明かりを落とし、ぼんやりと水槽だけがほの明るく浮かんで見えるアクアリウムバーで夕食後にくつろぎながら、クルー達は誰からともなく怪談話を始めたのだった。
 すでにそれぞれ趣を凝らした不気味なもの、ちょっとだけ怖いもの、ほほえましいもの、明らかに嘘っぽいものなどが披露され、残りはあとひとり、この船のコックだけとなった。
「──白面金毛の妖孤、って知ってるか?」
 言いながら、煙草の煙をそっと、細く長く吐く。同じ部屋にいるレディ達に気を遣ってのことだった。水槽を背後にした彼は細いシルエットとなり、表情は見えない。
「まあ、俗に言う九尾の狐、ってヤツだ。あちこちに伝承となって残っているが、これから話すのは、俺が客船の厨房にいた頃、客から聞いた話だ」
 低い声が淡々と部屋を流れる。誰も声を上げて遮ろうとするものはいなかった。


 ──その山には何年前、何十年前かわからぬ昔から白面金毛の妖孤が居た。人里離れた山奥だ。ただ時折、その妖孤はふらりと里に降りてきては人の間に紛れ、いろいろなことをして遊んでいた、らしい。何をしていたか、って? 悪いこともしたり、いいこともしたり、ただ人間をからかって遊んだり、いろいろだ。つまりは退屈しのぎをしてたのさ。里の人はそれでも、里に決定的な悪行をされるわけではなかったので、自分達の手には負えないこととして諦めて日々を過ごしていた。つまりは妖孤も天気や何かと一緒で、ただ受け入れるだけだったのさ。里人はあがめ奉るでもなく、「そういうモノ」だとして納得していた。

 ある年のことだった。日照りが続き、雨が一滴も降らない日が百日続いた。作物は枯れ果て、畑にはヒビが入り、家畜は倒れた。里人は皆痩せ細って飢えていた。「雨さえ降れば」と何度も必死で雨乞いをするが、そんなことで雨が降る筈もない。妖孤はいつものようにふらりと里へ遊びに来たが、誰も妖孤の影すらも見ようとしない。皆自分と家族が生き延びることで必死だったのでね。妖孤はつまらないなあ、と思った。退屈しのぎができないんじゃこの地を離れようかと思ったが、あまり山奥過ぎるわけでも、人や物が煩くて眠れないほど開けているわけでもないこの土地は居心地がよかったし、退屈な時に適度に騙されてくれる里人や、たまに不思議そうな目で見てくる子供たちも悪くなかった。
 妖孤がつまらない理由はつまり、雨が降らないからだと判った。あまり気が進まないが、それならちと空の気を動かして雨雲を呼び寄せてみるかと思ったが、さすがの妖孤もそれにはかなり大きな力が要る。人間のためにそこまでしてやる義理はない。山のねぐらへ戻って冬まで眠って過ごすかときびすを返した。

 しかし、そんな時に里にふらりと旅の坊さんが通りかかった。このお坊さん、ナントカ山のナントカ寺で修行をしたとかで、それなりに法力を身につけていた。坊さんは里の惨状を見ると、哀れに思ってなんとか力を貸したいと申し出た。
「この山には白面金毛の妖孤が居るでしょう」
「──はあ、まあ、そんな名前かどうかは知りませんが、確かに何か得体の知れないモノは居りますな」
「そいつが元凶です。そやつを殺せば雨はたちどころに降ることでしょう」
 里人たちは皆顔を見合わせた。アレは多少の悪さはするものの、天候まで左右するほどの力はないだろう、と坊さんに進言したが、坊さんは聞く耳を持たなかった。

 ところでこの会合の隅っこに、小さな子供がひとり紛れこんでいた。この子供はよく妖孤の住む山奥まで登りに行き、こっそり妖孤を物陰から覗いていたのだ。里の人間とは明らかに異なる容姿、白い肌に金色の髪、金色の目は確かに見る者によっては恐ろしく映ったかもしれないが、子供の目にはただ不思議で綺麗なモノとだけ見えたのだった。妖孤は自分の庵の周囲をうろつく子供の影に気が付いていたが、次にどういった行動にでるのかを待つことにして放っておいた。だからこの子供と妖孤は一言も口をきいたことがなかったが、なんとなく互いに互いを気にしている存在であった。
 子供は、坊さんの言葉を聞くと、そっとその場を抜け出し、妖孤の住む山へと向かった。
(あのハクメンコンモウノヨウコって奴が雨を遠ざけているのなら)
(一所懸命頼めばまた雨を降らせてくれるかもしれない)
 あのお坊さんが言っていたようにわざわざ殺さなくてもいいじゃないか、まず自分が頼んでみよう。ずっと見てきた感じでは、あいつはそんなに悪いようには見えなかった。

 子供は飛ぶように駆けて駆けて、山奥の庵に飛び込んだ。妖孤は冬まで眠って過ごすつもりで庵に結界を敷こうとしていたところへいきなり弾丸のように子供が飛び込んできたので大いに驚いた。
「あの! お前にお願いがある! 雨を! 雨を降らせてくれよ! なあ、意地悪しねえで…しないで、俺たちの里に雨を降らせてくれ!」
「…お前……」
 妖孤はびっくり仰天した。次ににんまりと笑った。これは大層面白い退屈しのぎだ。
「お前は、俺が雨を降らせることができると思ってるんだな」
「うん」
「俺が雨を降らせたら、お前は何をしてくれる」
「何を?」
「決まってるだろう。何かを頼んでそれが成し遂げられたら代わりに礼をするのがスジってもんだ」
「…わかった。だけど何もお前に渡せるモン何も持ってねえし、何かしてやれることも思いつかねえ」
「ふん……まあいい。それはおいおい考えるさ。だが憶えておけよ。俺が雨を降らせたら、お前は俺に貸しひとつだ」
「わかった。約束する」

 それを聞くと妖孤は天高く、山を見下ろす雲の上のそのまた上まで上った。空気すら薄いその場所で、妖力を解放し、そこにでんと居座っている大気を押しやる。しかし妖孤の力をもってしてもそれはかなり困難な事だった。途方もなく大きいくせにとっかかりがない。妖孤はそれまでに溜めた妖力をほとんど使い果たして、ようやくのことで乾いて熱い大気の塊をどかし、そこに冷たい空気の層を呼び込んだ。それはたちまちに雨雲を形勢し、空を灰色に染めてゆく。
 もういいだろう、とへとへとになって妖孤が庵まで降りると、子供が目を丸くし、口もあんぐりと開けて空を眺めている。妖孤は疲れ果てていたがそれを見て気分をよくした。
「どうだ、これで満足か?」聞くと、いがぐりのような頭をくるりと廻し、
「うん! ありがとう!」と応える。
 満面の笑みに妖孤の口元も綻びかけたそのとき、白木の矢が風を切って飛んできて、妖孤の左目に深々と突き刺さった。
「この化け物妖孤めが! 雨を遠ざけるばかりか、いたいけな子供まで誑かそうとは!」
 例の旅の坊さんだった。それなりに法力もあり、先ほどの破魔の矢にもそれを纏わせていたため妖孤は避けられなかったのだ。妖力を使い果たしたことも不利に働いた。
 妖孤は血を流し続ける左目を押さえながら、残る右目でぎり、と辺りを見回した。
「なんてことをするんだ! アイツはそんな奴じゃない! 雨雲だってアイツが呼んでくれたのに!」
 子供は叫びながら坊さんに突っかかっていった。坊さんは唖然としつつ、しかし次の矢を弓につがえたままだった。さらにそれを遠巻きに里人が取り囲んでこわごわと不安な顔を見せている。妖孤はその様子を全て見てとると、何も言わずにきびすを返した。
「逃げるぞ!」「追え!」「いや、追うな!」「深手だ、もう死ぬ!」
 痩せて血色の悪い里人はもうからかって遊んでいた頃とは違う面差しだ。
 もうここには居られない──そう悟った妖孤はよろりとたたらを踏むと、その場にくずおれ倒れた。そしてその姿はみるみる薄くなり、消えていった。



「それから──どうしたの?」
 チョッパーがおそるおそる尋ねた。心優しい船医は、化け物と呼ばれたあやかしが自分と重なるのだろう、顔をしかめながらもその後を知りたがった。
「どうもこうもねえよ。この話はこれで終いだ。白面金毛の妖孤は偉い坊さんの法力によって退治され、雨は降って里人は皆助かりました。めでたしめでたしだ」
「ちっともめでたくないよ! だってその妖孤って悪い奴じゃないじゃん! それにその子供はどうなったのさ!」
 サンジはにやりと笑うと、チョッパーに向かってウインクをした。
「まあ、確かに続きがあるといえば、ある──つまりその妖孤は本当に死んだわけじゃなくて、ただ姿を消して死んだように見せかけたっていう説があるのさ。ただし、その坊さんの放った矢は確かに大きく妖孤を傷つけた。ちょうど弱っていたってこともあった。それで妖孤はまた妖力を取り戻すまで、人間の姿をとって今度は人に紛れて暮らすことにしたのさ。普通ならさらに山奥で眠りに就くんだろうが、コイツはとにかく退屈が嫌いという変わり者だったからな。ただ、見分ける方法がひとつあって、妖孤は妖力を失ったときそのしるしとして金色の目が青く変わった。そうなったら本当に人間と見分けがつかないよな? だけど傷つけられた方の目は金色のままなんだ。だから、左目を隠した金色の髪の男を見たら、その隠された色を見ればいい。そいつが金色だったなら──」
 そこで言葉を切って、手を大きく広げた。

「────見るか?」

 誰もが言葉を発するのを躊躇していた。もしかすると息をすることさえ止めていた。誰かがゴクリと喉を鳴らした。
 ゆっくりとサンジの手が上がり、金髪をかき上げた。ほの明るい水槽の光に照らされて────



「あー、もう完全にサンジくんにやられちゃったわねー!」
「あの盛り上げ方はすげえよなあ」
「俺、本当にあそこでサンジの眼が金色だったらどうしようってすっげえどきどきした!」
「いつも髪に隠されて見えないから、却って想像させられちゃうのよね。まあ、昔の傷痕が醜いからって理由は判らないでもないけど」
「いや、ほんっとうにあの瞬間だけは心臓が爆発するかと思いました! 私心臓ないですけど!」
 思い思いに感想を言い合いながらクルーはバーを出て行く。残ったのは片づけをするサンジと、ゾロだけだ。かちゃかちゃとグラスの音が広くなった空間に響く。二人とも背を向けたまま、ぽつりとゾロが口を開いた。
「……お前、あの話、どこで聞いた」
「どこって? 最初に言ったろう? 客船の、」
「嘘つけ! 俺はあの後を知ってる。旅の坊さんはどこかで野垂れ死んだ。その死因は心臓の発作ってことだが死に顔がとんでもねえ形相だったらしい。里は日照りが止んで雨が降ったのはよかったが、今度は雨が降り止まず、川は氾濫するし作物は流れるしで人びとは結局里を捨てて散り散りになった。今は廃村で誰も住んでいねえ。俺は、」
 ゾロは一気に言うとサンジを睨み付けた。
「俺は…親に手を引かれて転々としながら、行く先々でアイツを探した。剣に打ち込むようになっても時々金色のモノを見るたびに眼が追うようになった。お前はその話をどこで、」
 ゾロはサンジの胸ぐらを強くつかんで揺さぶった。サンジは揺さぶられるにまかせながら、口元が笑っていた。
「笑うな! お前は何を知っている!」
 しかしサンジはなおも大きく笑う。とうとうゾロの耳元に口を寄せて、言った。
「ひとつ教えてやるよ。妖孤は嘘つきだ。それから妖力が戻りさえしたら目の色くらい自在に変えられる。破魔の矢から受けた傷はさすがに治らなかったけどな」
「……ッッ!!」
 ゾロの目が大きく瞠られる。サンジは実に楽しそうにゾロの顔を見て言った。
「お前は俺に貸しがあるんだ、約束、憶えてるな?」
 さあ、暇つぶしにはこれから困ることはないだろう。もちろんこの船に居るだけで刺激には事欠かないが、それとは別に楽しい時間を過ごすことができる──これは予感でも希望でもなく、確たる事実だ。
「なあ、ゾロ?」
 にんまりと笑う顔は月光に照り映えて白く美しかった。その中で月の色を吸い取ったかのように金色と化した目が輝いていた。


End.

 

********

 

後書き:

2009/7/5のサンゾロオンリー「キ×ミドリズム」のときにペーパーだけ作ってだしたものです。一応サンゾロなんですが、18禁でもないしほとんどが童話という・・・。
どちらかというとこの話のこれからの方が気になりますね(笑)

ゾロ誕につきアップ。11月中はダウンロードフリーということでご自由にお持ち帰り下さい。

(2009/11/11)