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竜の血脈(3)




「さあ、今日はこの春最初の本格的な糸降りだ」
 ゾロが一段高い箇所から面前に集まった竜騎士たちに向けて言い放つ。ベテランの風格漂う中年の騎士たちもいれば、今日初めて糸降りに参加することを許されたひよっ子騎士たちもいる。彼らはこの後、さらに飛翔隊長ごとの小隊に別れて隊ごとに行動するが、まず統領が全員にむけて一言檄(げき)を飛ばすのが通例になっていた。
 サンジはそれを脇の位置からじっと見上げていた。この五巡年の間にゾロはすっかりリーダーとしての風格を身につけていた。もともと筋肉質の逞しい身体つきをしていたのが、さらに胸も首も厚くなり、それに加えて経験がゾロの容貌に落ち着きとふてぶてしさを付け加えていた。そのゾロがにやりと笑った。
「どんな切れっ端だろうと、情けをかけてやる必要はねえぞ。腹を据えてかかれ、野郎ども!」
 おおおおおっっ!と騎士たちが一斉に唱和する。一瞬遅れて大厳洞の縁にずらりと留まった竜たちが騎士の声に同調して咆哮し、大厳洞全体が振動で揺れた。
 すぐに鉢ノ広場は飛んできた竜たちで一杯になる。細かな注意は飛翔隊長ごとになされ、小隊の準備が整ったところは、飛翔隊長の竜からバシリスを経由してその旨がゾロへと伝えられる。
「ようし! まずトムのおやっさんの隊、それからベポの隊、カクの隊が一番か。行ってくれ! 上空で一旦停止して隊列を整えるぞ! それから順次間隙飛行に入る!」
 ゾロが声を張り上げる。その声は朗々と響いて竜たちが巻き起こす翼の音にも負けずに皆の耳に入った。
 サンジはその様子をしばらく見て、そっとその場を離れてマキノを探した。洞母は大厳洞に残る人々たちの役割分担について下ノ洞窟ノ長と打ち合わせる必要があったからだ。
 サンジなら竜の声を直接聞き取れるから、その気になりさえすれば騎士たちをまとめ率いることもそれほど困難ではないだろう。しかし竜と騎士たちをまとめ鼓舞し、中心となって引っ張ってゆくには大きな牽引力が必要だ。ゾロには自然にそういったものが備わっていた。
(これこそ血かね)
 サンジはそっと思いながらもう一回ちらとゾロの方を盗み見た。先代のシャンクスもそうだったが、統領は何かしら騎士たちを惹き付ける「華」がある。どこにいても、何をしていても自然と視線を引き寄せてしまうような何かが。シャンクスはよく人を食ったような笑みを浮かべていたが、それは時折信じられないくらい無邪気で無防備なそれに変わり、かと思うと一変して底の知れない恐ろしい笑みになったりする。
 ゾロはそういった得体の知れなさはないが、とことん広く底知れない度量がかいま見え、それが頼もしさと直結して人を引き寄せた。もちろん飛翔技術は二人とも群を抜いて優れていることは言うまでもない。
 サンジは出撃前の喧噪の中、そのようなことを頭の片隅で考え、そしてそんなゾロが自分の大厳洞ノ伴侶であることをそっと誇らしく思った。
(さあて、こっちはこっちのお仕事を頑張りますか!)
 ようやく人と竜のごったがえす中にマキノの小柄な身体をみつけて、段取りの確認と今日の変更点を打ち合わせるために走り寄った。
「じゃあ、そんな感じで、よろしく」
 長年の経験と二人の間の信頼のおかげで、マキノとは最小限のやりとりで済ませ、サンジは吐炎具を背負ってラティエスに向き直った。
「それじゃあ行くよ、お嬢さん。準備はいい?」
(ヨウヤクネ、トイッタトコロヨ。準備ナンテトックノ昔ニデキテルワ。アナタコソ準備ハイイ?)
「そうだった、待たせちゃってごめんね。じゃあ行こうか」
 ロビンとフルールスに目配せして、二頭の黄金竜は同時に飛び上がった。
 こうやっていつものとおりに、糸胞と戦う日々が始まった。誰もが今年もまた昨年の延長で同じ日々が積み重なってゆくのだと思っていた。



「何だって!? ゾロがまだ帰っていないって?」
 糸降りが終わり、竜と竜騎士たちが汗と煤で薄汚れて帰って来てから数時間後、ようやく怪我や火傷をした竜たちの処置を済ませ、自分たちの岩室に戻って強張った筋肉を湯に浸けて休めるとサンジが息をついたときにその報せが届いた。
「そうなんです。統領は確かに大厳洞に戻るときには、いつものとおりしんがりの位置にいらしたのですが…」
「誰もその後、ゾロが戻ってきたのを見ていない、と?」
「──はい。統領のことですから、最後尾を陣取りながら、見落とした糸胞が地面に潜りこんだ穴を見つけて、地上部隊へ知らせに行った、ということも考えられなくはないですが…」
「それにしても、遅え。遅すぎる」
「………」
「最後にヤツを見たのは誰だ?」
「俺、いや私です。うちの隊が最後から二番目でして、統領が先に行けと言ったので、そのとおりにしたのですが」
「そのとき、別段変わったことは?」
「何も。統領がしんがりを務めることはいつものことでしたし、糸降りも特に変わったこともなかったですし…」
「でもヤツはまだ帰ってこない。何かが起こったとしか考えられないな…」
「捜索隊を出しますか?」
「ばかこけ。仮にも統領だぞ? それにンな必要ねえよ。俺とラティエスとで探してみる」
 そういえばそうでした、と男は明らかに肩の力を抜いた。
 サンジはラティエスに声を掛け、ラティエスと同時にバシリスの思念を探った。思念を絞って遠くへ伸ばし、バシリスを感じ取ろうとする。
(バシリス──どこだ?)
 しかしどこにもバシリスの安定した思念は感じ取れなかった。
(ラティエス? バシリスはいた?)
(イイエ。ドコニモ感ジラレナイワ)
 ラティエスも不思議そうに首を捻ってサンジと視線を合わせた。ラティエスは真っ先に躯を洗って油を擦り込まれ、つやつや光った躯をゆったりと岩室の奥に横たえていた。サンジに向けた楔形の頭の中で、きらきらと複眼が光っている。それが不安を示す紫色をたたえているのを見て、サンジはラティエスが言葉以上に動揺しているのだと知った。
「あの…洞母様?」
 男が期待と不安の入り交じった声でサンジを窺う。サンジもラティエスと同様、心の内がざわざわと言いようのない不安に浸食されていたが、できるだけ平静を装って男ににこりと笑いかけた。
「あー…、さすがの俺も今日はちと疲れてて、遠くまで聞こえねえわ。まあ、心配するな。統領とバシリスだから、遅くなってもそのうちちゃんと帰ってくるさ」
「少なくとも、竜たちに不審な気配はなかったですしね」
 男が少しだけほっとした顔つきで返す。そうだ、糸降りが終わってから、竜たちが仲間を失った意味の葬送の鳴き声をあげてはいない。竜は仲間の死に敏感で、それは瞬時に伝播し、悲痛な叫び声をあげるために周囲の人間にすぐそれと知れるのだ。
 今日はそれがない。糸降りの最中は数度あったかもしれないが、最後にゾロが目撃されたのは糸降りが完全に終了した引き際だ。その後は竜たちは全く普段の通りだった。とすると少なくともゾロとバシリスが生きていることは確実だった。
「きっとどこか迷子になってるだけさ。明日にはひょっこり戻ってる。お前も自分の竜のところに戻って、ゆっくり休め」
 力づけるようにぽんとその男の肩を叩く。
「はい、そうします。洞母様もゆっくり休んでください。そろそろラティエスもまた交合飛翔の時期ですしね」
 憧れと尊敬のまなざしで岩室の奥にゆったりと躯を横たえているラティエスの方を見、ぺこりと頭を下げて竜に挨拶を贈った。なんのてらいもなく正直な憧憬をその男から感じてサンジは少しだけ心が慰められた。この男は珍しくサンジのことを特殊な「男の」洞母ではなくただ大厳洞ノ洞母と認識している。ラティエスも敏感に感じとっていた。
「ラティエスが感謝する、と言ってる」
 サンジがそっけなく伝えた。男はその言葉にさっと頬を紅潮させて「女王竜に言葉をいただけた」感激を現した。
「とととんでもない! お二人ともお大事になさって下さいね! では失礼します!」
「…何を大事にするんだってんだ…」
 意味不明の言葉を放り出されて、サンジは呆れた声をあげる。しかしすぐに顔を引き締め、ラティエスに向きなおった。
「ラティエス。ゾロもバシリスも二人とも気配がない。思念を全く感じられない。ということはつまり?」
(完全ニ意識ヲ失ッテイルカ、間隙ノ中ニイルノカトイウコトネ)
「もしくは、もっともっとすごく遠くに居る、ってことは考えられない? たとえば大陸の反対側のベンデンとかさ」
(ソレモ一ツノ可能性ネ。モシクハ、モットモットサラニ遠ク……)
「さらに遠く?」
(別ノ時ヘ行ッテイルカモ)
 サンジはうう、とうめいた。その可能性は確かにある。しかしそれはできれば一番考えたくない可能性だった。
 以前にもゾロとバシリスが十巡年間という時ノ跳躍をしたとき、サンジは全く彼らの存在を感じ取れなかった。ようやく感じ取れた瞬間にはゾロは大怪我をして空から落下して、生死の境をさ迷ったのだ。
 しかしそうそう時ノ跳躍をする理由はないはずだ。さっきの男の話では、別れるときもゾロは普段どおりだったそうだし、時ノ間隙飛翔の危険性を誰よりも実地で理解しているのは彼だったからだ。
 では一体どこに居る? 間隙飛翔ではないなら、そしてもし怪我ならば同時に二人が意識をなくすほどの怪我をしたというのだろうか?
 糸降りで疲れているにもかかわらず、サンジはその夜一睡もできなかった。考えすぎだ、夜が明けたらひょっこり戻ってくるに違いないと何度も思いこもうとしたが、うとうとはするものの、すぐにはっと目が覚めてしまうのだった。


 

  

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