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竜の血脈(9)




 ゾロが意識を取り戻したというニュースは、しかしながら全くの手放しで喜べなかった。大厳洞ノ療法師であるターリー師が難しい顔をしてゾロを診察し、バシリスとサンジを通訳にして出来る限り原因を探ったが、肝心のところでゾロは何故どのように怪我を負ったのかを憶えていなかった。
 まずゾロが自分で言葉を発することができず、ターリーの質問に対して答えをバシリスに言い、それをサンジに伝え、サンジがターリーに言葉で告げるという、目の前での伝言ゲームにゾロは苛立ちを押さえることができなかった。
 それに加え、下半身と左腕の感覚がほとんどなく、かろうじて皮膚の触感と温感冷感が鈍く感じられるものの、自分の意志で動かすことができないのは気が狂うほどの焦りを生んだ。
 最終的にその事実が現状動かしがたいものだと知ったときに、ゾロはショックのあまり一瞬バシリスにさえ心を閉ざし、両眼を閉じ完全に沈黙した。
(ぞろガ僕ノ声サエ拒否シテイル)
 バシリスが悲痛な声音でサンジに告げた。サンジはゾロとバシリスの感じている痛みを思い、さりとて下手な慰めの言葉は却って傷つけることを知っていたので、ただ黙って頷くしかなかった。
(ゾロは強いから、ちゃんと自分で戻ってくるよ。少しだけ事実を受け入れる時間をあげよう)
 しかしゾロはサンジとバシリスが思っていたより早く目を開けた。ゆっくりと目蓋があがり、視線がぐるりと周囲を回り、そこに居たサンジや療法師、師補を全員認識したあと、バシリスを通じて呼びかけた。バシリスも短い間にコツを掴み、心の中に「場」を作り、そこにゾロの思念をエコーさせるようにしてほとんど瞬時にサンジへと伝えている。
((つまり、俺は今、声も出ねえし、半身不随のただの厄介な怪我人というわけだ。こんなんじゃとても統領なんて言えねえ。竜騎士ですらねえかもな。飛べねえ騎士なんてあり得ないしな))
「ゾロッ!」
 サンジはゾロの言葉を通訳するのを忘れて叫んだ。
「そんなバカな事をお前が言うのか?」
((何言ってんだ。俺は事実をただ言ってるだけだぜ? いいか、サンジ。お前にこれを言うのが多分一番辛い…けど敢えて言うぞ。出来る限り早く次の統領を立てろ。代行で凌(しの)ごうとか考えるな。お前が嫌だと言っても、バシリスから他の竜全部に呼びかけて全ての竜騎士に俺の意志を伝えるからな))
「ゾロ…」
((悪りぃな。ずっとお前と一緒に飛びたかったが、今はどうしようもねえ))
 ずっと黙って無言劇を眺めていたターリー師が、おずおずと口を開いた。
「我々の能力が至らなくて申し訳なく思っているが、せめて療法師ノ長の見立てまで結論を出すのは待ってくれないか?」
 そういえば、とサンジの顔が明るく輝いた。ターリー師はとても優秀な療法師だが、全ての療法師ノ長のキダ師ならまた違った視点での診断を下してくれるかもしれない。まだ全ての手を尽くしたとは言えないじゃないか。
((……))
 ゾロが沈黙したが、少しの間をあけた後微(かす)かに頷いて同意を示した。
((療法師ノ長に診てもらうことは──ありがてえと思う。だが、キダ師に診てもらったところで、すぐに飛べるようになるとは思えねえ。だから、サンジ。お前は新しい統領の算段をしろ。すぐラティエスが飛び立たなければ候補だけでもいい))
 サンジはゾロが真摯な目をして自分を見つめるのに狼狽えた。お前の要望は既に果たされた。この扉の外を一歩出れば、新統領誕生で沸き返っている──と、そう言ってしまうのは簡単だが、本当にそれでよいのだろうか?
 気が付けば療法師も師補たちもじっとサンジを見つめていた。
 サンジはすいとゾロから視線を逸らした。ゾロはサンジの横顔をジッと見つめている。
((お前の感情で物事を計るなよ。お前は洞母なんだからな))
「わかってる。お前はいつだって正しいよ、ゾロ」
 視線を逸らしたまま、サンジはようやく口を開いた。
「出来る限り早く、新しい統領を立てられるよう、やってみる」
 何も言うな、と素早く視線を療法師に投げ、サンジはそう言った。

 キダ師はほどなくしてやってきた。もともとターリーはこの大陸中を飛び回っている療法師ノ長にゾロを診断してもらおうと数日前から依頼していたのだ。
「意識が戻ったところだって?」
 相変わらず小柄な身体に似合わず精力的で、周囲に早口で話しかけながらキダ師は療養室に入ってきた。
「──そして自力での発声ができず、下半身と左腕に麻痺…。ふうん、竜を通じての意志疎通ができるってのはありがたい。とりあえず患者と話ができるかどうかってのは大きいからなあ。感覚はあるんだろ? ここは? これは感じる?」
 キダ師は言いながらあちこちゾロの腕や脚をまさぐって反応を見た。ゾロは簡単に頷いたり首を横に振ったりして返事をした。
「さて、それでは、と。目立った外傷がないのだから、この原因は頭の中にあると考えるのが一番順当だろうな。これからそっと君の頭をさぐってみるけど、もし痛かったり何かヘンな感じがしたら、すぐ何らかの方法で伝えてくれ」
「うぁ、い」
 ゾロが肯定の唸り声をあげた。
「よしよし。まあ複雑な会話は竜を通じなければ無理かもしれないけど、意志を伝えることは割合簡単にできるものさ。人間ってのは精神それ自体が折れてなければいくらでも生きてゆけるものなんでね。その点、竜騎士は支えあう竜という存在がいるから羨ましいよねえ…ま、普通の人間だって家族や恋人、妻や夫、親しい友人たちがいるけどね」
 口早にしゃべりながら、器用に動く手はいっときも止まることなく、ゾロの頭頂部からこめかみ、後頭部を探っていた。それが右耳の後あたりでぴたりと止まる。
「うん、ここに何かあるぞ。ほんの少しだけ膨らんでいる」
 ゾロが微かに身じろぎをした。
「ゾロもその部分に違和感を感じるそうです」瞬時にゾロ-バシリス-サンジの通訳が答える。
「強く打ったんだろうねえ。ここは単なるコブだけど、気になるのはその頭蓋骨の内側。だけどさすがにそこまでは我々には手が届かないから、ひたすら自然治癒を待つしかないかな」
「コブをなくすってのはどうですか?」
「コブはね、大丈夫。これは皮膚のすぐ下で内出血をしてるだけだから時間と共に徐々に消えていくよ。ただ、やっぱりこの部分を強く打ったらしいね。殴られたかぶつけたか。記憶は?」
 ゾロはきっぱりと首を振る。あまり勢いよくはないが、迷いのないその表情に皆それ以上の質問はしなかった。
「われわれの頭は頭蓋骨でしっかり保護されている。とてもデリケートな中身をね。だけどその中が傷ついてしまったら、我々の今の知識・技術では手の出しようがないのだよ。私は今までいろいろな怪我のケースを見てきたから言えるのだがね、とにかく安静にするしかない。運がよければ自然の治癒力で頭の中の怪我も時の経過と共に治るだろう。とりあえず優しい痛み止めをいくつか用意させよう。とにかく今の君の状態はね、頭を強く打って中身まで痛んでいる。コブがどんどん大きくなったら危険だが、見たところそれはない。とにかく静かにじっとしていることだが第一だ。できるだけ頭も、身体も動かさない、いいね」
「身体は? 身体は動くようになるんですか?」
 サンジが声を押し殺して聞く。ゾロもそれが知りたいらしく、目をぎょろぎょろさせてキダ師を凝視した。
「今は何とも言えない。傷ついた脳が回復をしたらだんだんと動く可能性は、もちろんあるが、それまでに身体の方が動き方を忘れてしまうこともある。使わない筋肉はやせ衰えていくからね。それをまた動かして動き方を思い出させてやれるようになれば…しかしそれは赤ん坊が歩き方を覚えるくらい時間がかかるよ。いやもっとかな」
「それでも、可能性はあるわけなんですね?」
 サンジはキダ師に顔を押しつけんばかりにして聞いた。キダ師はそのサンジの目から少しも視線を逸らさずに答えた。
「そうだよ。そして逆の可能性だってある。もっと知識と技術がついて、我々が人間の頭蓋骨の中を覗けるようになったらもっと確かなことを言えるとは思うが、おそらく私の生きているうちは無理だろうね」
「そうですか…」
 サンジはそう言うのが精一杯だった。キダ師がサンジの腕をぽんぽんとたたき、もう一度ゾロの顔を覗き込んだ。
「今言ったように、とにかく安静にして君自身の回復力に託すしかない。栄養をきちんと摂って休むこと。君はもともととても頑健な身体を持っている。その身体を信じるんだ。頭を打って長い時間意識を失ったということは本当のところとても危険なんだが、その状態から君は意識を取り戻した。それだけでも充分希望はある。少なくとも、今君は生きてここにいる。この意味がわかるね?」
 ゾロはじっとキダ師と視線を交わしたままゆっくり頷いた。

 うん、とキダ師が安心させるような笑みを浮かべると身を起こして立ち上がった。周囲の面々に向けて言う。
「さ、それじゃ私は失礼するよ。新しい統領も決まったんだろう? つまり彼は心おきなく自分の身体の治癒だけに専念できるというわけだ。結構結構」
 くるりときびすを返し、ターリーと並び歩きながらキダ師はやってきた時と同様に足早に療養室を出て行った。
 残されたサンジはゾロの視線が痛いほど自分に注がれているのを感じていた。それでいてゾロの方に顔を向けることができなかった。
 二人の間の緊張した空気を感じて、師補たちがそそくさと仕事を探して部屋を出て行く。
「な…ん、さ…」
 ゾロが切れ切れに声を出した。おそらく普段だったら怒鳴り声になっていただろう。
((なんで、さっき、てめえは嘘ついた?))
 一拍遅れてバシリス経由でゾロの思念がサンジを貫いた。自分で声を上げて罵(ののし)りたかったところがそれもできない焦躁感もゾロの思念を彩(いろど)っていた。
((おい、こっちを向け!))
 サンジがのろのろと寝台の上のゾロに顔を向けた。
(らてぃえすハ、昨日公開飛翔デるいすト飛ンダンダッテ。るいすノ騎士ハあれっく、いげん大厳洞ノ青銅ノ騎士ダヨ)
 バシリスがだめ押しの情報を伝えた。こうなってはサンジが黙っている意味はこれっぽっちもなかった。
「……お前のことを諦めたわけじゃねえ。だけど、俺は…ラティエスの騎士で、洞母だ」
 絞り出すように、サンジは言った。
((公開飛翔だと? イゲンの騎士?))
「そうだ。俺は、お前が意識を取り戻すのを待たないで、公開飛翔の触れを出した」
 淡々と事実のみを告げるサンジはまるきり無表情で、感情というものを一切出していない。
「飛翔隊長達を集めての会議で俺が発案した。渋る者もいたけど、俺が説得して納得させた」
 しかしその時にサンジが振るった熱弁の内容については一言も触れなかった。サンジが何を思って公開飛翔に踏み切ったのかを今ゾロに語ったところで、公開飛翔を行ったという事実が厳然としてここにある以上、全て言い訳に聞こえそうに感じていたからだ。
((そうか…))
 ゾロはしばらく黙ってサンジを見つめていたが、ちょっとの間瞑目(めいもく)した後、先ほどの激しい思念とはうって変わって静かに伝えてきた。
((お前のことだ、俺がショックを受けると思ってさっきはそれを黙っていたんだろう…。確かにちょいとばかり動揺しちまった))
「…ゾロ…」
((悪りい。ちょっと疲れた。ひとりにして休ませてくれないか。大丈夫、何かあったらバシリスを通じて呼ぶ))
「ん…。じゃあ、また、な」
 ぎくしゃくとした雰囲気のまま、サンジは部屋を後にした。ぎゅっと服の上から心臓の辺りを掴む。
 ──ちくしょう、あの痛み止め効きやしないじゃねえか。
 通路に出るとどこからか宴の賑やかなざわめきが聞こえてくる。サンジは微かに片足を引きずりながら、その音から盲滅法に逃げるように黙って歩き続けた。


 

  

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