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竜の血脈(11)




「いいですか? このハンドルをこう回す。そして充分な角度がついたら、このノッチをこちらに倒して、固定するんです」
 ゾロのための特殊な寝台の扱いを説明しているのは、新任の鍛冶師だった。彼は鍛冶師達の間でも、次々と新しいアイディアを思いつき、それを自分の手で現実化できる非常に優れた存在として最近あちこちで話題になっていた。
 ちょうどサンジ達もハイリーチェスの厳しい冬の間をもう少し快適に乗り切ることができるよう、大々的な改造を施したいと考え、そのために噂の天才鍛冶師を是非、と鍛冶師ノ長に頼み込んで彼を赴任させてもらったのだ。ゾロの事故のせいでそういった元々の予定は計画にもならずに先延ばしになってしまったが、彼は替わりにこうやってゾロの介護のために役立つような装置を生み出してくれている。
「おおすげえ! これで抱き起こさなくても上半身を起こしてやることができるぜ。それも好きな角度で固定できるなんて有り難い!」
 サンジが感嘆と感謝のまなざしで鍛冶師を向いた。
「何でも言ってくださいよ! 俺ァこういうことしか取り柄がねえから。それにしても洞母様も大変ですよねえ。お忙しいでしょうに」
「なんの。俺は別に忙しいのは苦にならないんだ。それより君を独占してるようで悪いな」
「君ってのぁよしてくださいよ。俺はもともと育ちが悪くてね。なんとか洞母様を前にまともに話すのがせいいっぱいだっていうのに」
「俺なんかどこの生まれかもわからない拾われっ子だぜ。お互い気安く行こう、フランク。これからもよろしく」
 サンジが手を差し出すと、鍛冶師は一瞬とまどってから、慌てて自分の手を服でごしごし擦ってサンジの手を握った。
「フランキー、と呼んでください。みんなそう呼びます。統領の回復に役立ちそうなモノを思いついたら、また何か持ち込みますよ」
「ありがとう。是非そうしてくれ、フランキー」
 手を離しながらサンジは、フランキーがゾロのことを「統領」と言ったことに気づいた。もちろん彼だってサンジが公開飛翔を行って新たにアレックを統領に迎えたことを知っている。サンジがその事に気づいたのを見て取って、フランキーはにやりと口を開いた。
「洞母様はこの人のことを離したくないんでしょう? 実はね、竪琴師ノ長からも言い含められているんです。手助けしてやれ、って」
「アイスバーグ師が?」
「ええ。実はあの人とは乳兄弟なんスよ。それで表に出ない情報も流れてくるってわけで。五巡年前の大凶作の時のお二人の見事なコンビネーションとかね。その後のベンデン太守の突然の交代劇の裏とか。何よりまあアンタのこの人を見る目がどんな事よりモノを言ってるし。というわけで俺はアンタを支持して行こうって思ってる訳です」
 僅かな間にこの鍛冶師がサンジのことを「洞母様」から「アンタ」に変えたのに気づいたが、サンジは悪い気がしなかった。この男、言葉も態度も褒められたものではないが、サンジは気性も能力も気に入った。

 フランキーが出て行ってから、サンジは半身を起こしたままのゾロに向けて話しかけた。
「なかなか面白そうなヤツだよなあ。そして腕もいい。今は宙に浮いているけど、大厳洞の改装計画の中心に据えるべくアイツを指名したのは正解だったよ」
 ゾロは表情を変えず、視線だけフランキーが出て行った扉を見続けていた。
「…まあ、あせらず行こうな。お前もだんだん目覚めている時間も長くなってきたし、顔色もよくなってきた。少しずつ食欲も戻ってきてるし。身体が回復してきている証拠だ」
 言いながらサンジはゾロの動かないほうの腕を丁寧になでさする。こうすることによって、血行をよくし、運動能力の回復を促すのだ。手はそのうちに右脚、左脚へと順繰りに移り、また左腕に戻った。
((なあ))
 しばらく黙って一心不乱にゾロのマッサージをしていたサンジに向けて、ゾロがバシリスのエコーを使って話しかけてきた。
((俺のコト、別にお前が面倒みなくてもいいんだぜ))
 サンジの手がぴたりと止まった。
((だって、お前は洞母としての仕事があるだろう。言葉の問題だって…そりゃお前相手だとほとんど考えるだけでいいから楽だけどよ、俺がちょっと辛抱強くしていれば竜騎士の誰かには伝えられるだろ。それから療法師に伝えてもらえばいいし。さっきの鍛冶師がこれからいろいろ工夫して何か便利なモン作ってくれるかもしれねえしな))
「お前…本気で言ってるんじゃねえよな?」
 サンジは立ち上がってゾロの顔を覗き込んだ。ゾロは視線を動かしてサンジの顔を見る。
「さっきの鍛冶師にも言われたけどな。俺はお前を離す気はねえぞ。確かに今の統領はアレックつうヤツだけどな。俺はヤツをずっとその地位に置いておく気はねえ」
 一拍おいてまた口を開く。
「ま、それをするのは俺じゃなくてテメエの役割だけどな。とっとと身体を治して、お前はヤツからその場所を奪い返しやがれってんだ」
((しかし、ほとんどまともに身体が動かせねえんだぞ! 声も…))
「それがどうした!」
 サンジは怒鳴った。もし傍に誰か人がいれば、サンジが一人芝居をしているように見えて不審に思えただろう。
「不安に思う気持ちは俺にはわからねえ。そこまで酷い怪我を負ったことはねえからな。だけど先行きがわからなくて途方に暮れたこと、自分の存在が消えそうに小さくて立っていられないほどだったことならあるぞ」
「俺が旅芸人の中で暮らしていたって言ったよな? それがある夜盗賊に襲われて、俺は役に立つと思われたのか連れ去られた。今度は盗賊の一味になるのかと思ったとき、見張りフェルに助けられてこっそり逃げ出すことが出来た。それから一人さ。ちっぽけな子供が一人であてもなくさまよって、飢えと寒さで死にかけてた。そこをお前が救って大厳洞に連れてきてくれたんだ。お前が来なかったら俺はその場所で野垂れ死んでいた。俺がここに居るってことを誰も知らない、誰も見ていない。つまり俺は存在していないのと同じで、死んでも生きていてもまるきり変わらない。それを言葉で説明できなくてもちゃんと理解していたさ」
「けど、お前がここに連れてきてくれて、状況が一変した。それこそ天と地ほどに変わった。しばらくそれが信じられなくて、俺は殆ど言葉を話すことすらできなかった」
「それはお前が与えてくれた生だ。お前はそれからも自信が持てない俺に何度も勇気づけて背中を押し、上から引き上げてくれた」
「だから、じゃねえぞ。俺はお前への感謝の気持ちでお前の面倒をみようと言ってるんじゃねえ。これは俺がしたいからしてるんだ。そしてどんなに先行きが不安でも、最初から投げるなんてテメエらしくねえ。あがけよ。あがいてみせろ。そしてテメエの言葉を俺がそっくり返してやるぜ。『自分を信じろ』ってな。自分のとんでもねえ体力と身体を信じてやれ。お前が地味に鍛えあげた身体は時間さえあれば必ず元に戻るさ」
 そして沈黙が二人の間に落ちた。
((だけど…それまでどれくらいかかるか見当もつかねえ。なにしろどうしてこうなったのかすらわからねえんだ))
 あくまでも弱気な言いようをするゾロに、サンジは激昂した。
「なぜわからないんだ!」
 目を閉じて深呼吸をひとつすると、サンジは部屋を飛び出した。

「…洞母サマ、石版を改良してみたんで、ちょっと統領に使い勝手を試してみて欲しいんだけど、…っといねえのか?」
 先ほど辞去したばかりの鍛冶師が大きな身体を屈めて扉から中を窺っていた。
「うーんと、どうすっかな…。まあでもこの石版が上手く使えさえすればいいんだから」
 ぶつぶつと言い訳めいたことをつぶやきながら、フランキーは岩室の中へと入って来た。そこには先ほど後にしたと同じ状態の寝台の上にゾロがひとり残され、じっとフランキーを見つめている。
「あー…、聞こえているかな? ええと、洞母サマ以外と話をする必要があった時用にと思ってこういうのを作ってみたんだけど、試してみていただけますか?」
 ちょっぴりおどおどしながらフランキーが石版を差し出し、軽く半身を起こしているゾロの腹の辺りに置く。ゾロはそっと、右腕を動かしてその石版に触れた。しばらく冷たい表面を触って感触を確かめた後、すぐさま猛烈な勢いで書き始める。
『ありがとう。ちょうどこういうのが欲しかったところだ。石筆を改良したのか? 軽いし、書きやすい』
 右手だけで書くので、石版がぐらりとゆれた。
「ああ、結構利き手は問題なく動くんだな。ちょっと待って。ほらこうやって石版を固定するから」
 言いながら石版の右上と左下に渡した革ベルトをゾロの首に廻し掛ける。ゾロはその間だけじっとしていたが、フランキーの手が離れるとすぐにまた石版に文字を書きなぐった。
『悪いが、誰か呼んで俺をここから連れ出してくれないか。どこか一人部屋が開いていればどこでもいい』
「なんで。だってサンジ洞母がアンタの面倒を見てるんだろ。喧嘩でもしたのか?」
『アイツの今の大厳洞ノ伴侶は別にいる。俺はここに居るべきじゃねえだろう』
「そりゃ建前はな。けどあっちがアンタを離すとは思えねえけど。サンジ洞母の意見はどうなんだよ』
『アイツの意見はどうだっていい』
「どうだっていいわけねえだろう! 黙って出て行けるわけねえし、俺はそんなことに手を貸すつもりはねえぞ」
 次第にフランキーの口調が荒っぽいものに変わってゆく。
『だが伝統(しきたり)は違う』
「アンタ…まさかとは思うが、洞母がアンタの意識が戻る前にさっさと公開飛翔を決めてしまったのを聞いて怒ってるのか?」
 ゾロの手が石版の上で逡巡(しゅんじゅん)した。
『アイツは正しい判断をした。俺がどうこう言える立場じゃねえ。それに』
 そこでまた手が止まる。
「…それに? その続きは?」
 フランキーがゾロの「沈黙」に耐えかねて先を促した。
『アイツが自分から率先して提案したと。他の反対者をも説得したと聞いた。つまり俺はお払い箱ってことだ。なら俺は身を引いて邪魔にならないようにすべきだ』
「ふうん…あのときサンジが出した苦渋の決断をお前は無にする気か」
 寝台の背後からゾロの手元を覗き込みながら、別の声が降ってきた。
「シャンクス…さん!」
 フランキーがビックリして文字通り飛び退いた。「いったいいつの間に」
「ん? サンちゃんが飛び出して行ったのを見かけて、最初追いかけようと思ったんだけど、先にこっちかなー、って来たら君の方が先着してたってだけ。なかなか気の利いたモン作るじゃねえの。オレの寝台もこういう式にしたら起きるのが楽かなあ──っと、ところでゾロよ。お前何か考え違いをしてるんじゃねえ?」
 ゾロはそう言われて眉間に皺を寄せてシャンクスを睨み上げた。シャンクスはもちあがっている寝台の端に腕を乗せ、ゾロの肩越しにへらりと笑いかける。
「ヤツはお前を見限ったわけじゃねえぞ。お前の復帰を信じていたからこそ、一時(いっとき)統領の座を他人に預けたんだ。それが何を意味するか、ヤツが何をしなくてはならなかったか、お前は判らないわけじゃあるまい?」
 ゾロはそのまま沈黙した。石版へ文字を書こうとしないので、フランキーはゾロが考え込んでいるのだと思っていた。しかし実際はそのとおりではなかった。
(オ前ガ知ラナイコトヲ教エテヤルヨ)
 ハキス-バシリス経由でシャンクスの言葉が送られてくる。
(さんじハナア、俺ノトコ来テ、俺ニモウ一度統領ヲヤッテクレネエカ、ッテ言ッタンダゼ? 酔ニマカセタ冗談ノフリヲシテイタケレドモ)
 ゾロの手が石版の上で握りしめられた。
(ソレクライ必死ダッタ。ヤツノ立場ニナッテ考エテミロ。オ前ハ行方不明。交合飛翔ハ間近ニ迫ッテイル。不安デ堪ラナイトキ、オ前ガ発見サレタトイウ報告ニ、スッ飛ンデキタゾ。シカシオ前ハ意識ヲ失ッテ、ドンナニ呼ンデモ返事ヲシネエ…。大厳洞全体ガアイツノ挙動ニ注目シテイタヨ。デ結局、ヤツハ決断ヲシタ。セザルヲ得ナイ。簡単ニ言ウト、オ前ノ続投カ、新統領カダ。さんじノ能力カラスレバ、らてぃえすノ交合飛翔ヲ押サエ込ムコトハ可能ダッタダロウ。マア、さんじノ性格カラ言ッテ、らてぃえすノ本能ヲネジ曲ゲルヨウナコトハシタガラナイダロウケドネ)
(ソレデ、俺デハナク新統領ヲ選ンダ。ケドソレハ正シイ)
 振り絞るようにバシリス-ハキスへとゾロの思念が伝わってゆく。
「バカだね。本当にお前さんのことを信じていたからこそ、敢えて新統領を迎える決断としたんだ。何回も言わせるな」
 口に出して言うとシャンクスはゾロの頭をぽんと叩いた。
「もうお前さん達も五巡年も一緒に居るんだ。多少は互いの思惑を察することが出来るんじゃねえの? それとも解っていながら、それを認めたくないのか」
 それには思念でも石版でも答えず、ゾロは沈黙を守った。
 シャンクスがフランキーの肩を抱いて共に部屋を後にしても、ゾロは石版に目を落としたままの姿勢でじっとしていた。


 

  

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