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竜の血脈(12)




 徐々にゾロは回復した。
 目覚めている時間が延び、起きている間は動く方の右腕で盛んに動かない部位をさすったり刺激を与え、療法師の薦めに従って少しずつ声を出す訓練も始めた。
 フランキーのちょっとした発明品はその間もちゃくちゃくと増え、たまにどうやって使うんだ? と首を捻るようなモノも持ち込んできたが、大抵はサンジに笑顔で歓迎された。
「あ…りが…とな…」
 ゾロも用事がないときでも出入りするフランキーに慣れ、たまに笑顔を見せるようにもなってきた。相変わらず簡易石版は活躍しているが、ゆっくり辛抱強く発声すれば一言二言くらいは言葉を交わせるようになっている。とは言ってもまだまだ会話を楽にこなせるほど回復は出来ていないため、複雑な話になるとどうしてもサンジを介すことになりはしたが。
 フランキーはサンジがゾロに手を貸して今日持ち込んだ車輪付き移動椅子に乗せるのをぼうっと見ていた。
「ほら、今度はこっちの脚だ。ちがうちがう。ゆっくりとだ」
 結局なんてことはないじゃねえか。サンジもゾロも見たところ喧嘩ひとつしないで相変わらず日々暮らしている。サンジは相変わらず忙しそうだが、負担はだんだんに減ってゆくだろうし、ゾロも自分の身体が回復してゆくに従って気力も上向いて行くに違いない。
「何てめえじっと見てるんだよ。手ぇ貸せ。ほらこっちだ」
 サンジがフランキーを呼び、フランキーはその要請に応えてゾロの肩を支えた。ぴくり、と身体が反応する。
(何だ?)
 フランキーが見るとサンジがちょうどゾロの腰を持ち上げて椅子の上で落ち着かせていた。
「………」
 サンジは黙ってさっさと毛布を拡げるとそれでゾロの身体をくるんで、ぽんぽんと上から軽く叩く。
「よっし、これで準備できた。外に出るのは久しぶりだろ? やっぱりお日様の光を浴びてえよなァ」
 言うとブレーキを外してゆっくりと取っ手を押す。
「お前もついてこい、フランキー」
 療法師ノ師補が交替制でゾロに付き添っていたが、サンジはフランキーが同道することを要求した。
「最初だからな。何かあっちゃいけねえだろ。制作者がつきあえよ」
 言いながらサンジはフランキーに手提げ籠をつきだして「持て」という仕草をする。フランキーは訳がわからないながらそれを受け取ってサンジとゾロの後に付き従った。

 ゆっくりゆっくりと人気のない通路を移動し、普段使われていない通用口から外へ出る。
 後ろを振り返りながらサンジは顎で大扉を示し、フランキーに言った。
「あそこの扉の下で、ガキの俺はゾロに発見されたんだ」
 フランキーはサンジが大厳洞に捨てられていたという由来は聞いたらしく、へえ、とだけ言葉を返した。サンジもそれ以上何かを言うつもりはないらしく、それきり黙って椅子を押し続けた。
 大厳洞の裏手の、畜獣を放し飼いにしている牧場に着いた。渡る風が心地よく、燦々(さんさん)と注ぐ日の光と相まって眠気を誘う。あちこちで草を食んでいる畜獣がのんきに鳴き交わしている。
 サンジはそこで椅子を固定し、地面に毛布を拡げてゾロをそこにゆっくりと抱き下ろした。そうしてからぼうっと突っ立ってその光景を見ていたフランキーに対し、
「何してる。それよこせ」と押しつけて運ばせていた手提げ籠を差し出させた。
 たちまち、毛布の上に色とりどりで美味しそうな食べ物が並ぶ。
「相変わらずいい腕してるぜ、うちの料理長は。いい加減トシだってのに後陣に場所を明け渡そうとしねえしな」
 魔法瓶から熱いスープをマグカップに注ぎ、大きくハムを切り分ける。ゾロは黙ってサンジが手渡すものを受け取り、落とさないように気をつけながら口に運んだ。
「…いーい天気だなあ…」
 空を見上げれば抜けるように蒼く、ところどころぽかりと雲が浮かんでいる。時折竜がさっと陽を陰らせるが大厳洞に住む彼らにとっては日常見慣れた風景でしかない。
「お。来た来た」
 サンジの声にフランキーが視線を投げると、黄金(きん)色に煌(きら)めく竜が滑空して彼らの脇に降り立った。
「う、わあ…」
 思わず感歎の声があがる。今までだってラティエスの姿を見たことはないわけじゃあない。しかしこれほど近くに、それも飛ぶ姿を見たのは初めてだった。
 威風堂々。そういった言葉が頭を掠める。サンジが立ち上がってラティエスの頭近くに歩き、手を伸ばして目のふちを掻いてやるのを見ると、なおさらその大きさに心を打たれた。
 こんな大きい生き物と魂を分け合っているのか。
 思えば思うほど不思議でそして畏怖の念が湧いてくる。女王竜は頭をすりつけんばかりにサンジに寄せ、巨大な体躯とは裏腹に伴侶に甘えているようだ。
「そして、ほら、彼も来た!」
 サンジが首を巡らして空の彼方を見上げると、初め小さな点に思えた空の染みがぐんぐん大きくなり、そしてあっという間に彼らの前に降り立った。
「よお、バシリス。調子はどうだい?」
 サンジは青銅竜に呼びかける。バシリスはしかし呼びかけたサンジではなく真っ直ぐ地面の上に座っているゾロを見ていた。
「だぁめだ。俺らはしばらく邪魔モノだな。ほら、バシリス、もっとこっちへそのでかい身体を寄せろよ。お前の騎士が触れるように」
 バシリスはのっそりとその巨躯を揺らしながらにじり寄り、楔形の頭を伸ばしてゾロへ向けた。ゾロは最初右腕を伸ばしたが、それでは足りないとばかり自分で動かない左腕を持ち上げてバシリスの鼻梁の上に乗せた。そうやってなんとか両腕でもってバシリスの頭部を抱きしめると、その青銅色に輝く鱗の上に顔を伏せた。
「彼らは何て言ってるんだ?」
 フランキーはゾロとバシリスの固い抱擁にいつの間にか目尻に涙を浮かべていた。荒っぽい性格の割に存外涙もろいところがあるんだな、とサンジは思いながら、唇の端だけで笑ってみせた。
「まあ、見たとおりだよ。お前の想像以上のことは言ってねえ…久しぶりだとか元気かとか、互いを思いやってる…心で常に会話は交わしてるし、たまに岩室の中で会うこともできるんだけどな。空の下でこうやってバシリスが飛んでいる姿を見るのはやっぱり別モンなんだよなあ。竜は飛ぶのが自然な生き物だし」
 サンジは言いながら手を伸ばしてラティエスの顎の下をくすぐった。ラティエスは文句も言わずサンジのしたいようにさせている。フランキーはこういった騎士たちの竜との交誼を見て、自分がそれを味わえないことに一抹の寂しさを感じた。
「さてさて、お二人さんいい加減離れて離れて。ゾロも俺らもまだここに陣取ってひなたぼっこしてるから、バシリスはラティエスと少し遊んでおいで。畜獣だと簡単すぎるから、ちょっと山の方へ行って野生のフェリでも狩りをしてきたらどうだい。しばらくまともに飛んでないと身体が鈍るだろ」
 ゾロは渋々、といった風にバシリスとの抱擁を解き、しばらく見つめ合ったあとでバシリスがじり、と後ろに下がり、ここならゾロに余計な風圧を宛てないと判断して一気に飛び上がってゆくのを見た。その後バシリスは力強い羽ばたきでぐいぐいと上昇し、充分高度をとったところで、一足先に飛びたったラティエスの後を追って急旋回して飛び去る。ラティエスはゆったりと飛び、バシリスが追いつくのを待ち、その後は二頭でじゃれるように上下になったり前後になったりと見ているほうも思わず微笑んでしまうくらい楽しそうに飛んで行く。
「あ…あ…いいぞ…バシリス…」
 思わずゾロの顔にも久方ぶりに笑顔が浮かんだ。サンジはそんなゾロの様子を見て、にこにことこちらも自然に笑顔がこぼれている。
「おメエらほんと、なんつーか…ちくしょう」思わずフランキーは泣き笑いをしていた。
 三人はぽかりといつまでも空を見つめて阿呆のように笑った。



 それからサンジは度々ゾロを外へ連れ出した。フランキーが同行するときもあれば、療法師ノ師補が同行するときもあった。大抵の場合サンジはゆっくり時間を過ごすために、食事を弁当にして一緒に持ち出した。今日はここ、明日はあっち、と大厳洞から遠く離れないまでも少しでも変化をつけようと、弁当を拡げる場所は毎回変わっていた。
 毎日毎日ちょっとずつゾロの顔はむくみがとれ、また血色もよくなってゆく。
 この分なら、とサンジはそっとゾロを盗み見しながら内心で呟いた。
(この分なら意外と復活は近いかもしれねえ)
 もちろんこの「復活」とはゾロが自分で飛ぶだけの体力となにより気力がモノを言う。今のゾロにはなによりも治ってみせるという気迫が必要だった。それには実際に飛んでいる竜を生で見ることが一番の刺激であり、同時に安らぎでもある。
 バシリスが雄々しく羽ばたく姿、悠々と旋回するその翼の逞しさ、さっと急降下して獲物を仕留める猛々しさ、全てゾロは食い入るように見入っていた。
 自分が思うように動けない分、思念を、そして時折感覚をも同調させてバシリスと共に飛ぶ。
 あまりに集中したときはほとんど交合飛翔の時と同じように実際に自分が風を切って飛んでいる感覚まで感じていた。
 そしてそれからふと気が付くと、自分は移動椅子の上や、地面に拡げた敷布の上に座っていて、あれほど自由自在に動いた筈の手足が固まって動かないことにものすごい違和感を憶えるのだった。
 そういう時、落胆して肩を落とすのではなく、悔しさからぎりりと歯噛みをするゾロを、サンジは一番近くから冷静に見て、
(やっぱりゾロの根っ子、根底の部分は変わっていねえ)
 と顔には出さないように注意しながらほっと安堵の吐息をついていた。

 それからゾロの日光浴兼散歩の時間は、どんなにサンジが忙しくても毎日欠かさず続けられた。ゾロももう、サンジに介護されることに文句を言うこともなく、毎日外へ出るこの一時を楽しみにするようになっていた。相変わらず二人の間は、以前のように何もかもを信頼しあっている時とは異なり、妙にぎごちなく遠慮する心がどうしても抜けなかったが、一時のようにゾロがサンジを拒否することもなく、一見穏やかな時間が流れていったのである。

 

  

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