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竜の血脈(15)




 それからもアレックは会うごとにその話を蒸し返した。サンジはいつも堂々巡りとなってしまう会話に嫌気が差し、アレックと会うことを極力避けるようになった。しかし統領と洞母で在る限り、日常の仕事の上で顔を合わせない訳にはいかない。自然、仕事で話をしなくてはならない時は、必要最低限だけ話すと、すぐさま逃げるようにその場を去るようになった。
 ある日、サンジが忙しい合間を縫ってようやく作った隙間の時間にゾロと新緑を楽しもうと食料を詰めた籠を手に岩室に入ると、そこには先客が居た。
「アレック、こんなところで何やってる?」
 思わず声にとげとげしさが混じってしまったのは無理もない。アレックは今まで一度もここに姿を見せたことはないし、用事も一切ない筈だった。アレックが統領となった時はゾロはまだまともに声が出せる状態ではなく、覚醒している時間も少なかったため統領の引き継ぎは一切なく、アレックはそれを不安に思うどころか自分の意のままに編成や訓練方法、時間など変えてしまったのであった。
 本来ならば、一代前の統領シャンクスがまだ元気で飛翔隊長を務めているだけに、シャンクスあたりに相談してしかるべきところだったが、そういうことには頭が回らなかったのか、はたまたシャンクスがやんわりと提案をしたのを頭から撥ね除けたのか、その辺りについてはサンジには解らない。その頃のサンジはとにかく思考の中心がゾロだけだったため、洞母の仕事もこなしてはいたものの、細かな周囲の出来事は一切憶えていなかった。
 とにかく、初めてアレックがゾロを尋ねてきていることに、サンジの頭の中で警戒の鐘が鳴った。
「何と言われても…。サンジが全然俺の提案を聞いてくれないから、ゾロに直接話をしに来ただけだよ」
「そんな必要ねえだろ。悪いけど、これからゾロは外へ散歩に行く時間だ。遠慮してくれないか」
「でもサンジ。ゾロ自身の話なんだぞ。本人に話をしないでどうするっていうんだ。君からそっと意向を聞いてもらおうと思っても、君自身が全く聞く耳を持ってくれないから、俺が直接聞くしかないじゃないか」
「わかった。じゃあ俺が聞いておいて後で伝えるから。今はゾロにとって大事な時なんだ。外部から余計な雑音を入れたくない。悪いけど出て行ってくれ」
「だめだね。俺は今日は統領としてここに居るんだ。それに雑音なんて言ってくれるそのコトが、ゾロのこれからに関わっているというのにか?」
「それでも、」
 なおもサンジは食い下がろうとする。それをゾロがそっと手を挙げて制した。
「サンジ」
 ゾロの首がゆっくりと回ってサンジの視線を捉えた。
「お前が俺のためを思っていろいろ立ち回っているのはいいが、俺はお前の子供じゃねえ。俺はこの人の話を聞きたいと思ってる。いいな?」
 それだけでゾロはサンジの口を塞いだ。そしてまたゆっくりと首を回すとアレックに視線を戻し、
「続けてくれ」と言った。
 サンジはぷいと視線を逸らし、でもその場を立ち去らないで部屋の隅の長椅子にどっかと腰掛けると、二人の会話の聞き役に徹した。
 アレックの話の内容は、今までさんざんサンジに話したものとさほど変わらないものだった。いくつか言葉を選んで少し柔らかく言い直したものもあるが、基本的にはサンジに対して言った提案と変わらない。
「わかった、考えておく」
 ゾロは聞き終わるとそう静かに答え、ゆったりと目を閉じた。それを合図にアレックはさらに説明を重ねようとした口を閉じる。ゾロがそれ以上の会話を望んでいないことを悟り、辞去の挨拶をもごもごと述べると逃げるように外へ出て行った。
「…自分が正しいと思っている割には、何だか低姿勢なヤツだな。いつもああなのか?」
 アレックが出て行ってからシンとなった室内でゾロがぽつりと言った。もちろん部屋の向こう端のサンジに向けて発した問いだったが、サンジは無言のままだった。
「何、拗ねてやがる。お前はアイツが気にくわないのか。現在(いま)の統領なんだろ? ということはアレがお前の大厳洞ノ伴侶か」
 ゾロは淡々と事実のみを確かめるように言葉を発した。サンジは未だ返事をしない。
「否定しない、ってことはあってるってことだよな。別にアイツが統領だろうが何者だろうが、今の俺には関係のないことだ。例え誰が統領だろうと俺は何も言う権限がねえからな」
「関係ない、だって?」
 部屋の向こう端でサンジがようやく声を上げた。そのままの位置からゾロを睨む。
「お前が言うのか、関係ない、などと? まあ、確かに今は関係ないだろうさ。そしてお前はアイツの言うなりになるってのか」
「言うなりってのは言い過ぎだ。しょうがねえだろう。今の俺は大厳洞にとってはお荷物だ。何の役にも立ってねえどころか、負担になっている。せめて何かできることを見つけて、少しでもまともな仕事に就くってのは真っ当な意見だと思うぞ」
「だけど、お前ほどの騎士が──!」
 サンジは言葉を詰まらせた。ゾロは苦笑する。
「お前が俺を高く買っているその気持ちは嬉しいが、だけど現実を見ろ。今の俺は騎士と言っても名ばかりだ。空を飛ぶどころかまともに歩けやしねえ。地を這うのがせいぜいだ。なあ、つまらねえプライドは捨てるべきだ。俺はこの一巡年、いろんな人の手でもって生きてきた。生かしてもらっていたんだ。自分一人で生きていけると思っていた過去の俺はなんて物事を知らなかったんだろうと思うよ」
「…ゾロ…じゃあ、じゃあお前は、もう諦めるっていうのか…?」
 呆然としてサンジは問う。しかしゾロはそんなサンジを鼻で軽く笑って言った。
「バカだな。俺がいつ諦めるって言った? 当然リハビリは続けるさ。必ず復活してみせると言ったあの言葉に嘘はない。ただ、別にアイツの言う騎士の雑用とか補佐とかやっていたってリハビリの妨げにはならないだろう? 却って復帰のためのいい準備運動になるくらいだ。正直、多少無理でも目的があれば身体を動かさざるを得ない、それくらいでちょうどいい。仕事とあっちゃあ甘えていられないからな」
「なら、お前は受け入れるつもりなんだな」
「ああ」
「お前が命令していた騎士たちの一番下っ端になるってことなんだぞ」
「そんなこたあ気にならねえ。見てろ、俺はまた一番下から這い上がってやる」
「お前はいつだって障害があればあるだけ燃える気性(たち)だったからなあ」
 ようやくサンジもゾロの決意を受け入れる気になってきていた。しかしまた視線を落とす。
「…けど、やっぱり納得できねえよ」
「まだぐずぐず何を言ってるんだ。さっきも言っただろう。俺はお前の子供じゃねえ。別にお前が納得しようがしまいが、俺のことなんだから俺が決めるだけだ」
 サンジはゾロの突き放したような言い方にむっとして顔をしかめて黙り込む。そこへゾロが少し口ごもりつつもきっぱりした口調で言った。
「…なあ、うすうす思っていたんだが…もしかしたらお前は俺が可哀想だと思っているんじゃねえか? そしてお前の手の中で弱っている俺をあやしてそして安心しているんじゃねえのか。お前が自分の手で介助をすることで、俺が手の中にいることを確信できて安心しているんだろう」
「違う! 俺はお前を哀れんでなんかいねえ! 俺はお前を俺のモノ扱いしたいわけじゃねえし、それで安心したいわけじゃねえぞ! ──ただ、ただまだ早いだろう? まだ足も動かねえし、腕だって…」
「ヤツは何も今すぐって話じゃねえ、って言ってたぞ。サンジ、お前何をそんなにムキになってるんだ。ただアイツの提案を聞いて、あとはヤツがそのうち何かできることを見つけたら、それからの話だ。お前が反対する理由はもう何もないだろう。それとも、いつまでも俺をここに縛り付けておきたいのか?」
「ちがう、俺は──」
 サンジは何も言い返せなかったし、自分の中でまだもやもやと整理がつかないこの得体の知れない感情が何か解らなかった。
「安心したいのだろう」というゾロの言葉は核心を突いていた。ただゾロもまた理解していなかったのだが、その安心を欲する原初のところは、サンジの恐怖心、怖れから来ているのだった。ゾロを失うかもしれない、とその昔にゾロが十巡年の過去へ時ノ間隙飛翔をした時に感じた思いは、そのままサンジの奥深くに潜(ひそ)み残り、今回再度起こったこの事故でそれが急浮上して更に大きく口を開けてサンジを呑み込もうとした。目に見えない部分でサンジの受けた傷は深く大きいものだったのである。
「サンジ。お前がどう考えていようが、この件に関しては俺はもう腹を決めた。どうしても俺を止めたいのなら、それこそ俺が納得できる理由を話してみろ」
 できるわけがない。サンジですら自分の感情を上手く言い表せないのだから。
「俺は、お前を縛り付けておきたいわけじゃない。俺の望みは、お前とまた一緒に飛ぶことだ。お前だってそうじゃねえのか。そのために必要な道だというなら、それは致し方ない。ただ俺にはそう思えないだけだ」
「そうだな、どうしても必要てモンでもないが、ただそれこそ穀潰しで居続けるよりはいいと思っただけだ。それに少なくとも害にはならないだろう」
「そうかな…」
 サンジの最後のつぶやきはゾロの耳には届かなかった。しかしサンジはゾロの意志がどうしても強固なことを知ると、しぶしぶ頷いた。受け入れざるを得なかった。
 サンジは大股で部屋を後にして出ていった。
 
「くそっ」
 思わず罵声が口を突く。
 ゾロの手前、落ち込むようなそぶりはみせたくなかったが、一歩通路へ出るとなんとなく顔が下を向いてしまう。
(ゾロのヤツ、呑気過ぎるっての)
(まだ自分で立てもしないくせに、アレックなんかに安請け合いをして)
 この分だと、少しでも身体が動くようになれば、ゾロに竜騎士の中でも騎士になりたての者がやるような半端仕事を回されるようになるのだろう。
「もうお客様がお出でです。お急ぎください。洞母サンジ」
 庇護下にあるティレク城砦の太守が訪問してきたのだ。この太守には最初に出会った時非常に緊張を強いられたが、その後一緒に仕事をする段になると、安定した、裏付けのある思考や深い洞察力、忍耐強さなどに魅了され、一気に尊敬の念がわき起こった。以後若い洞母であるサンジにとって、大厳洞の外では第一に頼れる人間になった。
「お待たせして申し訳ございません、アーステル太守」
 にこやかに言いながらサンジは応接の間へと踏み込んだ。

「おお、サンジ、久しぶりだ。二人とも元気そうで何より」
 アレックが既に椅子に腰掛けてアーステル太守と談笑していた。サンジは気づかぬほど軽く眉を寄せた。
「ちょうど今、君がティレクの市にやってきて、ラティエスを早駆け獣のレース場の真ん中に降ろした話をしてやってたとこだ」
 楽しそうに太守が言った。サンジはテーブルをぐるりと回ると、苦笑しながら腰を下ろした。
「あれはそんなつもりじゃなかったと、何回言えば気が済むんです?」
「なんのなんの。ちっとも気にしとりゃせんよ。ただ、ティレクからここハイリーチェスにいたラティエスまで長距離思念を飛ばしたのはあれが最初だったのだろう? その現実の場に立ち会った身としては、ついつい語りぐさにしてしまうというものさ」
 サンジは今度こそ大きくため息をついた。
「勘弁してくださいよ。俺としては自制心が効かなかった証左なんですから…」
「まあそうとも言えるがな──そしてそのときゾロがわしに向かって何と言ったかと言うと──」
 アーステル太守はサンジを軽くいなしてまたアレックに話しかけた。アレックはゾロという単語に、礼儀正しく笑顔を崩さないままぴくりと頬を引きつらせた。

 アーステル太守はそのまま晩餐も皆と一緒に過ごし、その後の宵の宴では朗々としたバリトンの美声を披露した。
 夜も更けた頃、アレックがルイスと共に丁重にティレク城砦へ太守を送り届けた。
「よう、お疲れさん」
 戻ってきたアレックにサンジが湯気のたつクラのマグを差し出してねぎらった。間隙を飛んできた騎士は身体が冷え切っている。しかしアレックはマグをじっと見つめるだけで手を伸ばそうとしない。
 不審に思ってサンジがアレックの顔を見上げると、アレックは何とも形容しがたい表情を湛(たた)えてサンジを見つめていた。
「……?」
「サンジ、結局、お前はまだ俺を統領だと認めてないんだな」
「何をいきなり言い出すんだ…?」
 唐突な物言いにサンジは訝(いぶか)しんだ。一体アレックに何があったんだろう。
「お前はいつも俺を『邪魔モノ』のような目で見ている」
 サンジはいつまで経っても受け取ってもらえないマグを引っ込めた。
「俺を統領と認めないどころか、本当なら居て欲しくないと思ってる」
「アレック! 俺はそんなことは思ってない!」
「いや、心の奥底では絶対思っているさ。アーステル太守がゾロのことを話した時に、自分がどういう顔をしていたか、わかってないだろう? この大厳洞ではゾロの話をすることは何となくタブーになっているが、太守はここの人間ではない。普通に感じたままを、思い出を話しただけなんだろう。しかし久しぶりに外の人間がゾロのことを忘れずにいることを知って、お前の固い心の壁に隙ができた。まあ、その前に俺がゾロと話したことでも動揺があったんだろう。ルイスが教えてくれたよ、サンジの心はゾロでいっぱいだって」
「……」
「まあ別にそんなことはどうでもいい。別に俺はお前と惚れた腫れたをするつもりじゃないからな。ただ、俺は俺をないがしろにされるのはいやだ。我慢ならない」
「別にお前をないがしろになど──」
「いいや、お前の視線、お前の態度が雄弁に物語っているのさ──どうせ、すぐにゾロが戻ってくると思っているんだろう? コイツは暫定的な統領だから、その間にゾロの居場所を荒らされたくない、そういうわけなんだろう?」
 サンジは何一つ言い返せなかった。図星だったからである。
「しかし、そう都合よく行くか! 俺だって長年飛翔隊長で飛び続けたところにこのチャンスだ。ど田舎のハイリーチェスとはいえ統領は統領だからな。俺は自分からこの地位を明け渡すことはしないぞ。喩え洞母が骨張って筋肉質の男だとしても。その男を抱かなくちゃならないとしてもだ」
「それに、そのゾロだって、一巡年が経ってもまだ自分の足で歩けないじゃないか。この分じゃ一体何巡年かかることやら。よしんば、立てるようになったところでまた竜に乗って飛ぶことができるかどうか大いに疑問だね。竜騎士は糸胞と戦うものなのに、飛べもしない竜騎士? 伴侶の竜も筋肉がたるんであっというまに老いさらばえてしまうだろうさ」
 がたん、とサンジが勢いよく立ち上がる。
「怒ったか? 俺を殴りたいか?」
 挑発するようにアレックはサンジに近づくと上目遣いにサンジの顔を見上げた。
「……お前、飲み過ぎだ。とっとと寝ちまえ」
 サンジはそれだけを絞り出すように言うと、ずっと持っていたマグをテーブルの上にことりと置いた。
「じゃあ、な。おやすみ」
 無理矢理視線をアレックから剥がし、くるりと背を向ける。アレックの視線を背中に痛いほど感じながら、サンジはその場を立ち去った。

 

  

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