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竜の血脈(21)




「よ」
「久しぶり」
「ベンデンへ送っていったんだって? 彼女」
「ああ、俺は用済みだってさ。子供のほうが大事だって」
「ふん、それでがっくりきて慰めて欲しいってか?」
「はは。振られ男だぜ俺は。もっと優しい言葉をかけられないのかねえ」
「まあ、同情が欲しいならしてやってもいいぜ」
「冗談。テメエの同情なんてクソほどにも役に立ちゃしねえモン、要るかよ」
「振られ男にしちゃ、元気じゃねえか」
「まあ…な。なんのかんの言っても彼女には言葉に尽くせないくらい感謝してるんだ、実は」
「はっ! 振られて感謝ってのもお前らしいかもな」
 言いながらゾロは流れる汗を拭こうとタオルを探した。サンジがひょいと手にとってゾロへと放り投げる。ゾロはふわりと飛んできたそれを掴もうと手を伸ばし──掴み損なった。
「すまん」
 サンジが言って床に落ちたそれを拾おうとかがみ込む。が、すぐにそれをゾロが制した。
「とるな! 俺が拾う」
 ゾロは歩行補助の平行棒をぐっと握りしめたあと、そろそろと腰を屈めてゆき、体重をつま先で支えながらゆっくり片手だけを棒から離して床へ伸ばした。もしここで膝が体重を支えられなかったら、膝が折れてそのまま床に倒れてしまう。
 床に落ちている物を拾うだけでどれだけの努力と注意を払い、危険を負うというのか。しかしゾロはゆっくりとそれをやり遂げた。
(そういえば、最初に掴もうと伸ばしたのは左手だった)
 サンジはふとそれに気づき、なんでもないことでも積極的に不自由な身体を動かそうとしているゾロの努力と忍耐に、心の中で賞賛の声を上げた。
 一方ゾロは目の隅に映るサンジを真剣に観察していた。
(あのころに比べてずいぶんと落ち着いた)
 サンジはゆったりと足を組み、入り口付近の壁に寄りかかってゾロのリハビリを眺めている。
(ちょうどあそこの位置でアイツはしばらく出て行く、と言ったんだった)
 あの時の顔は、今思い出しても胸が痛くなる。最初はわからなかった。ただサンジにとってそのとき自分と一緒に居ることが苦痛だったということ、統領や交合飛翔や何やかやから一時的にでも離れることが大事だったと、今ならとてもよく解る。
 たぶんサンジはひとりでも傷を癒すことができただろう。だが、シリルという娘は女性にしか与えられない慰撫と穏やかな時間をサンジに与えたらしい。シリルという繭にくるまれてサンジは立ち直った。自分は直接は会っていないが、きっと芯のしっかりした女性なのではないか、とゾロは想像した。
 しかし、とゾロは思う。
 それほどまでにサンジを手中に囲い入れて、なかんずく子供まで産みながら、何故彼女はサンジから離れて去っていってしまったのだろう。
(やっぱり子供だけが欲しかったのだろうか)
 それを考えると侘びしさが胸を衝く。所詮洞母や統領は人並みの暖かい家庭とは縁遠いのだろう。血統だけを求めてこれからも自分たちの周囲にやってくる女性が出てくるのだろうか。
(まあ、俺にはもうそんな物好きは来やしないだろうがな)
 統領でもない、今の状態では竜騎士とも胸を張って名乗れないが、そのために女性が遠のいてもゾロは気にしていなかった。どちらかというと却って面倒ごとがなくなってやれやれと思っていた。
 血統を残す目的だけで女を抱くのはゾロにとっても心情的に落ち着かない。「割り切ることにする」とは言ったものの、実はそういった機会が来る以前に今の事態になってしまったため、その点については気楽に過ごしていられた。だからゾロの血統を継ぐものは未だに予定すら皆無だった。
「なあ、自分の子供ってどうだ?」
 あっけらかんとゾロが問う。サンジは少し考えたあと、
「どうだ、って言われてもなあ。あの子を抱いたのは数えるほどだし、まだふにゃふにゃしててなんとも。『可愛いなあ』って自覚するほど面倒も見ていないし懐かれてもいないし」
「実感が湧く前に別れてしまった、ってわけだな」
「そうだな。多分もっと時間が経ってしまったら、手放すなんてとんでもないとか思ったかもしれねえ」
 その言葉を聞いてゾロは直感した。おそらく、それが真相だろう。サンジにそう思わせないようにあの娘は慌ただしく大厳洞を離れていったのだろう。
「お前、子供が欲しいと思っていたんじゃねえのか?」
「………」
 サンジはその質問に長いこと沈黙した。ゾロは黙ってサンジが再び口を開くのを待っていた。
「なにか特別なモンかな、と思ったさ。俺自身、親ってものを知らねえし。血は水より濃い、っていうのに憧れたというか。この先、きっとあの子は俺の顔なんて知らないまま育ってゆくんだろうけど、どんなに離れていたってあの子は俺の子だという事実は誰にも変えられねえ。そういった『絶対に変わらない関係』が欲しかったのかもな」
 今度はゾロが沈黙する番だった。
(そうか──コイツがそう考えるのは無理もねえな──)
 いつ変わるか判らない統領──大厳洞ノ伴侶。サンジの意志とは全く関係なく伴侶が定められてしまう。ゾロが復帰すると信じてはいるものの、現実は容赦なくサンジの精神(こころ)を追い立てた。
 ゾロはサンジが自分の母親であるリリア洞母に会ったことを知らなかった。リリアがミホーク以外を伴侶とした時期を、ゾロを育てることで乗り切ったという話も知らなかったが、それでもぼんやりとサンジの意識を辿(たど)ることに成功していた。
(だけどまあ、初めて出来た自分の血縁をあっさりと持ってゆかれて、さほど落ち込んでいるようにも見えねえな)
 現実にゾロの目にはサンジはかなり落ち着いた態度で映っていた。諦観、とでも言うのだろうか。しかしサンジの目には諦めの色は見られなかった。
(強くなった──?)
 辛い経験を経て、一旦は心が避難場所を求めてゾロからすらも離れていったが、今またこうやって笑いながら「振られた」と言うサンジは一回り大きく見える。
「お前、また子供作るのか?」
 なぜこんな質問が口を突いて出ていったのか、ゾロは言ってから「しまった」と思ったが、出てしまった言葉は取り返せない。自分では平気だとずっと言い聞かせていながら、奥の奥底ではサンジが誰かと特別な関係を作るのを嫌がっていたのか。ゾロはさりげない風を装って顔を逸らし、自分の表情を隠そうと試みた。
 サンジはふふん、と鼻で笑って言った。
「お前が俺の子を産んでくれるんならな」
「…なっ!」
「それとも俺がお前の子を産むか」
 ゾロはぽかんとしてサンジの顔を見る。かくんと膝が萎えて体重が支えられなくなり、慌てて平行棒を握ろうとしてすべって失敗し、床にへたり込んだ。
「ほらほら、しっかりしろよ」
 サンジが手を差し伸べる。ゾロは以前のようにすぐサンジがゾロを抱き起こそうとしないことに気が付いた。手を出したままゾロがその手を握り返すのをじっと待っている。
「おう」
 ゾロはその手をしっかりと握る。引かれて立ち上がると今度は両の足をしっかりと踏みしめて、支えなしで立ってみせた。
「おかえり。産んでやってもいいが、乳を出すのはお前がやれよ」
「ただいま。努力してもいいが、飢え死にする前に乳母を雇うさ」
 にやりと笑いあう顔にはかつて以上の信頼と愛情で結ばれた輝きがあった。


 

  

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