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竜の血脈(22)




 サンジはまたゾロと同じ岩室に住むようになった。
 周囲は何も言わない。陰ではさすがにゴシップが囁かれていたが、サンジは気にも留めなかった。アレックも毎日顔を合わせていても何も言わないで淡々と職務をこなしていた。
 日々は過ぎ、冬の弱々しい日差しがゆっくりと暖かさを取り戻し、大気も徐々にまた柔らかさを伴ってきた。雪解けの声が聞こえ始めると、春の訪れはすぐそこである。
 高地に在るハイリーチェスは平原よりも春は遅い。それでも空気中のそこかしこに春の息吹を感じられるようになると、大厳洞中がそわそわと浮き足立つような雰囲気で満ちる。
「やっぱ今年もまだかな」
 サンジは冷静にゾロのリハビリを眺めながらぽつりと言った。
「………」
 ゾロは無言のまま平行棒の間をゆっくりゆっくりと歩く。額からつつ、と汗が頬を伝い、顎の先で珠を作って落ちた。
 この一巡年、いやそれ以前からずっとゾロは焦る己れの心と戦いながら、左腕と下半身のリハビリを根気強く行っていた。
 しかしそろそろ二巡年が過ぎようとしていても、通常人と同じように生活できる程度まで回復していない。竜騎士としては言わずもがなだ。
 そして春。またラティエスの交合飛翔がある。サンジに三度目の意に沿わぬ交合飛翔を迎えさせたくない。ゾロは今度こそという気概を持ってリハビリにいそしんでいるのだが、こればかりは普通に身体を鍛えるのとは違い、負荷をかければかけたほうがいいというわけでもない。
 サンジがふらりと立ち上がって部屋の奥へと消えた。そこは竜たちの居室へ通じていて、バシリスとラティエスが昼寝を決め込んでいる。ゾロはその背を視線で追い、サンジが何を考えているのかを推し量ろうとしたがちらりと見せた表情も歩き去る背中も何も答えなかった。
(バシリス)
(ナアニ、僕マダ眠インダヨ)
(サンジは何をしてる)
(らてぃえすヲ眺メテルヨ。ソレダケ)
(どんな顔を…してる?)
(ドンナッテ…、普通ノさんじノ顔ダヨ? ぞろハ何ヲ気ニシテイルノ?)
(いや…特に何もなければいい)
(変ナぞろ。さんじニ聞キタイコトガアレバ直接聞ケバイイノニ)
 それが出来ねえ時もあんだよ、とはバシリスに言わず胸のうちにそっと押しとどめる。
 サンジは一見、以前と変わらないように見える。淡々と毎日を過ごし、職務の合間にゾロの様子を見、たまには室内のリハビリは休みにしようぜといって外へ連れ出してみたりとマメに動き回る。
 ゾロはサンジの先ほどの言葉に、彼がまた希望を裏切られて深く傷つくのではないかとそしてそれに怯えているのではないかと思った。
 昨年の繰り返しだけは避けたい。そう思うものの、サンジの言葉どおり今年の交合飛翔にもまだ充分に身体の回復が望めそうになかった。
『一巡年だ、一巡年待ってくれ』と言ったその気持ちには嘘はなかったが、ゾロの身体がゾロ自身を裏切り、結果サンジを裏切った。
 俺にできることは、一刻も早く身体を治すことだ。
 二人とも判りすぎるくらい判っていた。なので今更安っぽい慰めごとも言わなければ責める言葉もない。ただ淡々と日々を過ごし、「その日」を待っているだけだ。
 必ずいつかまた二人で──
 黙っていながらも、根底に考えていることは同じことだった。ただ口に出して確認することはしない。声にしてしまうと、ただの「薄い希望」になってしまい、またそれに縋りついてしまう。サンジはそれが嫌なのだろうと思った。
 今は何も言わない時だ。二人とも一緒にいても今のようにほとんど会話をせず、ただ黙々と自分のことだけを面倒を見ていることが多かった。
(考えていてもしょうがねえ。とにかく今は早く──)
 ゾロはまた一歩を踏み出す。踵から下ろし、筋肉の動きに集中して体重をそっと移動させてゆく。
 そうやってゆっくりと歩き始める。じりじり、じりじり、と毎日着実に歩行は安定してきているが、健常な者の歩行にはほど遠い。あと何歩歩けばゴールにたどり着けるのだろう。ゾロには砂漠の中をたったひとりで歩いているような感覚だった。
 たちまちのうちに、また汗が噴き出る。つつ、と顎をつたってぽとりと落ちて、床の上に染みをつくった。
 ゾロはひたすら狭い部屋のさらに狭い棒の間を繰り返し繰り返し歩いた。

「なあ」
 気が付いたらまたサンジが部屋に戻ってきていた。
「お前も結構身体の方は回復してきたから、何か思い出さねえか?」
「結構…て、全然まだじゃねえか」
 ゾロはサンジの言葉に憮然(ぶぜん)とした表情を作る。全く満足できるレベルじゃないのに、そこでよしとするような事は言わないで欲しいものだ、とその顔つきは語っていた。
「いや、口も利けなかった最初の頃に比べたら、今の状態は奇跡だよ。ターリー師じゃねえが、よくここまで回復したモンだ。なあゾロ、自分を苛めるのはよせよ。俺は別に約束がどうのなんて言う気はこれっぽっちもねえぞ。それより、ここまで回復したんだ。お前少しはこんな目にあったときのことを思い出せないか?」
「何でそんなことを知りたがる? どうせ思い出したところで今の状態が覆(くつがえ)るわけではないだろう」
「まあ、端的に言えばそうかもしれないが、でもまあ前向きに行こうぜ。少なくとも忘れたままの状態じゃ気持ち悪いだろう。思い出したらスッキリするんじゃねえ? んで、頭がスッキリすればもっと身体も素直に動くようになるかもしんねえだろ」
「屁理屈だ」
「いいじゃん、屁理屈だって」
 ゾロはひとつため息をついた。正直、思い出したところで何がどうなるわけでもない。却って忘れたほうがいいこともあるし、きっと世の中にはその方が大多数だろう。未だに何も思い出さないというのは、その必要がないからというよりは頭が忘れたままでいようとしているのだろうと考えていた。
(でもサンジが、コイツが気を紛らわしたくて、せめて「原因さがし」をすることで俺に関わりたいというのなら、まあ付き合ってやってもいいか)
 ちら、とサンジを横目で見て、諦めた風に「わかったよ」と言った。
 頭の中を探る。あの時は糸降りがあった。糸胞との戦いはまずまずの成果を上げ、いつもの通り俺がしんがりで帰ろうとしていた。
 そこへ、誰かがやってきたんだ、誰かが──
 確か夕暮れ時だった。空がオレンジ色に染まっていた。その時俺の前に来たのは誰だったんだ?
 ゾロは真剣に思い出そうとしていた。きつく目を瞑り眉根を寄せ「その時」をたぐろうとしていた。
「だめだ、思い出せねえ。誰かが来たことまではぼんやりと感じられるんだが。一体誰だったのか、顔が出てこねえ。逆光だったのかもしれない。」
「顔? 誰が来たって言うんだ。あの場所に現れたってことは…竜騎士か?」
「そういやそうだな。早駆け獣で来たなら途中誰かに見られてるだろう。地上部隊か、他の竜騎士だって周囲にまだ居た筈だ」
「直前までお前と一緒にいた竜騎士は誰にも会っていないと言っていた」
 サンジは静かにゾロを見ていた。
「顔が判らなくても、声は? 髪の色は? 何でもいい、ヒントになれば…」
 またしばらくゾロは目を閉じてぐっと集中した。
「ダメだ、もやもやした影しか浮かばない。その影が俺に何かを言ったんだ」
「ただ言っただけか? 殴りかかってきたとかじゃねえんだな?」
「そういやそうだ。顔は思い出せねえが、少なくともあの時俺は危険を感じてはいなかった。敵意、はなかったと思う、多分」
「それからどうした。その、影は」
 ゾロは両手を挙げた。
「ダメだ。これ以上は全く思い出せねえ。すまねえ」
「しょうがねえな。ただこれだけは言っておく。あの時、報せを受けてから俺とラティエスはすぐにお前を探したんだ。思念でな。だけどお前もバシリスも全然感じられなかった。俺とラティエスがその気になって、だぜ? ということは、だ」
 サンジは一息おくと、ゆっくりとゾロの目を覗き込みながら言った。
「おそらく、その時お前らは別の『時』に行ったんだ。俺とラティエスの探索を予測していたとしか思えない。つまり『時ノ間隙飛翔』が出来るヤツだ。それともお前の方から誘ったのか?」
「──!」
 ゾロはサンジの指摘に目を剥いた。そしてその可能性を吟味した。
「…いや、俺はそんなコソコソ隠れるようなことは好きじゃねえ──待てよ、イメージが…」
「どんな?」
「どこかへ行った。そうだ、あの場所からどこかへ跳躍した。そこでゆっくり誰にも邪魔されずに話をしようとした…」
 最初は何も憶えていないと言ったゾロだったが、サンジが少しずつ可能性を示唆するにつれ、徐々にその時のことを思い出し始めた。
 だがまだ鮮明にはほど遠く、ぼんやりとした夕暮れの中、現れた映像の霞む輪郭をなぞれなくて苛々するほど腹立たしい。
「それで、何を話したか、その内容は思い出せるか?」
「…いや…ダメだ…これ以上は…」
 途端、ゾロが頭を押さえて蹲る。
「どうした?」サンジが慌てて駆け寄ると、
「…頭が…痛え…ガンガンする…」
 唸るような声がした。しまった、無理をさせすぎたかとサンジはほぞを噛んで今度は躊躇うことなくゾロを脇から抱き起こし、肩に掴まらせ引きずるようにして寝台へ運んだ。
 ゾロを横たえ、療法師を呼ぶように言いつけると、眉根を寄せ苦しそうな顔をしたゾロを痛ましげに見る。
(ごめんな、ゾロ。だけどきっと重要なことなんだ。これはこのまま放っておいてはいけないと俺の勘がそう告げている…)
 療法師が部屋に入ってくると、二、三必要なことを告げ、サンジは入れ違いに部屋を後にした。


 

  

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