こちらのプルダウンボックスで読みやすいスタイルをお選び下さい。






竜の血脈(24)




 孵化ノ儀が終わって、まだざわめきの残る中、そのまま宴にと客達は移動していったが、サンジは傍にいたアレックの耳に口を寄せて何事か囁くと、ひな壇を一足飛びに降りていき、熱い砂を蹴散らして孵化場の中にいたラティエスの元へと走り寄った。
「待てよ、サンジ!」アレックが慌てて後を追う。
「そんな勝手が許されるはずないだろう! これから宴席が始まるんだぞ? ラティエスの伴侶のお前は今日の主役だろう。それが欠席するなんて──」
 声を押し殺し必死にサンジを引き留めようとするが、サンジはかまわずラティエスの背によじ登った。
「まさか、騎乗帯もつけないで飛ぶ気か──? 無茶だ!」
「悪いな、アレック。お客様たちにはお前が上手く言いつくろっておいてくれ。俺は感激のあまり気を失ったでもいいし、気が動転して立てなくなったでもいい。──すぐ戻る。二、三日のうちには」
「二、三日ってそれは『すぐ』とは言わないぞ!」
 アレックの声はラティエスの起こした風に遮(さえぎ)られてサンジの耳には届かない。しかし彼がサンジを素直に送り出す言葉を言っているわけではないことは解りすぎるくらい解っていた。
(悪い、ルイス。君からアレックに俺が謝っていたって伝えておいてくれ)
(言ウコトハ言ッテオクケド、キット怒ルト思ウナア)
 ルイスののんびりした思念がサンジに届いた。それにはもう答えずにサンジはラティエスを一気にハイリーチェスの稜線まで飛び上がらせると、そのままその位置で姿をかき消した。間隙に入ったのだ。
「無茶しやがる…」
 通路の脇、いつの日だったかまだサンジが厨房の下働きだったころにそこから孵化ノ儀を眺めていた場所で、そっと呟く声があがった。
 その声の主はくるりときびすを返すと、かつ、かつ、と杖の音を響かせてその場を去った。

 ベンデン大厳洞のエース統領がハイリーチェスの孵化ノ儀の宴席から戻ったとき、迎えに出た者がそっと近寄って耳打ちをした。
「サンジ洞母が…?」
 こくり、と返事に替えて頷く。
「どこだ。案内してくれ」
「それが、誰も邪魔をするなと強く仰せになって」
「俺でもか…?」
「は、いや、もちろんそんなことは…」
「じゃあ問題ない。どうせあの絵付け師ノ師補のところだろう」
「…はい」
 エースはごつごつした岩肌が剥き出しになっている通路を慣れた様子でずんずん歩いた。ここベンデン大厳洞も死火山を利用して造られた天然の要塞であり、エースは幼少期よりここで育ち、ヒケンスを感合し、飛翔隊長、統領補佐を経て今は大厳洞ノ統領まで上り詰めた。この大厳洞全てを彼は熟知している。
(…強く口止めされていたが、やはりサンジには知らせておくべきと考えてマキノさんに報せを送っておいたが)
(孵化ノ儀にアイツ出席してやがった。あれからすぐ飛んで来て果たして間に合ったのか?)
(ゾロはほとんど再起不能状態と聞いていたが──孵化ノ儀でも全く姿を見せなかった。というかこの三巡年、ヤツの姿をうちの大厳洞の人間は誰も見ていねえ。ヤツは本当にもう竜騎士としてはダメなのか? 使い物にはならないということか?)
(サンジが女性の連れ合いを求めたというのは、ゾロも新統領もサンジのお眼鏡にかなわなくなった、もしくはかなわないということなんだろう。サンジもゾロも、そして新しい統領も不憫なことだ)
 物思いに沈みながら黙って歩き、突き当たりの扉をコンコン、と軽くノックする。
「サンジ? 居るんだろう? 俺だ、エースだよ。開けてくれないか」
 返答がない。エースは更にノックを重ねる。
「入るぞ。いいか」
 断って扉を開けた。もとより鍵なぞかかっていない。室内は薄暗く、寝台が壁に寄せてちょこんとあった。その傍にサンジがひっそりと座っている。
「サンジ…」
 エースはゆっくりと近づいた。寝台の上には栗色の髪を大きく拡げたシリルが横たわっている。しかしその顔はすでに青く沈み、一見しただけで生が抜け落ちた後だと知れた。
 ぽつりとサンジが言った。
「──間に合わなかったよ」
「……」
「もう少し早く来ていれば、もしかしたら」
「サンジ、自分を責めるのはやめろ。しょうがなかったんだ。もともと彼女はお前には知らせて欲しくないと言っていた」
「──それがわからない、わからないんだよ、エース。彼女は何故俺を避けたんだろう。子供だけが欲しかったとはいえ、彼女との時間は穏やかで優しくて俺はとても救われたのに」
「俺もあまり直接話したことはなかったからな。少ししか知らんが、どちらかというとそんなに気の強い方には見えなかったな。お前なら女性に対して乱暴なことはけしてしないだろうし、避ける理由としてはまあ考えられないな。ただ…」
「ただ?」
 ようやくサンジは視線をゆっくりと上げてエースを振り返った。立った位置からエースはサンジを見下ろした形になる。そのサンジの肩越しにシリルの死に顔が見える。それはとても穏やかにみてとれた。
「お前を避ける、というよりはお前から逃げていたのかもな」
「同じことじゃねえか」
「まあ、なあ」
 そこへどたどたと重たげな足音が響いてきた。何事かと扉へ視線をやると、大柄な年配の女性が赤ん坊を抱っこして仁王立ちに立っていた。
「お、ココロさん」
 エースがその女性に話しかける。ココロと呼ばれたその女性は、大儀そうにふうふうと息を切らせながら、それでも抱っこしている赤ん坊には優しく気遣って、シリルが横たわっている寝台を真っ直ぐ見、近づいてきた。
「ああ、神様! 間に合わなかった!」
 絶望にまみれた声が上がった。腕の中で赤ん坊が目をぱちくりさせている。エースはその目がサンジの隻眼と同じ色をしていることに気が付いた。してみるとこの子がサンジとシリルの子か。
「ファイエラ…?」
 サンジもすぐに気が付いて赤ん坊に手を伸ばした。しかしココロは腕の中の赤ん坊をさらに隙間無く抱きしめ、伸びてきた手を無視する。
「さあ、お母ちゃんだよ」
 そっと顔の横の空いている箇所にファイエラを座らせた。暖かい抱っこから放り出されてちょこん、と座った赤ん坊は、すぐにシリルを認め、あーと言いながら手を伸ばした。伸ばした手でぺちぺちと顔を叩く。しかしシリルは目を開けて微笑みファイエラを抱っこしようとはしない。
「あー…? あー…?」
 反応のないシリルに、ファイエラは焦れて周囲を見渡した。なんとかしてよ、と視線が訴えているが、誰も答えようがなく沈黙が周りを支配する。
「可哀想に。まだ何もわからないうちに、母親を亡くすなんて」
 ココロは目をしばたたかせながらもう一度赤ん坊を抱っこし、その腕に抱きかかえたまま、身体を倒して再度ファイエラにシリルの顔を見せた。今度は赤ん坊は抱かれていて安心な上に、ぐいと視線が入れ替わったのが気に入ったのか、きゃっきゃと喜んだ。
「流行り病ってことで、ワタシがこの子を預かっていたのさ。感染(うつ)っちゃいけないからね。で、容態が悪いって聞いたんで駆けつけてきたんだけど…死に目に会わせてあげられなかった…」
「ココロさんはベンデン城砦の元女人ノ長なんだ。今じゃ長の地位は引退して、子供たちの面倒をみてる」
 エースがサンジに説明する。
「この娘がここに来てから、時々赤ん坊のファイエラを預かってたんだよ。彼女もちょくちょく大厳洞から城砦へ遊びに来てたし。あたしら、年齢は離れてるけど、結構気が合ってた」
 ココロがシリルの顔から視線を外さずにしんみりとした口調で言う。
「…こんな…若いうちにっ…子供を残して逝ってしまうなんて…」
 だんだん語尾が震えて最後は掠れて消えた。
「アンタがこの子の父親なんだろう? シリルはあまり多くのことを語らなかったけど、アタシにはわかるよ。ファイエラと同じ目の色だ。あの娘はいつもそれだけは自慢げに言っていたからね。で、彼女は最期にアンタに何か言ったのかい?」
 サンジはぐ、と言葉に詰まった。
「…いや、俺も、間に合わなかった…」
「…そうかい…」
 ココロは一言だけ言うと、あとは黙り込んだ。何を考えているのかその顔からは窺い知れなかった。いきなり顔を上げると、サンジとエース二人に向かって言い放つ。
「この子はワタシが養い親になって育てるよ」
「ッ! でも、ファイエラは俺の子だし──!」
「何言ってるの。アンタが育てられるわけないでしょう? 竜騎士なんだろ? 遊びで孕ました割りに引き取ろうって真面目な心根は認めるけど、まず無理だね。女手がなくちゃどうにもならないし、竜騎士の生活に育児は両立しない」
「俺は、シリルとは遊びでつきあったんじゃねえ!」
「それでも同じことさ。竜騎士と家庭を持つってことはなかなか成り立たないんだよ。ほとんどの竜騎士がそうさ。だから養い子に出したって別に恥でも何でもない。この子はアタシが大事に育てる。もうこの子も慣れてるしね」
 腕の中でだんだん静かになってきたファイエラをゆらゆらとあやしながら優しい視線を落とす。そろそろ眠ってしまいそうだ、と思いながらその顔を見るとふ、と自分の顔も緩んでくる。赤ん坊の無垢な顔にはいつだって癒される。
(この子はもう手放さない)
 キッと強い意志を込めてサンジを睨んだ。そこへエースが半歩身を乗り出し、二人の間に入り込んで言った。
「まあまあココロさん、そんなにヤツを睨まないでやっちゃくれませんか。──サンジ、ココロさんはしっかりした方だし、ココロさんが養い親になってくれるというなら、これ以上心強いことはない。俺が保証しよう。お前だって色々問題抱えてるだろ? それに俺はお前がすぐにこの子の為だけに『女手を作る』ほど器用だとは思えない。どうだ? ココロさんに養い親になってもらうのはいい方策だと俺も思うぜ」
「…そっか…エースがそう言うなら…俺は、親の顔を知らねえから、この子もそうなるのかと思って…」
 突然、その言葉を聞いたココロがずかずかと部屋を横切って、作業机の上を漁り、紙束を綴ったものを一冊見つけて中のあるページを開いて二人に掲げて見せた。
「───ッッ!」
 サンジは驚いて声を失った。そこに描かれているのは自分だった。多分市の日だろう、普段着とは違う上等の衣装を纏った自分の横顔があった。そうだ、並んだ向こう側にゾロの顔も描かれている。
 何年前だろうか。続く数ページに渡ってサンジのスケッチが描かれていた。几帳面なシリルらしく、市の日の細かな雑踏の風景や、竜が行き来する空の遠景なども別ページに描かれている。よく見るとページの隅に年月日が書き添えられていて、首位洞母になる直前のころだと知れた。あの紙綴りはシリルが「下書きで恥ずかしいから見ないで」と言ったものだ。こういう訳だったとは。
「父親の顔はちゃんと伝えてあげるよ。それに、たまには会いに来るんだろう?」
 ココロはこれなら文句ないはず、という眼差しでサンジを窺い見た。サンジは完全に言い訳を失って、こくり、と承諾の印に頷いた。

「この子は…シリルの後を継いで絵付け師を目指すのかな」
 サンジがぽつりと言った。
「それはわからない。この子自身が決めることだろ」とエースが返す。
「そうだけど…だけど、シリルの志をできれば継いで欲しい。彼女は本当にとても優れた絵師だったし、夢があったんだ」
「わかるが…でも、お前の血も継いでいるんだぞ?」
 サンジはエースが暗に仄(ほの)めかしたことに対しては、ふるふると黙って首を振るだけにとどめた。
「とにかく、シリルの遺したものは全てあの子に渡るようにしてやってくれないか。ココロさん、この子に母親がどんな仕事をしてどんな夢を持っていたのか、わかる時が来たら遺品を渡して教えてあげてくれませんか。それまで貴女が管理していていただけたら有り難いです」
「まかしときな。母親のことについてはちゃあんとアタシが教えてやるから」
 ばん、と自分の手のひらで胸のあたりを打つ。大柄な身体なだけに音がでるほど叩いてもまるで意に介していないようだ。ファイエラは既に腕の中ですやすやと寝入っていた。


 

  

(23)<< >>(25)