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竜の血脈(25)




 シリルの葬儀がひっそりと執り行われた後、サンジはすぐにハイリーチェスへと戻った。アレックはぶつぶつとサンジに向かって小言を言ったが、サンジは一言も言い返そうとせずにただ「すまなかった」と詫びたので、アレックもそれ以上追求しようとはしなかった。サンジの暗い顔つきに何か感じるものがあったのかもしれない。アレックも以前ほどはサンジに突っかかりはせず、サンジもまた穏やかに接するようになってきた。二人とも、洞母と統領という立場でさえなければ、よい友人同士で居られただろうと口には出さずとも思うようになってきていた。



 夏が過ぎ、季節は秋へと移ってゆく。穀物の穂が金色に色付き、山々の木々も黄色や赤色に変わってきて、収穫の季節を謳(うた)っていた。
「今度のティレクの収穫祭へは何を着てゆく?」「新しい革の靴が欲しいんだ。前のはぼろぼろになっちゃったから」「竪琴師たちは新しい歌を披露してくれるかねえ?」「決まってるだろう、収穫祭だぜ!」
 大厳洞中が来たるお祭りに向けて浮き足だっていた。春の市、秋の収穫祭は厳しい糸胞との闘いに明け暮れる人々の間で、息を抜いて大いに騒ぎ楽しむことのできる少ない機会だ。特に若い娘たちは、いつもとは違う出会いに期待をかけて、念入りに計画を練っている。
「私、一晩中でも踊り明かすわ! 新しいステップすっごく練習したんですもの」
「あらはしたない。あまり飛んだり跳ねたりしていると、殿方から避けられてしまうわよ」
「平気よ。それより誰か投げ上げ踊りの上手な人知らない?」
「あれはかなりスタミナと腕力と両方求められるから、なかなかいないのよねえ」
「ちょっと前ならゾロ統領が上手かったわ」
「ゾロ統領? 統領って踊りなんて踊れたの?」
「ああら知らないの? そりゃ滅多に披露したことないけど。あのときはサンジ洞母と競ってね。お互い別々のパートナーと組んで、どっちが先にダウンするかって延々と踊ったのよ。あれは見ものだったわ」
「で、どうなったの?」
「二人が最後の二組になってもなかなか決着がつかなくって。演奏している方が疲れちゃったくらい。でも最終的にはゾロ統領が残ったわ。サンジ洞母も他の男衆に比べてかなり粘ったけど」
「へーえ」「見たかったなあ…」
「残念ながら、もう無理ね。だけどサンジ洞母もかなりのモノよ。足がお悪いのにほとんど気づかせないし」
「え、サンジ洞母って足悪いの?」
「あなた、何も知らないのねえ…ああそっか、他の大厳洞から養い児で来たんだっけ。なんか子供のころ大怪我をしたせいだそうよ。走ったりすると少し足を引きずるの」
「気が付かなかったわ」「私も」
「どちらにしろ、投げ上げ踊りのパートナーには、身分が違いすぎるわ。向こうから誘ってくれるなんてことは期待するだけソンだしね」
「サンジ洞母は、最近、その…奥さんを亡くしたんでしょ?」
「しっ! 奥さんって言っちゃいけないのよ。正式に結婚したわけじゃないんですからね。けど、まあそんなようなものね。相手の人は子供を産んですぐにどっか別のところへ行っちゃって、そして最近お亡くなりになったんだって。傷ついてらっしゃるから、うまくお慰めできれば──」
「もしかして見初められちゃったりして!」
 きゃあ、うふふふ、と無邪気に笑い転げる。まだ若く、計算して言っているわけではなく、ただ憧れと期待で想像しているだけにすぎない。

 たまたまその外をかつんかつんと杖の音をさせて通りかかった者が居た。娘たちの無邪気な笑い声にふ…と笑みを浮かべながら通り過ぎたのだが、ちょうど投げ上げ踊りのくだりが耳に入ってしまった。
(そういやそんなこともあったな…)
 ゾロは苦笑を浮かべながら急いでその場を去る。話題の主が話を聞いていたと知ったらさぞかしきまり悪い思いをするだろうと思ったのだが、杖をつきながらの歩行は思うように進めない。それでもなんとか前に進みながら聞こえてきた会話を反芻していた。
『──奥さんを亡くしたんでしょう?』
『──傷ついていらっしゃるから』
 首を振って耳に残る声を振り払った。
 傷ついているだろうか、アイツが? いやこれはアイツの問題だ。俺がしゃしゃりでていいモンじゃねえ。
 なにより、アイツは強い。一人で乗り越えられるさ。俺たちは傷を舐め合う関係じゃねえ。自力で立ち上がるのを待っていてやるか、いや、先に行っているから一人で追いつけと言うくらいでちょうどいい。
 俺は、俺で追いつかねえと。
 かつんと杖の音をさせながら向かった先はアレックの自室だった。

「おう、邪魔するぜ」
「…──! …ゾロ…なぜここに?」
「なぜたあ、ご挨拶だな。以前言ってたろ? 働かざるもの食うべからず。少しまともに動けるようになったからな、仕事をもらいにきた」
「え…。まさか本気で…?」
「おう」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。すぐには思いつかない、というか、今のアンタに合った仕事と言ったって」
 慌てふためくアレックを尻目に、ゾロは悠々と空いた椅子に腰掛けた。ぎし、と音を立てて背もたれが軋む。
「別に今すぐってわけじゃねえよ。まあ挨拶がてらな。それと、宣戦布告かな」
「…宣戦布告?」
 さらにアレックの目が丸くなる。
「おうよ。次のラティエスの交合飛翔は、俺が獲(と)る」
「…なっ!」
「もういい加減じっとしているのも飽きたからな」
「そんなこと…だけどわかってるのか? アンタ今だって杖ついてようやく歩いてる状態なんだぞ? そんな状態で交合飛翔なんか、ましてや統領として糸降りを指揮することなんてできるわけがない!」
「まあ、大抵の人間がそう言うだろうよ。俺も他人(ひと)ごとならそう思う。だけど、だからといって諦めるわけにはいかねえんだ。こうやって俺は自分を計ってるのさ。『俺にこれがやってのけられるのか?』ってな」
 片頬を歪めてにやり、と笑った。ランプの炎がゆらりと揺らいでゾロの顔に影を作る。アレックは名状しがたいゾロの迫力に気圧されて黙り込んだ。
「………」
「じゃあな、とりあえず用はそれだけだ。俺の仕事、考えておいてくれよ?」
 ゾロはゆっくりと立ち上がると、来たときと同じように、かつんかつんと杖の音をさせて立ち去った。
 後には黙ってランプをじっと睨んでいるアレックが残された。



「サンジ、よく来てくれた」
 エースはまだなお暗い中、手燭を持ってそっとラティエスを出迎えに出てきた。
 サンジはラティエスの背から降りると、ゴーグルと騎乗帽をむしり取ってエースにしばらくぶり、と挨拶をした。すぐにくるりと振り返ってラティエスをそっと労(いたわ)るように叩く。
「夜明け前の空気は冷えたろう。ヒケンスのところで休ませてもらっておいで」
(コレクライ、大丈夫ヨ)
 ふん、とラティエスが鼻息を吹いたが、サンジの言うことには素直に従って、ひょいと小さく羽ばたいて何度か来たことのあるエースの竜、ヒケンスの岩室へと向かった。
 サンジはその姿を見送ると、エースに向き直り、改めて言った。
「なんだい、見せたいものって」
 エースはそれにはすぐに答えず、あいまいな笑みを浮かべながらサンジの前に立って歩き出す。
「んー、まあ、お前には一番に見る権利があるんじゃねえか、って思ってな? 明日…正確には今日だが、お披露目する予定なんだが、その前にお前サンを強引に呼び寄せた。悪りぃな、忙しいところ」
 全然悪いとは思っていない口ぶりでエースが言う。サンジはこのエースの性格にはいいかげん慣れていたつもりだったが、ベンデンで夜明け前、大陸の西の反対端のハイリーチェスはまだ深夜のこの時間にたたき起こされて用件も詳しくは告げられずに呼ばれたので、むすっとした顔になる。
(どうせこの男は天(あま)の邪鬼(じゃく)だから、聞いたところで絶対言いはしねえだろうけどよ)
「まあまあ、見れば一発で納得するから」
 エースは機嫌良さげにサンジを大広間へ連れ込んだ。
「明かりを」
 すぐに壁にしつらえられたランプが灯され、さらに天井の大きなシャンデリアにも火が入れられた。おかげで大広間全体が煌々(こうこう)と明るくなる。
 普段でも滅多に天井の明かりまで点けられることはない。なのにこの措置は──? サンジが訝(いぶか)しんだとき、壁一面を覆った布に気が付いた。
「そ。これをね、一番に見せたかったんだ」
 お前に。
 エースは無造作に脇に垂れ下がったひもを引いた。すると一気に壁一面を覆っていた布がばさりと床へ落ちた。
 そこには──。
 サンジは息を呑んだ。
 壁一面に描かれていたのは、竜と竜騎士たちが糸胞と戦っているまさにその場面だった。
 竜の吐く息の熱さ、糸胞が焦げてちりちり言う音、竜騎士たちの怒鳴り声、飛び散る汗、硫化水素の臭いが風に乗って吹き付けてくる──それら全てがその壁画から感じられた。
「すげえ……まるですぐそばで見ているみたいだ」
「シリルの最後の作品だよ」
「──ッ!」
「そう、俺は彼女にこの壁画を依頼したんだ。素晴らしい出来だった。残念ながら彼女は最後まで仕上げる前に息を引き取ったんだけど…。でもこれを未完のままで終わらせるのは忍びなくてさ。同じ工舎の人間を呼び寄せて、完成させた。でも本当にもうほとんど出来上がっていたから、彼女の作と言い切って問題ないよ」
「彼女が…」
 じゃあ、夢を叶(かな)えたんだ。竜を描きたいの、と言っていた。大きく壁一面に。
 胸がつきりと痛みを訴えた。
「どうやって描いたんだろうね、この臨場感。彼女は竜騎士じゃないから、糸胞との戦いなんて見たことないはずなのに」
 エースが、彼もサンジと並んで壁画を見上げながら言った。サンジは頷きながら、
「か弱そうに見えて、意外と芯が強かったからな、彼女は。絵のためには糸降りの最中に外をのぞき見ることくらい当然やってのけたろう。ほら、この平原は彼女の工舎から見えるロイ平原だ。鎧戸をそっと上げて、遠くに見える竜騎士たちを食い入るように見ていた彼女を簡単に想像できるよ…」
 他の者にそんなところを見つかったら叱られるのは目に見えている。それでも彼女は戦う竜と竜騎士を目に焼き付けたかったのだろう。
「ならこれ、ゾロじゃねえ?」
 エースがふいにひとりの竜騎士を指して言った。サンジはそちらに視線を向けて、目を剥いた。
「確かに…。驚いたな、シリルの目と記憶は常人とはかけ離れてるな。単に絵が上手いってだけじゃない」
 平原のまだ薄い緑色が匂い立つような気がした。空は茜色に染まり、遠くに赤ノ星が不気味に輝いている。季節は早春。ゾロが率いた戦い。
「もしかしたら…いやでも、いくら何でも…」
 サンジはくうっと眉根を寄せ、長いこと固まったまま壁画のゾロをじっと凝視していた。 

 

  

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