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竜の血脈(28)




 どんなに長い冬もいずれは終わる。
 ハイリーチェス大厳洞にようやく春の息吹きの第一陣がやってきた。真っ白に雪が積もる上に降り注ぐ太陽の光に目を眇めつつ、久しぶりに浴びる暖かい日差しに、誰もが新しい季節の訪れを喜んだ。
 フランキーはぽたぽたと鎧戸の上の氷が融けていくのを見ながら、
(こりゃ、今年は早めに河岸補強の準備をしねえと)と思っていた。
 ハイリーチェス大厳洞が主に使っている水はラテント支流という渓流から引いているものだ。流量は豊富で、高い山から流れ落ちる澄んだ水は冷たく甘く、夏の一番暑い時期でも涸れることはなかったが、春の雪解けのこの時期だけは、豊富な流量が仇をなして、たまに溢れ流れ、暴走する水はささやかな大厳洞の耕地や畜獣の放牧地を水浸しにしてしまう。
 それを防ぐために、毎年この時期は河岸に土嚢を積み上げるのが竜児ノ騎士の役目であったが、フランキーがここにやってきてからは、ただ積み上げるだけのその方法が、もっと合理的に計算され、一番危うい箇所にはぶ厚くなるようにそして必要ならさらに岩を固めて頑丈に補強されるようになった。
(だけど今年は例年になく雪が積もったからなあ。早いうちに見回って、どれだけ補修が必要なのか確認しておかねえと)
 久しぶりに見る青い空を見上げてフランキーは頭の中で計算していた。冬が長かった代わりに、春は一気にやって来た感がある。これだけ急に気温が上がると雪解けは勢いの烈しいものになるかもしれない。
(サンジに頼んで、誰か竜児ノ騎士をすぐ回してもらおう。できれば在る程度年長で、冷静な判断が下せるヤツがいい。雪解けの渓谷を飛ぶから、腕もよくないと──)
 心を決めたらフランキーは行動が早かった。すぐに竜児ノ騎士をひとり都合をつけてもらい、数刻後には道具箱を背負ってまだ若い竜の背に跨(またが)っていた。

「うわ、こりゃスゲエ」
 フランキーが思わず、といったように声に出した。
 彼らを乗せた若い褐竜はラテント支流の一番の問題箇所の上を飛んでいた。力強く羽ばたいてその場所にホバリングするのは、大人の竜でも難しい技だったが、このリーチスはなかなか上手く飛んでいた。
「完全に埋まってますね」
 リーチスの騎士、若いフェラーロもフランキーの前で同じ様に下を覗き見しながら言った。
 まだ雪解けが始まったばかり、本格的な濁流になるのは融けた雪が水となり集まって来てからなのだが、それ以前に冬の間に積もった雪のせいで河岸の木が数本、重さに耐えかねて倒れていた。それがちょうど流れの中に突っ込んだ形になり、自然の堰を作っていた。
 今はまだ大した影響はないものの、いずれ流量が増えてくると雪解け水はこの場所でせき止められ、行き場を失った水は出口を求めてあたり一帯にあふれ出すだろう。
「こりゃ、早えとこなんとかしないと」
 フランキーが言うと、フェラーロが意気込んで振り返った。
「僕とリーチスであの木を取り除きますよ。大丈夫、あれくらいならリーチスには軽いものです。雪解けも早そうですし、急いだ方がいいでしょう?」
「そりゃ、早く取り除ければそれに越したことはねえが…ひとりで大丈夫か?」
「大丈夫ですよ。もうこの春の糸降りからは僕たちも出陣していい、ってこの間ゾロさんにだって言われましたし。他の者の助けを呼びに戻ったら、逆に意気地なしって思われちゃいます」
「そんなこと思うヤツはいねえと思うけどなァ。お前らはちゃんと一人前だって思ってるからサンジ洞母だって今回の視察に推してくれたんだし…」
 フランキーは言いながら、若者の逸(はや)る心も内心では理解していた。一人前と認められたい年頃なのだ。予想外に早くそれを証明する機会を得て、内心ではうずうずしてたまらないといったところだろう。
 うーん、とフランキーは大仰に腕組みをして考えるふりをしたあと、顔をあげてまっすぐ若い褐ノ騎士を見た。
「それじゃ、頼むわ。だけどけっして無理をするなよ」
「はい! まかせてください!」
 ぱあっと顔を紅潮させて嬉しそうに応えると、彼は少し離れた岩の上にフランキーを降ろした。「師ひとりくらい大した負荷じゃないのに」と言ったが、フランキーは、少なくとも出来うる限り条件を整えない限りひとりでこの仕事をすることは許さない、と言い張ったので言うことをきかざるを得なかった。
 褐ノ騎士は、竜を軽く羽ばたかせると元の位置へ戻った。上空で狭い渓谷に降りる入り角と仰角、その方向を頭の中にシミュレートする。ちょうど倒木は渓流の曲がっている箇所にかかっているので、それは最初思ったより遥かに難しかった。
 しかしフランキーに大丈夫と言った手前、今更引き返して「できません」と言うわけにはいかない。ごくり、と唾を飲み込んでそろそろと褐竜を下降させ、問題の倒木の一番上の幹を掴んだ。
 しかし幹は濡れて滑るうえ、上から見たより太くて掴みきれない。あわてて二度、三度と場所を変えて掴もうとするがいずれも徒労に終わった。そして四度目、竜の鋭いかぎ爪が幹に食い込んだ。
(やった!)
 フェラーロとリーチスが同時に思った瞬間、大きな雪のかたまりがばさっと二人の上に落ちた。
 続く一連の出来事は対岸の岩の上から見ていたフランキーにはほとんど同時に起こったように見えた。
 リーチスが翼を跳ね上げ雪を取りのけようとし、
 その反動で持ち上がりかけた倒木がずるりと落ちかかり、
 慌ててもう一度掴みなおそうとして体勢を崩し、
 運悪く片方の爪だけが引っかかった状態で、バランスを崩したまま引きずられ、
 そして倒木の重なった上にどうと倒れた。
「フェラーロ! リーチス!」
 フランキーは叫んだが、岩の上から飛び降りるわけにも、ましてや飛べるはずもなく、ただ何度も声を限りに叫ぶだけだった。
 しばらくするとどちらもゆっくりと動きだした。とりあえず生存を確認できたことでフランキーはほっとしたが、投げ出されたフェラーロはよろよろと立ち上がったものの、リーチスは弱々しく翼を動かすだけで起きあがろうとしない。
 フェラーロは竜の頭の脇に寄って、何か盛んに励ましていた。
「どうしたー!」
 フランキーが叫ぶ。若者は緩慢に振り返ると、心配そうに見下ろしているフランキーをようやくみとめた。
「リーチスが…脚を木に挟んでしまって…! 立ち上がれないと…!」
「なんだって…」
 フランキーはさあっと血が引いていくのを感じた。
 まだ春は兆しが来たばかりで、周囲は雪がまだたくさん残っている。渓谷はただでさえ気温が低いところへもって、陽は傾きかけ、既に影のほうが濃い。
 ぶるっと忍び寄る冷気に震えた。いや、冷気ではなかったかもしれない。
 夜になったら、もっともっと気温は下がる。一体どうしたら──

「おい、さっき貸し出した竜児ノ騎士、あいつらどこへやった? そろそろ戻ってきていい頃合いじゃねえか」
「おう、フェラーロとリーチスな、ヤツらはフランキーを乗せていったよ。ラテント支流だ。心配だから早めに見ておきたいんだってよ」
 ゾロはサンジを見つけると前置きもなくいきなり用件を切り出した。サンジは慣れているのですぐに応える。ゾロがこういう時は大抵何か問題があるときで、それには逆らわずにすぐ情報を渡したほうがいいとサンジは長年の経験で知っていた。
「どうした?」
「フランキーも誰も戻ってこねえ。バシリスもリーチスの声が聞こえねえって言ってる」
(ラティエス?)
(ワタシモヨ。ヨッポド遠イ処ニ行ッテイルノカシラ)
「ラテント支流はそう遠いところじゃねえ」
 サンジとラティエスの会話が聞こえたようなタイミングでゾロが言った。
「何かあったに違いねえ」
 二人の視線が交錯する。
「わかった。俺が行って見てく──」
 サンジの言葉は、大厳洞中に鳴り響く糸降り警報のサイレンでかき消された。


 

  

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