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竜の血脈(30)




「フェラーロ! リーチス!」
 叫んでみたところで事態は改善しようがなかった。河岸に大きく張り出した岩は頑丈でその上にいるフランキーはひとまず雪が落ちることもしぶきがかかることもなかったが、対岸で倒れている竜と、なんとかその脚の上から倒木をどかせようとひとりで奮闘している若者にはどうあっても近づくことができなかった。
「くそっ! すぐそこに見えているのに…!」
 テコの原理を使って、少しでも倒木を持ち上げられればと思うが、支柱になるような岩も、持ち上げるための手頃な棒も辺りになかった。
 それでも、ひとりでなんとかするならばリーチスの脚の上からそれをどかせるしかない。
 ぶるっとフランキーは身震いした。午後の日が傾いてきて、狭い渓谷に日差しが届かなくなってきたのだ。夜になったら…いやいや、それまでに俺たちの不在に気が付いて捜しに来てくれるだろう。──暗くなってから? こんな谷底にいるのを見つけてくれるだろうか。
 いやそんな悪い方面ばかり考えていてはダメだ。俺に出来ることは何かないか。前向きに出来ることを考えなくては。
 その時、下ばかりを見ていたフランキーにさっと影が差した。
(雲…?)
 最初に頭に思い浮かんだ言葉は、次に竜の咆哮が渓谷にこだましたためすぐに消え去った。あわてて振り仰ぐと、頭上はたくさんの竜たちでいっぱいだった。
「助かった…!」
 心底から安堵する。この世界に生まれ育った者にとって、竜の姿は安心・安全を保証する象徴(シンボル)と同じものだったのだ。
 ばさり、と翼の音をたててそのうちの一頭がフランキーの居る岩の上に降り立った。
「…ゾロ…!」
 青銅竜から降り立った人物を見てフランキーは瞠目(どうもく)した。なんで、一体彼が? そしてよく見ると上空に待機しているのはどれもみな若い竜と竜児ノ騎士たちだ。確かにフェラーロとリーチスはいわば彼らの仲間ではあるが、成竜がバシリス一頭だけというのは腑に落ちない。
 フランキーの不審な眼差しに気づいたらしく、ゾロは苦笑いをしながら言った。
「詳しい説明はあとだ。よし、ここからならよく見えるな。ジム! ここへ降りてきてくれ。お前はフランク師を乗せていって欲しい。ロバート! お前はこの上で待機」
 とりあえずの指図をしたあと、くるりとフランキーに向き直って尋ねた。
「それで、一体何があった?」
 フランキーは意気込んで今までのいきさつを話す。ゾロはそれを聞きながら、素早く視線をあちらこちらに投げて、対応策を考えていた。
「よしわかった。とにかくリーチスの脚の上の木をどかさなきゃ話しにならん。その上で彼が自力で飛べればよし、飛べなければネットで運ぶことになる。しかしリーチスが手こずったというのだから、そう簡単にはいかないかもな。それに失敗して取り落としたら、リーチスの上に落ちてしまうし」
「ああ」
「あの木をそのまま掴もうとしたから難しかったんだ。綱を架けて、数頭で運んだほうが安全だ」
 ただちに、ネットと共に運ばれてきた荷物の中から丈夫な綱が取り出され、竜児ノ騎士たちがわらわらと倒木の周りをかけずり回って綱を架けた。
 ゾロは一部始終をフランキーの岩の上から指示を出した。全ての綱が緩みもなく、絡まりもせずに問題となっている倒木に架けられたのを確認して、ゾロはよし、とうなずき、綱の端を持って待機している竜たちに号令を掛けた。
「よし、まずは真上に飛び上がれ。互いを見ながら息を合わせろよ。傾かないように、そっとだ」
 たわんでいた綱がぴんと引っ張られ、木の重さがぐんとかかる。竜たちは慎重に持ち上げようと細かく翼を羽ばたかせた。これは見た目より意外と難しい。四頭の若い竜が等間隔を保ちながらゆっくりと上昇してゆく。とうとう倒木がゆらりと傾きながら空中に持ち上がった。
 くぅ、とひと声リーチスが鳴き声を漏らした直後──
「糸胞だっ!」
 誰かが甲高い悲鳴を上げた。皆一斉に空を見上げ、視線を走らせた。綱を引っ張っている竜だけはそれでも取り落としたりはせずにゆっくりゆっくりと上昇を続けていた。
 ゾロもまたさっと立ち上がり、空の向こうに銀色の染みを見つけた。
「落ち着け! まだここまで来るには時間がある。それにうちの戦闘隊がやっつけてくれるさ」
 目を離さずに言う。しかし心の中では反対に、銀色の染みがぐんぐん大きくなってくる速度と、戦闘隊が欠片も見えない意味を考えていた。あれはもしかしたら突発に発生したものなのか? まさかまだ竜騎士たちに気づかれていないのだろうか。 そしてあれが真っ直ぐこちらへ向かってくるとしたら、ここはかなり危険な状態になる──。
「フランク師は?──そこか。悪いがジムと一緒に大厳洞に戻ってくれ。そしてあの糸胞のことを知らせるんだ。ジム、ひとりでできるな? よし、他の者はリーチスの下にネットを拡げるんだ」
 フェラーロは心配そうにリーチスの脚を見たり、痛がるリーチスの楔型の頭を抱いて励ましたりしている。倒木が取り除かれてみると、リーチスの脚は腫れ上がっていて、おそらく骨折を起こしているだろうことはすぐに見て取れた。
 成竜とほとんど変わらないリーチスをネットで運ぶために少しばかり準備が手間取ったが、それもなんとか終わり、ようやくあとは数頭でネットの数カ所を手分けして持ち、運ぶだけになった。その間もちらちらと銀色の雲を視界の端に収め、内心はやる気持ちを抑えながらも、リーチスをしっかり運べる体勢になるまではとゾロはけして急かさずに陣頭指揮をとった。
「よし!」
 ゾロの号令でしずしずとネットごとリーチスが持ち上げられる。フェラーロは他の竜に乗せてもらってその様子をはらはらしながら見守っていた。
 渓谷の上空まで持ち上げて、飛ぶのに邪魔なものがなくなると、ゾロはまっすぐ大厳洞を目指すように指示をした。
「息を合わせて飛ぶんだ。編隊を崩さない訓練と一緒だと思え」
 他の竜児ノ騎士たちは脇と先頭と上空を固めている。殿(しんがり)はゾロだ。そのときさっとフランキーと一緒に大厳洞へ返した竜児ノ騎士が姿を現した。
「ジム、師はどうした!」
「大厳洞に戻っていただきましたよ! 無事です! そして僕はマキノさんに言われてこれを──」
 ゾロに見えるように高々と掲げた手が掴んでいたのは革の袋で、ゾロはすぐにその中身は火焔石だ、と解った。してみると、アレックの戦闘隊はまだあの糸胞の雲の存在を掴んでいねえということか? 単に自衛のためとはいえ、僅かばかりの火焔石を持っていたところで大して役に立つとも思えねえが。
 いや、他のやつらはさっさと間隙でも飛んで逃げてしまえばいいが、リーチスを運んでいるヤツらはそうはいかない。竜の飛ぶ速度なら糸胞の先鋒を楽にかわせるはずだが…。
 ゾロは短い時間で決断すると、ジムに命じて火焔石を半分ずつ分けて持った。運び役の竜には運ぶことだけに専念させ、ゾロとジムの二人だけで遊撃隊としてまさかの時の護衛に就く。
「風向きが──! ゾロさん、糸胞の雲がこちらに!」
「モリタ! ヒギンズ! カイジン! 他の者たち全員、間隙を使って大厳洞へ戻れ! そしてもし可能なら騎士の援軍を要請してくれ!」
「ゾロさんは!」
「俺らは風下を回って戻る! ロバート、先導しろ! ジム、俺が上を見張る、お前は後尾につけ!」
 竜児ノ騎士たちは懸命に息を合わせてスピードを上げて飛んだ。それでも風は無情に彼らの方に向けて強く吹き付け、ようやくハイリーチェスの峰を視界に収めようとした時に、銀色の雲の縁が彼らに届いた。
「ひっ!」「来たっ!」
「落ち着け! 隊列を乱すんじゃねえ! まっすぐ行け! 俺が引き受ける!」
 最初の糸胞のかたまりを目にするやいなや、ゾロはバシリスを駆ってあっという間に射程距離まで詰め、空中でその糸胞を黒こげのかたまりに変えた。ものすごい早業だった。必死で飛びながらも後ろを振り返った竜児ノ騎士は、ゾロとバシリスがどういう軌跡で飛んだのかわからなかった。
 それからは大忙しだった。降りかかってくる糸胞の軌道が運び役の竜たちに近づくかどうかを瞬時に判断して、危険なものから退治することを優先したが、それでも圧倒的に竜の数が不足していた。実際戦っているのがゾロとジムの二組しかいないのだ。
(ヤバイッッ!)
 新たな風が吹いて糸胞の一群が真っ直ぐに運び役たちに向かったが、ゾロたちのどちらも間に合うタイミングにない。
 しかしその糸胞はゾロが睨み付けたその時にちりちりと黒こげになっていった。
(ようやく来やがったか!)
 振り仰いだその視線の先には、青銅、褐、蒼、緑の各色の竜たちが空を埋めていた。
「おおい、ゾロ!」
 見ると竜児ノ騎士ノ長のヤソップが年老いたゲランスに乗ってこちらへやってくる。
「遅くなってすまん! 戦闘隊を振り分けるのに手間取った!」
 つまりヤソップは最初に戻ったフランキーから糸胞の話を聞いて、戦闘部隊を探しに行ったのだ。そしてこちらへも飛翔隊を回してくれるよう説得していたのだろう。彼らも来てみたら驚いただろう。こんなに大厳洞近くまで糸胞がやってきているとは予想外だったに違いない。
 もちろん大厳洞は周囲の草は常に取り去り、糸胞が潜りこむ隙を与えていない。ごつごつした岩山に住居を構える理由は竜のためが第一だが、糸胞が餌にする植物やもぐりこむ肥沃な土がないこともあるのだった。糸胞が降っている間は金属製の鎧戸で開口部は全て覆い、万が一にもこの凶悪な生命体が大厳洞の中に潜りこむことのないように配慮されている。
 こういった知恵や工夫は代々伝えられ、年数を重ねるうちに連綿と続く伝統となっていた。
 そうやって大厳洞は守られていたが、大丈夫とは言っても空で直接糸胞が撃退されることのほうが何倍も喜ばれたし、それが竜騎士の本懐、存在意義でもあった。
「我々が来たからには、糸胞は欠片だって地面に落とさない!」
 どの飛翔隊長かは分からなかったが、頼もしい言葉を聞きながらゾロはリーチスを運んでいる竜児ノ騎士の小さな隊を探していた。よし、もう大丈夫だ──。彼らはようやく鉢ノ広場の縁を越えようとしていた。
「ゾロ、まさかお前、糸胞と戦ったのか…?」
 心配そうに近寄ってきたヤソップに、にやりと笑いかける。
「このツラを見て、それを疑うのか?」
 ヤソップの質問には質問で答える。ゾロの顔もバシリスも、バシリスが吐いた火炎の煤で黒く汚れていた。
「思いがけず俺の復帰戦となったわけだが、残念ながらもう火焔石が切れた。それに怪我をしたリーチスが心配だ。悪いが先に戻らせてもらう」
「あ、ああ。当然だ。俺もヒヨッコどもの世話に回る。ここは任せて大丈夫だろう」
「そうだな」
 ゾロは周囲で騒々しく繰り広げられている糸胞との戦いの様子をちらりと見て、羨望めいた視線を投げると、首をひとつ振ってヤソップに言った。
「戻ろう。ヒヨッコどもが俺たちを待ってる」


 

  

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