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竜の血脈(33)




 続く二、三日は何事もなく過ぎた。サンジは平静を装っているようだったが、内心何かを待っていて時々心が上の空になっているのをゾロだけが気づいていた。
(そんなに焦るほどのモンでもないだろうに)
 ゾロは自分が関わっている件にもかかわらず、呑気に考えていた。それよりも、ラティエスの様子に気を配っている方が肝要だった。もうじきに彼女は交合飛翔に飛び立つ。今度こそ不本意だったこの三巡年の穴埋めを果たし、以前と同じようにサンジと並び立ってみせる。
 ゾロの意気込みは強く確かだった。それが態度にも表れていて、肩と胸を張り、ぐっと顎を上げて見渡すその様子は、既に過去統領だったころのそれと変わっていなかった。一体誰が今のゾロを見て、回復不能とまで言われたころを想像できるだろう。ターリー師もキダ師も共にゾロの身体を診断して、「人体とはかくも不思議なものだ」と喜びつつも驚きを隠せなかった。

「おはよう、サンジ」
「やあ、おはよう、アレック。珍しいな」
「そういやこのごろ顔を見てなかったっけ。どう、調子は?」
「いつもの通りさ。そろそろラティエスも飛び立ちそうだ。色つや共に申し分ない」
 アレックはラティエスを見上げて、その言葉に無言で賛成した。
「ごきげんよう、ラティエス。いつもに増して美人さんだね」
 ラティエスはアレックのちょっとした世辞に静かに喉の奥を鳴らすことで謝意を示した。
「ゾロはどこかな? ちょっと頼みたいことがあってさ」
 アレックから機嫌良く接してくるのはサンジにとっても久しぶりで、ましてやラティエスをも褒められて悪い気はしなかった。
「アイツなら、今日は飛翔隊の訓練の予定が入っていたはずだ。でも時間までまだ間があるから、竜児ノ騎士たちの基礎訓練に首をつっこんでいるんじゃないかな。結局のところ、未だヤツは竜児ノ騎士たちとは縁が切れてない感じだ」
 サンジは苦笑しながら説明した。あのフェラーロとリーチスの救助の後、竜児ノ騎士たちのゾロを見る目は英雄のそれになり、もともと慕われていたが特に竜児ノ騎士全体と特別な絆ができたように感じられていた。しかしすぐにゾロは飛翔隊に復帰したため、ゾロのいなくなった穴をことさら大きく感じた年長の者たちが代表で、少しでも顔を出して欲しいと懇願してきたのだった。
 洞母であるサンジは、そろそろヤソップが年齢的、体力的にも交代の時期であると感じていたため、竜児ノ騎士ノ長の後任を任命しなくてはならないと解っていたが、ごたごたが続いていたためそれが伸ばし伸ばしになっていた。
(今度の交合飛翔が終わったら、ちゃんと決めねえとな)
 そしてそれを相談する相手はゾロになっているだろう。今度こそゾロが再び統領の座に復帰することをサンジは願い、そして信じていた。
「じゃあ、竜児ノ騎士たちの訓練場へ行ってみるとするか…。邪魔したな」
「おう、またな」
 サンジは止めていた手をまた動かしてラティエスの皮膚に油を塗る作業を続けようとした。
「あ、そうそう」
 立ち去りかけたアレックが服の隠しからなにやらごそごそと取り出して、サンジに向かってにやりと笑った。
「厨房で今しがた出来たてをくすねてきたんだ。少しやるよ」
 ぽん、と放ろうとしてサンジの手が油まみれなことに気づき、アレックはあ、という顔をする。
「飴なんだけど。食う?」
 いたずらっ子のような眼差しにサンジは笑い、あーんと口を開けてアレックの手から直接もらう。
「ん。優しい甘さ。うめえ」
 黒砂糖のこくのある甘さと、隠し味のような微(かす)かなほろ苦さが絶妙にマッチしていた。
「ありがとな。ゾロに夢中になって飛びすぎるな、って言っておいてくれ」
 アレックは片手を挙げて今度こそ立ち去った。
(あいつも、何もなければ悪いヤツじゃねえんだよなぁ…)
 口中の飴をころがしながら、ラティエスの皮膚に薄く油を伸ばし、擦り込むことに没頭する。サンジはアレックが横目で注意深くラティエスを観察していたことには気づかなかった。

 ゾロは竜児ノ騎士たちが順番に伴侶の竜に跨(またが)って飛び去っていくのを適当な岩に腰掛けてくつろいだ格好で眺めていた。しかし視線は油断なくまだ竜の背によじ登るのすらたどたどしい有様に注がれている。今飛んでいくのはこの前の春に感合を果たした一番若い竜たちのグループだった。年長の竜児ノ騎士たちは順繰りに今年じゅうには糸降りの実戦を予定されている。この前負傷したリーチスとフェラーロもそのうちの一組だったが、リーチスの脚が完全に治るまで初陣はお預けとなった。フェラーロは最初悔しがったが、ゾロが、
『脚の怪我だけですんでよかったじゃねえか。簡単な骨折だからすぐに治る。治ることも保証されているだろ。お前が竜騎士になるのが少しくらい遅れたからといって、これからの長い糸胞との戦いの人生は変わるわけじゃねえ。実戦でも予測のつかねえ負傷は数限りなくあるのはお前も知ってるだろ。ほんのちょっと早く負傷の経験を積んだと思えよ』
 軽い口調で言い含めると、素直に頷いた。ゾロは再起不能とまで言われたのだ。しかし療法師すら首を振った状態から執念で復帰した。自分のことは何も言わなかったが、ゾロの言葉には真実重みがあった。フェラーロはゾロを心底から尊敬していたので、ゾロに言葉を掛けてもらったことで単純に心が前向きになった。
『はい。今度のことは残念だったけど、でもゾロさんのおかげでリーチスも脚の怪我だけで済んだんですよね。今こうして生きていられることに感謝しています。リーチスも僕も』
『よせやい。それに感謝するのはあの場にいた全員にだぞ?』
『わかってます。それでも、やっぱりゾロさんは特に感謝したいんです!』
 若い竜児ノ騎士の熱い眼差しにゾロは逃げるようにその場を後にしたのだった。
(まあ、あいつらもいろいろこれから経験を積んで成長するだろう…)
 ゾロは若い芽が伸びゆく様を計らずも近くから見る機会に恵まれて、それを自分が楽しんでいることに少なからず驚いた。以前はガキの面倒をみるのなんて鬱陶しいだけで面白いことなんて何一つないと思っていたものだったのだ。
 そう言うわけで今も請われて付き合っているという立場だったのだが、ひと組ひと組を観察してピンポイントでアドバイスをすることがまるきり嫌というわけでないばかりか、実際のところ楽しんでいた。
 後年、ゾロは「身動きすら出来ない怪我から奇跡の復活を遂げた統領」としてその不撓不屈(ふとうふくつ)の精神が騎士たちの間で語り継がれることとなる。その「諦めない姿勢」はリーチスの一件とその後の竜児ノ騎士たちとの交流によって、これら若い竜児ノ騎士たちに深く根ざし、受け継がれていったのだった。

 アレックはちょうどゾロが竜児ノ騎士たちの訓練に付き合って居るところに声を掛けた。
「ゾロ、ちょっといいか」
「ん? 何か用か」
「悪いが、頼まれてくれないか。北のウォーク窪地で木々が妙な枯れ方をしている箇所があるという報告が入った。あそこは道が険しくて地上隊がなかなか寄りつけない場所だ」
「しかし、あそこには小さな集落があるだろう」
「そうだ。もし糸胞がもぐりこんで繁殖してしまっていたら、あそこの人数だけでは手に負えない。そればかりか──」
「確かに木々が枯れるくらいだったら危ないな。小隊を連れて行って必要なら焼き払うしかないか」
「そうだ。その判断も含めて、君に行って欲しいんだ。俺が行ければいいんだが、今日は定例の工舎会議があって」
「わかった。ちょうどこれから俺の小隊の訓練の予定だったしな。火焔石を積んでひとっ飛びしてこよう。──しかしウォーク窪地とは、遠いな。半日仕事になるか」
「悪い。恩に着るよ。ああ、サンジから伝言。『あまり夢中になって飛ぶな』ってさ」
「何を言ってるんだか。俺たち竜騎士はは飛ぶものだろうによ」
「全くだ。けど、君の身体を心配してるんだよ」
 ゾロはふん、と鼻を鳴らした。



 地面が揺れている気がする──
 サンジは自分の視界の端がときどきぐにゃりと歪むのを先ほどから感じていた。
 なぜだろう。それに身体が熱い。汗が出ているわけでもないが、内側から火照りが回って血管がどくどく言っている。
 はあ、と息をついた。その息も熱く、サンジは胸元を開けて空気を衣服の内側へ送った。ぎゅっと目を閉じると目蓋の内側がちかちかした。おかしいな、風邪を引いたという感じでもないし、痛いところはないがただ身体が熱を持って自分でもコントロールが効かないでいる…。
 心臓がどきどき言っている。息はますます熱く、身体が内側から炙られているようだ。耳鳴りまでしてきた。耳鳴り? いや、この音は──
「竜だ!」
 サンジははっと我に返って岩室を出て通路から上を見上げた。竜たちが岸壁の縁に留まってうなり声を上げている。次の瞬間、大厳洞中を揺るがすような竜たちの叫び声が起こった。一体どういうことだ? ラティエスは? 彼女が交合飛翔に入る様子は今の今までなかったというのに──。
 サンジは急に背中に水を浴びせかけられたような感じがした。ラティエスが楔形の頭を振り立てて興奮している。なぜだ?
 しかし次に再度自分の身の内に湧き起こった血の滾(たぎ)りで一気に理解した。沸騰しそうな頭の片隅で、自分が、信じられないことにこの自分が欲情をまき散らしていて、それがラティエスに伝わってしまっているということ。制御すべき立場の自分が竜を掻き立て、それが引き金となって交合飛翔が今まさに始まらんとしていること。
 なぜだ、なぜこんなことに──?
「はあっ…!」
 サンジは心臓がばくばく言うのを抑えるように胸のあたりを手で押さえつけた。だめだ、俺が暴走してどうする。抑えなくては。『よい交合飛翔は騎士がしっかりと制御してこそ』、その昔ベンにくどいほど言われた言葉が頭の中によみがえる。なんとかラティエスを制して、いつもの交合飛翔のとおり長く速く飛ばせてあげないと──。
 待て。
 サンジは今度こそ本当に頭から水を浴びせられた感覚に陥った。
 ──ゾロはどこに居る?


 

  

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