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竜の血脈(37)




(サンジ──サンジ)
 サンジの意識がゾロによって引き戻された。一時は完全に離れかけた自らの身体の存在を意識する。
(ああ…)
 手足が痺れてうまく動かない。同調しているはずのラティエスの意識も遠い。「彼女は」というより「自分」はどこだ?
(バカヤロウ…)
 ゾロの思念が頭の中でそっと呟くように囁かれた。身体中が冷えて感覚が鈍いが、ぎゅうぎゅうと熱い身体が締め付けるようにサンジを覆い尽くしていた。
 ふと、ぽつと熱いものがサンジの頬を濡らした。かと思うと続けてどんどん頬が濡れてくる。ぞろ、と声を出そうとしてサンジは自分の口がゾロのそれで覆われていることに気づいた。熱い息。ゾロはどこもかしこも熱かった。
(俺は…ここは…どこだ?)
 ようやく思念でもってゾロに問いかける。ゾロは名残りにちゅ、と唇を舐めてようやく口を離した。
「この大バカ野郎…俺を置いて勝手に行ってしまうなってんだ…」
 ようやく目を開けてみるとゾロは顔中涙でべしょべしょになって、サンジを変な顔で見下ろしていた。サンジはそっと手を伸ばし、ゾロの頬に触れた。
「悪ぃ…そんなつもりはなかった…」
「お前、マジで危なかったんだぞ。身体はどんどん冷たくなるし、一時は呼吸さえ止まっちまうし…」
 ああ、それでゾロが息を吹き込んでくれていたのか。ゾロは自らの熱と息吹と生命そのものでもってサンジを連れ戻してくれたのだ。それこそ、全身全霊をかけて。
「悪ぃ…」
 もう一度、同じ言葉を繰り返した。自分もかつて味わったからよく分かる。魂の伴侶を失いかける恐怖は二度とゴメンだ。そんな思いをさせてしまったことを素直に申し訳ないと思った。
 ハッともう一方の伴侶が気に掛かった。
「ラティエスは…?」
 あの間隙の中で同調が解けかけた。ゾロが支えてくれなかったら、サンジは意識を闇に完全に落としていただろう。そして、ラティエス自身は?
 探るようにサンジは思念を伸ばす。彼女とはいつまで意識と感覚とを共有していた──?
(チャントイルワヨ。アナタ、ワタシヲ無事ニ連レ帰ルマデ離レヨウトシナカッタジャナイ。着イタ時、ほとんど意識ヲ失イカケテタワ。ぞろガイナケレバ危ナカッタ)
 懐かしいラティエスの声が響いた。
(そうか…心配かけてしまったね)
 なにより互いを失いかけた。あの時ノ間隙の中で離れてしまうことはそのまま永遠の別れとなってしまっていただろう。
 彼女の声にも疲労の色が見てとれた。サンジの心配もあったろうが、さすがに交合飛翔の末に時ノ間隙まで飛んでしまっては──交合飛翔? 
「そうだ! 交合飛翔はどうなった?」
 サンジはがばと起きあがった。
「どうなるもこうなるも…肝心のお姫様がいきなりかき消えてしまったからなあ…」
 ゾロは早くも立ち直ってサンジをにやにやしながら見つめている。くそう、ゾロのくせに。涙の跡がまだ乾いていないくせに。
 サンジはラティエスにそっと意識を伸ばした。
(ラティエス? 君、無事かい?)
(ナントモナイワ。確カメテミタラ?)
 からかうような口調に、サンジは彼の黄金ノ伴侶がまだ交合飛翔を終えていないことを感じ取った。
(疲れてない?)
 尋ねながら感覚を同調させてゆく。いきなり本能に揺さぶられる通常の交合飛翔とは異なり、徐々に意識を高めていくこのやり方は制御が楽な分、情欲を高めるのが難しそうだった。
「手伝おうか」
 ゾロがにやりと笑って言い、サンジの許可を待たずに再び口づけた。しかし今度は生命維持の目的ではなく、舌を巧みに絡めてサンジを煽(あお)る。吐息が先ほどとは別の熱を帯びていた。唇を舐め、歯列を割り、口腔の上側の弱いところをつつかれて、たまらずサンジが逃げを打ちかけた。それをがっちりと後頭部を掴まれて完全に逃げ場をふさがれる。
「ふ、」
 サンジの吐息も熱くなった。ラティエスも熱い身体に身を捩(よじ)り、空を勢いよく翔けてゆくのを感じてますます身体中に熱を帯びる。
 こうなるとサンジとラティエスのどちらが先かということはもうどうでもいいことだった。サンジの熱はラティエスの熱であり、ラティエスの吐息はサンジのそれであった。
 いつの間にかバシリスがラティエスと尾を絡め、並んで飛んでいた。
 サンジとラティエスの接合(リンク)に、ゾロとバシリスのそれが絡み、同時に全てがひとつに融け合った。
 サンジは身体中の肌という肌、粘膜という粘膜、細胞のひとつひとつにゾロが触れ、そして混じり合うのを歓喜と共に受け入れ味わった。
 魂が溶け合い、融合し、互いの中へ流れ込み、ひとつになる。
 それは一方的に蹂躙されるのではなく、愛撫のように癒される治療のような交合でもなく、互いに喰らいあい、昇華しあい、そして官能も一体化して味わうものだった。何千もの閃光がスパークし、何万もの泡が弾けた。虹色に輝くひとつひとつの泡は虚空に溶け、溶けながら馥郁(ふくいく)とした芳香を放った。
 互いの意識も融け合い、それが感覚を何倍にも増幅させる。竜たちの感応が騎士たちの感応と反射し共鳴を起こし、それが連鎖した。
 ──ぞ、ろ──
 サンジの部分がゾロを呼ぶ。呼ぶというよりは、微(かす)かに思考を形作った。ゾロの部分が応えて淡く輝き、優しく包み込んだ。
 これまでに数回経験した交合飛翔でもこれほどまでに完璧に融合したことはなかった。初めての飛翔は竜たちの猛々しい本能のとおりに振り回され、嵐のように荒々しく過ぎ、その後も多少制御できるようになっても激しさというものが根底にあった。しかし今、二組の竜と騎士がそれぞれ思念、感情、感覚、本能すべてを繋ぎ合わせるという奇跡が起きると、凪いだように平穏な静けさが訪れた。
 離れることなんてできない。これだけ魂が引き合い、互いを求め合う相手が他にいるわけがない。しっかりと繋がりあって、どこまでも高みを目指して翔(か)け上がった。





 異様な雰囲気から始まった交合飛翔は常のそれより長い時間を掛けて終了し、ブランクのあったバシリスがラティエスを飛ばせたということがハイリーチェスの民だけでなく、全ての城砦と大厳洞にあっという間に伝えられた。
 ゾロは統領に再任し、アレックはイゲン大厳洞に戻っていった。
「いいのか? アイツをただここから放り出すだけで」
 ゾロは片眉をくいとあげてサンジに聞いた。アレックが二人に対してしたことは、もっと厳罰に処されて当然のことだったからだ。特に交合飛翔そのものを操作しようとしたことは全くもって許されるべきではなく、本来なら統領会議にかけて騎士の肩書きを剥奪されても文句を言えないくらいの罪だった。さらに交合飛翔中、本能で制御が困難だったとはいえ、関係ないデュラメスを脅かし、その煽りをくってサンジとラティエスが危うく命を落としかけたことを勘定にいれたら、一生涯幽閉とされてもおかしくなかった。
「うん…。確かにアイツのしたことは許せないんだけどさ」
 サンジがどう言ったらいいかと考えながらゆっくりと口を開く。
「だけど…どうしてもアレックのことを憎めない、というか…。ヤツだって最初のうちはいい統領になろうとして本当にヤツなりに頑張ってた。俺のほうがヤツにもっとうち解けられたら、ヤツだっていろいろ譲ってくれることもあったと思う…。それが出来なかったのは俺の方で、ヤツの在任中はずっとぎくしゃくしてたよ、俺たち。そしてそれが普通の状態になって…。お前が復帰してからは特におかしくなっていった。あまりにも鮮やかな復活劇だっただろう? あのとき、アレックはフェラーロたちを見放しかけ、お前は見捨てずに連れ帰った。それで、少しずつ他の人々のアレックを見る目が変わってきたんだ。お前は急激に台頭してくるし、人々の心は自分から離れていくしで相当な精神的圧力だったと思う。絶対に今回の交合飛翔は失敗できない、って思い詰めてたんだろうな。それでまた成功しさえすれば、『ゾロは復活したと言ってもアレックには及ばない。ゾロの時代は終わったんだ』という評価になるだろ?」
「だから、ヤツがお前に薬を盛ったことだって許せるのか?」
 ゾロが冷たく言い放った。サンジの意識が身体から乖離(かいり)し、命をも失いかけた原因の一端はそこにもあると彼は密かに思っていたのである。
「それは確かに許せねえけど…」
 サンジは顔を伏せ口ごもる。
「ただ、ヤツをそこまで駆りたてた原因は俺にもあるかと思うとな…」
 ふん、とゾロが鼻を鳴らした。
「お優しいこって。俺はもしあのときあの娘が教えに来てくれなかったらお前がどうなっていたかと思うと、到底許せるもんじゃねえがな」
「なに、嫉妬? もしかして嫉妬してくれてるの?」
 サンジの声が一転して嬉しげに跳ねる。
「違えよ!──っとそう言えば、あの娘は一体どうやってこの時代へ飛んでこれたんだ? 最初俺に会ったときは、この時代ではまだ赤ン坊だった筈だ」
 くすくすとサンジは笑い、アレックの話題から逸れたことで安心してゾロの疑問に応えることにした。
「それはな、多分、いや間違いなく、シリルの遺したベンデン大厳洞の壁画を使ったんだ。お前はまだ見てなかった? ほら、エースが鼻高々で自慢してお披露目したヤツ。あれ、シリルの遺作なんだけど、よく見るとあの日のお前が描かれているんだよ。早春、ロイ平原での糸胞との戦い。シリルの記憶力とそれを細部に至るまで再現する描写力は実際大したものだよ。何巡年も経ってから、こうやって照合座標に使われているんだもん」
「ということは、実際に自分の目でみた景色を使ったんじゃねえのか?」
 サンジはこくりと頷く。内心、それより以前に最初の飛翔にファイエラはシリルの下絵帳を使い、サンジとゾロ、シリルとサンジの関係に疑念を抱いたことは言わないでおこうと思った。すでに終わったことだ。
「それは…大した技量だ…」
 ゾロが感嘆の声を上げた。
「それだけじゃねえぞ。俺が未来からファイエラが時ノ間隙飛翔でやって来たと確信したとき、彼女をもう一度ここへ、お前が…彼女に怪我を負わせられた時から三巡年後の『今』へ呼ぶ算段をどうしたと思う」
 ゾロは目を剥いた。瞬間考えるフリをしたが、すぐに手を上げる。
「全く想像つかねえ。一体全体どうやったんだ? どうやって先の時間の人間に意志を伝えることができるって言うんだ?」
「エースに手紙を渡してくれるよう頼んだのさ。ただしそれは今から十六巡年後を指定して」
「じゃあ、今現在、その手紙はエースが持っているってことにならねえか?」
「そうだな。だけど、強く念を押しておいて、これからことあるごとに忘れないよう思い出させてやるのさ。ただ、俺が手紙を託したということがひとつの引き金となり、遠い未来にファイエラがそれを読むということがかなり高い確率で確定した」
「よく分からねえ。結局まだ起こっていないことなんだろう?」
「それを言ったら、全てのことはまだ起こっていないのさ。俺にだってこの世の理(ことわり)の全ては解らねえよ。ただ、俺が渡した手紙によって、彼女がもう一度俺が指定した三巡年後の『今』にやって来たことは事実だ」
「わかった、もうそれについちゃ何も追求しねえ。それで、お前はどうやってこの三巡年後を指定した? 『今』の風景を描いた絵とか壁画とかはもうねえだろう?」
「簡単さ。ときどき俺たちでもやるだろう? 太陽の位置で短い時ノ間隙飛翔を。三巡年後を指定したのは、憎き宿敵である『赤ノ星』を使ったのさ。今は接近期だから、季節は全く同じで、壁画と同じ風景で、そこから竜と騎士たちを取り除き、赤ノ星の見かけの大きさを三巡年分近づかせればいい」
「なるほど…解ってしまえばすべて明快だな」
「だが、それを確実に実行する手腕はやはり彼女の能力によるところが大きいのさ。画像を実際の照合座標に使うには、平面のものを立体的に頭の中で組み立て直す必要がある。それに、今言ったように余分なものを取り除いて新しい要素を付け加えるのも、そう簡単なことじゃないだろう。ま、通常の間隙飛翔ならここまでは出来る者は珍しくもなかろうが、十巡年以上をピンポイントで飛ぶほどの精度で照準することができるのは、おそらく彼女だけじゃないかな」
「それは…やっぱり、お前の血が流れているからだろう。血筋ってヤツだな」
「ばか言え。俺の能力がどこに関係ある? まあ、騎士としての感合能力は多少関係があることは認めるが、これに関してはどう見てもシリルの能力の方が強いだろうよ。画像の捉え方、記憶力なんてヤツはな」
「………」
「それに、血統だ何だ言って本人の努力を無視するのはどうかな。確かに資質はあるだろうけれど、実際に危険を冒してこんな遠くまで飛ぶだけの強い意志を俺は評価するね」
「結局、お前がいつか言っていた、『運命』とやらはもういいのか?」
「うん、お前の言うように、人の意志ってモンが大事なんだよな…。もし彼女に能力も資質も充分にあったとしても、実際に時ノ間隙を飛んでまで確かめたいという意志がなければこの出来事は起こらなかったんだし──俺は確かに、俺がいろいろなことに絶望してシリルと出会わなければファイエラは生まれなかった、そうしたらお前はあんな目に遭わずにすんだのかもしれないと思って、全ては運命なのかと思ったけど…」
 ゾロは黙って傍らの葡萄酒を瓶から飲んだ。
「…でもきっと、もしもシリルと会わずにファイエラが生まれなくても、別の形で何かが起こったんじゃないだろうか…」
「ばっか」
 ピン、とゾロがサンジの額を弾いた。
「何また起こってもいない『もしも』を考えてたりするんだよ。何が起こったって関係ねえだろ。俺は『何があってもお前と離れない意志』があるからな。お前は違うのか?」
 サンジは額を押さえてゾロを睨んだ。
「俺だって! 当たり前のこと訊くんじゃねえよ!」
「じゃ、いいじゃねえか。それだけ判ってりゃ世の中何も問題ねえ」
 笑いながらゾロはサンジの尖らせた口に口づけた。サンジはすぐさまきつく睨んだ目を柔らかに変えて、果敢に侵入しようとしてくるゾロの舌を喜んで迎え入れた。

(アラ。チョット水浴ビニデモ行カナイカ誘オウト思ッタケド…今オ忙シイミタイネ)
 しばらくしてからラティエスが思念をそっと送りかけたが静かにそれを引っ込めた。
(マア、モウ少シシタラ、喜ンデ付キ合ッテクレルト思ウヨ。ヒト眠リシテ待ツコトトシヨウ。僕ハ待ツコトニ慣レテルカラネ)
 バシリスが穏やかにラティエスに話しかける。
(ハイハイ。私モ急イデルワケジャナイシ。マダ充分日モ高イシ…今トイウ時ヲ存分ニ楽シムトイイワ)
 春の穏やかな日ざしが柔らかく差し込む。ラティエスはうとうとしながら新しい卵たちに思いを馳せた。おそらくきっと──。その時が来るまでまだ彼らには内緒にしておくつもりだが、濃い黄色味がかった色をした卵、黄金竜の雛を抱えた卵があるだろう。
(さんじ、私ハ卵ノ中ニ全テ詰メタワ。アナタノ想イモ、ぞろノ想イモ、全テヲネ)
 そうやって、私たち竜の血脈は受け継がれてゆくの。騎士たちの想いも全て載せて。

 ぶんぶんと小さな虫が窓から入り込んでそれからそっとまた出て行く。生きとし生けるものが皆その生命を謳歌する春は今がたけなわだった。
 いつしか寝台でもつれていた二人も穏やかな寝息をたて始めた。全ての生命を育む日の光が優しく降り注ぎ、平等に移ろって確かな時を刻んでいた。


 

  

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