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竜の血脈(38)




  エピローグ



 遠い過去から帰ってきたファイエラとデュラメスは一晩ぐっすりと眠って疲れを癒した。若い二人は回復も早い。長い時ノ間隙を飛んだことは誰にも知られずに済んだ──はずだった。
 身体的に疲労も傷も残ってはいないが、あの過去への旅は彼女にとって精神的に大きな意味を持っていた。何気ない風を装って普段どおりに振る舞っていても、帰ってからというものずっと心に思い浮かべるのはゾロの顔とサンジの声だった。以前の飛翔でゾロを傷つけたことを許してくれたとはいえ、またしても彼女の幼い望みで今度はサンジを危うくさせた。別れのその時も最後まで優しかった彼──父親は、いつかまた会えると希望を繋げてくれたけれど、それはただの慰めでしかなかっただろうか? 彼が時ノ間隙を飛んできてくれることは出来ない筈だ──。
 口数が少なくなり、沈みがちな彼女を周囲は「初めての交合飛翔を控えて過敏になっているのだろう」と遠巻きにそっとしておこうというように扱った。それはあながち間違っているわけでもなく、過去の時間で味わった恐怖もまた彼女の心に影を落としていた。
「ファイエラ、あなたにお客様よ」
「客? 私に?」
 とりとめない思考に心を沈ませて、ファイエラは身なりを整えた。客? ひとりになって静かに考えていたいのに──

「こちら、ハイリーチェスの首位洞母と統領。わざわざ遠いところをお越しくださったの。どうぞ、こちらがファイエラ、黄金竜デュラメスの騎士ですわ」
「やあ、ファイエラ」
 ファイエラは声を失った。二人が愛想良くしばらく彼らだけにして欲しいと告げ、案内役が渋りながらも出て行く間、ぽかんと口を開けたまま、ただ二人を見ているしか出来なかった。
「…俺らにとっては久しぶりだけど、君にとってはそうでもないよね? ん? どうした? まさか時ノ間隙で声を無くしたわけじゃないだろ?」
 サンジとゾロがそこに立ってなにもかも見透かしたように笑っていた。
「まさか…『いつか』ってそういうこと…?」
 二人とも四十巡歳はとうに越えている。しかし褐色に灼けた肌は充分張りがあり年齢を感じさせない。ただやはり目を懲らしてよくみると、あちこちに糸胞による火傷の跡が見て取れ、それが戦いに明け暮れた歳月を物語っていた。
 ゾロとはファイエラの体感時間でつい先日会ったばかりだ。サンジは母親の下絵帳を使って飛んだ時に二十巡歳そこそこの姿を遠目に見たことがある。
 同一人物であることはちゃんと判るが、それでも、今目の前に立つ二人から格段に大きく圧倒的な覇気を感じる。これが歳月というものの重みなのか。そして二人とも彼女を見つめて柔らかく微笑むと、目尻に微(かす)かに皺が寄った。
「ちゃんと約束どおり会いに来てくれたのね…」
 目がいきなりうるんで何もかもがぼやける。泣き崩れる一歩手前で、サンジがそっと抱き寄せ、ぽんぽんとあやすように背中を叩いた。
「ごめんよ、今日の今日まで会いに来なくて。俺たち、あのあといろいろ考えたんだけど、あのとき君は、俺が君に一回も会いに来ず、俺の顔を知らずに育ったと話していたから、その通りにしないとならないと考えたんだ」
「コイツは何度も我慢できなくて物陰から覗きに行ったんだぜ。はるばるハイリーチェスからベンデンまでな」
 こら、そんなこと今ばらさなくてもいいだろ、とサンジがゾロに肘をつついて文句を言う。落ち着いた大人の風貌に気圧されていたファイエラはようやくそこでくすっと笑った。
「やあ、ようやく笑ったね。ずっと願っていたんだ、君の笑顔を見ることが出来たらって。俺はここ何十巡年もそのことだけ考えていたよ」
「何十巡年は大げさでしょ。私、たった十七巡歳よ」
 花が咲いたようにファイエラが大きく笑顔を浮かべた。父親ゆずりの青い瞳がきらきら輝き、サンジも釣られてにっこりと笑う。
「そう、そして近く飛翔ノ儀を迎えるんだよね。それで不安になっているかと思って、急いで来たんだ。本当は時ノ間隙飛翔からもっと日にちを置いて落ち着いた頃に来ようかと思ってたんだけど」
「…憶えていたの? 私が言ったこと」
 そういえば、そんなことを言ったかもしれない。でもあの騒動の最中、他人の言ったことなんか忘れてしまいそうなものなのに。
「君がとても怖がっていたからね」
「だって、十何巡年も前なんでしょう? あなたがたにとっては」
「なんの。覚えておかなくちゃいけないことは、けして忘れやしない…いいかい? 交合飛翔を怖がっていてはダメだ。君がデュラメスを導いてやるんだよ。けれどデュラメスを引っ張って行こうとか上手く飛ばせようとか考える必要はない。彼女と一体となり、彼女を解き放って、彼女が感じることを感じるんだ。そうすればきっと上手く行く」
 ファイエラはサンジを見上げた。不安そうに顔を歪める。
「でも…怖いの。こんなに怖いとは思わなかった」
「わかるよ。俺はきっと今の君を誰よりも理解できると思うよ」
 サンジはそっとファイエラの肩を抱き寄せ、軽く抱擁した。
「君はね、でも胸を張っていいんだ。正当な黄金竜ノ伴侶であり、能力も桁外れだ。誰にも教わらないで時ノ間隙飛翔を発見し、あまつさえ、絵を頼りに自分が産まれる前の過去まで飛んでしまうなんて、他の誰にできる? 能力も勇気も、君は溢れんばかりに持っている。自信を持ちなさい。自信を持ちさえすれば、上手くやってのけられる」
「それでも、どんなに能力があったって…! 結局洞母は統領のために存在するんだわ。交合飛翔では組み敷かれ、抱かれる立場なのよ」
「分かってる。君がそう思うのも無理はない。そういう面も…残念ながらないとは言えない」
 サンジの声に苦渋の色が滲(にじ)むのを感じ取って、ファイエラは伏せていた顔を上げた。あの三巡年のゾロとサンジの忍耐の日々をファイエラは知らない。しかしサンジの声に何かを感じ取った。
サンジは彼女に向かって柔らかく微笑んでみせた。
「でもね、『意志』があれば、必ず道は拓(ひら)ける。君は強い意志を持っている。とても、とても強い意志だ。それは誰にも曲げられない。そして人の意志こそが物事を動かす力を持っているんだ」
「そう…なの?」
「そうさ。俺たちが言うんだから間違いない。あの間隙の中、意志の力でコイツが救い上げてくれたんだぜ?」
「…お前は最後の最後までラティエスから離れずに彼女を連れ戻したしな。意地っ張りにも程がある」
「抜かせ。お前なんか怪我した直後は声も出なかったくせに、たった三巡年で統領に返り咲くくらい回復するなんて、療法師が呆れてさじを投げてたぞ」
「おい、さじを投げるってのはそういう時に使うのか?」
 忘れもしない、あの時ノ間隙の中での劇的な出来事を、彼らはまるでそこらへんで転んだのと同じくらいの程度で話をしていた。でもファイエラは彼らの言いたいことをすぐ理解した。強い意志。それがあるから彼らは──
 意志があり、互いに支え合える相手が居る。ファイエラは二人が羨ましいと心底思った。
「…素敵ね。うん、私もそんな相手に巡り会えるといいな」
「デュラメスがきっとふさわしい相手を選ぶさ。彼女にふさわしい竜を選び、その騎士は君にふさわしいという相手をね。大丈夫、竜はけして間違えないんだから」
「そうね──竜はけして間違えない。そして私は意志を持って臨むこと」
「胸をはって。君は間違いなく俺の血を継いでいる。この大地の誰よりも竜の声を聞くことに長けた俺の、ね」
 ウインクした。ウインクしながらサンジはファイエラの表情をそっと確認する。サンジが自分から父親だと認めた言葉はこれが初めてだった。彼女はどう受け止めただろうか。
 ファイエラはびっくりして目をぱちぱちさせ、ようやくサンジの言葉を飲み込むと満面の笑みを浮かべた。
「ええ、そうね。そして私は母さんの娘でもある──ありがとう。もしかして母さんのことは行きずりかもしれないなんて思ってごめんなさい」
「シリルのことは忘れないよ」
「だけど父さんの魂はゾロと離れられないんでしょ」
 なんと、その真正面からの言葉にゾロとサンジの二人ともが声を失って赤面した。
「…そうなんだ…」
 言った本人も予想外の結果にびっくりする。今日は本当に驚くことばかりだった。
(例えこの先何十巡年経ったとしても、きっと二人は変わらないんだわ)
 二人が一緒に乗り越えてきた幾多の困難がその度ごとに二人の絆を強固にした。
 とても適わない。でもそう思えることが嬉しいから。
「ありがとう。もう大丈夫よ。きっと見事な飛翔ノ儀にしてみせる」
「うん」「頑張れ」
 自分もいつかは自分の血を継ぐ者を得るだろう。私の黄金竜もまた、次の世代へと継ぐ。
 デュラメスが、大きく声を上げて賛成の意を表した。ラティエスが、バシリスがさらに他の竜たちが唱和する。
 サンジとゾロが左右からファイエラを包み込むように引き寄せ、三人で抱擁した。

 生命が巡り、また春が来る。竜は空を駆け、人は大地に満ちるのだ。そうして連綿と続くこの血脈は果てなく未来へ繋がってゆく──。



(了)



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あとがき

 

 

 このお話はアン・マキャフリイの「パーンの竜騎士」シリーズ(ハヤカワ文庫)から舞台設定をお借りしております……と、最初の「竜の覇者」の前編のまえがきに書いてからずいぶん時間が経ちました。「竜の覇者」前後編、この「竜の血脈」前後編のあと、短編と文庫版を出し、完売してからすでに2年以上が経過しています。

 もういい加減忘れられているだろうからこのままでいいや、と思っていたら意外にもこんなネットの隅まで探しあてて、読みたいとおっしゃっていただける方がいらしたので、それならと重い腰をあげた次第です。読んでいただけた方が少しでもどきどきはらはらしたりしていただけたら嬉しいです。私も書いている間すごく楽しかったことを思い出しました。ゾロにもサンジにもとっても痛い思いをしてもらいました。でもごめん、書いててホント楽しかった……。(文章を練ったりするのは苦しいこともありますが)

 このお話は、「竜騎士の血統」について最初から触れています。「覇者」では自分たちの成長と生きる理由など、子供から大人へ駆け上がっていく二人でしたが、成功を掴み、円熟してゆく時期になると次に当然のように要求されるのがその能力を次代に引き継がせることです。
 これも冊子のときのあとがきに触れたのですが、サンジは分かり易くファイエラを得ましたが、ゾロは何を残したかというと、その精神の在りようだったんだよ、と。でもそれにはちょっと筆が足りなかったなあというのが私の力の限界なんですが。
 まあそれでも、この竜騎士の二人は私のお気に入りでして、お話の中では大変な苦労をさせましたがその後はとにかく「ふたり仲良く幸せに暮らしました」なんですよ。

 ここまで読んでいただきありがとうございました! 



2014/11/11

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