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スイッチ・ゲーム(1)

 



 部屋には薄暗い灯りしかなかった。
「誰にも見られなかったか?」
「もちろん。お前は?」
「問題ねえ」
 ほの暗い灯りが映し出すのは、同じような背丈ですらりと伸びた手足を持つ、金髪の若い男二人。
 もし誰かが同じ部屋の中にいて、近寄って二人の顔を見比べてみたら、顔そのものが非常に似ているということに気づいただろう。いや、目の色や鼻の形、皮肉めいて笑う薄い唇すべてがまるで同じだった。
 二人は合わせ鏡のようだった。並べて見たら髪の分け目から、流れる長い前髪で隠れる目まで全て逆だったが、顔を見合わせてみるとそのまま鏡を覗き込んでいるような錯覚に陥るほどだった。
 くすり、とどちらからともなく笑う。
「じゃあ、始めようぜ」
「ああ」
「俺のジーノ、サンジーンへ」
「俺のジーン、サンジーノへ」
 髪の分け目を変え、服を取り替え、そして付け髭をとって渡すと、サンジーンはサンジーノに、サンジーノはサンジーンになった。
 二人は互いを見合ってくすくすと笑いあう。そこにはもうどちらがどちらという個体の認識はなくなっていた。サンジーンは最初からサンジーンであり、サンジーノは元々のサンジーノだった。
「じゃあ、な。俺のジーン」
「楽しんで。俺のジーノ」
 灯りが揺らめくと、そこにいたはずの二人はすでに消えていた。



 サンジーンとサンジーノは双子だった。幼い頃、常に傍に自分の半身がいたことは憶えていた。しかしそれはおぼろに遠い記憶で、夢だとずっと思っていた。
 その夢の中では、自分と自分の半身との境目はなく、同じように感じ、同じことを考え、同じように話し、同じように笑い、いつも寄り添って眠った。まるで一つの身体が二つに分かれたのが間違いだったように。
 自分の半身が傍にいなくなったのはいつのことだったか。恐怖と不安から泣き叫び、幾晩も熱を発したのちに、半身の記憶は遠ざけられて徐々に新しい環境を受け入れられるようになった。
 二人を分けたのは何で、どういう理由だったのかは未だにわからない。それぞれの育ての親が協議して引き取ったのかもしれないし、何か別の出来事があって単純に引き裂かれてしまったのかもしれない。
 ともかくも二人は別の場所で別の環境で育ち、周囲が与えるものを全て吸収して自己を形成した。
 一方は殺し屋ゴルコ・サンジーンとして、そしてもう一方はマフィアの後継者ドン・サンジーノとして。
 二人の再会は運命のいたずらだったのだろう。遠い地で育ちそれぞれ違う道を歩んだにもかかわらず、どちらもまっとうな社会からは少し外れていたためか、二人の人生の軌跡はもう一度交わったのである。
 長い時間を隔てたにもかかわらず、二人は互いを見た瞬間、遠い夢だと思っていた自分の半身が現実に立って目の前に存在していると一瞬で理解した。
 言葉は不要だった。同時に手を伸ばし、同時に頬に触れ、同時に引き寄せ濡れた頬を触れあわせた。
 それから二人は示し合わせて何度も会い、不在の時間を埋め合わせるようにたくさん話をした。同じ人生を歩んでこなかったことで幼い頃のような全てにおいてのシンクロニシティは得られなかったが、根幹を成すものは二人とも同じだったので、共感(シンパシー)は他の誰よりも強かった。

 ある時、どちらかが言った。
「俺らって、大もとはひとりだったのかもな。それが何かの手違いで身体が別れたのじゃねえかな」
「かもな。大昔は俺もお前も全て同じだったのに」
「……なあ」
「ん?」
「なら、また、同じにしてみねえか? 俺の生活(くらし)をお前に、お前の生活(くらし)を俺に分け合ってみようぜ」
「──小さい頃、同じものをひとつの皿から食べていたようにか?」
「ああ。例え僅かでも、二人で分け合った方が何倍も美味いって解ってた、あの頃のように」
 もう同じ生活は望めない、二人の道はそれぞれ違っている。それは二人ともよく解っていた。それでも、もっともっと自分の半身を自分のこととして感じたかった。
 そうして、二人は互いの生活を取り替える。サンジーンはドン・サンジーノとして過ごし、サンジーノは殺し屋ゴルコ・サンジーンとして過ごす。
 二人の見た目は少し手を加えるだけで容易に取り替えられたし、細かなつまらないと思われることですら互いに伝え合っていたから、誰も彼らが時折入れ替わっているということは気が付かなかった。

 付け髭をつけた顎が少しだけむずむずする。サンジーンになったサンジーノは夜のうちに街を離れ、サンジーンの指示した仕事先へと向かっていた。最終列車にあと十五分。ちょうどいい。するりと構内を抜けて乗り込めるだろう。
 ふと、反対側の車線を黒塗りのリムジンが通り過ぎていったのを認めた。あの特徴的なエンブレムは見覚えがあるものだ。対抗勢力のドン・ゾロシアの車。
 しかし今の自分はゴルコ・サンジーン。ただの一匹狼の殺し屋だ。マフィアのドンには関係ない。
 サンジーノはくすり、と微かな笑みを浮かべた。
(お前はサンジーンとどんな会話を交わすんだろうな)
 もしかしたらドン・サンジーノではないとバレるかもしれない。しかし彼らが最初から二人居ると知らない人間にとっては、ドン・サンジーノを別人だと思うことすら不可能だろう。
 ゾロシア──厄介な人間だが、まあ、サンジーンならソツなく相手をするはずだ。大丈夫だろう。
 サンジーノは唇の端を少しだけ歪ませて、視線をゆっくりと元に戻した。



「では行こうか」
「Si(了解)、ドン・ゼフ」
 サンジーンはゆっくりと組んでいた足を解くと、革張りのソファから立ち上がった。ダブルのスーツの裾を軽く引っ張って皺を伸ばし、背を向けて歩き出した義足の男のすぐ後について歩き出す。
 サンジーンがドン・サンジーノとして振る舞うことで一番の難関はこのドン・ゼフだろうというのが二人の一致した意見だった。ドン・ゼフは幼いサンジーノを引き取って後継者として育てた人物であり、最も長い間サンジーノと接している。何故何の縁もゆかりもないサンジーノを後継者と見定めたのか、彼の思惑は未だよくわからない。確かにドン・ゼフ自身に係累は居ず、ドンの座を受け渡す血縁者は皆無だったから、見込みのある子供を引き取って養子にし、しかるべき教育を施して後を継がせるのは理に適っていると言えなくもないが、通常はそれでもオメルタの誓いを交わしたファミリーの中から選ぶのが慣習であり、妥当だった。
(まあ、ファミリーの中から贔屓の声があがるのを避けようとしたのかもしれないが)
 サンジーンは胸のうちで目の前の初老の男の考えを推し量ろうとしたが、ぐっと好奇心を抑えて、できるだけ何も考えないよう心をからっぽにして歩いた。
 何しろドン・ゼフはこの街を取り仕切るファミリーのトップであり、何十年もその座に君臨して街を守ってきたのだ。余計な気配を漂わせてサンジーノでないとバレるのは得策ではない上、もしそうなったら何をされるか解らない。
「先に乗れ」
 黒塗りのアルファ166に乗り込むと、続いてドン・ゼフも隣に乗り込んできた。ゼフはイタリア車以外には乗らない。サンジーンは見た目が派手なイタリア車より、堅実で静かなベンツやBMWを好んでいたが、高いエンジン音に眉ひとつ顰めるようなことはしなかった。
「サンジ」
 ゼフが顔を前に向けたままぽつりと呼んだ。
「何だ、ジジイ」
 サンジと愛称で呼ぶときはほとんど二人きりのプライベートのとき、とサンジーノは言っていた。
 正しい答え方でサンジーンが返すと、しばらく経ってゼフが言った。
「お前、どこか具合悪くしたか?」
「いいや、どっこもおかしくねえよ? 何で?」
「……ならいいんだが。年をとったせいか、お前の纏(まと)う空気がちと変わっている気がしてな」
「ご心配ありがとよ。ま、柄にもなく緊張してるみてえだ。そのせいだろ」
「そうか」
 さすがに気をつけていてもこの男には隠しきれないか。しかしドン・ゼフの目さえ騙し仰せれば全ては問題ない。
 サンジーンはぐっと顎を引き締めた。
 そして黒塗りの車は二人の男を乗せて静かに発車した。



 

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