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スイッチ・ゲーム(2)

 



 サンジーノは二本列車を乗り継ぐと、終着駅で降りた。その街はサンジーノの居た街とは違い、無機質で、人が多く、余所者も地元の人間も混ざり合って自分のことだけを考えていた。そう、ありふれた「都会」であった。
 明るい光と喧噪が溢れている中を、サンジーンに教えられたとおりに歩く。サンジーノにとってはすれ違う誰もが彼を知らないということがとても新鮮だった。自分の街では、誰もがサンジーノを知っていて、ただ歩いているだけでも、大勢の人々がサンジーノに向かって会釈したり声を掛けたりする。それが彼にとっての普通だったから、今のようにすれ違う人々が彼に向けるのが無関心以外何もないというのは学生の時以来の自由な空気を吸っている思いだった。
(今日のところはホテルだったな)
 指定されたホテルへチェックインすると、ベッドカバーの上に、指示された「仕事」を拡げた。
『ターゲットはコイツ。ロズワード・チャルロス。前回の選挙で一気にのし上がって当選を果たした。次の選挙にはどうあっても出馬して欲しくないやつが居るらしい。で、俺に依頼してきた』
 サンジーンが説明する声を思い出す。口の端に煙草をくわえ、にやりと反対側の端で笑っていた。
 器用だな、と思ったが、自分も別の時にサンジーンに器用だと評されたことを思い返した。
『簡単な仕事だ。ヤツのオフィスはここ。毎日夜十時きっかりに灯りを消して家路に着く。お前は、つまり俺は、二百ヤード離れたビルの屋上から狙撃するだけだ。ちょうどここだ。このポイントはヤツの部屋の窓が隣のビルとビルの隙間からまっすぐ見える』
『撃ったらその後は。依頼人(クライアント)に報告の必要は』
『ねえ。どうせすぐ新聞沙汰になるし、そうなったら俺が仕事を果たしたのは解るからな』
『報酬の受け取りは』
『すでに前金はいただいてある。残りは成功を確認したら振り込まれるだけだ。だからヒットしたらのんびりしてていい。ぷらぷら遊んでひとりを楽しんでいればいいさ。証拠は残すなよ』
『誰に向かって言っている? ヘマはしねえよ』
 言いながらサンジーノはサンジーンがくわえている煙草に手を伸ばした。
『グッドラック』
 サンジーンはされるがままににやりと笑う。サンジーノはサンジーンの煙草をくわえて胸一杯に吸い込むと、慣れない味に少しだけ眉間に皺を寄せた。
『これなんて銘柄?』



「お集まりの皆様、それでは始めさせていただきましょう」
 円形のテーブルに数名の男たちが座っていた。それぞれ自信に満ち、尊大な雰囲気を隠そうとしない、いやむしろ虚勢を張ってそういう空気を纏っている者も中にはいるかもしれない。
 ドアを正面にしてドン・ルフィオーネ。その左側の背後に立っているのはウソトゥーヤという、ルフィオーネの片腕だ。サンジーノの話だと彼もかなりのヒットマンらしい。へえ、一度お手並みを拝見したいなとサンジーンは内心で呟いてさりげなく彼を観察した。
 ルフィオーネから時計回りで次はドン・フランコ。大柄で目つきが悪いが、配下の人間には非常に受けがいいという話だ。いかにもマフィアというタイプで、身内をとことん大事にし、外の人間には非常に厳しい。今もひとり、一番信頼のおける部下のザンバイを連れている。そっとフランコに耳うちし、フランコが何ごとか応えると、軽く一礼してドアの外へと出て行った。サンジーンは軽く肩をすくめる。大方、身内でのもめごとだろう。
 次がドン・ゼフとその息子ドン・サンジーノだ。ドン・ゼフは白髪に深い皺、おまけに片足が義足という一見恐ろしい風貌の男だ。恰幅のよい体格を椅子にどっかりと沈めている様はいかにもゴッドファーザーと呼ぶにふさわしい。後継者のドン・サンジーノは彼からすべてを叩き込まれ、そしてすべてを受け継ぐと言われている。
(それが俺だ)
 サンジーンは楽しい気分になるのを抑えられなかった。懐からシガーケースを取り出し、口に銜えて火をつけ、にやけそうになるのを誤魔化した。煙は静かに天井に向かって昇ってゆく。自分の慣れ親しんだ煙草とは味も匂いも違っているが、これもこれでいい。
 サンジーンの左側はドン・ブルッキーノ。まるで骸骨のように痩せて背が高く、うつろな目をしている不気味な男だ。しかし外見はどうあれ、ドンとしてシマを取り仕切っているのならば器量はそれなりにあるに違いない。
 その左隣、ちょうどルフィオーネから一周してルフィオーネの右手側に座っているのがドン・ゾロシア。刈り上げているような短髪で、広い額の下の目は鋭く光っている。
(この男、なんだかヤツに似てる……)
 サンジーンはさりげなく観察しながら、自分サンジーンの知己との類似に驚いていた。
 もちろん細かなところでの相違はあるが、基本的な顔の造作が似ているし、何より醸し出す雰囲気自体がそっくりなのだ。
(ナカムラ・ハンゾロウ……)
 別人なことは解っているものの、サンジーンはついつい記憶の中でのその男と目の前の男とを比較してしまっていた。
 そのことに気を引かれていたため、サンジーンは自分の名前が呼ばれていると気づくのが一瞬遅れた。
「……ドン・サンジーノ? どうしちゃったの? もう私のことなど忘れた?」
「これはシニョリータ・ナミモーレ! とんでもない! 貴女みたいな美女を忘れるなど、例えお日様が西から昇ろうともあり得ません!」
「ふふ、相変わらずね。貴方にとっては忘れたほうがいいでしょうに。私といたせいであんな痛い目に遭ったのに」
「……貴女のためなら、痛みも全て甘いうずきに変わります。僕にとっては貴女を忘れることの方が何十倍も辛い」
 目の前の美女が仄(ほの)めかしたことが何なのか解らずに一瞬声を失いかけたが、ナミモーレさえ気づかせずに淀みなく言葉を繋いだ。
(一体この美女と何をしやがった。後で聞き出さねえとな)
 サンジーノがどんな言い訳をするのか楽しみだ。彼女の口調からするとサンジーノが鼻の下を伸ばしている隙に美女にしてやられたのだろう。白状するのを嫌がるかもしれないが、最後には笑い話のネタとして絶対に話してくれる。サンジーンは自分たち二人は全てさらけ出して、同じ様に笑ったり悲しんだりするのが当然だと思っていた。そしてサンジーノもそうだと知っている。
「僕にその手をとらせていただければ、すぐさま参上いたします」
 サンジーンは半ば以上本気でそう言った。ナミモーレは確かに極上の女性だった。セクシーな身体のラインはもとより、蠱惑的に光る瞳や、つんと上を向いた鼻、珊瑚のように甘く誘う唇は世の中のほとんどの男性を狂わせるのに充分だろう。
 しかしサンジーンの言葉ににっこりと笑うだけで、ナミモーレはヒールを一回鳴らして歩き出した。ほんの二、三歩進んだところでゾロシアにそっとかがみ込んでなにやら耳打ちする。
 サンジーンはかっと頭に血が昇った。アンチクショウ、あんな緑藻のくせにあんな美女が何故──あっあっ、顔が近い近い。え、本当にいまキスした?
 ナミモーレの頭に隠れていたので実際に唇までは見えなかったが、あれだけ近く顔を寄せたならキス以外考えられない。もしくはそう誤解させるのを楽しんでいるか。
(あんな美女とこんな場所で──!)
 サンジーンはよっぽど顔に出ていたのだろう、いきなり脇から強烈な肘鉄をくらって、うっと腹をかかえ、そのせいでようやく視線を二人から外すことができた。
「アホなこと考えてねえで、ちゃんと前見てろ。始まるぞ」
 ドン・ゼフが呆れたというように首を振っていた。

「それでは、始めます」
 深く、落ち着いた声がして、サンジーンはそちらに視線をやった。いつの間にかドン・ゾロシアとドン・ルフィオーネの間に、ナミモーレとは対称的な美女が居た。
(うぉう)
 内心で口笛を吹く。ナミモーレが太陽に輝く大輪のダリアならば、彼女は月明かりに白い花弁を開く月下美人だった。濡れたように光る黒髪、底が見えないミステリアスな瞳、透けるような肌。その細くたおやかな手がつつつ、と伸びてゾロシアの肩に触れた。
(なんだと? あの美女まであの緑藻ヤロウが──?)
 腹の奥がむかむかしてきて、やり過ごすためにテーブルの下でぐっと拳を握りしめる。隣で気配を察したドン・ゼフが軽くため息をついた。
 美女はすいっとその手をひっこめると、何ごともなかったかのように言葉を続けた。
「──前回の懸案事項であった、ブリスコーのシマ争いについて。それからハギンスの跡目の承認がドン・ブルッキーノからと、麻薬取引に関しての協定の見直しがドン・フランコから。そして──」
 美女が淡々と本日の協議内容を読み上げる。サンジーンはその唇が動くのを見るのに夢中で、その隣から彼を観察している目があることに気づかなかった。



 サンジーノは指定されたビルの屋上でライフルを組み立てながら、ひとりを満喫していた。今日は朝から誰とも口をきいていなかった。ここでは誰も彼を知らず、誰も彼に関心を示さない。
 しかしサンジーンと入れ替わっているこの時期だけのことと解っているから、この自由を楽しむことができるのだ。それはサンジーノ自身充分理解していた。まあ、今は『仕事』の最中だから特に不要な接触を避けているということもあるが、サンジーノは自分が実際は淋しがりだということもよく知っていた。
 ──もし自分が本当にサンジーンなら。
 偽名を複数持って、それぞれ違った顔でつきあう世界を作り上げるだろう。多分、サンジーンは実際にそうやって生活しているはずだ。今回サンジーンが用意した偽名もおそらくそのひとつだ。 サンジーノはホテルに『デュバル』という偽名で滞在していた。
『前回使ったのとは違うな』
『あれはもう使えねえ。面倒な探偵がかぎつけたんでな』
『へえ、探偵に追われる生活ね。なかなかナイスだ』
『もちろん警察にもな。まあ、尻尾を掴ませるようなヘマはしねえさ。お前もな?』
『させるかよ』
 サンジーノはライフルをバイポット(二脚)にセットしつつにやりとした。当然だ。警察やましてや探偵なんかに尻尾を掴ませはしない。スコープを覗き込んで準備を整えると、サンジーノは静かな興奮とそれを楽しむ自分を感じた。
 こうやってサンジーンの生き方を生き、感じ方を感じると、幼い頃のように自分と彼との境界があいまいになってくる。
(ジーン、お前が俺で、俺がお前でも、もうどうでもいいな?)
 どちらがどちらの生を生きようと一緒だ。すべてを分かち合えるだろ、俺たち?

 スコープを覗いてターゲットの様子を窺う。ちょうどこの位置からなら、ビルとビルのほんの少しの隙間にターゲットの部屋の窓が見える。となり合うように建っている二つのビルの、ターゲット側には窓はなく、屋上もない。だからこちら側からの狙撃は一切あり得ない。
 しかしこの僅かの隙間を、サンジーンは見つけていた。ライフルやターゲットの行動パターン、必要な逃走経路など全て調べ上げていて、最後の仕上げ部分だけをサンジーノに委せたのだった。
 本当は、ジーンが仕上げまでやりたかっただろうに。
 サンジーノはスコープ越しにターゲットが現れるのを静かに待ちながら思いを馳せた。あらためてサンジーンが片方の眉を上げてにやりと笑った顔を思い出す。楽しんで、と言った。ああ、確かに楽しむことにするよ。お前の仕事の一番極上部分だもんな。
 サンジーノも器用ににやりと笑った、が、そのままスッと口角を下げて真剣な顔になる。
 ターゲットが現れたのだ。そこだけ切り取ったかのように小さな四角の形に灯りが灯っていた。
窓の向こう、まだ隣の続き部屋にいるようで、ぼんやりとした薄い影しか見えない。
(もう少し、こっちへ来やがれ……)
 ちろり、とサンジーノの唇から舌が覘いて上唇を舐めた。心臓の鼓動が早まるのを意識して抑えようと努力する。深く静かに呼吸するんだ。そう、ひとつ、ふたつ、みっつ。
 サンジーノは一旦ゆっくりと目を閉じた。そして再び開けたとき、いつも通りの落ち着いた彼となった。
(よし)
 静かな興奮はあるものの、それを抑えて一段高いところから自分を含めてこの状況を全て観察している別の自分を感じていた。この瞬間をこそサンジーンは自分と分かち合いたかったのだと、ふいにサンジーノは気づいた。
 ターゲットは何も警戒している様子をみせずに姿を現した。すたすたと歩いてくる。もう少し。もう少しこちらへ……。
 サンジーノがトリガーを少しずつ絞っていったそのときだった。
 窓の内側に旋風が起こった。
 どこから入ってきたのか、隻眼のソードマンがまるで瞬間移動してきたように現れて、一瞬でターゲットを血祭りにあげたのだった。サンジーノがスコープ越しに凝視している中、ターゲットは声を出す暇もなく、くずおれ床に倒れた。サンジーノは床のじゅうたんに少しずつ黒く染みがひろがってゆくのすら見えた。
 そのまま目が離せずにいるサンジーノの視界の中で、突然現れた謎のソードマンは、凶器の長い剣、サーベルに似てはいるが少し違うそれをゆっくりと鞘に収めた。床や壁、周りを血に染めていながら驚いたことに、自身は返り血をひとしずくも浴びていない。悠然とターゲットを見下ろしている。
 と、ふとそのソードマンが顔を上げて真っ直ぐこちらを見た。
(まさか。目が合った? こんな遠くを?)



 

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