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スイッチ・ゲーム(4)

 



「おい、お前。俺の目をだませると思ってるのか」
「何のことだ?」
 ゆっくりとサンジーンはその声の主に振り返った。
 サンジーンを見つめているのは琥珀色の目だった。不機嫌そうに寄った眉に、睨むがごとく細められた目。それが午後遅い太陽光を受けてきらりと光った。
「お前……ドン・サンジーノじゃねえな。何でココに居る?」
 真っ直ぐにぶつけられた言葉だったが、サンジーンは少しもひるむ様子を見せなかった。
 片手をズボンのポケットに入れたまま、もう片方の手で持っていたボルサリーノをゆるりと頭に乗せた。そのつばの下から視線を目の前の男に投げる。
 この男は気にくわない。あんな極上の美女二人が傍にいるってだけでも許し難いのに、あの鼻持ちならないクソ剣士を思い起こさせる。
 心の内はどうあれ、サンジーンは表面上は見事に無表情を装っていた。
「俺は正真正銘ドン・サンジーノだぜ? ドン・ゼフだってさっき俺のことをそう呼んだだろう」
「へえ、肉親すらだまくらかせるってのは大したモンだ。だがな」
 ゾロシアはくいっとサンジーンの襟元を引き寄せた。サンジーンは自分を掴む手を見て、それから至近距離で睨んでくる目を見た。
 抵抗らしい抵抗がないことにゾロシアは訝しむ風をみせたが、そのまま言葉を繋ぐ。
「お前は本物のサンジーノよりほんの少しだけ声が低いし、目の色もほんの少しだけ薄い。アイツもずいぶん身のこなしが綺麗だが、腰のあたりの……そう、キレがなんとなくアイツとは違う。そして何より」
 言葉を切ってサンジーンの口に噛みつくように己れの口を重ねた。サンジーンはいきなりのことに目を見開いて、ゾロシアの肩をおしのけようと突っぱねた。しかしどうあがいてもがっしりと押さえ込まれて抜け出せない。
「……この煙草の匂いがな、違う。本物のドン・サンジーノはDEATHを吸ってる。お前のコレはDEATHじゃない」
「ちょっと好みが変わったのさ。たまには他の銘柄も試してみたくなる」
「そうか? こんなに染みつくほどに?」
 そうして、また口を重ねてきた。舌が口中を乱暴にまさぐるのを、サンジーンは今度は己から舌を出し、対抗するように絡めた。どちらが主導権をとるのか、目に見えない箇所でしばらく無言の戦いが続く。つつ、っと唾液がサンジーンの口の端から漏れた。
「で?」
 ようやく口が離れると、にやりとしつつサンジーンはゾロシアを見上げた。軽く小首を傾げて笑みを浮かべている。
 ゾロシアは憮然とした面持ちでサンジーンを見返した。
「……やっぱ、違う、と思う」
「へえ。じゃあサンジーノじゃなければ一体俺は誰なんだ?」
 くいと片眉を上げて挑戦的にゾロシアを見る。言われてゾロシアはようやく思い至った。
「それは……知らねえが、それだけ似てンじゃ、赤の他人ってこたあねえだろう。生き別れの兄弟、とか?」
 ふ、と口先だけでサンジーンは笑った。
「じゃあ、そういうことにしとけ」
「待て。サンジーノはどこに居るんだ? お前はアイツの屋敷に戻るのか。アイツはそこに居るのか?」
「さあね。知りたければご自分でどうぞ」
 視線を相手の目に留めたまま、サンジーンはゾロシアの手を自分の襟から外した。そのまま一歩下がり、またさらに一歩後ろに下がる。ゾロシアは終始無言だった。サンジーンは名残惜しそうにゾロシアの顔を見つめ続けた。
(じゃあな、クソ剣士)
 サンジーンは声を出さずに口の形だけでそう呼びかけると、ゆっくりと目を閉じた。
 琥珀に光る二つの瞳。二つ揃っているのを見るのは初めてだ。それが真っ直ぐに自分を見ている──。


 目を閉じたままサンジーンはくるりと背を向けた。片手で帽子を上げながら言う。
「お前、それ何とかしてから帰れよ? 美女二人に見られる前にな」
 ゾロシアはちらと自分のズボンの前面を見下ろして、さらに渋面を作った。
 ──こんなヤツに。
 何かが違う、という本能は正しかった。絶対にアレはドン・サンジーノではない。しかし問いつめて何かが解ると考えたのは浅はかだった。当然の様にこの企てにはサンジーノ本人も関わっているに違いない。いたずらにしては性質(たち)が悪いが……。
 キスを仕掛けたのは自分なのに、途中から主導権を取られてしまったのは不覚だった。知らない煙草の匂いと味。キスに酔うなんて十代の青臭いガキみたいだ。
 手の甲で唇あたりを乱暴に擦った。くそ。
 どっかりと手近な椅子に腰掛けると自分の息子にいい聞かせた。
「お前、反抗期か? 俺の言うことを聞けってんだ」
 はあ、と力のないため息が漏れた。視線を上げるとすでにドン・サンジーノに似た誰かは消えていた。
 今度サンジーノに会ったら問いただしてみるか。いや、おそらくサンジーノは何も認めようとしないだろう。しらばっくれることに関しては超一流で、気まぐれで掴み所のないところは猫科の動物を彷彿させる。謎が服を着て歩いているような男だ。
(おまけにその謎も二通りあるらしい)
 ようやくゾロシアの口に笑みが浮かんだ。







 薄暗い灯りがジジ……と音をたてた。
 ぼんやりと浮かび上がる部屋の中、金髪で蒼い目の、非常によく似た二人はそこにいた。
「よお」
「よお」
「どうだった?」
「まあな。楽しかったぜ。お前は?」
「もちろん」
 くすくすと笑いながら二人は互いにすり替わったうちに体験した出来事を話し合った。話し合いながらもまた笑う。二人が体験したことは、分かち合って同じ経験として二人のうちに染みこんだ。
 そしてこれで二人がすり替わっていた事実を誰にも知られることはない。

 髪の分け目を変え、服を取り替え、そして付け髭をとって渡すと、サンジーンはサンジーノに、サンジーノはサンジーンに戻った。
 暫くお互いの顔を見つめ、にやりと笑う。
 
 そうしながら、二人はそれぞれ小さな秘密を持っていた。
 サンジーノと入れ替わったサンジーンは、ゾロシアと二人きりで交わした会話を言わなかった。
 サンジーノは、あの横道でのハンゾロウとのやりとりを話さなかった。
 それぞれ、分かち合うべきものとすべきでないものはよくわきまえていた。
『お前に俺の持ってるモン、全部やる』
『俺だって、お前に全部やる』
『いっそ取り替えてみるか?』
 再会してそう言った。それから二人はお互いの生活すら分かち合ってきた。
(だけど、分け合えないモンもある)
 内心でこっそりつぶやいた。もう一方が同じ思いを抱えていることは知らないまま。
「じゃあな、俺のジーン」
「元気で、俺のジーノ」
 ゾロシアは──ハンゾロウは──きっと片割れにとって特別な何かなのだろう。その領域に入ってしまったことは──黙っていたほうがきっとよい。
 蒼い目が長いこと絡み合った。

 ふっと部屋の灯りが揺らぐと、そこにいたはずの二人の気配が消えていた。

 後に残るのは二種類の煙草の香りと──くすくすという忍び笑いの声。それらは複雑に絡んで長いこと漂っていた。


End.



 

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