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永遠より長く無限より短い一瞬(1)





アシモフのロボット工学三原則



第一条:ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。 

第二条:ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。 

第三条:ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己を守らなければならない。





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 昏黒(こんこく)の彼方へ想いを寄せる。
 有害な光線をすべて遮断する特殊ガラスの窓の向こうは、どこまでも暗く深淵な夜空が続いていた。
 夜の底はそのまま突き抜けて、死の世界へつながっているのだろうか? それとも、ただ闇が無限に広がっているだけなのだろうか。
 窓一杯に広がる夜空──黒いビロウドに散らばった銀色の砂粒のどこかに、アイツが居る──
 ゾロは思い通りに動かない躯を苦労して自走椅子に乗せ、カップボードからブランデーグラスと濃い色のボトルを取り出した。
 この時代、介助や家事専門のロボットは一般家庭にまで普及していたが、ゾロはそれを置くことを頑なに拒否して、必要最小限の自走椅子と、自分の家に多少の改造を施すことで生活していた。
 強いアルコールは医者に止められているが、そんなことは意に介さずに、ゾロはボトルからトプトプとグラスに酒を注ぎ、夜空に向かって少しだけそれを掲げてから、一気に飲み干した。
 サイドテーブルに空のグラスを置くと、ぐったりと背もたれに身体を預ける。その姿勢のまま目を細めてなおも視線は黒く広がる窓の向こうへ注がれている。
 ──なあ、サンジ──
 ──お前、一体どこにいるんだよ。
 ──早く帰ってこないと、俺ぁ棺桶の中でお前を迎える羽目になっちまうぜ。

 手が震えながら持ち上がり、虚空へ伸ばされる。窓の向こうに散らばる銀色を掴み取ろうとするように──。
 そして力尽きてぱたりと膝の上に落ちた。がっくりと首がうなだれてそこに影を落とす。
 夜は無音のまま、ただ闇の色を増していく──


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 ロロノア・ゾロは若くして名を世間に轟かせた天才だった。
 彼が提唱したロボットの新しいプログラムとその実用における柔軟な汎用性は、ロボット工学に於いて他の追随を許さないものであり、彼の名前はロボット工学(ロボティクス)史の中に金文字で飾られ、後世まで尊敬の響きを込めて語られるものだった。
 長いこと、ロボットは工場や特殊な開発環境だけで使用され続けてきたが、段々と複雑多様化する社会に即し、また人類が発展するにつれて単純作業だけでなく身の回りの細々したことまでを他者に委ねるニーズが高まってきたことから、オートメーションを一手に引き受ける、そういった「専門家」としての労働力の担い手が求められた。
 その結果、人間型(ヒューマンタイプ)のロボットが登場したのである。
 当初、人間より遙かに力の強い「機械」が自由に社会を動き回ることに嫌悪感を現し、事実そういった反ロボット派の団体もいくつか声高にロボットの危険性を主張していたが、ロボット三原則が発表され、その官民一体となった大がかりなキャンペーンが人々の間に浸透するにつれ、徐々にロボットに対する反発は薄れてきたのである。曰く、そのロボット三原則とは──

 第一条:ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。 
 第二条:ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。 
 第三条:ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己を守らなければならない。 

 これにより、ロボットは安全・便利・丈夫で長持ちすなわち経済的である、という認識が人々の中に広まった。だがまだまだロボットを一般的な「普通の人間」が使いこなすには多少の困難があって、「ロボットへの効率的な命令の出し方」「ロボットを上手に使うには」などといったハウツー本が売り出される始末。
 ロボット使用における小さなトラブルも日常茶飯事になり、その解決にあたるサービスセンター窓口は24時間体勢でカスタマーに対応をせざるを得なかった。

 そこへロロノア・ゾロ工学博士が画期的なプログラムを発表したのである。
 それによって、ロボットの使い易さが飛躍的に向上した。ロボット自体が自らの経験値だけでなく、積極的に学習、データ収集をして多種多様な人間の要求に対応するようになったのである。同時に、人間社会における基本的常識──それを最初からインストールされている状態で出荷された。それにより、当初登場したときのような、基本的会話が成り立たずに、使用する人間の単純な命令を実際に動作させるまで半日も費やすといったばかげたケースは皆無となった。
 『マスター』の好みをいち早く察し、記憶し、「適当に片づける」「ちょっと多めに作る」などといったあいまいな命令にも柔軟な対応ができるようになった。
 そうしてロボットは広く人間社会に受け入れられるようになった。





「セクサロイド?」
 ロロノア・ゾロ工学博士は素っ頓狂な声をあげた。
「そんなに大声をあげないで下さい。ま、そんな大したことではないでしょう? 博士の腕でしたら。世の中は今やロボットをその労働力だけでなく、一般的に人間のよきパートナーとして受け入れている。それをもう一歩踏み出すだけですよ」
「ばかげている。ナンセンスだ。大体、ロボットは子供を産めないんだぞ? もちろん精子も卵子もない。人間のDNAを持たない機械(マシン)にセックスの相手をさせようだなんて、虚しいだけじゃないか」
「おや、博士は子供を持たないカップルを否定するお考えですか? 性生活は全て子孫を残すための作業であるべきだと?」
「い、いやそうとまでは…」
「そうですよ。昔から寂しい人間は性欲を解消するためにそれらしい……オホン……人形を相手にしたり、グラビアアイドルを脳裏に浮かべたり、代用の、ああ、『対象』を使ってきた。貴方だって十代の若いころにはエロ本の一冊くらいはベッドの下に持っていたでしょう……ああ、すみません。悪気はまったくないんです……。とにかく、全ての成熟した男女が必ずしも満足した性生活を送っているとは思いませんよね? こればかりは相手がいなくてはならず、相手がいても事故で死に別れたり、遠くの地で会えなかったり、はたまた世間体にはちゃんと結婚までしていても普段の生活がすれ違いばかりで会話もままならなかったりといろんなケースがあるわけです」
 ぎろり、とゾロは相対している男を睨む。男はそんなゾロの視線を全く意に介さない風に言葉を続ける。
「愛のないただの性欲解消を目的としている、いわゆる性人形を求めているわけではありません。今やロボットは介助や家事や、寂しいお年寄りのコンパニオンとしても活躍してきております。それを一歩、もうほんの一歩踏み出すのが、どうしていけないんです?」
「だからそれがばかげている、というんだ。ロボットに愛情を期待するなんて無駄だし無理だ。全てはプログラムのカタマリなんだぞ。いくら見かけや動きが人間に酷似させることができたとしても、だ」
「ええ、わかっていますよ。そんなことは。もちろん愛情なんてものはプログラム不可能です。ですが限りなくそれに近いようなフリをさせることはできるでしょう? 今でさえ博士のプログラムによって、『マスター』の好悪をいち早く感じ取ることができるようになっています。それを発展しさえすれば、」
「セックスの時、望み通りの反応を返す、というわけか」
 吐き捨てるようにゾロが言う。
「それだけじゃありません。求めていた言葉をそっと耳元で囁かれたら、孤独な精神は癒され、満ち足りることでしょう」
 ゾロの激しい言いようにもまるで動揺せずに男は坦々と言った。
「博士。貴方がいくら拒否しようとも、世間はもうそれを必要としているのです。ロボットの外見と機能をそのような使途用に製作するのは技術的にそう難しいことじゃない。後は博士の領分です」
「……ロボットに感情を持たせるのか。だがあくまでもフェイクにしかすぎないぞ。問題は人間側がその偽物の感情に振り回されないかということだ」
「言葉ですらも、ロボットは三原則に縛られていますからね。『マスター』が傷つくような言動は成し得ないでしょう」
「断る。問題はそれだけじゃあない。ロボットは確かに人間を傷つけるようなことはしないさ。問題は、どんなに優しい言葉をかけられても、人間は勝手にひとりで傷つく生き物だってことだ。夢みているうちはいい。だが夢が終わっても現実世界へ戻れなくなっちまったら、誰が責任をとるんだ? 自分がとるしかないが、肝心の自分が自分で立てないとなったら? ──私はそんなことに手を貸す気にはなれないね」
 言い終わるとゾロはこれで話は終わりとばかりにだん、と立ち上がってまっすぐドアを出て行った。



 

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