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パラキシャル フォーカス(15)




「───ンだ、てめェか」
相手を認識した一瞬後、ふり出した脚は相手の顔の真横でぴた、と停止する。
それもまた予測済みなのだろう、全く動じずに、狙われた顔を避けようともしないまま、琥珀色の目がサンジを真っ直ぐに見つめていた。 
「クソコック」
三振りの刀を腰に携えて、ゾロがサンジの腕を掴んだままそこに立っていた。憮然とした表情は相変わらず内心何を考えているのか他人に思考を読ませない。
「いつまで掴んでやがる。放しやがれ、コラ」
サンジはゾロに掴まれたままの腕をふりほどこうとするが、ゾロはますますきつく手に力を込めた。
「……?」
「───てめェ、一体何考えてやがる」
「なンのことだ」
「ッ!とぼけンなッ。あの小僧の言ったことだ。どこの誰かはわからんが、狙ってんなぁルフィでなく、てめェだろうが。それもこのグランドラインに入る前からつけ狙っているそうじゃねぇか」
「だから?だから俺はおとなしく隠れていろと?ッハッッ!てめェだって似たようなモンじゃねぇか。いいか、六千万ベリー。てめェなんかその苔むした頭と一緒にムサいツラまで晒されてんだぜぇ?てめェをつけ狙う賞金稼ぎの奴らだけじゃねぇ、そこらへんの善良な一般市民のみなさんだって、六千万ベリーのためならいきなり庖丁だのなんだの手近な獲物をつかんでてめェの首をかっさばこうとしたって何の不思議もねぇってこと、わかってんのかコラ、六、千、万、ベリー!」
上目遣いに睨みながら立て板に水の勢いで低い声が凄む。
「………てめェは何だってこう………」
わかってる。このクソ生意気な自称海の一流コックは、料理の腕だけでなくゾロの感情を逆撫でする口もそうとう達者なのだ。
「あああ〜ぁ、そうだな。てめェはまだ手配書も出されていねぇし、てめェの首なんか海軍に持っていったところで一文にもならねぇしな。海賊A」
六千万ベリーを連呼された仕返しにささやかに反撃してみる。そしてサンジのさらなる「口」撃を待ったが、意外にもサンジはそこで黙ってしまった。
「……オイ?」
「ンだよ」
「どうした。なぜ言い返さねぇ」
「別に。いいじゃねぇか。俺ぁ忙しいんだ。こんなところでマリモ頭と遊んでいる場合じゃねぇんだよ」
「じゃあ一体何してるって言うんだ。どこへ行く」
「……いちいちてめェに断り入れなきゃいけねぇ義理はねぇ。消えろ。お前には用はねぇ」
いつの間にかほどけていたゾロの手を今度こそ振り払い、サンジはくるりをきびすを返してもとのとおりに歩き始めた。その背中は、ゾロの存在などもうまるきり念頭にはないという風にきっぱりとしていて、追いすがろうとしたゾロの声を見事なまでに拒絶していた。

(なんだってんだクソっ)
(少しくらい心配したっていいじゃねぇかよ)
いつもこうだ。サンジという人間は、いつだって自分という殻を幾重にも重ねていて、中に踏み込ませようとしない。
夜中に身体を重ねている時、肉体の感覚に溺れてたまさか、ふと少しだけ理性の垣間にサンジの中側が見えたと思えるときが何度かあったが、次の瞬間それもまた別の殻を見ているという気にさせられるのだ。
また日常の何気ない瞬間、それは見張り台の上で一緒に酒を飲んでいて星を見上げた時とか、とんでもないハリケーンに見舞われて一晩中全員がキリキリ舞いした後、射してきた朝日を全員で見やった時とか、天気のいい昼下がり、甲板でそれぞれが好きなことをしてくつろいでいるときに豆の筋をとりながら偶然に視線がかちあったときとかに、あ、と一瞬思うことがある。だがほんの一瞬だ。 
あ、と思ったときの顔は凛とした気配をまとって、それでいながら気高さとか崇高さといった雰囲気とはかけ離れて非常に人間的だ。邪気を含んだ口元。汚いものも等しく見てきたであろう眼。純粋な人間などどこにもいやしない。だれしも影を持っている。多様で混沌、清浄で無垢、いろいろ織り交ぜてサンジという一個の人間を形づくっているように思える。
ゾロはその不可思議に魅せられ惹かれていた。
もっと中を見たい。ちくしょう、ふざけんな。
てめェが隠そうとするなら、勝手に暴いて覗くまでだ。てめェが隠してるモン全部俺が引きずり出してやる。
サンジの背中が狭い路地を曲がるのを見、慌てて後を追った。見失ってたまるものかと。


(クソ)
ゾロが後を追ってきていたのは誤算だった。一旦振り払ったものの、奴の気配がまだ後ろから微かに伺えるところを見ると、あれであきらめていないのだろう。
(どうすっかな……)

あの後。ジェイが語った彼らの一味の目的が『ドクロに麦わらのマークの船に乗った、片目の男』だと判明した瞬間、そこに居合わせたナミ、ゾロ、ルフィ、チョッパーは皆一様にサンジを注視し、そして互いの顔を見合わせた。誰も声に出しては確認しなかったが、全員が事態を正確に把握した。ルフィでさえも。つまり───せっかく誤解されているのだからこの状況はうまく利用すべきだ、ということを。

すでにルフィは顔を知られており、派手に大立ち回りもやらかしているので、彼の役割は決定している。囮だ。今のところルフィは船に待機を命じられ、島に上陸できない不便にぶぅぶぅ文句を言っていたが、そのうちにおもいっきり暴れさせてやるからイイコにしてなさいとナミに言い含められてなんとか従っている。だがそれも時間の問題だろう。面倒くさいことは一切嫌うルフィのことだから、退屈の度が過ぎれば自分からその組織を探し出して殴り込みをかけに行ってしまうだろう。
だが、それはサンジが一番避けたいことだった。ようやく、過去からの長い因縁の源であるこの義眼の意味するところが判るかもしれないのだ。ルフィが殴り込みに行けば、当座ふりかかってくる敵の手は振り払えるだろうけれど、サンジが知りたい情報はまた遠のいてしまうかもしれない。いつまたこんな機会が訪れるかは判らないのだ。

後刻、ウソップとロビンがそれぞれ船に戻ってきて全ての経緯を知らされ、とりあえずまずは情報収集に動くことが決定された。ジェイは知っていること全てを話したとみなされ、放っておかれたところ、いつのまにか船上から姿を消していた。あまり長く居られて余計な内情まで知られるのはこちらとしても避けたいところなので、正直全員ホッとした。チョッパーはもう少し休養をとらせたかったようなことを言い、サンジもまた少年の痩せた身体と色褪せた金髪に胸のどこかがちりちりとしていたところだったが何も言わずに黙って頷いたのだった。


(どうにかして、あのクソ剣士を撒かなきゃなんねぇ)
背後の気配を探りつつ、ゾロから逃げる算段を考える。
ロビンの言葉がふと頭をよぎった。
『コックさん。情報を集める、それはもちろん一番必要なことだけど、その後のことも考えておいたほうがいいわ。あなたがどうしたいか、をね』
ロビンは狙われている対象がサンジだと知って、サンジ自身の意志を尊重しようとしてくれている。船長であるルフィの方針もむろん大事だが、メリー号のクルーは全員、一筋縄ではいかない性格を持っているのを慮って、あえてそう助言してくれた。
(俺がどうしたいかって?そりゃぁ決まってるさ、ロビンちゃん。だからそのためにもあのクソ野郎に傍にいてもらっちゃ困るんだ)
できうることなら、白くたおやかに咲くあの手でクソ剣士ヤロウを押さえ込んでいて欲しいものだが───いや、そんなコトをあの麗しい手にさせるなんてやっぱり耐えられねぇ。クソ緑ハラマキ。てめェはロビンちゃんに勿体ねぇ。

入り組んだ狭い路地を右へ曲がり、左へ曲がりとしながら背後の気配がまだ追ってくるのを確かめて、少し足を速めた。たたっと走り込んですぐ目の前の角を曲がる。入り口はようよう肩幅くらいしかない狭い路地で、暗い先を目を凝らして見ると石壁がそそり立っていた。どんづまりの袋小路だ。
曲がり角の壁に背をつけて、息を殺して待つ。と、すぐにゾロが腰の刀を押さえながら走ってきた。そこへ角から手をぬっと伸ばして胸ぐらを掴み、狭い袋小路へ引きずり込んだ。
「ぉあっ?!」
いきなり引きずられてゾロは素っ頓狂な声をあげた。
「何しやがる!」
「何しやがるはこっちのセリフだ、バカヤロウ!てめェ、ついてくるなって言っているのに何で性懲りもなく俺の後ついてくんだ。いいかげん鬱陶しいんだっ」
「……別に俺もこっちの方向に用があんだよっ。テメーとは関係ねぇっ」
「ほ〜〜〜ぉ、こっちにどんなご用事が?剣豪どの。この先には刀鍛冶屋もなければ、酒場もねぇぞ。ついでに親切な俺様がお教えしてさしあげるがな、商売のお姐さんがたも立っていねぇ」
「………」
ゾロは返答に詰まって視線をさまよわせ、顔を背けてしまった。口をぐ、と引きつらせる。
「オラ、何ンか言ってみろって」
「……何も言うことねぇ」
口を尖らせ、ぼそっと一言だけ返答する。
(ああ〜ぁ、カワイイでやんの、こういうところは、コイツ)
ほんっと嘘とかつけねぇんだよなぁ。馬鹿正直というか。アホ正直というか。
俺も大概アホをやらかすこともあるが。いやキレるというか。コイツの場合は真っ直ぐどかどか進んでそしてそのまま砕けるんだよな。
俺は自分がとんでもなくひねくれたガキだったこととか、それが成長につれて性格が直るどころかひねくれかたに年季がいっただけだということも実は充分自覚している。だけどコイツの場合は真っ直ぐ素直なコドモだったんだろう、と思う。そうして子供時代に大きな夢を抱いてしまったがために、ひねくれたり脇道へ迷ったりすることができなくなってしまったんじゃないか。
こんなアホみたいに真っ直ぐなヤロウ、見たことねぇ。駆け引きとか、裏取引とか、一切しねぇ。いやそうじゃなくて、知らねぇんだ、てめぇは。
あーあ、こんな奴とつきあってたら、本当に命がいくつあっても足りないね。でも楽しいんだ、困ったことに………俺もいい加減終わってるかもな。

だがな。

ぷい、と顔を背けて黙ったままのゾロの横顔に、サンジは手を伸ばした。そのまま顎を捕まえてぐい、と自分を向かせる。
「な」
にしやがる、という言葉はそのままサンジの口の中に消えた。
噛みつくように重ねられた口は、そのまま深く相手を捕らえ、舌がゾロの口腔内を蹂躙した。
ゾロは目を白黒させ、手をサンジの胸に突っ張り、押しのけようとしたがもともと狭い路地のこと、動き回れるほどのスペースもない。後ろの石壁に押しつけるようにしてサンジの身体がのしかかってくるのを口腔内に侵入するぬめった舌の感触と共に拒めずにいたところ、さらにサンジの手がゾロの顔の両脇を囲うように背後の壁につけて、頭も動かせない状態に追い込んだ。逃げようと思っても、左右にサンジの腕、正面に顔、後ろに壁があって完全に囲われている。
「む、う」
唾液が唇の合わせ目からこぼれ、ゾロの顎をつう、とつたった。次の瞬間。
がり。
「うっ」
サンジがす、と身体ごと唇を離す。口角からうっすらと赤い唾液が垂れてきた。それを手の甲でぬぐいながら、
「……ひでぇ。コックの舌に噛みつくたぁ」
「ッッッ!もとはと言えば、てめェがっ!」
「んだよ。だっててめェ、ヤりたいんだろ?だから俺の後追っかけてきたんだろ?いいじゃん、ヤってやるよ。どっか入ろうぜ」
「ちげぇッッ。お前、本当にそう思ってンのか」
「だってよ、俺らの間に他に何ンかあんのか?ええ?」
ゾロは何かを言おうとして、口を開けた───が、言葉を発することなく、そのまま力無く閉じて、ただ眉根に皺をぐいっと寄せたままサンジを睨み付けた。 
「そんなんじゃねぇ───。俺は、ただ」
ようやく発した言葉は、低く、ようやく聞き取れるくらい小さく。
「ただ?まさかてめェ、俺のこと心配してるなんてクサイことほざくんじゃねぇだろうなぁ。やめろよ、気持悪ィからな。剣一筋の筋肉フェチはそれだけ考えていればイイんだ」
今度は明らかに気分を害した様子で、ゾロは顔を背ける。そのまま路地から出て、来た方角へと歩き去ろうとした。が、二、三歩歩きだしたところで、ふいに立ち止まり、早くも煙草に火をつけているサンジを振り返る。急な動きに腰の刀ががちゃりと鳴った。
「てめェが俺をどう思っていようが構わねぇが、他のヤツラは心配してる───てめぇが一人で放っておいても平気な野郎だってことはちゃんと判ってるが───それでも気にかけちゃぁいるってヤツがいるこたぁ覚えておけ」
言うだけ言うと、もう後は振り返らない。大股に石畳をガツガツとブーツをたたきつけるように歩いてゆく。サンジはその迷いのない背中に向かって呼びかけた。
「ぞぉろ。アイしてるぜ?」
へへっと笑う。
(はっは。いい言葉だなぁ)
愛だの恋だの。俺らには一番遠い言葉だから。だから軽々と口に出せる。だって誰も信じちゃいないから。この煙と一緒だ。口から出る傍からすぐに消えて見えなくなっちまって後には何も残らない。そんなモンだ。
心配するなんて、そんな羽で耳先をくすぐるようなこと言うなよ?キモいじゃないか。俺らもう膝を抱えてうずくまっているガキじゃねぇんだから。見ろ、鳥肌立っちまったじゃねぇか。てめぇのせいだ。こんなに背中がぞくぞくするのも、手がどこか縋り付く場所を探ってしまうのも、全部てめぇのせいなんだからな。このクソ野郎。

しばらく煙を吸ったり吐いたり遊んで、空に溶けてゆく白い流体を目で追いかける。そうやって緑頭の剣士のことを綺麗さっぱり意識から閉め出すと、サンジもまた別方向へ歩き出した。




 

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