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パラキシャル フォーカス(18)




 チャプ、チャプ、と波が船体を洗う音がする。
 静かな入り江に停泊中なので揺れもほとんどなく、空気も穏やかなそんな夜だった。外海では潮の匂いしかしない風も、これだけ岸に近ければ森や木々の匂いが混ざっている。なにより、それは土と大地の匂いだ。
 すでに夜も更け、夕食後の喧噪もなりを潜めてクルーは皆寝息を立てている、そんな時分。
 最後まで灯っていたラウンジの灯りもとうとう消えて、サンジがジャケットを肩にひっかけて出てきた。
 ───と。
 暗がりからのっそりと手が伸びてきて、サンジの腕をつかむ。
「クソコック」
「───っ?!」
「ばッッ!テメ!なにストーカーみたいな真似さらしてンだ!昼間といい、今日のてめェはオカシイぞ?」
「てめぇ、何のつもりだ」
「何だって?アアン?またサカッてやがンのか?だが残念だな、今晩はヤんねぇぞ。昼間ンときちゃんとお誘いしてやっただろ。アンときノッてこねぇで今更」

 ちっ。とゾロが舌打ちをする音がした。

 ああ、なんだってんだコノ野郎。いつもいつも腹ン中見せやがらねぇで勝手に苛ついたり腹たてたり。だいたいてめぇは言葉っつーもんが絶対的に足らねぇんだっつの。少しは人間語話しやがれこのクソマリモ。
 胸の中で立て板に水のごとく罵り言葉が流れていったが声に出すことはなく、口を噤んでゾロの言葉を待つ。

 最近、ほんのちょっとだけ覚えたことがある。コイツは、こっちが喋っていると自分を引いてしまう。コイツに喋らせるにゃぁ、こっちから仕掛けるんじゃなくて、一歩引いて待ってみるんだ。するとしょうがないからってんでコイツから一歩近寄ってくるのさ。へっへ。ドーブツだね。
 しばらくサンジはゾロに腕をつかまれたまま茫洋とした表情を保った。
(まあ、これくらい暗ければ顔なんて見えねぇだろうけどな)
 押し黙ったままの状態に耐えきれず、ようやくゾロが重い口を開いた。
「さっきのアレぁ、何だ」
「アレって」
「てめぇ一人でカタをつけるって、アレだ」
「ああ。船長の許しも出たしな。好きなようにやるぜ?」
「ふざけんな。みんなは誤魔化せたかもしれねぇが。巻き添えにしないようにとかまた考えてやがンだろ。いっつもそうじゃねぇか」
「……ゾロ。ゾロゾロ、そうじゃねぇ」
 なんとかゾロの言葉を遮る。いやもう、確かにそれは考えてっけどな?だってしょうがねぇじゃんかよ。ナミさんとかロビンちゃんとか、ヤバイ奴らに巻き込まれさせたくねぇし。
けどな。
 今回のコレはムズカシイんだよ。相手がどう、とか言うんじゃなくて。

 サンジは暗闇の中で目を凝らし、懸命にゾロの表情を確かめようとした。どう言えば、この直情バカに通じるんだ。俺の中ですらまだ整理できてねぇってモンを。

「俺は」
「………」
「俺は、知りてぇだけだ」
「………」
「ただ、何を知りてぇのかすらよく判らねぇ。そんなふらついた気持ち抱えたまま、仲間を危険にさらすわけにはいかねぇ──ポンと出会った謎とか冒険とか、そういった気楽なモンじゃねぇんだ。俺がかかずらわってることに命賭けて欲しくねぇ」
「………」
「……だから……」
「──わかった」
「?」
「てめぇが怖がりの臆病だってことがわかった。ルフィに言われるまでもねぇ」
「んだと?」
「だから自分だけでカタをつける、ってところが単純バカだ」
「てめェ!言うに事欠いて、俺のどこがバカだって!」
「おめェの言うことは全てかゼロか、だ。なぜ中途で妥協しない?っていうか歩み寄るとかしてみろこのグル眉。手伝って下さいってお願いしろなんてこたぁ言わねぇが、ちょくと手を出すことくらい認めろってんだ」
「………」
「ナミとかがな。宝、宝〜ってなると隠しておきてぇモンすべて容赦なく暴きだすのもイヤなんだろう」
「………」
「図星か」
「………」
「いいぜそれでも。そうでなくても。俺だってやりたいようにやる。まあそれだけだ。この船に乗ってる奴ら、止めても止められない時があるっててめェよく知ってるよなぁ?」
「バッ!バカ、アホ、このクソ剣士、おめェが止めなかったら誰が奴らを押さえておけるんだよッ!」
「はっは!やっぱりそうじゃねぇか!てめぇ、俺を重しに使おうとしたな?まあルフィが動けば話は別だが、とりあえず俺が動かなければ牽制できると踏んだんだろう」
 ち、という舌打ちは今度はサンジの発したものだ。
直情バカと思っていたがなかなか頭がまわるじゃねぇか、やっぱり芝生頭にたっぷり光合成させてたのがよかったのかねぇ。
 暗闇の中、サンジはほんのり笑う。どうせ見えちゃいまい。
夜闇に紛れてつくため息は気付かれてはならないが微かに色を含んでいた。ほらな?ゾロ。俺はこんなにてめぇに惹かれてる──が、まあ、今はそんなことより。

「好きにしろって言おうが、止せって言おうが無駄だってこったな」
「ああ。そういうことだ」
「それでも、だ。他の皆はなんとしても関わらせるな」
「……オイ、それって──」
 俺はいいってことかよ、と言いよどむが、その先をサンジは言わせずきびすを返しながら面倒くさそうに続けた。
「わかったな。じゃあな、俺は寝る」
 甲板を歩き去る音が小さくなると、後に残されたのは船体を洗う静かな波の音と───眉間に皺を寄せた男だけだった。




 

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