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パラキシャル フォーカス(26)




■思案



 ──オキーフさん。奴らの船から例の三本刀のヤツが出てきました。うちの雑用を連れてます。
 ──どっちへ向かってる?
 ──とりあえずは港の方角へ。例の金髪コックの後を追って行くのでしたら、もう今晩はアミタブ港行きのバスがありませんが……。
 ──島の横断はしないのかもな。
 ──するってぇと、別口で行動してるんでしょうか。
 ──わからないな。とりあえず見失うんじゃないぞ。
 ──あと、うちの雑用小僧はどうします?
 ──さりげなさを装ってなんとか接触しろ。そして小僧に言って、三本刀、ロロノア・ゾロだったな?の目的を探らせろ。
 ──へい。

 電伝虫の受話器を置くと、オキーフはゆっくりと椅子に深くもたれかかった。瞼を閉じてしばし思案する。
 こんな時間にまたひとり船を離れた、だと?街の娼館や飲み屋へ行くのなら分るが、小僧を連れて行くならば違うだろう。夜に動くとは我々の目を欺いたつもりか。まあ、小僧を連れているのは意外だったが都合がいいかもしれん。
 ノースの街角で拾ったのは気まぐれの産物だったが、目はしは効くし、よく働くのでオキーフは割とジェイのことを気に入っていた。もちろん、道具としての意味ではあったが。
「ロロノア・ゾロ、か……」
 サイドテーブルから手配書を取り上げる。六千万ベリーとは結構な額だ。もう一枚、モンキー・D・ルフィの手配書と見比べて思う。こんな脳天気な顔をして一億ベリーというのは納得しにくいが、こっちの手配書の顔はなるほど六千万の面構えだ。精悍な、と言っていい顔立ち。誰かと交戦しているところを撮ったのか額から血を流しているが、画面から離れた箇所に焦点を結ぶ目には自信と力強さが見て取れる。
「三刀流の剣士、だったな」
 この顔つきといい、得た情報といい、生粋の戦闘要員であることは間違いない。麦わらの船長が送り出したのだとしたら要注意だ。だがしかし、所詮はひとりだ。コックと合流するにしろそれでもふたりにしかすぎん。話にならん。取り囲んでしまえば数に勝るこちらが圧倒的に優位なのだ。まあ目的が知れるまでは慎重に見守るさ。今まで時間はたっぷり掛けた。気の長さと忍耐強さには自信がある。それは我ら北の海の者の持って生まれた特質かもしれん。あの灰色の空と荒れた海の。
 オキーフはハスケルバイン社の本社社屋を思い出していた。この航海に出てからだからもう半年以上も戻っていない。故郷とか友人とかに対してノスタルジーを感じるような人間ではなかったが、敬愛するボスにこの任務の成功を報告している自分を想像するのは、少しく愉快だった。
 姿がそのまま逆さに写るくらいにぴかぴかに磨かれた大理石の床は、歩を進めるたびにその靴音を廊下に響かせることだろう。ぴんと張りつめた本社独特の雰囲気は、訪れるたびいつもオキーフに創業者で最高権力者でもある人物への畏敬の気持を呼び起こさせる。最高級のマホガニーの扉をノックしてあの方の「入れ」という声を聞き、そして──
 もうすぐだ。もうすぐ全てがうまくいく。そしてあの方の信頼を勝ち得て、俺は組織内の階層を大きく上がってゆく。



■ふたり旅



 ゴーイングメリー号から離れたゾロは、ジェイを連れて街へと入った。通常の店はとうに閉まっているがまだまだ歓楽街は賑やかな時刻、目立たぬように裏通りを選んでとりあえずの安宿に落ち着いた。
 船を降りたところを見られたろうか。宿は裏通りに面した部屋を頼んだ。いざとなったらそこから飛び降りて逃げ出すことができるように。カーテンの影から寂れた通りを見下ろして、追跡者がいないかどうか確認する。
 ドアにはチェーンをかけ、ドアの前に椅子を置いた。
 そうしておいてジェイを振り返る。ジェイは呆けた表情でゾロの一挙一動を追っていたが、こうして視線をあわせるとふと俯いてしまう。
「別にとって喰いやしねぇよ」
 苦笑して、ゾロは刀を腰からはずす。ジェイの目が刀のほうに吸い寄せられるのを見て、さらに苦笑した。
「俺が怖いか」
 黙って棒立ちになっているジェイに近づくと、その前にしゃがみこみ、下から顔を覗き込むようにした。
「別にてめぇを人質にしようとか思って連れてきたわけじゃねぇ。逃げさえしなきゃ何も酷いこたぁしねぇから、今日のところは、寝ろ。明日からちょいと動くし、その合間に聞きてぇことは聞く」
 ベッドはそっち使え、と指示して自分はもうひとつのベッドにベッドカバーの上からごろんと寝転がった。天井を眺め、細く息をつく。
 とりあえずまずは船から出たが、これからどこへ行くか。ジェイを連れてきたのは情報を得るためだったがどうやってこの怯えまくっているガキから言葉を引き出すか。手がかりはいやになるほど少ない。敵は得体が知れない。コックの意図も。
 頭の下に敷いた腕を引き出し、腹巻きに手をあてがう。考えろ。コックがコレを俺に残していった意味は。
 いつの間にか、ジェイは静かに隣のベッドにもぐりこんで、すうすうと寝息をたてていた。ゾロに対してとりあえず安心とまではいかないものの、疲労には逆らえなかったらしい。なんといってもまだほんの小さなガキである。大人達の間に混じって暮らしているので年の割におとなびているものの、体力、体格はそこいらの子供と同じで、特別なものは何もない。
 シーツが形作る体の輪郭が、こうしてみると本当に小さい。もちろん一緒に歩いていて、頭の位置が自分より遙か下にあるので当然判っているはずなのだが。ベッドの中で膝をかかえるように小さく丸くなっていることもあって、酷く頼りなげに見える。
──そんなことはない。俺がコイツに同情など。
 枕の上に散らばる細い髪もまた稀薄さを伴っている。
(コイツの髪もコックと同じような色だな)
 手を伸ばし、ジェイの髪をほんの一房つまんでみる。サンジの髪と似ているがジェイのほうが少し色合いが薄い。サンジの髪を豊穣に実った小麦畑とすると、ジェイのソレは刈り入れ頃にはまだ時が足りない、成熟を待たねばならないもののようだった。
(コックの髪も昔はこんな色だったんだろうか)
 埒もない、あり得ない筈のことを思ってしまうのは、自分に残されたメッセージが解けない苛立ちに、心が逃げようと弱音を吐いているせいだろう。
 ベッドから跳ね起きて、ナミからせしめた海図を全部備え付けのデスクの上に広げる。乗り切らない分は周りの床やベッドに落ちたが、面倒なのでそのままにしておく。
 この島を中心とした海図を一番上に広げ、腹巻きの隠しから、エターナルポースを取り出して覗き込み、また海図へ視線を落とし、またエターナルポースに見入ることを延々と繰り返した。そして別の海図を引っ張りだすと、同じような動作を繰り返す。そうやって夜が更けるまでひたすら海図とエターナルポースとをニラんで、気が付いたら散らばる海図の上に突っ伏していた。何秒か何分か分からないが眠ってしまったらしい。そうしてようやくゾロは海図とエターナルポースをしまうと、灯りを消してシーツの間に体を横たえた。柔らかい陸のベッドで眠るのは久しぶりなのになんだか物足りねぇ、なんでだ、とゾロは思った。泥のような眠りに引きずり込まれながら、コックの白い裸身が頭の隅にちらりと浮かんで答えがわかったような気がしたが、すぐに意識を手放して後は何も覚えていない。





 朝になり、宿を引き払うとゾロとジェイは真っ直ぐに港へ降りてそこからサングヴィ行きの定期船に乗った。サングヴィはここから真西にあたってここと同様、ここら一帯の島の航路のハブになっている。実際グランドラインのここら辺は島が多い。どこの島へも一日か二日の距離なので定期船の運行も多く、物資も人の行き来も常に一定数で安定している。
 ジェイは船縁りの手すりにもたれて前方を見ている剣士を眺めて、どうしてこんなことになったんだろうと不思議に思った。
 ほんの少し前までは、もう少しで故郷に帰れると、そのめどがついて小躍りするほど嬉しかったのに。
 こうして落ち着いて見るとこの男はそんなに怖い顔をしているわけではない。ただ、いつも真っ直ぐに人を見る視線があまりにも突き刺すようで、自分の奥の奥まで見透かされてしまうようで怖く感じるのだ。今はその視線がこの船の針路を見ている。針路、と行っても360度どこを見てもただ同じように青い海原が広がっているのだけれども。進んでいくこの先には、この男には他の人間とは違うものが見えているのだろうか。
 逃げたいと思わないではなかったが、逃げてもその先のあてがあるわけではなかった。旅費もなく、船の中では逃げようがない。この男もジェイが逃げるなどとは思っていないかのようだ。それにしても、とジェイは思う。自分など連れてどうしようというのか。話を聞くとか言っていた割には自分に向けては最小限の言葉しか発していない。
 隔壁に背をつけて甲板に直に腰を下ろし、膝をかかえて陽の光を浴びる。ここのところびくびくしたり過度に緊張することが多かったので、何もしようがない、何もすることができない今の状態はかえって精神的にリラックスできた。
潮風が心地よくて日差しも暖かくて、そのうち段々瞼が重くなって自然と首が前へ落ちた。




 

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