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パラキシャル フォーカス(27)




 ■沈思



 あのコックがコイツを俺に置いていった理由はわからないが───
 遠くの水平線を見ながらまたゾロは考えていた。
 とりあえず、コイツの指している先を目指すしかない。おそらく、そこにヤツは居る。このエターナルポースの指し示す先で何があるのかは判らないが、少なくともヤツも別のルートでそこを目指しているはずだ。しかしコレを、船長であるルフィや、航海士であるナミでなく、何故俺なんかに?ゴーイングメリー号で追ってきてもらったほうが遙かに効率もいいし、仲間全員の後ろ盾という絶大な安心感があるだろうに。
 しかしそれを考えた一瞬後、イヤそれはありえねぇ、と打ち消した。あの自尊心のカタマリのコックが「俺の問題だから手をだすな」とまで啖呵切って、何も言わずひとりで飛び出したのだ。
 ───ならなぜ、コレを俺に?
 考えても考えても、同じ箇所で引っかかる。
 まさか。まさかな。
 俺がヤツにとって特別なんてことはあり得ねぇ。
 確かにヤツとはたびたび身体を重ねているが、それはまあ、ちょっとした遊びというか。今となっては最初になぜそんなことになったのかすら思い出せない。多分、酔った勢いだったのだろうとしか。
 最近はどちらからともなくヤろうぜと誘い合うのだが、それは目配せとか、ほんのちょっと肩をすくめるとか、顎をあげるとか、それこそ二人の仕草を視線をはずすことなく観察でもしていない限りわからないような僅かなサインにすぎなくて、でも間違いなく二人の間ではそれで通じていてその後は必ず格納庫で深夜コトに及ぶのである。
 でもそこまでコミュニケーションがとれているといっても、セックスの最中とか事後とかは特に甘い会話をするでもなくて、あくまで、ヤるか、おういいぜ、に限るだけのものだった。

(だからそんな遊び相手にすぎない俺になぁ)
 セックスの相性はひどくいい。特に最近はもう、サンジの白い裸身を想像するだけで下半身に血が集まるのをしっかり自覚する。薄暗い格納庫でほんのり浮かぶ裸体はすべらかで、どこを触っても反応が即座に返ってきて非常にエロい。のけぞる喉とか、その先に見える顎のラインとか、普段昼間の生活では絶対見られない角度で、そそられる。絶頂近くなるとサンジは声を我慢する分首を振ってやり過ごそうとする。そうすると、汗で湿った金髪がぱさり、ぱさり、と床を打ってそれがまたゾロの嗜虐心をあおるのだ。そうなるともう止まらない。止められない。理性も何もかなぐり捨てて、「サンジ」をただひたすら味わう。

 ──欲しい。
 その気持を単なる欲、と呼ぶのか、一般的に甘く言うところの恋、と呼ぶのかはわからないが。
 ただこのどこまでも計り知れない、奥の知れない男を手に入れたい、手放したくない、と思う。そう思うようになってからどれだけ経つだろう。
 だが、ヤツに対して何らかの欲を見せたら終わりだ、とも思う。向けられた熱を感知したならばすぐに身をひるがえしてかわされるだろう。それならばこのままの状態でいいととりあえずは満足していたのだ。少なくとも少し前までは。
 その「均衡状態」が───
(それを崩したのは、俺の方なのか?)
 そういえば、この義眼を欲しい、と言ったのは自分だ。そのときは特に深い考えもなく口を突いて出てきた言葉なのだが。 

 でもヤツは逃げてはいない。
 最初、この義眼を見たときは形見か手切れ金代わりかとも思ったが──
 エターナルポースの意味は明白だ。「ここへ来い」──義眼の正体に気付くかどうかは賭けだったろう。それにしても。
「もしかして、もしかしたら」
 いやいや期待するな期待するな。あの男は猫と一緒だ。捕まえようとするとするりとぬけだし、手の届きそうで届かないギリギリの距離からこちらを伺っている。

 あの目が。
 片方しかないくせに、あの目はいつも挑戦的だ。やってみろ、俺を喰らってみろと誘いつつもけして屈服しようとはしない。
 その目に溺れる。身体を蹂躙し、性器を突き立て、快楽に意識を飛ばさせはしてもあの目だけは膝を折ることはない。
 
 だがもしかして、ともう一つの可能性に思い至って頭の芯がざっと冷えた。
(コックのメッセージを違えてたら?)
 義眼に仕込んだエターナルポースが、ハスケルバイン社の狙っている例のモノであることは確かだ。それなら、コックがわざとコレを置いていった意味は、コレの安全を優先したということを意味しやしないだろうか。とするとコックを追ってこれを運んでいくということはおそらくコックが意図したと逆なことをしていることになりはしないか。

 考えろ、考えろ──。思い出せ。ヤツの言ったことを。なにげない仕草を。何かヒントが隠されてはいはしないか。

 日が傾いて風が夕方のそれになり、ジェイが肌寒さを感じて目を覚ましても、眠りに落ちる前と同じ姿勢のままゾロは色が変わった海と空の境目をただ見つめていた。


■尾行



 サングヴィに着くと、次の定期船は翌朝出航だというので、またしてもゾロとジェイは適当な宿をとって一晩過ごすことにした。
 定期船の到着で迎えの者とがごった返す埠頭で、ジェイはとん、と背中を押されてつんのめった。
「お、すまんね」
 商人風のちょっと太ったにこやかな男がジェイを見下ろして詫びの言葉を言う。
「大丈夫だったかい」
 そのままその男は手をさしのべてジェイが立ち上がるのを助けようとした。ジェイは素直にその手を握り、
「平気です。ありがとうございます」
 さっと立ち上がって服の埃を払うと、そのときには既に背を向けて歩き出した剣士の後を追った。
 その様子を見た商人風の男は、にこにことした笑みをさっとひっこめて、背後にひっそりと立っていたこちらは痩せて背の高い男の耳にこっそりと何事かささやくと、ジェイ達とはまったく別の方角へと歩き出した。
 背の高い男はしばらくその場でぼんやり港の喧噪を眺めているように見えたが、ジェイがかなり離れて視界から消えるその直前に後を追い始めた。



 ■ゾロとジェイ



「腹ぁ、減ってるか」
 適当な宿に落ち着いた後、ゾロはジェイに声を掛けた。今にも夕陽はその名残の残滓を空からぬぐい去ろうとする時刻、そろそろ街は昼間の一般店は戸締まりをし、替わりに酒場や飯屋が上品なものからいかがわしい裏通りのそれまで段々と扉を開放し始める。
 ひとりで旅するならば、ゾロはそれこそ適当に酒と飯にありつければそれでいい。今はナミからある程度の軍資金をもらっているので(貸しているだけよ、とナミなら主張しただろうが)、安いが一応個室の宿にも泊まれるし、食事も贅沢さえしなければまともな飯屋で食べられる。
 そういや、考え事ばかりしていて、コイツとまだまともに話もしてねぇな、とゾロは思い至った。調度いい、食事がてらコイツから何か引き出せねぇかやってみるか。
 ジェイは、街へ何か食いに行くぞ、というゾロの言葉に逃げられるかも、とちらと思いはしたが、別段この剣士は今のところジェイに向かって害をするようでもなし、三食食べさせてもらって寝床もあるので、何か進展がない限りはとりあえず行動を共にするしかなさそうだと考え直した。それに──
 先ほど港でさりげなくジェイの手の中に滑り込まされた紙片を見たところでは、仲間が彼らの後を追って来ている。正確には彼らジェイとゾロの二人ではなく、ゾロを追って来ているわけだが。
 紙片には「落ち着いて、次の指示を待て」とだけあった。まずは仲間の存在を知らせたわけだ。それなら。次にコンタクトがあった時に備えてこの剣士の目的を探っておくべきだろう。
 ジェイは自分が、仲間達の中で特別重要な存在ではないことを重々承知していた。それどころか常に忘れられないようにと、彼らにとって役に立つ存在であるとアピールしなくてはならないとも。
 だからさっき仲間が後を追って来ていることを知っても、それは誘拐された自分を救出するためではなく、「片目の男」に関する一連の作戦行動のひとつだろうと悲しいかな察することが出来たわけであった。

 街は宵闇の中に灯りを浮かび上がらせ、行き交う人びとの喧噪が遠く近く、意識がぼうっと持ってゆかれる。前を歩く三本刀の剣士の背中を見ながら、なぜこんなに自分に対して無防備にしていられるのか不思議に思った。自分が逃げるとか、はぐれるとか思わないのか。
 あちこち飯屋や酒場を物色しながらも、ゾロは一度も背後のジェイを顧みることがなかった。その悠然たる背中が逆にジェイを引き寄せる。きっとこの男は剣を抜いたら非情なまでに強いのだろう。シャツの上からでもわかる、引き締まった無駄のない筋肉。それでいて、力自慢の港湾の荷運び人夫のように腕や首筋がガチガチ盛り上がっているわけでもない。きっとこの筋肉はパワーだけでなく瞬発力、持久力全てを兼ね備えているのだろう。実用的な。そう、剣を振るうために。
 強い男、力のある男は組織の中にも何人もいたが、目の前の背中の持ち主のような男はジェイにとって初めて見るタイプだった。静かな自信、とも言うべきものがあふれ出ているような。

 入った飯屋は土地の人間でごった返していた。ゾロはジェイに聞かせるともなく、こういうとこの方が美味ぇモンがある、と口の端を上げて言うと、奥の席で壁を背後にし、店の内部全体を見渡せる位置に落ち着いた。運ばれてきた料理は海の幸を中心としたもので、豪快で量がたっぷりとあり、ふたりでがつがつとむさぼった。

「で」
 ほとんどの皿を空にしたところで、ゾロが酒瓶を手にようやく初めてジェイに向かって口をきいた。
 ジェイは、まだ皿にむかって最後の数口を食べていたところだったので、上目遣いにゾロを見る。
「てめぇが知っていることを最初からもう一度話せ」
 大急ぎで口の中のものを飲み込むと、ジェイは左右に目を泳がせて言いよどんだ。どこから何を話せばいいんだろう。
 このように周囲を人で囲まれた、在る意味オープンな場所だが、却ってこういった場所のほうが聞き耳を立てにくいということをゾロは知っていた。適度にざわめいていて、口調と声の大きささえ気をつければ、会話が他の客に聞こえることはない。当然、そこらへんテーブル間の距離などは最初に見て取っている。ゾロという人間は普段の生活態度から大雑把な神経の持ち主に見られがちだが、意外と細やかな気配りができるし、思慮深い。ただそれが発揮されることは船上ではほとんどなく、主に戦闘前など特殊な状況下に限られた。サンジなどはそれを揶揄して「本当にお前は本能で動くヤツだな」などと笑ってはいたが。

 ジェイはぼそぼそとゴーイングメリー号でナミたちに向かって話したことを繰り返した。出航から先回りしてあの島でメリー号を待っていたこと。その後ようやくターゲットが片目の男であると告げられたこと。オキーフの冷酷な人となり。ルフィを襲ったこととその後にメリー号を見はったこと。あの朝サンジを見かけてから視界から消えるまでの様子。
 ゾロは酒瓶を傾けながら黙って聞いていた。話し終わってジェイがまた下を向いて黙ってしまったので、何とはなしに空になっているジェイのコップに手の中の酒を注ぎかけ、瞬間ためらったが、「ま、お前も海に出たんなら、酒くらい飲めるようになれ」と少しだけ注ぎ、そばにあった水差しから水を足してやった。「ほれ」
 ジェイは水割りを手にすると、少しだけ口に含んでしばらく味を確かめたのちにごくりと飲み込んだ。ちょっと苦い。けど。
 ふたくち、みくちと飲み進むうちに、だんだんと苦さが気にならなくなって、逆にこの新しい味わいをもっともっとと舌と喉が欲するようになってきた。つがれた一杯を飲み干したときは、なんだか急に周囲の灯りが増えたような、そして人々のざわめきが増したような感覚が湧いてきて、沈んでいた心が浮き立ってきた。
 だいじょうぶ。オレはきっと帰れる。母さんのもとへ。今はできることをやるだけだ。それがすんだら、ノースブルーのあの街へ帰れる──
 ジェイの意識はいつしかふわふわと漂い、そして沈んでいった。




 

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