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パラキシャル フォーカス(29)




 ■ほのかな思慕



 サングヴィから出航した定期船からまたさらに船を乗り継ぎいくつかの航路を辿り、ある朝ふたりは聖ガブリエル島というのどかな島に着いた。
 秋島か冬島か判別しにくいが、とにかく少しグランドラインの航路上よりも吹く風が冷たい。小さな港で船を降りたのはゾロとジェイと、あと数名しかいなかった。サングヴィからの背の高い尾行はとうに別の人間とその役目を交替してジェイに別れを告げていた。

「とりあえず、メシだな」
 ゾロはぼそっとジェイに向かって言うと、僅かに見えている港町へ向かって歩き出した。
 この島はここいらに固まっている島々の、かなりはずれの方に位置しているらしく、ここへの定期便は船自体が小さく、また三日に一度という頻度だということを考え合わせても、ド田舎と言っていいくらい鄙びた島だった。
 もともと島自体が少し寒い気候なのか、たまたま寒い時期にあたったのかは判らないが、見える景色は陽光が弱いせいか少しばかり侘びしく、風は肌をぴりっと突き刺す。ゾロはあまり頓着した風には見えないが、ジェイは明らかに自分の肩を抱いて寒そうにしている。しょうがないので飯屋に入る前に見かけた古着屋で適当に上着を買ってやった。
 古着屋のおかみは、腰に刀を帯びた目つきの悪い男と少年の組み合わせを見て、怪訝そうな表情をしたが、とりあえず害はなさそうであるし、別段とりたてて仲が悪そうでもないので、ただ好奇心から、
「お客さんたちは、今の船で着きなさったのかい?あまり似てないけど、兄弟?」と尋ねた。
 意外な質問を向けられて、ゾロは片方の眉だけ器用に上げておかみを見る。今までの旅程上では、ゾロの人を寄せ付けない雰囲気に気圧されて誰もそんなことを正面切って尋ねてくる輩はいなかったので。
 ジェイはこんなとき自分は黙っているのが得策と判っているので、返事はしないものの、どう返事をするんだろうとゾロの顔を横目でうかがう。
「──違う」
 瞬時に否定したゾロだったが、
「あー……、兄弟じゃねぇ。が、遠い親戚ってヤツだ。コイツの親とオレのオヤジが……従兄弟だっけ?まあそんなようなモンだ」
「あらそう。やっぱりねぇ。どうも似てないと思ったのよね。それでこの島にはどんな目的で?観光、ってことはないわよねぇ。こんな季節に。まぁこの島も夏なら避暑にはちょうどいいと思うわよ。何もないけど、とにかくのんびりはできるしね。港の向こうの丘へは行った?あらあら、着いたばっかりだったわよねぇ。もし時間があればね、島の反対側にある丘へ行ってみるといいわ。海が見下ろせてそりゃあ綺麗な眺めなのよ。あの丘にはね、なんだかわからないけど教会の廃墟があってね、昔なにか儀式をしてた名残らしいんだけど、誰も知らないの。ちょっとしたミステリでしょ? 夏にはそこを観光客用にオープンにしているの。ステンドグラスがそりゃあもう見事なのがあるのよ。それくらいしか観光名所になるものはないんだけど、あとはほら、この島の特産と言ったら、牧草地で山羊と羊を飼っているから、それによる毛織物製品くらいかしら。でもここの羊はいい牧草食べてるし、品種もいいの……だからこのジャケットは古着にしては造りもしっかりしているし、目の詰んだいい生地だしね。お買い得だと思うわ。どう?」

 ええと。
 どうっって言われても。
 従兄弟で丘でステンドグラスで羊?
 なんでこのオバサンはこうもフレンドリーなんだ?俺とコイツが親戚だってだけでどうしてこう観光案内から特産品のお薦めまでまくしたてるんだ?
 あまりにいちどきにそれも一方的にしゃべりまくられたので、どう返答したらよいかとっさに思い浮かばず「う」と喉の奥で声がひっかかった。
 なんとかかんとか支払いを済ませ、店を出る。
「ありがとうございましたーぁ!また来てねーぇ!」
 おかみは店の前まで出てきて、大きく手を振っていた。
 

 暖かい上着のおかげで肌を刺すような風も気持ちよい心地に感じられるようになった。
 店を出て、次に食事のできる店を探しながらつらつらとゾロは考える。
 こんなときにあのアホコックならば、上手に調子を合わせて、手際よく買い物を済ませてゆくんだろうに。そういえばコックが消える直前に一緒に酒を買ったときも、店のおばちゃんやオヤジと長々と話し込んでいたっけな。そりゃあもう楽しそうに。アイツはああいうときは実に自然に人の中に溶け込むことができる。老若男女、市井の、普通に生活している人々はみなアイツを諸手をあげて受け入れる。俺ぁダメだ。俺は大抵、顔つきやら態度やらで初対面の人間からはまず警戒されてしまう。別にこっちから仲良しごっこをしたいわけでもないし、知らねぇ人間と話すのは好きでも得意でもねぇから、却って好都合なわけだが。
 あのアホコックはそうやって人と関わるのが好き、みたいだ。まぁ特に女性に対してそれが顕著ってのはご愛敬だが。
 そしてそのくせ、最後の最後にはそういった関わりを惜しげもなくぽんと軽々背にしてまた独りの世界を築き上げるのだ。
 ゾロの脳裏にサンジの顔が思い描かれる。酒屋で楽しげに笑うサンジ。大口を開けて笑う。くわえ煙草が唇にはりついてぷらぷらしていた。次には一転して甲板で遠くを見つめるサンジ。あれはルフィがものもらいで大騒ぎした直後だったか。ルフィがサンジの義眼を初めて話題にして、その後アイパッチ騒ぎになったあと、サンジはすい、と皆に背を向けて水平線の彼方を見つめていた。陽と陰。動から静へは一瞬だ。どっちがヤツの真に近い。
 寂しがりに見えて、実はこの世の最後のひとりになっても、平気で生きていけるんじゃねぇか、アイツなら。

 ジェイがつんつん、と袖を引かなければ短いメインストリートを通り過ぎてそのまま森の中へ入ってしまうところだった。
「悪ぃ。考えごとしてた」
 ジェイは目を丸くしてゾロを見て、でもしごく機嫌がよさそうにふわりと笑った。んん?とゾロが怪訝そうに眉根を寄せる。
「何だ?」
「ううん。なんでもない……ちょっとね、嬉しかったから」
 ジェイは、さっき店のおかみが兄弟かと尋ねたときにゾロが一旦は違うと即答したがすぐあいまいに遠い親戚と誤魔化したのが、なんだかとても嬉しかった。別にそれは方便にすぎないことはわかっていたけれど、そうゾロが言い、そのように受け取られたのがなぜかくすぐったいような気分をジェイにもたらした。
 だってね。
 ただの知り合いでもよかったんだよ?だけど遠い親戚だってさ。オヤジ同士が従兄弟だってさ。
 もしも──
 もし、そうだったら。この剣士が自分と縁戚の関係があったならば。
 頭の中で想像するのは、自由だ。自分たちはこれからオヤジ達が集まる親戚の宴へ行くところなのかもしれない。もしくは、どちらかの家へ預けられているのかもしれない。剣士になりたい、とジェイが望んだのでゾロが修行につきあってくれるのかもしれない。もしくは一緒に剣の道を──

 あこがれ、という言葉をジェイが知らなくても、ジェイがゾロに向ける視線にはそれが多分に含まれていた。ジェイがついぞ知らなかった強くたくましい父親というものをゾロが体現していたからだ。そして非常に判りにくいものの、父親の持つ優しさも。

「ご飯、食べるんでしょ?」
「おう、そうだ。メシ屋を探さねぇと」
 そしてゾロはジェイをちらりと見て、
「あったけぇか」と聞いた。
「うん」
「なら、よかったな」
 ぽんぽん、とぶ厚い手のひらでジェイの頭を優しく叩く。そしてもうジェイは顧みないですたすたメインストリートを戻ってゆく。広い背中を見つめて遅れないように忙しなく足を動かしながら、ジェイはどうしても頬が緩むのが止められなかった。



 ■幕間



 街の何の変哲もない食堂に入っていったゾロとジェイのふたりを、物陰から見ている男がいた。男は懐から子電伝虫を取り出すとそっとそれに向かって話しはじめた。
「ヤツらは今度は食事をするようです。出てきたところを掴まえますか」
『あわてるな。必ずロロノアはコックと連絡をとる。示し合わせて会う筈だ。その時を待て』
「了解しました。追跡を続けます」
『頼んだぞ。くれぐれも『その時』までは存在を気取られるな』
「コックの方は動きましたか」
『相変わらずだ。だがこの島にロロノアが来たことで、ヤツも行動を起こすだろう』
「ようやくですね、オキーフさん」にやりと笑うその顔は、いつぞやのマシューだった。
『ああ、ようやくだ』
 電伝虫の向こう側の声も、笑っていた。




 ■サンジ



 サンジはこの聖ガブリエル島に3日前に到着していた。ゾロ達とはまるきり異なった航路をとり、やはりいくつかの定期船を乗り継いだ後、独りこの肌寒い地に降り立った。

(……なんつー、のどかな景色だよ、オイ)
 鄙びた港は漁港より多少はマシといった程度で、桟橋はコンクリでなくて黒い丸太を組み合わせたもの。だが、足もとの海水は透明度が高く、定期船の深い喫水線を考えに入れると桟橋のあたりはかなり深さがあるはずだが、海底とその間にちらちら見える魚の背まではっきり見えた。
 視線を上げてみると、港の向こうはなだらかな牧草地が広がっている。港は交通の要衝なので、倉庫やホテルや食堂を備えた港街は当然あるが、島民が集中して住む街はしてみるとあの牧草地の向こうだろうか。
 緩めていたネクタイをきゅっと締めると肩からさげた小荷物をゆすりあげ、目の前の牧草地へ向かって歩き出した。

 こういうのどかな景色もたまにはいいが、とサンジは思う。やはり俺は土ではなく石や板の感触のほうが好きみてぇだ。
 歩む道はしっとりとした黒い土。気候さえよければ豊かな実りを約束してくれそうだ。だがおそらく秋島にあたるのであろうこの土地は、気温がさほど上がらないらしく、稲作よりも牧羊のほうが盛んなように見受けられる。
(あとは小麦・大麦などの麦類とか、根菜類とかかな)
 ほとんど人気のない道を歩いているせいか、サンジの思考ものんびりとした方向に向いてしまう。
 歩いているうちにうっすらと汗が出てきた。上着を脱ぎ、肩に背負う。ついでに胸ポケットから煙草を取り出して一服。すっぱーと思い切りよく煙を青い空に向かって吐く。
(どうしてっかな。アイツは)
 義眼を腹巻きに押し込んで出てきてから、一切連絡をとりあっていない。義眼には気付いたろうが、その後ソレをどうしただろうか。義眼の中味がアレだと気付くかどうかすらすでに賭けだったが、気付いたとしてどうするかなんて、百分の一もわかりゃしない。
(俺もまた、どうしちまったんだろーね)
 額にうかんだ汗が鬱陶しくて、シャツの袖でぐいとぬぐうと、腕が左目を覆うバンダナに触れた。こいつもまたうざったいが、いま取ってしまうわけにはいかねぇし、とずれないように慎重に腕を動かす。

 三十分ほど歩いて集落に着いた。街と表現するにはためらわれる程度のまさに集落で、一応メインストリートがあり、店舗も左右に軒を連ねているが、絵に描いたようなのどかな田舎町だった。
 サンジはそこでまずは情報収集とばかりに飲み屋に入ってカウンターに陣取ったが、まだまだ陽も高い時分で、人も少なく大した噂も聞こえてこない。
 ううむ。これなら港街のほうがマシだったか。
 港湾の近辺なら、多少は気の荒い労働者やそれなりに雰囲気の悪いヤツらがたむろする場所があるものだ。
(まあ、しょうがねぇ。今から引き返すのも面倒だし)
「おっちゃん、なあ、とりあえずどこかまともな宿と、まともなメシが食えるところ教えちゃくんねぇか?」
 バーカウンターの向こうのオヤジに尋ねる。オヤジもバーテンダーというよりは、下っ腹が出て額がてらてら禿げ上がっていて、シャツにベストといったバーテンダースタイルが一番似合いそうにない風体の中年男で、またそれをしっかり自覚しているらしく、ざっくりとした麻のシャツにゆったりとしたズボンをはいていて、カウンターの向こうでグラスを拭いていなければ、完全に粉屋のオヤジとしか見えない男だった。
 その「一見粉屋のオヤジ」は、この天気のよいのどかな日に黒いスーツの上下で(上着は脱いで肩に背負っていたが)、黒い布で片目を縛っているという一風変わった男が店に入ってきた時から怪訝そうな目でちらりちらりと伺っていた。
余所者は目立つ。観光シーズンでもないこの季節に、わざわざ他の島へと繋がる港街から離れてやってくる人間は多くない。羊毛の買い付け業者には見えないし、他の何の職種にも彼は見えなかった。
 だが、彼が発した言葉や酒を飲む物腰はそれほど無教養な人間とも見えず、犯罪者の類でもなかろうと、未だ彼の正体は不明なまま、この謎の旅行者に不親切にする理由もないので、丁寧にホテルと、この町で一番の評判のレストランを教えてやった。
「ありがとさん」
 コインをカウンターに置いて、サンジはバーを後にした。メインストリートをたどり、教えてもらったホテルに向かう。
(さてさて、ちゃんとついて来てっかね)
 後ろを振り向くようなことはしない。だが多分いつものとおりにしっかり尾行は来ているハズだ。港からここまで、ちょいと開けた場所を歩いたので、追いつくのに少し苦労をするかもしれないが。
 まあたまにドジな野郎のひとりやふたりが俺の目につく場所をうろちょろしていても、見て見ぬふりをしていてやっちゃあいるが、ついてきてくれなきゃ意味がねぇ。これだけ目立つナリもずっとしてきているんだぜ?俺ってば親切。

 サンジはホテルに落ち着くと、売店で買った島の地図を広げて眺める。そう広くもない島だが、猫の額ほど、というくらい狭くもない。
 島のほとんどは牧草地と畑地で、その中に小さい集落が点在している。大きな町はここと、あと港湾部のそれと、あといくつか。
(さあて、どうすっかな)
 ネクタイを緩め、煙草の煙を心ゆくまで味わった。ふと思い立ってスーツのポケットを探ると、コインがじゃらじゃらと音をさせて出てきた。ひとつ選んで指ではじく。ピン、と空気を裂いてコインが舞った。それをパシッと左手の甲で受け止め、右手で覆う。
「さあて、レディースアンドジェントルメーン!」
 手を合わせたまま実に器用にゆったりと、大仰なしぐさで見えない観客にお辞儀をする。
「表が出ますか、裏が出ますか。掛け率はフィフティ、フィフティ。まったくの五分五分で御座います。さあさあ、張って張って。賭けにのるかどうかは貴女次第」
 陽気な声を張り上げておいて、そうっと右手をはずし、コインを見る。
 コインを見つめる表情は口調と裏腹に堅く、暫く動かなかったが、徐々に口角が上がり、物騒な笑みを形作った。
「おもしれえ」




 

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