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パラキシャル フォーカス(3)




■少年

ジェイは、ノースブルーの貧しい家の生まれだった。
物心ついたときから父親はなく、小さなボロ屋に母親と弟妹の4人でその日その日をかつかつとようやく食べていけるような暮らしをしていた。
母親はそれでも、小さなジェイ達を貧しいなりに慈しんで育て、子供達もそれに応えて薪割りだの水くみだの小さな手でせいいっぱいの手伝いをし、そんな感じで毎日毎日肩を寄せ合うように生きていた。幸せだった。───母親が倒れるまでは。

一家の稼ぎ手である母親が倒れて病床に伏してからは、一番年長のジェイがとにかくなんとかして生活費を稼がねばならなかった。だが子供が金を稼ぐすべは少ない。靴磨きからゴミ拾いからなんでもやった。それでも寝込んだ母親を含め四人が食べていけるだけの額はジェイひとりでは無理だった。
すぐに大きくなって、お金を稼げるようになれればいいのに──。そうは思ってもそんなことはあるはずもなく、このままでは一家四人が餓え死ぬかといった時に、その男に出会ったのだ。


出会ったいきさつはどうあれ、とにかくジェイは職を得、母親と弟妹をノースの故郷に残し、遙か遠いここグランドラインまでその男とその仲間達と一緒にやってきた。
ジェイの仕事は船の雑用。こまねずみのように朝から晩まで働き、そして実際にこまねずみのような扱いを受けていたが。
それでもジェイは幸福だったといえよう。なぜならそこで働いている限り、故郷では母親と弟妹たちが無事になんとか暮らしていけるのだから。
時折、胸が痛くなるほど寂しい夜もあったが、ひたすら家族のことを思って耐えた。十歳だった。


ぶる、とジェイは頭を振って今の自分の役割を思い出す。これも大事な自分の仕事だ。集中せねば。
ジェイは島の突端にこしらえた見張り台の上で遙か遠くに見えだした帆のマークを確認すべく望遠鏡の焦点を調節した。
(まだ遠い。まだ。だけどもう少し)
(やった!見えた!あれ、あれは、あのマークは・・・?)
望遠鏡が捉えた帆は、あまりに遠いためすぐ像が視野の円内からはずれてしまった。
ジェイは身体ごと肘をぐっと台に押しつけ、できるだけ望遠鏡を動かさないように用心してそうっと再び焦点を合わせる。
───今度こそ間違いない。
見えたマークにひとり頷いて、ぴしゃっと望遠鏡を閉じあわせ、見張り台の梯子を転ばないよう用心して降りると、もう一度まだ豆粒のような船を振り返ってから、一目散に駆けだした。
ここずっと、この島に来たときから彼らが待ち続けていた船が来た。
───ドクロに麦わら帽子のマークの。




「来たよ!」
まだ早朝である。男達は皆思い思いの恰好で寝しだれていたが、ジェイの声にひとりふたり「うーん・・・」と起き出す者が出てきた。
たたたたた、と軽い足取りで大部屋を抜け、一番最奥の部屋のドア前まで行くと、一瞬ためらったのち、遠慮しがちに重たい樫の木のドアをノックする。
「ジェイか。入れ」
中から聞こえたのは、あの時、ジェイが飢えてうずくまっていた路地で聞いた錆びを含んだような低い声。
その持ち主はジェイをひた、と正面から見据えた。
最初に会ったときからずっと、この男の目に見すえられるとどうにも舌がうまく回らなくなる。ほとんど瞬きしない目は見られるだけで体温を奪い去っていくようだ。
「・・・・・・・・・。」
「どうした、報告しろ」
意識していなかったが、息を止めていたらしい。
ひゅう、となんとか息を吸い込んで、ジェイは声を絞り出す。
「あ、あの、来ました。ドクロに麦わらのマークの帆です。たった今南西方向に確認いたしました」
「・・・そうか、とうとう来たか」
目はそのままに、ニタリと男が笑う。爬虫類のようだ、とジェイは思った。
「それで、針路は」
「今のところは真っ直ぐ島を目指しています。けれどまだ遠くて」
「ふむ・・・。まあ、堂々と港には着岸しないとは思うが」
「あ、あの、オキーフさん」
オキーフと呼ばれた男はしばし何かを考え、その間ジェイはうろうろと視線をさまよわせながら彼の発する次の言葉を待った。
「小僧、お前はもう一度見張り台に戻って、今度は針路を確認しろ。そしてヤツらが投錨したら、できるだけさりげなく近づいて動向を探れ。そして片目の男がいるかどうかをまず確認するんだ。いいな、片目の男だぞ」
「あ、あのうオキーフさん、オレ、昨日一晩中見張り台で・・・。ほ、ほかの方に代わっていただくわけには・・・」
しかしジェイの言葉は途中で途切れた。オキーフがじろり、と睨んだからだ。彼がこういった目をするときに逆らおうとするほどばかなヤツはこの集団のなかにはいなかった。
以前一度、とてもとてもバカなヤツがいて、そのバカは多分今頃海底で魚相手に自分の肉をつつかせているはずだった。
「・・・見張りを続けますっ」
逃げるようにその場を飛び出し、厨房でパンの一切れでもないかと寝不足の目であたりを見回したが、まだその場は火の気もなくしんと静かで、食べ物の気配は何も感じられない。
部屋の隅にある樽をいくつかのぞき込み、そこにあったカビがはえかけた堅パンをいくつか懐にねじこむと、また朝露で足を濡らしながら走り出した。


 

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