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クロース・トゥ・ジ・エッジ(11)




 家の外でパンパンと軽い銃声が聞こえた。まああのクソ剣士があたるこたぁそれこそ万が一にもねぇだろう、と思いつつ窓からちらりと様子を窺(うかが)うと、すでに数人が地面に倒れているのが見てとれた。
(ヤツはどこだ)
 ぐるりと視線を巡らすと、キラリと残照を跳ね返す光が見えた。あそこか。ゾロ本人は薄暮に溶けてはっきり見えない。もともと動きも早い。
 サンジはコトコトと煮えている鍋の火を落とし、皿を並べてからもう一度窓へと視線をやった。ほんの少しの間ですでに乱闘や剣の音もなく、もう刀のきらめきも見えなかった。ゾロは、と見ると最後のひとりなのだろう、男の胸ぐらに手をかけて締め上げていた。
 この島で取り囲まれるような憶えはない。まだ到着して二日目にしかすぎないし、その間誰とも悶着を起したような記憶もない。一体誰が何の目的でやってきたというのだろう。ゾロが締め上げている男の情報が待ち遠しい。が、今は。
 アティを先に迎えに行くべきだが、ノービイを独りで置いていくわけにはいかない。ゾロを残していくか、俺が残るか。ヤツの尋問にノービイを立ち会わせたくはないから、その間ノービイが独りになる。
 逡巡は一瞬だった。
「ノービイちゃん、食べよう。とにかく食事が先だ」
 ノービイは何が起っているのかわからず、真っ青な顔色をしていた。母親の不在が不安をつのらせているところに家の外で何やら騒動が起こった。銃声はノービイも耳にしていたが、普段聞き慣れないものだけに、それが銃声とは認識していなかったようだが、それでも人の争う音というのは平和を常とする人々にとってそれだけで怖いものだ。特に母親が帰ってこない不安の中でのアクシデントは年の割にしっかりしていると言われているノービイにしても、ショックが大きい。
 サンジは軽くノービイの身体を抱きしめて、ぽんぽんと背中を叩いて言った。
「大丈夫大丈夫。何でもないって。すぐにアティさんも帰ってくるし、それまでは俺らが絶対ノービイちゃんを独りにしないからね。さ、とにかく食べよう。暖かいものをお腹に入れれば少し落ち着くよ」
 細い肩は小さく震えていた。無理もない。しばらくあやすように優しく抱きしめる。とりあえずまず優先すべきなのはこの小さなレディを落ち着かせることだ。
 サンジはすべての料理を皿に盛付け、テーブルに並べた。そうこうしているうちに、ゾロがのっそりと帰ってくる。
「おう、どうだった」
「……とりあえず、ふんじばって納屋に入れておいた。後で話す」
「わかった。とりあえずてめェは手と顔を洗ってこい。すぐ飯だ」

 三人で囲むテーブルは、沈鬱な空気が流れていた。サンジがつとめて明るい話を始めようとするが、すぐに宙に浮いて却って空気を重くさせる。ゾロでさえも何か考え込んでいてサンジの振る話題にろくすっぽ返事をしない。いい加減苛々して、サンジはテーブルの下でゾロの足を踏みつけた。
 こんな雰囲気でなければ、当然のように美味しいと褒め称えられたはずの料理は、静かに咀嚼されただ消化の為に嚥下されていった。
 それでも充分に煮込んだ肉はスジさえも柔らかくとろけるようで、コクのある深い味わいに、口にした瞬間、眉間をふわりと柔らかくさせる。シャキシャキとしたサラダはドレッシングとの混ざり具合が絶妙で、丸まった背筋も自然に伸びるようだ。
 サンジの料理は作った本人の話術よりもずっと効果的にノービイの精神に作用した。奇妙な雰囲気のうちに食事が終わると、少し前の震えていたのが嘘のように、ノービイはずっと落ち着きを取り戻し、いつもと同じ強い眼差しで二人を見つめた。
「さあ、それじゃあ母さんを迎えに行きましょう」
「ステキだノービイちゃん。芯の強いレディはほんっと魅力的だ。俺ぁ絶対何があろうとキミを守るナイトとなって傍から離れないからね〜」
 途端にヤニ下がるサンジに、いつもならゾロが呆れてみせるのだが、何故かゾロは黙ったままでサンジを見ていた。
「あんだよ。何か文句があるってのか?」
 何も反応を返さないゾロに、サンジから逆にツッコミを入れる。
「いや」
 と口先では言いながら、目をちらっと動かして合図を送った。
「てめぇとりあえず皿ァ運べ。ノービイちゃん、五分待っててね。すぐ片づけるから」
 とりあえずキッチンへ場所を移してあらためて言う。
「一体なんだってんだ」
「手短に言うぞ。あいつら差し向けたのはあの平々凡々な領主代行だ」
「!……なんでまた。アティさんの恋敵だと確定されちまったとか? でもそれにしちゃあ銃まで持ち出すなんてのは大げさだよなあ」
「理由はこれからとっつかまえておいた男を締め上げて吐かせる。まあだからこれから領主館へそのまんま乗り込んでいくのはちとヤバくねぇか。少なくともあの子を一緒に連れて行くのは危険だろ」
「……ひとりはノービイちゃんに付いてここに残った方がいいか」
「それもある。が、まずはヤツらの真の狙いを知っておいてから動いた方がいい」
「だが、アティさんをまず迎えに行かなくちゃ、ノービイちゃんが納得しねぇだろう」
 ガシガシガシ、とゾロは頭を掻くとつるりと顔をなで、そのまま顎をつまむようにして手を止めた。珍しく深く考え込む。
「いや、やっぱりあの領主代行が発端ならば、あの子を領主館へ近づけるのはまずい。俺が行く。てめぇはあの子をなだめてここにいろ。とにかく傍から離れンな」
「ちくしょ、マリモのくせにいっちょまえに指図してんじゃねぇよ……。じゃあ尋問はどーすんだ。先ず情報を集めるのは鉄則だろ。知っているか知っていないかで生死が分かれるなんてこたぁよくあるこった」
「……てめぇが先にアティだっつったろうが。俺はなんとかなる。まああの領主代行の手下程度にはやられやしねぇよ」
「ま、そーだな。じゃ俺はノービイちゃんを守るナイト役を堂々と。てめぇがアティさんを連れて帰ってきたら、ゆっくりと事情をあの男に聞いてみるとしますか。二人揃ってな」
「了〜解。善良な土壌研究家さんは質問リストをつくっておけよ。論文にきちんとまとめることができるようにな」
「まかせとけって。俺の論文はいつだって理路整然として読みやすいって評判だからな」

 ゾロはキッチンの勝手口から外へ出ようとした。
 そこへコツコツとドアノッカーの音が響き渡った。
 二人は顔を見合わせる。近所の人が野菜や何かを持ってきてくれたのか? さらにもう一回玄関ドアを叩く音がした。
 ゾロはドアの影に隠れ、サンジがそうっと様子を窺いながら開ける。
 そこにうっそりと、背の高い男が立っていた。
「タイレルさん……」
 領主代行の執事は帽子をとって二人に会釈した。
「お迎えに上がりました。お二人とも私と一緒にいらしてください。あるじが至急お話ししたいことがあるとのことでございます」
「いいところに来た。アティはまだ代行のところにいるんだろ? 俺ぁ今彼女を迎えにそっちへ行こうとしてたとこだ。話ってのは何だか知らねぇが、領主館に行くのなら好都合だ。案内してもらおうじゃねぇか」
「ゾロ」
(相手の手の内も何故コイツがわざわざここへ来たかも何もわかんねぇんだぞ。襲撃の理由もあるはずだ。気をつけろ)
 内心で綴る言葉がそのまま伝わってくれればいい。サンジの思いはたった一言の声音に乗った。ゾロはちらとサンジに一瞥(いちべつ)をよこし、わかってると目で返事をした。
「わたくしは今『お二人とも』と言ったはずですが? 領主代行はお二人にお話があるそうです」
「……どんな用件で?」
 今度はサンジが用心深く問う。しかし執事の返事を待たずしてゾロがまた言った。
「先ほど、無頼な輩がこの家を取り囲んで、なにやら強盗でも押し入りそうな物騒な出で立ちだったんでね、ちょいと遊んでやったんだが、ありゃ正統防衛だろ? まさかそんなことの事情聴取ってわけでもないよな?」
 執事はゾロの不遜な態度にもいささかもたじろがず、憎いほど落ち着きはらって、ゆっくりと口を開いた。ただし今度は少しだけ首をかしげて、声のトーンも二人だけに聞こえる程度に落としていた。相変わらず物腰はもの柔らかではあるものの、表情に僅かに困惑の色を見せて言う。
「その件も、先ほどサンジ様がお尋ねになった領主代行の用件も、わたくしは存じません。ただお二人をお連れしろとのみ伺っております。どうか、わたくしと一緒に今すぐ来てはいただけないでしょうか。必ずお連れするようにと、あまり大きな声では言えませんが、領主代行も少し落ち着きを欠いたご様子でしたので」
 途端、ただならぬ雰囲気を嗅ぎとって目配せを交わし合う。問題なのは。
「ノービイちゃんも一緒に連れてこいって言われてるのか?」
 サンジですら言葉を飾ることを忘れてぞんざいな口調になってしまっていた。領主館でソツなくふるまっていたときの、研究者然とした雰囲気をすっかりどこかに置いてきてしまっている。
 タイレルは今度こそ困ったように眉を寄せて言った。
「いえ、実はお嬢様はこちらでお待ちいただくようにと。あくまでサンジ様とゾロ様のお二人のみお連れするようにとのことでした」
「──だめだ。今あの子を独りにしておけねぇ」サンジが首を振る。
「ですが」
「私なら大丈夫よ」
 凛とした声が二人の後ろから響いた。
「ノービイちゃん!」
「ノービイ!」
 ぱっと後ろを向いてノービイの姿を目にすると同時に二人は異口同音に名前を呼ぶ。
「私なら大丈夫。二人で行って。そして母さんと三人で帰ってきて。私だってもう充分大きいのだもの。独りで待っていられるわ。大丈夫。母さんがお仕事で遅くなることだってこれが初めてじゃあないんだし。さあ、さっさと行って。早く帰ってこられるように」
「ノービイちゃん……」
 サンジは哀しげな顔を堂々と晒(さら)していた。
「俺ぁ、君のナイトなのに……。要らないの?」
 突然一方的に解雇されてしまったナイト役に随分未練があるようだ。この天然グル眉はまったくしょうがねぇ。ゾロはこっそり内心でため息をつくと、サンジの腕をぐいと引っ張る。
「じゃあ行くぜ。おらとっとと来い」
「ノービイちゃん、戸締まりはしっかりしてね! 怖かったら近所の家にいさせてもらってもいい。すぐに帰ってくるけれども、鍵はかけておいて、知らない人は家にいれちゃダメだからね!」
 まったく幼児相手の言い方だ、とゾロは思うがそこまで口にしたら間違いなくサンジの蹴りがとんでくるのを経験と勘で知っていたので何も言わない。背を向けてタイレルをも追い越してどんどん先へ進んでゆく。サンジは後ろを振り返りつつ、ゾロへ追いつき並んで歩き始めた。家の明かりが見えなくなるともう振り返ることはせずに無言で足を進める。
 領主館で一体何があったのか──
 ごおおおぉぉん、と区切るように鐘が鳴った。



 

  

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