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永遠より長く無限より短い一瞬(9)

 






「は、おっしゃることはごもっともではございますが」
 珍しくサンジがヴィジフォンの相手に苦労している。
 ゾロはサンジに対外交渉は任せっきりにしているので、たまたま通りすがりにキッチンの冷蔵庫からアイスティーを取り出しつつ耳にしたこの会話もそのままスルーするつもりでいたのだが、ちらりと見たサンジの表情に足をとめた。
「……はい、ロロノア博士はただ今新しい研究にかかりきりで、暫く手が離せないとのことでございます。……はい、はい、そちら様のオファーは必ず博士にお伝えいたしまして、出来る限り早急にお返事をする所存にございます」
 その後も延々と続く相手の執拗な依頼を、丁寧に、しかし嫌味を感じさせぬように会話を続けて断った。
(なんだ?)
 ゾロはサンジが先ほど自分に向けた視線が何やら意味を持ったもののように感じられて、グラスを傾けつつ、今し方までヴィジフォンと向き合っていたサンジを見やった。
「どうした」
「いえ、以前マスターがご不快に感じられて、『ここからの連絡は一切取り次ぐな』とおっしゃった会社から、再度マスターへの客演講演依頼がまいったので。覚えておいででしょうか、マンセラ・アンド・ボナグラ・インターナショナル社でございます」
「ああ、あのインチキ会社か」
 ゾロはおぼろげな記憶を手繰る。そういえばそんな会社名だったかもしれない。おべっか使いみたいなヤツがすり寄ってきて、非常に不愉快な思いをした上に、講演料を最初に提示した額から、終わった後で値切ってきた。
 腹が立ったので珍しくもゾロが正面から怒鳴って最初の契約どおりの額をふんだくった後、こことはもう一切仕事しねえ、とサンジに宣言しその後はすっかりそのことを頭から追いやってしまっていた。
 ち、イヤなことを思い出してしまった、とゾロは顔に出していたのだろう。
「すみません、マスター」
 とサンジが沈んだ表情で頭を下げた。
「なんでだ」
「マスターのお耳に入れてしまいました。思い出したくなかったのでございましょうに」
 さっきの視線はゾロに相手を気取られたくなかったからか、とゾロは少々驚いた。知らず、声が和らぐ。
「しょうがねぇよ。ンなこと大したこっちゃねぇ。お前も毎度面倒なコト押しつけてしまってるな。お互い忘れてしまってこれで終わりにしようぜ」
「お気遣い、ありがとうございます。しかしわたくしは忘れることができませんので」
 途端、ゾロの眉がぐっと寄る。
「……そうだったな。バカなことを言った」





 ゾロはまた研究室に籠もるようになった。 
 サンジには、「しばらく当分、誰とのアポもとるな。講演だのなんだの、外へ出て行くのも全部無しだ」と言いつけておいて、朝から晩まで、いや、そのまま一晩中も研究室に居続けた。
 夜、サンジへ手を伸ばすこともない。
 サンジはゾロの健康管理上、何か言いたげにしていたが、命に係わることが起こらない限りマスターの意志の方が優先されるため、ゾロは好きなだけ研究に没頭できた。当然、全てが研究室を中心に回ることになる。
 サンジは三度の食事はもちろん、適宜な軽食、飲物をダイニングルームから研究室へとサーブする場所を変えた。それも必ず出来る限り気配を消したまま、ゾロがなにやら唸りつつモニターに向かう様子を計るようにしてそうっと置いてゆく。

 ゾロはグローバル・ロボット社に依頼されたセクサロイド用のプログラムは簡単に作ってのけたのだった。セックスは単純。多少の応用はあれど、基本は擦って立たせて入れて出す。サンジの様に、男性型ロボット(アンドロイド)だと女性を相手にする時仕様と、男性を相手にする時仕様とベースを二種類に分ける必要があるが、セックスの方法は大きくは変わらない。今はサンジは女性相手用の仕様はまだ一回も使われていないが、基本的に、相手が男性であれ女性であれ、「相手の望むことを満たす」というのが根底にあり、それはロボット工学の第二原則と重なっているので、相手の性別がどうであろうと何も問題はないのだ。
 もちろん方法はまるきり異なるが、ゾロはその「方法」のベースをプログラミングしただけでなく、「相手の望んでいることを察知してそれを行う」ことをセックスをしている最中という制限付きで際だって特化させたのである。
 これはセクサロイドがもともと皮膚触感全般と、あと特に性器や人間の性感帯にあたる部分を他の汎用ロボットより高性能に造られていることで可能となった。「皮膚」から伝わる「データ」は通常の何倍もの密度で人工ニューロンを通り陽電子頭脳へと伝わる。陽電子頭脳は高密度のデータから瞬時に相手の人間が望んでいることを予測してそのとおりに動けと手足に命令を出すのだ。
(ただし感覚器官、伝達器官ともにかなり負荷をかけることになるため、二十四時間常にその状態でいさせることはしていない。なにしろ無駄だ。普段は身体の大部分はお仕着せに隠れているわけだし。人間でいえばアドレナリンを過多に放出している状態といえばよいだろうか。まあ、そういう意味では人間もロボットもセックスにおいては同じ状態になるわけだ───)

 ゾロは頭の片隅でそのプログラムを組んだときのことを思い出しつつ、長い数式の最後の部分を打ち込んで、ほうと一息ついた。
 ゾロがサンジというロボットをテスト体として必要としたのは、もちろんセックスの相手をさせるためではなかった。誰にも話すつもりはなく、どこにも公表するつもりのないものだが、ゾロは「感情プログラム」を作ってみたかった。それこそ、アンチ・ロボット派の団体に知られたら、ものすごく反発をくらうものであろうことは解りきっている。今でこそ広く一般に受け入れられているロボットだが、このプログラムを組み込んだロボットが現れたら、やはり混乱は免れないのではないだろうか。ロボットは家電の延長──その考えは変わらないが、このプログラムはそれに真逆のものをもたらしかねない。
 ロボットをどこまで人間に近づけることができるのか──それはロボット工学分野において現在最先端を独走しているゾロだからこそ描ける夢なのかもしれない。他の人間がそれを思い描き、夢想することはあるだろうが、実際それを実現できるようになるだろうとまでは思えないに違いない。
 だがゾロは違った。下手をするとロボット三原則に歪み(ひずみ)を与えかねないものであることは重々承知でありながら、それでも「感情」という、曖昧で目に見えないものをプログラミングしてみたかった。
 テスト体として提供されたサンジがセクサロイドだったのは、その時は面倒なモノを押しつけやがって程度にしか感じなかったが、実際問題としては、感覚器官と伝達系統が格段に優れて強化されていることは、ゾロの目的に非常に都合がよかったのである。
 何故なら、ヒトが感情を持つのは外界からの刺激に反応して、「心地よい」「気持ち悪い」「熱い」「冷たい」「痛い」とまず感覚を得、その感覚に同調して感情が発達していくからである。
 単純に言えば、単調な生活では感覚が麻痺し、そのまま感情の起伏も少なくなる。
 赤ん坊は母親が与えるぬくもりと心地よさで安心と満足を得て、そこから「好き」という感情を発達させる。
 別にゾロはサンジを人間の赤ん坊を育てるように時間をかけて感情を発達させるつもりはない。そもそもロボットは人間と違って感情を培う(つちかう)ことが可能とは思えない。いくらゾロでもそこまでは思い上がっていなかった。それができるのなら、それはもうプログラムとは言わないし、人間の仕事を超えている。
 ただし、サンジの感覚器官が優れていることは、少なくとも他の汎用ロボットよりは、相対する人間の心の機微に敏感に反応できるだろうし、実際セクサロイド用プログラムはそれを利用していた。主に皮膚感覚からだが。

 少しづつ、少しづつ。
 ゾロは毎日サンジに新しいプログラミングを施した。




* * * * * * * * * * * * * * * * * *  







 二人しか、いや一人と一体しかいないその家は、緑の繁茂する中、バラの生け垣に囲まれてひっそりと、人の滅多に訪れない道の奥深く建っていた。





「サンジッッ…!!」
「何だっつーんだ、クソマスター」
 大股でずかずかと黒いスーツの男が部屋に入って来た。
「俺ァ忙しいんだよ、用件があるなら、さっさと言いやがれ」
 やって来た男はピシリとスーツを着こなしているものの、その態度は尊大かつ不遜だった。
「てめぇ、このメシはイヤガラセか? 何で俺の嫌いな野菜ばっか入ってんだよっ。おまけに今日は食前酒も無しか? 俺はアルコール依存症の患者か? ええ?」
「ふん、その通りだっつったらどうするよ。いいか、耳の穴かっぽじくってよく聞きやがれ。お前の皿の中に並んでいるのはどれもこれもコレステロール値を下げる働きをしてくれンだよ。おまけにミネラルもビタミンもたくさん入ってる。いいか、いっくら錠剤で栄養素が摂れるっていってもな、ちゃんと全て胃壁からまっとうな順序で吸収されるのが、身体のためには一番いいんだ。わかったか。それから食前酒だけじゃねぇ、しばらくアルコールは抜きだ。てめぇは運動らしい運動もしないで研究室に籠もりっきりで、アルコールばかりかっくらって、昨日一体どうなったかよもや覚えてませんなんて言わねぇよなあ? アアン? このクソマスター様!」
「…ッ! るせえ! 昨日は昨日、今日は今日だ! それに運動だってちゃんとしてんじゃねぇか、ベッドの上でよ!」
「ほほー、アレを運動とおっしゃいますか? そりゃあ毎日お励みになって結構なことですなあ……って! うるせぇ! それに付き合わされる俺のことも思いやれ! ちくしょう、逆らえないと思って好き放題!」
 にやり、とゾロが口角を上げる。
「ふふん、そう言いながらまんざらでもないって顔に出てんぞ? ほらほら、首筋が赤くなってきた……」
 ほとんど痴話喧嘩でしかない会話の応酬。だけど少なくともゾロは知っている。これは単なるプログラム。わざと口調を乱暴に、会話のパターンも粗暴なように、ゾロ自身が組み上げた。
 それでも、ゾロは頭の隅では理解していながらも、そういったたわいもないやりとりを楽しんでいた。自分の好みの性格に造って何が悪い? どうせ世の中に出すつもりもない自分の趣味のプログラムなのだから、自分の日常でも楽しめたほうがいいじゃないか。
 ゾロはずっと「感情プログラム」を組み上げることに専念して、それを次々とサンジで試していたが、未だに成功したとは実感できていなかった。
 とりあえず、まずは言葉遣いと会話についてはほぼゾロの満足できる程度には完成したと言えるだろうが、ゾロに言わせれば、やはりこれは表層にすぎなくて、通常デフォルトで使われている標準語の辞書をくだけた野郎言葉に変換しているだけにすぎない。口調そのものをはぎ取れば、サンジの行動自体は相変わらず全部ゾロを中心に回っていて、ゾロが命じたことは文句を言いつつも必ず従うのである。そう、必ずだ。

「それに、だ! 俺のことは『クソマスター』って呼ぶな、っつったろ? ちゃんと呼べよ、名前でよ。教えたろ?」
 途端にサンジの顔が曇る。
「……わかってっけどよ……なんでか呼びにくいんだよ……そればっかりは……だってお前は俺の『マスター』だろ? そう呼ぶのが一番自然なんだ……」
「だから、『マスター』の上に『ゾロ』を書き換えろ、って言ってんだよ。できないことはねぇはずだ」
 くそう、とサンジは舌打ちをして、目を宙に逸らせたあと、正面からゾロを見て口を開いた。
「クソ……マ………『ゾロ』」
 うん、とゾロは軽く頷いた。
「クソゾロ、とにかくメシは残さず食え! 好き勝手に研究に没頭して、酒しか口にしなかったせいで、昨日倒れたこと忘れんなよ!」
「倒れたっつうか、単に気が遠くなってふらついただけじゃねぇか」
 あれはまずった。つい夢中になってサンジが用意してくれた軽食すら手を伸ばすのを忘れて没頭していて、トイレへと部屋を出たところですう、と目の前が真っ暗になって足から力が抜けた。
 気がついたら血相変えたサンジにお姫様抱っこされてベッドに運ばれていた。大丈夫、と言おうとしたところ、ゾロが言葉を発するより先に白い錠剤を二粒押し込まれた。驚く隙もなく次にサンジの唇が降りてきてゾロの口を完全に塞いだ。サンジはそうやって横たわったゾロに口移しで水を含ませ、錠剤を嚥下させたのだ。あとは何も覚えていない。
「確かにちょいと、モノを食うのを忘れてたのは俺の落ち度だけど、それだけだろ」なにを大げさな、とゾロは続けるが、もともとかなり鍛えていて、風邪のひとつも引かないゾロの身体がふらついたというだけでもサンジにとっては大ごとだったらしい。
 そのせいで、今日のサンジはかなり強気だ。
 いつも悪態ばかりつきながら、最後のところではゾロに従順なサンジが、むきになって食事を強要したり、休養を薦めたりするのは、ちょいとばかり新鮮で楽しくなってしまう。が───
(くそ)
 胸の中でゾロは毒づく。
(勘違いするんじゃねえぞ。あれは『第一原則』がそうさせてるんだ。人間の危機の方が命令よりも優先されてるにすぎねぇ)
 途端に上向いた気分が重くなる。いつもそうだ。ゾロはサンジが既に通常の生活をする上ではまず人間と見分けがつかないところまで完成された、とそれは自負できる。しかしそれはゾロによって「そう見える」ように造られただけだ。実際にサンジが「そう感じている」わけではない。
「それ食ったら、モニター診察の予約入れといたから、ちゃんと受診しろ。救急隊を呼ぶほどでもねぇが、きちんといっぺん診てもらったほうがいい」
 サンジは真面目な顔つきでそう言った。ゾロが昨日倒れたのは、過度の疲労と寝不足、空腹による血糖値の低下だということは毎日傍で見ていてすぐにわかったため、とにかく安静にと寝かせておいた。
 充分に睡眠を取り(過度にとったかもしれない)、サンジの並べる食事を口に入れて、ようやくゾロにも落ち着いて自分の不摂生を反省するだけの余裕ができた。いくらサンジがロボットだとして、自分が強硬に命令をすればそれが通るだろうことは解っていたとしても、それをするのは大人げない。それに珍しくサンジの方から強く要求を出しているこの状況は少しばかり楽しんでみても悪くはないだろう。
 ホームドクターと回線が開くのを待つ間、ゾロはダイニングでサンジが食器を片づけているのをぼんやり見ていた。動きに無駄がなく、実にてきぱきとそれでいて優雅に仕事をこなす。もちろんゾロにとっては見慣れた光景だ。サンジは家事でも庭いじりでも何をやっている時でも動作が滑らかだ。綺麗だ、と思う反面、ゾロはこれもまた人間ぽくねぇな、と思い、その考えに自ら苦笑する。
(ばぁか、人間だってその道のプロになるほど練達すれば、動きが洗練されてくるもんだ。サンジは単にそれが最初っからできているだけだろ。なんでもかんでも人間との差異を探してしまうのは、哀しいだろう)

 モニターを通してであるが、ホームドクターの質問に答え、診断結果をしおらしく聞いた。血液サンプルはゾロが寝ている間にサンジが採取して既に送付され分析され、結果がドクターのカルテの中にある。他にも血圧だの簡単に測定できるものは全てサンジが測定済みだ。その点は実に有能だ。サンジ自身、救急救命士程度の知識は持っている、いや、全てのロボットはそれが法律で義務づけられているため、工場出荷時からインストールされている。全て、まだ見ぬ人間のために。
「しばらく、ってのは何日間だ。安静ってのはモニタ眺めて端末たたいててもいい程度か?」
 回線を切ってからゾロはサンジを振り仰いだ。サンジはゾロの背後で相手のモニタに映らない程度の距離を置いて、ドクターの診断を拝聴していた。
「マ……ゾロ、この場合のしばらくってのは一週間は最低だろ。それと、てめぇはモニタと対面しつづけてこうなったんだってコト、まだ理解してねぇのか。理解できなくてもいいから、判れ。判らなくてもとにかく研究室へは入るな。てめぇの体重があと3Kg増えるまで、あと顔色がゾンビから脱出できるまで、研究室出入り禁止だ。わかったかこの緑ゴケ」
 聞いて、ゾロはいきなり気色ばむ。一週間もだと? そんなコトしてたらせっかく頭の中で組み上げているあれやこれやが設計図どおりに出来上がるわけねぇ。
「んだと、天下のロロノア博士に向かって、研究するなってか? ああ? 俺が紡ぎ出すコード一行にいったいいくらの価値があるか解ってンのか、てめぇ?」
 いきなり剣呑な目をするゾロに、サンジは真剣な表情を返した。
「解ってるさ。その上で言ってる。てめェのおつむがもの凄え出来で、この世界中の誰もが真似できないモノを生み出すことも知ってる。実際、てめェのおかげで俺がここにこうして存在してる……ってことも、ちゃあんと判ってるさ。だけど、敢えてそれでも言うぞ。今は、休め。てめぇの頭じゃねぇ。てめぇの身体全部、心も頭も肉体も全部ひっくるめて全てが失うことができねぇ大事な命なんだってこと、てめぇこそいい加減解りやがれ」
 一気に言うと、サンジはぷいと背を向けて、それまでの作業に戻っていった。もうこれ以上この議論は続けるつもりがない、と言外に背中が語っている。
 ゾロはサンジの意外な言葉に、あっけにとられて反論も何もできずに硬直していた。
 いくらサンジが第一原則に縛られているとしても、まさかここまで強硬に押してくるとは思わなかった。
(はは)
(命を持たないヤツに命の大切さを説かれるとはなぁ)
 俺がまだ何の力も持たないガキの頃に、コイツが居たならば。
 もしかして母親の凶行を止めてくれていただろうか。
 ぶるん、と暗い方向へ思考が傾いていくのを振り払って、ゾロは頭を掻きながら寝室へと戻っていった。
「薬が届いたら、持ってってやっから」
 ゾロの背にそっとサンジの声が掛けられた。







 

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