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永遠より長く無限より短い一瞬(14)

 






「クソマリモ」
 ゾロは浅い眠りに陥っていたのが、サンジの声ですぐに目を開けた。顔が少し赤い。発熱しているのだろう。
「なんだ」
「使用可能な脱出ポッドはひとつだけ。このシャトル自体は活きているが、やはり直近の爆発の影響で完全じゃあねぇ。おそらくアンテナをやられたっぽいな。通信ができねぇ。が、それ以外の機能はさほど影響を受けていない模様だ。エンジン、燃料ともにイケる」
「で?」
「このシャトルでステーションの中心部まで行ったらどうだろうか」
「お前、操縦できンのか」
「実は、できる──てめェが今の俺のベースプログラムを組んだとき、自己向上の部分もいじくったろ。おかげで俺は限度なく自己学習できるようになった。そんで、毎日データを取り込んだりアプリケーションをインストールしまくったのさ。てめェの役に立てるようになるため、てめェに近づいて満足してもらうために。シャトルの操縦も今回月へ行くってわかったときに、ダウンロードしておいた。まさか本当に使うことになるとは思わなかったけどな」
「へぇ」
 言葉少なにゾロは感心した。自分の施したプログラムの一部分がこんな形でサンジを知らず変化させていたとは。いや、変化という言葉は正しくない。成長、とでも言えばいいのか。ロボットが自己学習で成長するとは。
「どうする。決定権はお前に委ねる。脱出ポッドで出て救助を待つか、中心部まで行ってみるか」
「だが、通信機が使えねぇんだろう。シャトルで飛んでいったところで、どうやって伝える」
「搭乗口まで運んでやるさ。幸い今は地球の昼側だ。空気がないおかげで何キロメートル先だってよく見える。すぐソコまで近づいたらさすがに向こうからでも視認できんだろ。ま、それ以前にレーダーにひっかかるしな。救難信号は出しっぱなしで飛ぶから、優先して着床させてくれる筈だ」
「………」
「もちろん、危険もある。俺は操縦方法を知ってるとはいえ、ペーパードライバーだ。経験はねえ。てめェが危ねえと思うんなら、ポッドで出て救助を待ったほうが安全かもしれねえ」
「弱気だな。もっと自分自身に自信を持てよ。お前は俺が手がけた最高傑作なんだぜ。そのお前が失敗することなんかあるか」
「……そんなこと、今言うのは反則だろ……俺だって自分の能力を過大評価も過小評価もしてねぇつもりだ。できる、と思うがてめェの命が掛かってる。怖じける、っていうのはこういうことを言うのか? 可能性の高い方を選択したいが、どちらも不確定要素が多すぎで確率がはじけねぇ……」
 サンジは頭を抱えた。眉間に皺をよせ、ギュッと目を瞑っている。ゾロはそんなサンジは見たことがなかった。その様子はどこかに痛む箇所を抱えていて、我慢している様子そのものだった。
「おい、一体……どうしたんだ?」
 サンジはぐいと頭を上げ、弱弱しく笑った。
「何でもねぇよ。で、どうする?」
「だったら、シャトルで飛んで行って、もし何か着床できないことがあったら、その時にポッドを使えばいいんじゃねえか?」
「折衷案だな。それでいいのか」
「いい。お前に任せた」
「わかった」

 サンジはゾロをコックピットの副操縦士席に固定し、自分は主操縦士席についた。エンジンを点火し、アイドリング状態のままドッキングを解く。
 ゾロがこの方針を指示してくれたおかげで、いきなり襲ってきた頭痛が今は落ち着いている。やっぱり論理回路あたりがやられているのかもしれない。だけど今はマスターの命が第一優先だ。
「目標、ステーション中心部、北塔の基部。針路一端N98WSへ向け、その後転回してまっすぐ目標へ向かう」
 ステーションは重力を発生させるため、ドーナツ状になったものがゆっくり回転している。シャトルの発着などのメイン部分はほとんど外周部分に集中しているが、ステーション自体を把握し、有形無形両方の形で動かしているのは中心部分だ。中心は太い円筒が三重に重なっており、芯となる部分は上下に長く突きだして塔状になっている。サンジはその基部へ向けて針路をとった。
 今はドーナツの輪の部分が隔壁で輪切りされているような状態だ。内部で救助を待っていたら絶対タイムアウトになる。ドーナツの輪の別の部分へ行くよりは、中心部分へ一足飛びに行くのが一番安全だろう。
 シャトルはステーションの最外周部分に繋留していて一緒に回転していたため、とうぜん乗り込んだときも疑似重力がかかっていた。しかしステーションから離れると重力も消え、ゆるやかに発進すると同時に進行方向と逆の方向へGが発生する。サンジはゆっくりと一端ステーションの最外周からさらに外に大きくふくらんだあと、慎重に中心部へ向けて少しづつ方向転換する。
「いっそのこと、このまま地球の我が家まで飛んでいったらどうだ」
「ぬかせ。ペーパードライバーの俺が軽々とそんなことしてみろ。世の中のパイロットはみんな職を失うぞ。ただでさえロボットの職域侵蝕とかで世相はピリピリしてんのに。今回のテロだって、おおかたそんな思想のヤツラが起こしたモンだろ」
「お前なあ……世間一般の家庭用ロボットはフツーこんなことできねぇの! お前一人ができたからってすぐに人間の職業を奪うなんてことはねぇだろ」
「ま、な」
 フフン、といったようにサンジが口の端で笑う。
「それに地球までドライブしたくても、さすがに燃料はそこまでねぇよ。ロングクルージングはまたの機会のお楽しみにしておいてくれ」
 ようやくいつものような軽口が飛び出るようになった。いい傾向だ、とゾロは思う。自分の怪我の状態は相変わらずで、シャトル内でサンジが見つけた救急キットにあった痛み止めの注射は打ったものの、発熱と悪寒で絶えず冷や汗が出る。呼吸が浅く、ちょっと気を抜くとすぐに瞼を閉じそうになってしまう。それでも先ほどのサンジのおかしな様子には気付いていた。
 おそらく、サンジの変調は第一原則が不安定に脅かされていることに起因しているのだろう。俺というマスターを失うかどうかの瀬戸際で、その決断をヤツ自身が下さないとならないのならば、そのストレスはかなり高い。
 不憫だなあ、ロボットってのは。
 その人間のことを好きか嫌いかは関係なく、自分の存在自体がその人間に掛かっているんだから。
 そんなことを考えながらサンジの髪に隠された横顔をうすぼんやりと眺めていた。

 サンジは軽くシャトルを加速した。あまり勢いにのって加速しすぎると、今度は減速してステーションの固有速度に同調させるのに倍以上の時間がかかってしまう。ステーションは宇宙空間で地球の周りを公転している。ラグランジュポイント1にあるため、それは月と同じ公転周期だ。速すぎず、遅すぎず──ちょうどよい速度でステーションの周囲を舐めるように飛んで──そしてちょうどその時それは起こった。

 ぽうん、とステーションのドーナツ外周の一部が膨れたように見えた。
 途端、ガガガガガガッッッ!!とシャトルに何かがぶつかってきてがくがくと揺れる。二人はすぐに外部モニタに目をやり、大きくクローズアップして見たところ、三回目の爆破が起こったことが知れた。
「何だと!?」
 同時に叫ぶ。
 真空中に音は伝わらない。ただ外壁の一部分が弾けただけのように見えただけだ。しかしそこからの破片が近くを飛んでいたシャトルに直撃した。
 操縦席のコントロールパネル類がたちまち赤く染まる。警告ブザーがけたたましく鳴り響いた。サンジは神業のように手を動かして次々とそれらをなだめすかし黙らせたが、それでもパネルの半数以上がまだ赤いままだった。
「まずい」
 モニター類を一瞥して、サンジが蒼白になる。
「今のでブレーキがやられた。減速できねぇ!」
「だめか」
「残念ながら、これは俺にもどうしようもねぇ。他にも……ちっ! スタビライザーもかよ!」
 サンジはまたレバーやスイッチを目まぐるしく操作して、反応のなさに眉をしかめた。
「脱出するしかねぇか」
 押し殺した声でゾロが言う。
 サンジはそれにはすぐに答えず、黙ったまま視線をステーションが映っている正面モニタに固定していた。
「……サンジ? 何呆けてる! 急がねえと時間がねぇぞ!」
「……そうだな。ここまで来てこんな結末はおそまつだがしょうがねぇ」

 パチパチとシートベルトをはずし、ゾロを抱きかかえて脱出ポッドのハッチを開く。狭い内部にゾロを押し込めると、サンジはふとゾロの顔へ自分の顔を押しつけるようにして口を開いた。至近距離でビー玉の目が揺らめく。
「悪ぃ。ここでお別れだ、クソマリモ」
「?何言ってる? 早く来い!」
「ダメだ。行けねぇ。このままだとこのシャトルはまっすぐステーションに衝突しちまう。そうなったらテロどころの話しじゃねぇ」
「じゃあ、針路を変えろ!」苛々とゾロは叫ぶ。
「それもできねぇんだ。できることは加速することだけだ。だから加速させて、ステーションの軌道の針路前をすり抜ける。そうすれば衝突はしないですむ」
「じゃあお前はその後どうするんだ!」
「どうもしねぇ。シャトルと一緒に飛び続ける。目一杯加速させた後は、燃料も尽きるだろうが減速しない限りそのままの速度で飛んでゆく」
「サンジ! それがどういうことか、解って言ってんのか!」
 声を限りに叫ぶ。もどかしい。足さえまともに立てたならば、襟首をひっつかんで投げ飛ばしているものを。

「……頭痛が酷いんだ。このままシャトルを突っ込ませたら、多分俺は陽電子頭脳がイカレる」
 判ってくれ。どうせイカレて使いモンにならなくなるよりは、多くの人間を救いたい。ロボットは簡単に死にはしない。たとえ空気がなくても、誰ひとりそばにいなくても、死にはしない。だが、第一原則が俺を縛る。そして逆らったら、死ぬんだ。ロボットの死。それは陽電子頭脳の崩壊。
「じゃあ、ステーションをすりぬけた後に一緒に脱出する!」
「それも、だめだ。目一杯加速した後だぜ。脱出ポッドも慣性でとんでもなく遠くへ射出されちまう。そうなったら救助までてめェが保たねぇ。同じだ。マスターのお前が──いなく、なっちまったら──俺はやっぱりイカレちまう。わかってくれ。こうすることが一番いい解決方法なんだ」
「だめだ! お前がいないと、俺は、俺は……」
 俺は──何だと言うのだ? サンジがいなくなると、寂しい? 哀しい?──俺の手がけた作品が惜しい? 不便になるから? 快楽の相手がいなくなるから? 

「俺のことなんか気に掛けるなよ。言ってるだろ。てめェを優先するのは、俺に最初っから組まれてる第一原則のせいなんだって。こりゃ本能なんだから、しょうがねぇよ。そういうわけで、ここでさよならだ。ゾロ。今まで楽しかった。ありがとな。せいぜいこれからもすげえプログラムたくさん作れよ……ちゃんと身体と相談してほどほどに食事と睡眠はとりながらだぜ?」
「サンジ! このバ───」
 ゾロの叫び声は中途でポッドのハッチに遮られた。サンジがゾロを押さえ付け手早くハーネスを掛け固定してハッチを閉じたのだ。その速さは尋常ではなく、ゾロはサンジの背に手を伸ばした時に初めて身体が動かないことに気付いたほどだった。
 次の瞬間、ビイイイイイ、とブザーが鳴り、いきなり強いGが掛かる。すでに弱り切っていたゾロはそこで意識を失った。遠ざかる意識の中、サンジが背を向ける前の最後の表情がゾロの脳裏に何度も浮かび上がっては消えていった。
(あんな顔で微笑うなんて)
(最後の最後にようやく俺の名前呼びやがった──) 
 そのとき、ずっと抱えていたもやもやしたものの正体がわかった気がした。
 
 サンジが最後に見せた表情。透きとおるような綺麗な笑み。ゾロと一瞬だけ絡んだ視線は、言葉と真逆の気持ちを浮かべていた。諦観。憧憬。切望。──────恋情。

 俺は──ずっと欲しくてようやく手に入れたものをそれと気付かず手放してしまったのか?





 時折針路がブレるため、しっかり操縦桿を握りしめ、サンジは最終加速体勢に入った。ゾロの脱出ポッドを捉えたモニタへちらりちらりと視線を流す。よかった。あの位置と速度なら、すぐに補足されて救助されることだろう。ゾロさえ無事なら何も言うことはない。
 ゾロの命がすべてだった。あの研究しか見えていないような、いつも遙か遠くを見つめている目が、自分という存在の傍にある、それだけで満たされていた。
 毎日毎日、彼の食事を作り、身辺を整え、雑事をこなし、そして合間合間に彼の声が自分に掛けられ彼の視線が自分に向けられる、それだけで体内で何かが反応した。
 彼の手が自分に触れ、彼が自分の内部に入り込んでくると、その「存在しない感覚器」が限度を超えるほどに反応する。一体どういうわけかわからない。だけどその反応は自分にとって混乱と──同時に安らぎをもたらした。身体の中、思考とはまたちがう部分が「暖かく」感じるというのはどんなことなのだろう。
 時間を掛け、何度も何度も繰り返し思考を重ねて、その正体を突きとめたのは随分とたってからだった。

 さあ、目一杯エンジンの出力をあげよう。そら、これで軽々とステーションより先を交差する。もう少しだけ噴射すれば、もう燃料はすぐ尽きてしまう。減速することもできないから、慣性の法則でこの速度を保ちながらしばらく飛び続けることになる。しばらく──何ヶ月? 何年? 何十年? ことによったら、この世の終わりまで? このシャトルの軌道が太陽に向かっていたのならよかったのに。もしくは地球に落ちるのでもよかった。このままだと太陽系外へ向かって一直線だ。誰もいない暗い宇宙の深淵へ俺は飛んでいく。アイツが知ることのなかったアイツへの想いを抱えながら。

 燃料が尽きて、そのまま操縦パネルのランプがひとつまたひとつと消えてゆく。どこへゆくとも知れない針路のまま、シャトルは一定の速度でまっすぐ飛んでゆくが、すでに機能の半分以上が停止していた。燃料が切れ、船内の環境を維持する循環系統が停止すると、温度がどんどん下がってゆく。空気は密閉空間でリフレッシュされずそのまま淀むが、サンジにとっては温度変化も空気の停滞も関係なかった。外部を映していたモニタが消え、室内灯も消えてしまうと、音も光もない虚無の空間に支配される。それでもサンジは何もない真っ暗な闇のなか、まっすぐ前を見つめていた。
 もう、終わりにしよう。このまま何十年も変化のないまま飛び続けていても、ここで誰かの役に立つわけでもなく、害になるわけでもなく、存在すら知られないまま宇宙の塵くずを掻き分けているだけだし。ここではロボット工学の第一原則も、第二原則も意味をなさない。助け、支えるべき対象がいないのだから。それでもまだ第三原則が自分を縛る。「ロボットは第一、第二原則に矛盾しない限り、自分の身を守らなければならない。」だからこんな状態でも自殺はできない。──自殺? いや、「自壊」か。
 まあ、言葉は何だっていい。ただ、何をすべきなのか「何もない」状態のまま死にもせず座っているだけというのも──辛い。そう、「辛い」んだ。
 自己破壊はできないが、近い状態になることなら許されるだろう。全ての機能を停止させ、スリープモードになれば、陽電子頭脳の活動も停まり、つまり「意識」がなくなる。うまくすれば、その状態のまま隕石か何かに衝突するか、どれか惑星の引力に捕まって落ちるかもしれない。
 こんな結末になるとは本当に予想外だったが、あの状況からゾロを救えたことだけで満足だ。

 さよなら、ゾロ。俺の、マスター。

 サンジは暗闇の中で、瞼を閉じた。





 

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