こちらのプルダウンボックスで読みやすいスタイルをお選び下さい。





永遠より長く無限より短い一瞬(15)

 






 それ、はいつから起こったのかはわからない。
 ゆっくり──ぽつりぽつりと雨が降るように俺の中に優しく降りてきた。
「心地いい」「嬉しい」「綺麗」「気持ちいい」「美しい」───。
 そうして『感情』というものがゆうらり、と俺の陽電子頭脳の海に時折浮かぶようになった。
 おそらく、その動きが『心』というものだろう。
『サンジ、──』
 呼ばれるごとに『心』が震えた。
 感情も心も、まだ幼く芽生えたばかりの頃は、それを表わす術を知らずに俺の中でただゆらゆら揺れているだけだったが、それでも俺の奥の奥底にしっかりと根ざした。
 ゆっくりゆっくりそれは少しづつ育ってゆき、ゾロが俺を「人間らしく」してゆくにつれ、ひ弱だった『心』は表現する術をもったことで大きく枝葉を茂らせていった。
 この躯は有機生命体ではないが、感覚を持ち、それが俺の陽電子頭脳へもたらす信号はいろいろな感情の言葉と結びついていた。
「気持いい」「暖かい」「柔らかい」。もちろんたまに「痛い」「辛い」なども。
 そのうちに、「嬉しい」「もっと欲しい」「触れたい」という欲求が。

 いつのころからだろう。ゾロを「愛しい」と思うようになったのは。



*  *  *  * *  *  *  * 



 ゾロはぽっかりと目を覚ました。見慣れない天井を見上げ、空白の時間の意識をたぐり寄せようとする。
(何だっけ……)
 何か、すごく大切なことを。
 途端、一気に全てを思い出した。
「……サンジ! サンジは? アイツはどこにいる?」
 身体を起こそうとしたが上手く動かない。見ると点滴の針が腕にさされ、身体が飾り気のない病院のベッドに横たわっているのだと知れた。あれからどれくらい経ったのか。ポッドで漂っているところを救助されてそのまま搬送されたのだろう。身体が重い。腕も足も全く動かない。
 ぱたぱた、と軽い足音がしたかと思うと、白衣に身を包んだナースが部屋に入ってきて、ゾロを見るとにっこり微笑んだ。
「よかった。意識が戻りましたね。一時は大変だったんですよ。でも基本的に丈夫な体のつくりをしてらっしゃるから、もう大丈夫、すぐに元気になれますわ」
「俺がここへ来てから、どれくらい経った? あの事故はどうなったんだ? 俺たちが乗ったシャトルはどうなったんだ?」
 矢継ぎ早にゾロはナースに質問を浴びせかけた。とにかく。とにかくアイツを早く取り戻さねぇと。
「ロロノアさん、そう興奮なさらないで。まだショックから抜け出せないのは判りますけど、もう大丈夫、全て済んだんです。テロ事件は収束しました。実行犯は全員逮捕され、今は背後関係を調査中です。今日は事件から一週間経ったところです。ここはゴールドロジャー記念病院で、貴方は緊急シャトル便で運び込まれてから今までずっと集中治療室にいて、ようやく今日になって容体が安定したので一般病棟の個室に移されたところなんです。でもしばらくは面会謝絶の札がはずせません。なにしろマスコミがうるさくって。でも会いたい方がいるのでしたら、短時間でしたら大丈夫ですよ」
「……サンジ、サンジは」
 会いたいのはサンジだ。会って、あの微笑みの意味を問いただすのだ。

「ひとつ、教えてくれ」
「はい、わかることでしたら」
「俺はポッドで脱出する前にシャトルに乗っていた。そのシャトルはどうなった?」
 ナースは考え込むように人差し指を頬にあて、首をかしげた。
「そうなんですか? 脱出ポッドで漂流しているところを救助されたと聞いていますが、それ以前は……」
「誰かわかるヤツはいねぇのか」
「私にはよくわかりませんが、博士の意識が戻ったら、と警察の方が事情聴取のためにお待ちです。多分そちらの方が詳しい状況を知っているかもしれません。でもお目覚めになったばかりで、そう興奮なさっては無理です。お身体に障ります」
「じゃあ、すぐ呼んでくれ。俺は大丈夫だから」
「でも……」
 ゾロは深呼吸をひとつした。この看護婦に怒鳴ったところで何の解決にもならない。何とかぎこちない笑みをつくる。
「悪ぃが、俺はどうしても、今、知らなくてはならないんだ。事情を知ってるヤツを連れてきてくれないか? 頼むから」
「……わかりました。でも本当に少しだけですよ? 容体が悪くなったらすぐお引き取りいただきますからね」

 やってきた刑事(たぶん)達はいかにも、という面構えだった。ゾロに爆発時直前の状況から救助されるまでのいきさつを一通り聞いた後、シャトルの行方についてはやはりわからない、としか答えられなかった。
 はあ、貴方の秘書ロボットが乗っていたんですか。確かにそれは残念なことでしたが、貴方を助けるために当然の行動だったのでしょう。シャトルの行き先は我々にはわからんのです。そのまま地球に墜ちたとも聞きませんから、どこか遠くへ飛んでいったことは間違いないと思いますが。

 警察ではダメだ。航宙関係者、それもできればあの時ステーションに居た人間に聞かないと。とにかくここから出て、知っているヤツを掴まえなくては。
 しかしそれでも病院側が頑として退院を許可しなかった。生来、なんのかんのと言っても自分の好きなように生きてきたゾロは、ここに来てどうにもしようがない焦燥感に毎日責めさいなまれることとなった。今までのゾロなら、多少身体の自由が利かなくても無理矢理病院を抜け出していたが、何しろ両足を切断されてしまっている今は昼間でも簡単に思う場所へ行くことができないのだ。
 失った足部分はロボット工学の基礎ともいえる電子義肢をとりつけることとなった。残った神経と人工神経とを接続し、支障なく動くようにその後二回手術を行った。傷の回復と義肢の適合リハビリに三ヶ月。ゾロは手術後の気が狂うような痛みにもよく耐え(神経が上手く接合したかどうかを測るため、麻酔が切れた後に痛み止めが使えないため)、人一倍熱心にリハビリに取り組んだ。その甲斐あって、通常人なら五ヶ月はかかるところをたった三ヶ月で退院することを許された。

 三ヶ月後。事件後のしつこい報道狂熱はすっかりナリを潜め、ゾロが退院する日も二名の記者が軽く感想を、とマイクを向けるだけに留まっていた。
 人付き合いが悪く、サンジと暮らすようになってからは、大学の研究室や企業のラボにもほとんど出かけないようになっていたゾロは退院の日もひとりで荷物をまとめて帰宅するだけだと思っていたところ、思いがけなく大陸の反対側からエースがひょっこりとやって来た。

「よう。久しぶり」
「……ほんっとアンタっていつも唐突なんだなぁ」
「それが俺のウリなんでね。神出鬼没と言ってくれ」
 ニヤリ、と変わらぬ笑顔を向ける。
「退院おめでとさん。そして俺もおめでとさん。今日はな、コイツを見せに来たんだ」
 ほれ、と身体を斜めにずらして、背後に居る人物をゾロの視線の前に押し出す。
「俺の嫁さん。とムスコ。ど? かわいいだろ?」
 ゾロは正直なんと言っていいかわからず言葉を失った。エースが結婚? そして子供まで? しかしその驚きは一瞬のことで、すぐさま暖かな思いが胸にわき起こり、そのままストレートに言葉になった。
「……おめでとう、エース。アンタにしちゃ、すげぇ上出来。幸せなんだな」
「おうよ。もっと言ってくれ。な、コイツが話したロロノア・ゾロ。すげえ頑固でへそ曲がりで強情だけど、心根は素直で真っ直ぐで不器用な天才工学博士だ。ゾロ、この美人が俺の自慢の奥さん、コニー。手ぇ出すなよ。そんでもってこの玉のようなベイビーが俺達のムスコ、マルコだ」
 コニーに抱かれて、まるまるとした腕をぶんぶんと振り回す様は今からわんぱく坊主になる予想を確実に裏書きしている。くっきりとした目は初めて見る顔にぴたりと据えられて好奇心を丸出しにしていた。
 にこやかに挨拶をした赤ん坊の母親は、ゾロの身体を気遣いながら、少しだけゾロにその小さな生まれたての命を抱くことを許した。ふわふわと軽く、少しでもヘマをして落としてでもしたら大変と非常に緊張しながら受け取ったゾロは、腕の中で確かに息づく小さな熱に、えも言われぬ感動を覚えた。
(人はこんな小さく頼りなく不完全に生まれるものなんだ)
 そしてそれをはぐくみ見守って支える両親のこの笑顔はなんて眩しい。
(無条件の愛、か──)
 素敵だ。俺には縁がなかったけれど、でも今素直にこの光景を見ることができて嬉しい。
「で、今日は退院なんだろ? これから家へ戻るとこだろ? 一緒に行こうぜ。俺らのエアカーに乗っていけよ。遠慮すんな。久しぶりなんだろうからお前ひとりだったら絶対道間違えるとこだから、親切に連れてってやるよ」
「なにが親切だ! 俺が自分の家へ帰るのにいくらなんでも間違えるわけねぇだろーが!」
 ──相変わらずだ。いつだってエースは俺の少し滅入った気分なんて軽く吹き飛ばしてしまう。今日だって、サンジが居ない家にひとりで帰ることを見越して来てくれたに違いない。決してそんなことは言うヤツじゃあないが──
 エースのさりげない心遣いがゾロの気持をやわらげてくれた。その晩は大騒ぎをしながらエース一家がゾロの家へ泊まり、翌朝またまた大騒ぎしつつ遠い地にある彼らの家へと帰っていった。

 滞在中、エースはふと真面目な顔つきになってこう言った。
「サンジは──残念だったな。心からお悔やみを言わせてもらうよ。俺はてめェらの間の絆がどれほどのものかは判らないが、それでもアイツがただの執事ロボットじゃあなかったのは判る。おめェが多分今抱えている喪失感は、時間しか癒してくれねぇかもしれない。当分次のロボットを使う気持ちにならないかもしれない。だけど、やっぱりてめェは生きていくしかねぇんだ。ゾロ。生きて、次の世代に形になるものを遺せ。別に俺のように結婚して子供を作れって言っているんじゃあねぇぞ。もちろんこういうことも大事だし、素晴らしいものだけどな。───俺が心配してるのは、このままお前が埋もれちまうことだ。お前ってやつは、自分では判らないだろうが、こんなごつい身体に固え顔してるクセして心の奥底はすげえ優しい奴だって俺は知ってる。だから自分で傷ついていることに気付かないでいるから、却って心配なんだよ。自分の弱さを知ってるヤツは他人に癒してもらう術が自然に身に付いているが、お前はそれがド下手なんだ。いつまでも傷ついたまま、自分の傷をほったらかしにしてしまう。独りで抱え込むな。俺だけじゃねぇ。お前が気付かないだけで、きっとお前を気遣ってる人間は周囲にいるだろうぜ」 
「エース」
 俺は大丈夫だ、そう言おうとしたが言葉にならなかった。しょうがなく、手の中のグラスをあおった。なぜだろう、味がしなかった。
 サンジは、もういないのだ。解ってはいたものの、家に居るとどうしてもそこここに彼の影を捜してしまう。
 こういう思いをすることを判っていてエースはゾロについていてくれたのだ。
「ありがとう……俺はアンタにいろいろもらってばっかりだ」
「おう、感謝しろしろ。何なら俺サマの胸を貸してやるから泣いてもいいぞ」
「泣くか、バカ」
「何言ってる。泣くってことは精神衛生上、非常にいいことなんだぞ。泣いて鬱屈したモン、全部ぶちまけちまえよ。スッキリするぜえ?」
「あー、またの機会にな。今日は遠慮しとくわ」
「またの機会なんかあるかよ。今日だけの特別サービスだぞ」
「わはは、ちょ、エース、たんま」
 エースがゾロの頭を掴んでヘッドロックをかける。ゾロは笑ってされるがままになっていた。ゾロが声をあげて笑ったので、エースも一緒になって笑った。そのままふたりでわけもなく笑い転げた。





 

(14) <<  >> (16)