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竜の覇者(14)




 ゾロはそっと薄目をあけて状況を確認した。竜児ノ騎士の中でも乱暴者で少々問題視されている者たちが三人、サンジをぐるっと取り囲んで立っている。
 サンジは自分を中心とした輪が狭まってくるのを黙って見ていた。
 と。
 瞬間、サンジの身体が揺らいだように見えたかと思うと、囲んでいたうちふたりがその場で倒れた。
「何しやがった! てめぇ!」
「……───」
 サンジは黙ったままで、もう一度足を振り上げる。今度はその長い足が動く軌道をゾロの目は捉えることができた。
 たいしたもんだ。以前ゾロに向かって振り上げられた時に比べ、さらにスピードと威力が増しているようだ。残念ながら軸足と蹴り出す足が決まっているために、リズムがとりやすく、一端リズムを掴んでしまうと回避もされやすい。
(惜しいな)
 もしあれで右足に障害がなく左右どちらも使えたなら、蹴りの届く範囲も広がるし、何よりバリエーションが格段に増えるのに。
 しかし、三対一、それも年長者相手にはさすがに不利は否めなかった。当初の一発目の蹴りがかなりダメージを与えてはいたものの、そこから立ち直って起きあがった少年たちは、更なる怒りから手加減なしに躍りかかった。
「ヤロウ、舐めやがって!」
「思い知らせてやる!」
 別にサンジはてめえらを舐めてるわけじゃねぇと思うぞ、とゾロは呑気に思うが、黙って聞き耳をたてていられたのは僅かの間だった。

 ひとりの少年が地面にうずくまったサンジを蹴り上げようと大きく足を後ろへスイングしたところを、ぐいと掴む。
「いい加減昼寝の邪魔すんじゃねぇ」
 いかにも今起きたばかり、というように機嫌悪い目で睨み上げると、う、とばつの悪そうな声をあげて黙り込んだ。
「とっととどっか行っちまえ」
 乱暴な物言いに反論しかけたが、年齢が近いとはいえ、すでに何度も糸降りに飛び、若手の中でも早さと技量で有名になってきたゾロと、まだ飛行訓練を始めたばかりの見習いでは身分の差は歴然としていた。

「…大丈夫か?」
 三人が姿を消してからゾロはゆっくりと起きあがってきたサンジに言った。サンジと話すのは久しぶりのことだった。お互いがそれぞれの役割を果たすのに忙しく、姿を見かけても話をするだけの時間はいつもなかった。
 ぱんぱん、と服の土ほこりを払いながら、サンジがゆっくりと口を開いた。
「…本当のことだ」
「何が?」
「療法師と統領が俺の性別を確認しに来たってこと。聞いてたんだろ?」
「何だって?」
「師補に俺を押さえつけさせておいて、あちこち身体じゅうつつき回したあげく、性器出して」
「───!」
「こすって、勃たして」
「もういい!」
「で、ちゃんとオトコとしての機能があるかどうか、確認してった」
「もう、いいからっ」
「……だけど、それ全部ラティエスから離れないためならって思って我慢した。大厳洞の他の人たちが、俺がちゃんとラティエスの伴侶だって認めてくれるんならって」
 二人の間に沈黙が落ちた。しばらくして、そっとゾロが口を開く。
「でもお前は男だって、証明されたんだろ。なら顔を上げろ。竜騎士は簡単に泣かねえぞ」
 サンジはぐいと袖口で顔をぬぐって、ようやくゾロを見た。唇の端が切れて血が滲み、ほお骨のあたりが青く痣になりかけている。しかし頬に涙のあとはなかった。
「俺は念願かなって竜騎士になれた。だから泣かねぇ」
「よし」
「常に冷静でいよう、って思うんだ。立派な竜騎士らしく、冷静に」
「うん」
「…けど、ときどき、どうしても感情を抑えられねぇ時もある」
「そりゃそういう時もあるさ」
「我慢しなきゃって思うのに。俺なんかがせっかく竜騎士になれたんだから、これくらいのこと我慢しなきゃって」
「『なんか』だと? おい、それちょっと違うんじゃねぇか?」
 ゆっくりとサンジはゾロを見つめた。ぱちぱちと睫毛が音をたてそうなくらい大きくまばたいている。
「おまえはまだ、自分がラティエスにふさわしくないんじゃないか、って心のどこかで疑っているだろう? そう思う気持ちがあるから、皆がそのうち受け入れてくれる、認めてくれるのを受け身で待っているんだ。だけど、待っているのはこの場合美徳じゃあねぇぞ」
「………」
「おまえは生い立ちの理由から、我慢することには慣れっこになっているんだろう。待つことや、堪え忍ぶことは、俺なんかよりずっとスゴイよ。だけどな」
 ゾロは言葉に迷って一端切ったが、すぐさま続けた。
「おまえはきちんとラティエスに『選ばれた』んだ。そのことを誇りに思え。っていうか、おまえを選んだラティエスを信じろ。おまえが自分を卑下している限り、ラティエスの選択を間違っていると言っているようなもんだぞ」
「ラティエスが──」
「そうだ。自分自身が信じられなくても、ラティエスなら信じることができるだろ? 竜騎士はみんなそうだ。そしてラティエスが選んだ自分を誇れ。胸を張れ!」
「───」

 言いたいことを言ってしまうとゾロは黙った。サンジはゾロの言葉をかみ砕くように口の中で繰り返していた。
 すでに太陽は西の空にほとんどの部分を沈ませ、空は茜色の残光が地平線あたりを漂っているのみとなっていた。
 バシリスがゆっくりと首をもたげ、ゾロの姿を目にして甘えるような鳴き声をあげた。ゾロはまだ突っ立っているサンジを気に掛けつつ、バシリスの傍に歩みよって、その首を軽く叩いた。
「さ、夕飯の時間に遅れるぞ。戻らないと。おまえは、ラティエスをどこへやった? 彼女はどこにいるんだよ」
「ラティエスは一足先に岩室へ戻した」
 ぐうっとサンジは背を伸ばし、中空で耳を澄ますような姿勢をとった。
「まだ、寝てる。今日はたくさん食べたし」
 距離があってもサンジにはラティエスのゆったりとした息づかいのようなものを感じ取っていた。起きていればもっと活発で具体的な思考や感情が感じられたが、今はそういったものはない。
「じゃあ、乗せていってやる。ほら、こっち来て、俺の前に座れよ」
 ゾロはバシリスの前脚に足を掛け、流れるような動きでバシリスに跨った。そしてサンジに向かって手を伸ばす。
「ほら」
「ん」
 サンジはゾロの手を握ると、身軽にひょいっと身体を持ち上げてゾロの前に同じように跨る。
「相変わらず細っちいな、おまえ」
「ち、気にしてることをずけずけ言いやがって。今にみていろ。絶対おまえよりムキムキのマッチョマンになってやる」
「ははっ! せいぜい頑張れよ。ま、無理だと思うがな」
「ぬかせ!」
 しかしサンジはこんな風に言いたいことを言わせてくれるゾロの存在が、心から有り難かった。
 背中から伝わるゾロの体温も、真っ直ぐに自分の心に届くゾロの言葉と同様に暖かく、正面から受ける夕風の冷たさすら気にならなかった。風はじんわりこみ上げてきた目のあたりのモノを飛ばしてくれたので、後ろに座っているゾロにも見られないで済んだろう。

 ふと、バシリスが微かに首をかしげるような仕草をした。
「バシリスが、サンジは大丈夫かって聞いてる」
「大丈夫だ。乗せてくれてありがとうって伝えてくれ」
(うん、俺は大丈夫だよ。ゾロには黙っていてね)
 サンジはバシリスに直接呼びかけて心遣いに感謝した。実はサンジはどの竜とも話すことができたが、それに関してはゾロにすら打ち明けるのを躊躇(ためら)っていた。幼いころの唯一の友だちだった見張りフェルとも、その皺だらけの皮膚に手を回して黙ったまま心を通わせていたのだった。
 どの竜からも思考を受け取れるし、自分の思念を投げることもできる。サンジは自分のこの特異な能力をなんとはなしに隠しておくべきだと感じていた。異質であることは排除される対象にあると幼いころから無意識に知っていたのと、何より目立つことは避けるというのが第二の本能のようになっていたのである。
 しかし今やサンジは異質中の異質であり、黄金竜と共に居るときはこの上もなく目立っていた。ゾロがもしもこのサンジの能力を知ったならば、こんな優位な能力を隠しておくなんてバカだ、と怒ったことだろうが、サンジは竜騎士として馴染むのに精一杯だったのである。

 今日もまた、年長の竜児ノ騎士たちに呼び出され、難癖をつけられていたところだった。サンジは与えられた課題には真面目に取り組み、できる限り周囲を刺激しないように言動も抑えているのに、どうしても同期の竜児ノ騎士たちと馴染めないでいた。自分が浮いているのは分かっていたけれど、あからさまに悪意を向けられるとさすがに堪(こた)える。
 いったいいつになったら自分を竜騎士のひとりとして受け入れてくれるのだろう──そう考えて心が沈みかけた。

 しかし、ゾロがひとつの解答を示した。
(もっと自分を信じろ、誇れ、か)
 下ノ洞窟の厨房で、少しだけそのきっかけを掴みかけたところだった。朝のスープを任されるようになった時の高揚感は忘れられない。
(ラティエスが俺を選んでくれたときのあの高揚感はもっと凄かった──)
 思い出すと今でも震えがくるくらいだった。あの感覚を大事にもっと前を向いてやってみよう──。
(ありがとう)
 サンジはバシリスではなく、ゾロに向かって思った。
 バシリスが(伝エル?)と尋ねてきた。それに(いいや)と返事を返したところで大厳洞の峰に着地した。

「サンジ」
 別れ際にゾロが言った。
「強くなれ。誰もがお前の竜がお前にふさわしいと認めるくらい強くなれ。おまえのことを苛めたやつらも、療法師も統領も、みんなぐうの音もでないくらい強烈に、おまえ以外に黄金竜の伴侶にふさわしい奴はいないと認めされてやれ」
「…わかった」
 そう言ってゾロを真っ直ぐ貫いた視線はすでに強い光をたたえていた。
「ん」
 がつっと拳と拳を合わせて別れる。背を向けたら互いに振り返ることはなかった。


 それ以後、またしてもゾロはサンジと二人だけで言葉を交わす暇を見つけることができなかったが、時折サンジたち竜児ノ騎士たちの訓練を眺める機会はあった。
 遠目にではあるが、サンジが以前は目を伏せ誰とも視線を交わさないようにしていたのが、きっと顎を上げて口元を引き締まらせているのを見て、確実に進歩があったことを内心喜んだ。しかしそれでも時折、サンジが訓練ではあり得ない箇所に青あざを作っていたり、こそこそと竜児ノ騎士たちが数名で固まっているのを目撃するたびに、まだまだ先は長いとこっそりため息をつくのだった。


 

  

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