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竜の覇者(17)




「え、まさかハイリーチェスから飛んで来たってのか? 間隙を抜けて? 一体騎士なしでどうやって…!」
 群衆の中にいた男のひとりが叫ぶように言った。サンジはちらりとその男の記章を目にして、それが竪琴師だと認めた。竜騎士でなくとも、竜に関わりの深い人間もたくさんやって来ているのだ。
「ラティエス、どこへ…?!」
(ソノ空イテルトコロヘ降リルワネ)
 さすがにサンジはうろたえた。ラティエスはこともあろうに、早駆け獣のレース場に降りようとしていた。確かにそこなら人間がいないから一番安全であろうけれども…。
 サンジは急いでラティエスが降り立った場所へと走り寄った。人垣はサンジの前で左右にさっと分かれて道を作る。そこへさっき完全に見失った青銅ノ騎士が走り寄ってきた。
「おう、サンジ! おまえ、あれは一体どういうこった? なんでラティエスがひとりで飛んでくるんだ?」
「ゾロ! 詳しく説明してる暇はねえ! とにかく彼女のところへ行かねえと!」
 ラティエスが降り立ったことで、レースは完全に中断してしまい、観衆たちは一体何が起こったのかと大きくざわめいていた。さもありなん、滅多に見ない黄金竜が、それも騎士を乗せていない単独で市のレース場のど真ん中にやってきたのだ。
 ばさばさ、と力強く後翼で羽ばたきバランスをとって、その巨体からは想像できないくらい身軽くラティエスは降り立った。急いでサンジはゾロを伴ってそこへ駆け寄り、ラティエスの首へと腕を回してとりあえずの再会の喜びを伝えた。
「大丈夫、俺は大丈夫だから」
 たとえ一時でもラティエスに心配をかけてしまってすまない、という思いとラティエスのサンジを案じる愛情の深さに思わず目頭が熱くなってしまう。くるくるとめまぐるしく色が変わる彼女の目に向かってサンジは安心させるように微笑みかけた。

「さて、これは一体どういうことかな? 私の市に対して何のいやがらせか?」
 冷静なよく通る声がざわめきを抑えてこの一対に呼びかけられた。レース場の貴賓席から豪奢な緋色の衣装をまとった男が立ち上がり発した声だった。その黒々とした髭をたくわえた長身の男にサンジは見覚えがあった。ラティエスの孵化ノ儀の時にも不満を叫んでいた、ティレク城砦の太守その人だった。
 サンジは太守に向かって深々とお辞儀をした。
「本日は貴城砦の市の開催、誠に喜ばしく思っております。レースを中断させることになってしまって大変申し訳ございません。私はハイリーチェス大厳洞の竜児ノ騎士サンジ、これなるは我が半身、ラティエスでございます。不慮の事故が起こり、つい我が半身をハイリーチェス大厳洞より呼び寄せる結果となってしまいました。ですがこれは全くこの大切な市を妨害しようという意図にあらず、ただただこの結果となってしまったことに申し訳なく思う次第です。彼女は単に私の身を案じてやってきただけのこと、責めを負うのはどうか私ひとりにお願いしたい所存です」
「ほう。つまり君が彼女を呼んだ、と?」
「はい」
「ここティレクからハイリーチェスにいる彼女を?」
「はい」
「そして彼女は君が心配になって闇雲に飛んできた、と。私の市を台無しにするのも厭わずに」
「その点は深くお詫びいたします。繰り返しますが、彼女にはそのつもりはありませんでした」
「ふうむ。まあ、それはまた後で考えよう。ところで、彼女がすっとんでやって来た、その理由は? そもそも君の身に何が起こったのかね?」
 きり、とサンジは奥歯を噛み、一呼吸置いたところでゆっくりと口を開けたが、また閉じた。それを満場の観衆の前で語るのはできれば避けたかった。ラティエスが侮辱されたその内容は。
 ぐいと顎を上げ、意を決してサンジが言った。
「それについてここで語ることはご容赦を。ラティエスの名誉に関することですので」
「ほおう? 君はそこにいなかった竜の名誉の為に事故を起こし、思わずその竜を呼んでしまったと言うのかね?」
「はい、そうです。いえ、はっきりと呼ぼうと思ったのではありませんでした。ただ、強く思い描いただけでしたが──しかし、私はこのラティエスの騎士、いかなる理由があろうとも、我が伴侶が侮辱されたら、黙っているわけにはいられません!」
 そしてラティエスはその言葉に反応した。大きくその場で翼を拡げ、サンジを擁護するようにひと声、高く鳴いた。
 黄金竜を背に、サンジはぴんと胸を張り、頬を紅潮させてきりりと周囲を見渡した。誰か俺に意義を唱えるものがいたら出てきやがれ、俺が相手になってやる、そう身体じゅうで叫んでいた。

 場内がサンジの気に押されて一瞬しんとなる。
 そのとき、サンジの脇からふわりと濃い緑色の衣装をまとったゾロが進み出た。
「アーステル太守。どうか詳しい話しは別に場所を移してゆっくりとなさったらいかがかと。竜児ノ騎士の謝罪を聞いているだけでレースがずっと宙ぶらりんになっております故。黄金竜は目の保養にございますが、この場所においては残念ながら主役は彼女ではありますまい」
「貴殿は?」
「申し遅れました。私はハイリーチェスの、青銅竜バシリスの騎士ゾロにございます。サンジとは乳兄弟の縁でございますれば、一緒にレースを楽しむつもりで参っておりました」
「それでは青銅ノ騎士どの、貴殿はこのサンジの身に何が起こったのか見ていたのかね?」
「いえ、私は…」
 ゾロが言葉を濁した。ちょうどそのときはぐれてしまっていたので、何が起こったのか全く説明できない。
「太守どの。よろしければ私が、全くの第三者として一部始終を説明できると思います」
 落ち着いた声がさらにそこへ割り込んだ。ゾロもサンジもそちらへぱっと視線をやると、青い上着をまとった穏やかな顔つきの男が立っていた。青。竪琴師の色だ。サンジはその男が先ほどラティエスの登場に驚きの叫びを上げた男だと見て取った。記章は徒弟でも師補でもない、工師の位。若い顔にそぐわぬ地位に、ゾロもサンジも内心誰だろうと疑問に思った。
 竪琴師は音楽を奏でる以外に、中立の立場を貫いて物事を客観的に語る語り手でもある。証人としてこれ以上はない人物であった。
「…よかろう。とにかくこれ以上レースを止めてしまっては今日中に終わりそうにないしな。それではサンジ、そなたの伴侶にその場所を空けて別の場所に移ってくれるよう、伝えてくれないか。それから君と青銅ノ騎士どの、竪琴師どのは私についてこちらへ参られるがよい」
 それから観衆に向かって一段高い声を張り上げた。
「皆の者、気にせず引き続いてレースを楽しんでくれ。私からふるまい酒を一杯づつ差し入れよう。これ、誰か樽を」
 脇に控えていたお付きの者にうなずき、樽の手配を促した。聞いていた観衆はわっと歓喜のどよめきで感謝の意を伝えた。厳しいと評判のアーステル太守だったが、ただ厳しいだけではない。冬の間や糸降りの期間は食料を確保するために厳しく統制を敷かなくてはならない。その上で平等に配分し、皆が生き抜いていかれるように計るのも太守の役割だった。今日は市で皆が楽しむための日であったので、太守は厳しさをひそめ、気前がよかった。

 ラティエスは最後にサンジに愛おしそうに首をすりつけたあと、軽やかに舞い上がって、バシリスや他の竜たちが留まっている城砦の屋根の縁にふわりと着地した。
 ゾロとサンジが並んで太守の後を追いかけていく際、ゾロが素早くサンジに尋ねた。
「おい、一体全体何があったって言うんだ。俺がほんのちょっと目を離した隙に」
「…この間の三人組に会った」
「またあいつらか。懲りねぇな。それでまた嫌みを言われて我慢できなかったってのか」
「…俺のことならいいさ! 市のこの人混みの中だ。多少のことなら何言われたって我慢したさ。けど…! あいつら、こともあろうにラティエスを侮辱しやがった!」
 そのとき、やりとりをさりげなく聞いていた竪琴師がくすりと笑って言った。
「いやいや、君の啖呵(たんか)は実に小気味よかったよ。また、あの三人を蹴り飛ばした手並みは全くほれぼれするほどだったねぇ…! ほんの一瞬であれだけの破壊力を持っているってのはとても君の身体つきからは、おっと失礼、信じられないよ」
 褒め言葉ととるべきか、からかわれているととるべきか迷った末にサンジは素直に「…どうも」とだけ言った。とりあえずあそこの場を納めてくれたことで、満場の観衆の前でラティエスへの侮辱の言葉を晒(さら)さずにすんだことは正直、ありがたかった。
「あのう、ところで貴方は…?」
「おお、これは失敬。私はこのティレク城砦に配属されている竪琴師で、ドレイクと言う。実はこの春に試補から昇進したばかりでね、工師になったとたん飛ばされて、まだまだ実は慣れていないことだらけなんだけど、なんとかかんとかやっているところさ。後で舞台の方へも来てくれたまえよ。今日は竪琴師も大勢来ているからね。普段大厳洞ではなかなか聞かれないようなモノを楽しめるよ」
 ゾロとサンジは顔を見合わせ、そしてにこにこと笑うこの若い竪琴師に対してぺこりと頭を下げた。少なくとも彼らに対して悪い印象を持っていないようで、これから太守の前で弁明するにしても安心して任せることができそうだ。
「それにしても、君が噂のハイリーチェスの黄金竜ノ伴侶とは」
 くうっと目を細めてサンジを見る。サンジは観察されて背筋のあたりが落ち着かない感じがした。
 ゾロが怒ったような声で「だから何だというのですか」と一応丁寧にドレイクに言った。竜騎士と竪琴師、それほど身分に差はないが、相手は若いといえど工師だし、それに少なくともゾロよりは年長だった。いや、ゾロが竜騎士にしては若い方であったのだが。
「いや失敬。私は残念ながら孵化ノ儀には立ち会っていなかったから、人からの言伝(ことづて)にしか聞いていなかったものでね。いや、やっぱり聞くのと見るのとでは違うなあ、と思ってるところさ」
「コイツの何が違うってんだ」
 ゾロの声がますます険を帯びたものになる。つい敬語を捨ててしまっていた。
「ううーん。まあ、印象なだけだけど。それはね…」
 言いかけたところで廊下が終わり、ゾロとサンジはドレイクが何を言いかけたのかを聞く機会を失ってしまった。アーステル太守が大きく扉を開いて全員を中へと招き入れてくれた。

 そこはそれほど大きい部屋ではなかったが、全体的に調度や家具が品のよい精緻な出来のものばかりだったので、公的な会合に使用するというよりは、身分の高い客をもてなす時に使用する部屋だったのだろう。私的な雰囲気はサンジとゾロの緊張を少し和らげた。
 太守への事のあらましの説明はほとんどドレイクが受け持って、サンジは時折「そうなのかね?」と確認を促されたのみにとどまった。結局サンジもゾロも、ほとんど言葉を発しないまま、そして太守がドレイクの言葉巧みな弁舌に機嫌よく三人を送り出してくれたことに拍子抜けしてその場を辞去したのだった。
「それでは、夕べの宴会の時に、私のために一曲奏でるのを忘れないでくれたまえよ、ドレイク師」
「もちろん。一曲と言わず声の涸れるまで努めましょう」
 そしてサンジに向き直って言った。
「伴侶の名誉を守るため、か。最初は絶対あり得ないと思っていたが、やはり竜と竜騎士はどんなあり得ない組み合わせだと周囲が思っていても、何か別の次元のもので繋がっているものなんだな。まあ、君はこれからももっと伸びることだろう。君を選んだ、黄金の伴侶と共に。そして寡黙な青銅ノ騎士」
 今度はゾロの方を向いて言う。
「乳兄弟というが、確か君はテルガー大厳洞の…?」
「はい、ミホークは父です」
「やはりな。目元がなんとなし、似ておられる。きっと君も君の伴侶と共に高く飛んでゆくのだろう…地べたに繋がられた身はただ見上げて羨むしかないが」
「高く飛ぶことだけが人生ではありませんよ、ティレクの太守どの。貴方が養っているこの大勢の民の繁栄を見れば、どんなに貴方が尊敬を集めているかおのずと判ろうものではありませんか」
 わざと「ティレクの太守」に力を込めてその地位の重さを誇張しながら、ドレイクが言った。
「…ふん、まあ竪琴師は口が回るのが商売だからな」苦笑しつつも素直に聞き入れて、太守は今度こそ三人を解放した。
「よい。それでは、市を楽しみたまえ。サンジよ、いつかまた君の黄金竜に会えることを願っているよ。今度はもっと静かな時にな。ではまた」

「…アーステル太守は、若いころ竜騎士になりたかったんじゃないかな。私もそのころのことはあまり知らないけれど」
 ドレイクが長い廊下を戻りながらつぶやいた。
「確か、彼の父親の前太守が頑(かたく)なに探索を断ったとか。他にも兄弟が居たけど、最初から彼を後継者として育てたんだろう。だから彼は自分ではかなわなかった竜騎士を、自分の身内に出したかったんだと思う。彼の二番目の娘が、女王ノ騎士候補としてハイリーチェス大厳洞に連れて行かれた時は、それこそ黄金竜の雛が娘を選んでくれることを強く願っていただろうね」
 サンジは黙っていた。その孵化ノ儀で黄金竜を感合したのは、誰あろう、サンジだった。しかしサンジだって例え事前にこのことを知っていたとしても、それでもラティエスを得たことを後悔はしなかっただろう。
 強く、強くならなければ。
 ラティエスのためだけでもなく、サンジだけのためでもない。
 この絆は誰も断ち切ることは出来ないけれど、でも二人だけのものでもないのだと、黄金竜を得たことの意味をようやくサンジは悟り始めた。

 市は滞りなく終わり、バシリスと並んでハイリーチェス大厳洞に帰る時も、サンジはずっと口数少なく物思いにふけっていた。


 

  

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