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竜の覇者(26)




(バシリス)
 サンジは思念を遠くの空へ飛ばしていた。ラティエスではないから、どんなに距離があっても話をするのに支障がないというわけにはいかなかった。しかしバシリスは──ラティエスと交合飛翔をした竜のせいか──彼女の次に言葉を楽に交わせる竜であった。
(ナニ、今忙シインダヨ、僕タチ)
(わかってる、ちょっと目を貸して)
 次の瞬間、ぐらりと足下が揺れた──ような気がした。気をつけなければ。ロビンは勘の鋭い女性だし。
 竜の複眼で見る異質な感覚、それも糸胞と闘っている最中の様子が一気にサンジの頭の中になだれこんできたため、脳が処理仕切れずに悲鳴をあげかけた。堅く目を閉じて欲しい情報のみを拾うよう絞り込む。
(よし)
 遠くに見えた緑色の染みの正体に向かって思念を飛ばした。
(アイオルス、右へ急旋回。ちょうど九十度の方向にバシリスがいるから合流して)
 次々に間隙から姿を現し始めた竜たちを見つけるなり、指示を飛ばす。
(リコリス、もっと下。正面の糸胞をやっつけたらやや右のほうを向いて、下降)
(シギス、落ち着いて左六十度にあと三百竜身ほど飛んで)
(ネルス、そっちじゃないよ、皆のいる方向は)
 なんとか、この調子でいけば。
 徐々に無秩序に飛んでいた竜たちが集まって編隊らしくなってきた。サンジは頭ががんがんしてきたのを無視して、なおも思念による指示を続けていた。そこへ、シャンクスのハキスの姿がようやく飛び込んできた。
 ほっとして最後にバシリスにありがとうと言おうとしたところ、ハキスから意外な呼びかけがあった。
(しゃんくすガ無茶シヤガッテッテサ。デモ助カッタ、アリガトウダッテ)
 うわ、統領は何もかもお見通しってわけか。あとで怒られっかな、と思いながらサンジはようやく戦場から意識を引き戻した。途端に膝がくずおれそうになる。それを意志の力でなんとか押しとどめ、ぶんと頭をひとつ振ると目を開いた。
(大丈夫? さんじ。しゃんくすジャナイケド、アナタ無茶シスギヨ)
 私ダッテ手伝エタノニ、とラティエスが少し拗ねた言葉を投げてきた。そんな言い方でも裏には暖かく気遣う気持ちで溢れている。やはり自分の竜であるラティエスとは何の努力もなしに楽々と会話でき、その感情まで手に取るように感じ取れるから不思議だ。
(アラ、普通ノ騎士ハ自分ノ竜トシカ話シガデキナイノダカラ、さんじガソウ感ジル事自体、他の騎士ヨリ優レテイルトイウ証拠ヨ)
 それは騎士バカというものだよ、とサンジは謙遜して返し、ようやくにっこりと笑った。

「笑えるようなら、準備はいいわね? もう行けるかしら」
 ロビンがまた傍に来ていてサンジに尋ねる。もとより反論されることは考えていない口調だった。
 サンジは黙って頷く。騎乗服の下は全身すでに汗まみれになっていたが、その理由は言えず、ラティエスにひらりと跨った。
(さ、行くよ、お嬢さん)
(イツデモ大丈夫ヨ)
 吐炎具を受け取って、飛び上がる。峰の縁でぐるりと弧を描き、ロビンとフルールスに合流すると共に間隙へ入っていった。さっきまでバシリスを通して見ていた戦場へと。



「統領!」「統領!」「シャンクス!」
 不意の糸胞の襲撃に、大厳洞の全ての竜と竜騎士は全力をあげて阻止すべく立ち向かった。そしてその中心となっていた大厳洞の統領が、大厳洞の鉢ノ広場に帰還してきた。
 ハキスがひと声、警告の甲高い叫び声を上げ、周囲すべての人間の肌を粟立たせたが、シャンクスはずるりと伴侶の背中からよろめき降りると、ハキスの首のつけ根をぽんぽんと叩いてなだめた。
 その様子を見る限り、大してダメージはないように見えた──そのときは。
「よう、今日は皆よくやってくれた。ご苦労さん」
 口調も態度も平生の統領と幾分も違いはなかった。しかしその身体は──
 続いて降り立ったベンがまだ竜の背にいるうちから大音声(だいおんじょう)で怒鳴る。
「誰か! 療法師を、ターリー師を呼べ!」
「ああ、統領──! なんてこと!」「早く、担架を持ってこい! 早く!」
「おいおい、大騒ぎしすぎだっつの…」
 シャンクスは半身を朱に染め、片手でもう一方の二の腕あたりを押さえていた。正確には、二の腕のあったあたり、を。 
「なに、ちょいとヘマしちまっただけだ」
「ヘマ…って──貴方らしくもない」
 遅れて駆けつけたロビンがいつも冷静な表情を崩して目を泳がせている。何があったの、とベンに視線だけで尋ねた。
「統領は──逃げ遅れた子供を庇った。それをヘマとは言わんでしょう。実際、統領がいなければ、あの男の子は命を無くしてた」
「で、その子供は?」
「無事です。髪の毛一筋ほども傷ついてません。今は他の騎士が家に送り届けています」
「そう、そうなの……」
「あら、褒めてくれないわけ?」
「統領、少し黙ってください! 今療法師が……いったい何やって……ああようやく来た。さ、こちらです。早く診てください!」
 後半はようやく駆けつけてきた大厳洞ノ療法師のずんぐりとした姿に向かって言った。
「だぁい丈夫。ちょっと血が多く流れたから大怪我に見えるだけ…」
「腕一本無くしておいて大怪我じゃないなんて言わんで下さい!」
「はいはい。じゃあ俺はおとなしく治療を受けてきますよ。じゃあベン、後始末よろしく。負傷者の数と、戦線復帰にかかる日数を後で報告して。必要なら小隊を組み直してね。あと、今日の予定外の糸降りの原因究明もね」
 じゃあねー、おお痛てて、と今更ながら大げさに痛がって、ようやく差し出された担架を無事なほうの手でさっと振って断り、最後まで歩いて広場から出て行った。
 ベンはぎりりと歯を食いしばってその後ろ姿を見送った。

「どうぞ、貴女も行ってください。ロビン」
 落ち着いた声に振り向くと、真摯な目をしてサンジが立っていた。
「統領についていてあげて。あの方はああ言って平気なふりをしているけど、実際のところ立っているのがやっとのはず。大丈夫、ここは俺が後始末をします。ベンもいるし」
 ロビンは自分がシャンクスの後ろ姿の幻影をまだ見ているのに気づいた。サンジにそう言われて自分が酷く動揺していることに気づく。凍り付いたように立っていたのはほんの少しの間だったが、我に返ってみても自分が何をすべきかが全く思い浮かばない。これでは、指示を出す立場の洞母としては失格だ。
「貴女の方が倒れそうだ」
(何カアッタラ、遠慮ナク呼ブカラ大丈夫。ツイテイテアゲタイノデショ?)
 フルールスが優しく促し、ようやくロビンはその場を後にした。


「ハキスが!」
 シャンクスの青銅竜、ハキスが絶叫した。そこにいた人々は一斉にハキスに注目する。
 もしや、統領が──?
 ハキスがもしいきなり飛び立って間隙に入ってしまったら、それは最も考えたくない最悪の事態を意味する。シャンクスは歩いて皆の目の前から去ったけれど、ハキスの状態はシャンクスの一番確実なバロメータだ。もしや、シャンクスの身に何か──。
「よしよし、ハキス」
 そのとき人々の合間を縫ってハキスに近づいた人影は、ほんの少し足を引きずっていた。
「心配するのはわかるけど、今は気持ちを落ち着けて。でないと統領がおとなしく治療を受けられないだろ? おまえが焦ったって無くした腕は元にもどらない。感情を制御するんだ。そうすることはシャンクスの助けにもなる」
 穏やかに言い聞かせる。ハキスは赤く血走った目を落ちつきなくぐるぐるさせていたが、次第にゆっくりとなって目の色も平生のとおり澄んできらきらとしたものに落ち着いてきた。
「な? シャンクスは大丈夫だ」
 サンジは、落ち着きは取り戻したもののまだ警戒の色は完全に解いていないハキスになおも語りかけた。
(シャンクスの意識が途絶えたので、パニックになりかけたんだね)
(大丈夫、人前だったから虚勢を張っていたのが、その必要がなくなった途端、反動で一気に気が抜けたんだ。もともと気を失っていておかしくない怪我だったのを気力だけで保たせていたんだから、本当に──)
(本当ニ、ぷらいどガ高インダヨ)
 まだとげとげしい色を交えてハキスが答えた。サンジは柔らかく笑みをこぼす。返事ができるということはしっかり自分を取り戻しているということだ。さすがにあの統領の伴侶だけのことはある。
「もう大厳洞に戻ってきて、ちゃんと治療を受けているんだから、シャンクスはすぐによくなるさ。おまえはしっかり食べて休まないと」
 サンジと目を合わせた後、ハキスはその大きな翼をさっと拡げて上方の自分の岩室から突き出た棚へと飛び上がった。
「誰か! 竜児ノ騎士二、三名でハキスの世話を頼む! フルールスもすぐに行かせるから! やるべきことは判ってるな?」
「他の負傷者は?! 小隊ごとに報告して! 各小隊長は人員確認を急げ! 手の空いているものは騎士に手を貸して、装備をはずして、応急処置を!」
「報告の済んだ者たちは早く竜たちを休ませること! 竜で負傷している者はいるか? 痺れ草を塗るのは療法師の指示を仰ぎながらにしろ!」
 ハキスに注目していた人々はサンジの矢継ぎ早の指示に一斉に動き出した。

(意外だったな)
 ベンはサンジが落ち着いて洞母の、そして統領の職分の仕事を着々とこなしていることを感嘆の面持ちで眺めていた。
「何やってるんだ、ベン! 貴方は小隊の報告を受けて! 俺は負傷者の方を確認するから!」
(おお怖わ。これはますますもって──)
 最初に見たときはひ弱な若者、といった印象しかなかった。これでこの先黄金竜ノ伴侶としてやっていけるのかと思った。実際のところ、ベンですら他の者と同じに、何故ラティエスがサンジを選んだのかとずっと疑問に思っていた。
 しかし今日のこの大厳洞の危機に、サンジは洞母として申し分のない働きをしている。
(竜はけして間違えない、か)
 ベンはまだまだ問題は山積みだと理解していても、口の端がゆるむのを止められなかった。


「意識不明で絶対安静?」
 その晩、ぐったり疲れ果てたロビン、ベン、ゾロ、そしてサンジが小会議室に集合したときに、療法師から告げられたのは予想外な言葉だった。
「だって、あんなに元気だったじゃない! いつもと同じように軽口たたいて、笑って、歩いていたわ! それなのに何故?」
「……糸胞が──おそらく固まりが降ってきたんでしょう。腕で祓いのけようとしたところに巻き付いて、それから数匹皮膚をえぐって中に潜りこんだ痕跡があります。腱と筋がずたずたになっていました。それを手術で綺麗に切開し、使えない部分を全て切除して縫合しました。傷は酷いものでしたが、時間が経てば治ります。ただし、血を流しすぎたことと、手術までに動き回ったため、糸胞の毒素が血液を通じて身体じゅうに巡ってしまったことで、今は高熱を出して非常に危険な状態です。手は尽くしましたが、後は統領ご自身の体力に縋るしかありません」
 沈黙が部屋に満ちた。明かりすら一段暗くなったように感じられた。
「問題ねぇ」
 普段は寡黙なゾロが珍しくきっぱりと言う。
「あとは体力勝負、ってんなら、あの統領のことだ、絶対起きあがってくる。間違いねぇ」
「そう…よね。そう…だわ。きっと大丈夫よ」
「ま、この際だ、ゆっくり休んで英気を養ってもらいましょう。復帰したらイヤというほどこきつかってやることにして」
「そうだな、それがいい」
「ハキスの様子は?」
 ちらとサンジに視線が向かう。向けられた視線を意識しないよう気をつけながらサンジは口を開いた。
「とりあえずおとなしくはしている。だけど苛々として落ち着いていない。竜児ノ騎士によれば、結局何も口にしなかったそうだ。シャンクスの意識が戻るまで、そちらも注意深く見守る必要があると思う」
「成竜は二、三日食べなくても平気だけど、糸降りで消耗しているはずなのに……」
「文字通り、『心配で何も喉を通らない』状態なんですよ、彼は。このまま食べないようでしたら、フルールスから言い聞かせてなんとか少しでも食べるよう促してもらえませんか、ロビン」
「ええ、そうね、そうするわ」
「お願いします。貴女だって統領のことが心配でしょうがないのは判りますけれど…。今日は酷い一日でした。もう貴女は休んで下さい」
「眠くはないわ」
「それでも、休まなくちゃダメですよ。寝台に横になって目を閉じるだけでも。さあ」

 ロビンを岩室に送るのを口実に、その夜は解散した。
 翌日も四人は会議を続けた。
 昨日の糸降りが残した爪痕は意外と深く、負傷者は軽微な者も含めるとかなりの人数に達していた。これでは飛翔小隊を工夫して組み替えないと通常の巡回飛行の任務も偏りが出てしまう。全飛翔隊長が招集され、頭の痛いやりくりをした結果、竜児ノ騎士もかなりの数が小隊に組み込まれることとなった。
 この話し合いの中では、ゾロが主導権をとった。
「だーかーら! 今のままじゃ戦力が不足してるんだ! 熟練した竜騎士が負傷して飛べないんなら、とにかく頭数を多くしてその分補うしかないじゃねえか! 通常の巡回の回数を多くして竜騎士の負担を増やすよか、竜児ノ騎士に飛ばせてその分負担を均等に減らすべきだ!」
「でも、規定の教練をまだこなしていない…」
「実地訓練が何より一番身につく。そう考えて飛ばせろ!」
 ゾロは昨日の糸降りで先頭切って飛び立ち、皆が追いついて戦線を作り上げるまで、ひとりで獅子奮迅の働きをした。その英雄的とも言える行為に誰しも畏怖を覚え、そして暗黙裏にゾロを次代の統領として受け入れていたのである。


 

  

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