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竜の覇者(32)




「やあ、ハイリーチェスの方はここ?」
 ようやく扉が開いて黒髪の男が現れた。しなやかな身のこなし、鍛え抜かれた体躯は細身で、さながら鞭のような印象を醸し出している。
「エースどの、お目にかかれて光栄です。俺は、」
「はいはい、知ってるから。ええと、お前サンがゾロで、そっちの金髪ちゃんがサンジでしょ」
 あまりに軽い言い様に、二人とも少しむっとする。
「あ、怒らないで? だって俺ちゃん、今さっき聞いたところでさあ、お二人がいらしてるってこと。俺だって随分待ってたのに、なかなか来ないからおかしいな、って思ってたトコで。時間がもったいないから、堅苦しい挨拶はこの際パスってことで、イイデショ?」
 言いながら、軽くウインクをしてみせる。二人がまだ面食らっているうちに、エースはさっさと椅子に腰掛けテーブルに腕をついた。さっと真剣な顔になる。
「ま、今ここもイロイロ大変な時なんで、手短に頼むわ。うちの庇護の城砦から食料を西へ運ぶ件だろ? 太守会議でちっと揉めたらしいじゃん? でも、ま、親父さんが生きているうちなら何も起こらないでしょ。本当なら親父さんが健在なら誰も文句は言わせなかったんだけどね」
 シニカルに笑いながら、目は真剣だった。
「ハイリーチェスの黄金ノ騎士とその伴侶ノ騎士が輸送計画について詳細を打ち合わせに来るってことだけしか俺は聞いてないんだけど、それでいいよね? じゃあ、初めてくれるかな。全部聞いちゃってから疑問点を出すから、それから細かいとこを詰めていこう」
 統領補佐として長くその任にあたり、そして今では次期統領に最も近いとされている男は、言葉は軽いが非常に切れ者だという評判どおりだった。

「しかしまた、どうしてあんな何もない部屋で待ってたの?」
 話し合いも無事終わり、エースや他の竜騎士たちに見送られながらベンデン大厳洞を辞去しようとしたときに、ふとエースが言った。
「いや、それは──」
 ゾロが説明しようとしたとき、だだっと竜児ノ騎士が走ってきて、エースに耳打ちをする。
「なんだって? 親父さんが?」
 慌ててきびすを返して竜児ノ騎士が来た方へ向かおうとし、首だけくるりと返して二人を見て言った。
「悪い。急用が入った! またいずれ、糸降りの後にでも話できればいいな!」
 言葉だけ残すと、駆け去っていってしまった。最後にひらひらと片手を振りながら。
 結局、予定より大幅に時間をとったとはいえ、ゾロもサンジもエースという知己を得て大いに満足しながら帰路についたのだった。



 秋も徐々に深まり、ゆっくりと季節は巡ってちらほらと吹く風に白いものが混じるようになってきた。
 気が狂うように忙しかった秋も終わり、竜騎士みな体力、精神力共にぎりぎりまでそぎ落とされながらもなんとか乗り切った。大陸の東や中央地方からの大量輸送に関しても終わりが見えてきて、西部地域のどんな小さな集落でも、まずまず冬を越せるだけの食料は確保できていた。

「シャンクス、いいかな?」
 サンジはそっと統領と洞母の岩室を訪ねていた。シャンクスは長いこと厳重な大厳洞ノ療法師の監視下に置かれていたが、つい先日、自分たちの居室に戻ることを許されたばかりだった。
 ベッドの上の統領はげっそりとやせ細って、どれだけ長く生死の淵をさまよっていたかを知らしめていた。
「よお、サンジ」
 しかし、声は細いながらもしっかりと強く、落ちくぼんだ眼窩の中で目は生き生きとした光を放っている。
「お前、大活躍だったんだってなあ。あの穀物の病に気づいて、ここの飛翔隊長たちを説得し、次にティレク太守を動かして、あとは輸送計画たてて、他の大厳洞との折衝までこなしたんだって? すげーよ。俺ら今すぐにでも引退したって大丈夫だな、こりゃ」
「何言ってんです! 全部たまたま偶然上手くいっただけで、俺の手柄なんかじゃない…。それよか、身体はもう大丈夫なんですか?」
「おうよ。ターリー師とロビンちゃんが寝てろ寝てろってうるさくてさあ。退屈でしゃーないわ」
「何言ってるの。一週間も意識不明だったのよ。その後だってなかなか熱が引かなくて、ようやくここまで回復したんじゃない。体力がまた元通りになるにはまだまだかかるわね。ほんっとハキスまですごく痩せちゃって、可哀想に骨と皮ばかりよ。今はがつがつ食べてるけど」
(ボクハ最初カラ大丈夫ダヨ。チョットバカリ痩セタカモシレナイケドネ。しゃんくすハモット食ベナキャダメダヨ)
 ハキスの声が穏やかに響いて、おもわずサンジはシャンクスと目を合わせにっこりと笑いあった。
 ロビンがクッションをいくつも重ね、シャンクスに手を貸してベッドの上で楽にくつろげるようにした。
「で、何? 何か話があるんだろ?」
 シャンクスが言って、サンジの言葉を促した。サンジは膝の上に手を組み、少しだけ迷うように眉をひそめた。
「ロビン、ちょっとはずしてくれ」
 ひとつうなずくとロビンは黙って外へ出て行った。シャンクスは黙ってサンジを見つめる。
「すみません、こんな時に…。でも俺、どうしても重要だと思えて。あの、昔、俺がここに初めて来た日のことで、話をしましたよね。マキノさんのところで。俺が見た竜騎士同士の争いの話、憶えてますか?」
「うん? もちろん憶えてるよ? 謎めいた話で不思議に思えたから、あの後、こっそり調べたんだよね…でも全然、わからなかったんだけどね」
「俺が目撃した竜騎士の消息を、調べたってことですか?」
「うん、気になったからね。だけど、こっそり俺のつてを使ってもさあ、そんな竜騎士の噂ひとつ出てこなかったんだよ。糸胞でなくて剣で闘って大怪我をした竜騎士なんて、すぐ噂になりそうなものなのにな」
「ガキの俺の見た、幻影だったと思いますか?」
「──……ま、そう思うしかない、ってのが正直なところだったな。でもまあ、話を聞く限り、お前の肉親というわけでもなかったし、結局お前をうちの大厳洞に置いてきぼりにしていった奴だからなあ、正体が知れなくても害にもならないだろう。しかし何故、今になってそれを?」
「──俺はガキだったけど、あの時見た光景はけして幻でも嘘でもなかったって言える。そしてひとつだけ、あの時の竜騎士がどこへ消えたかの可能性を思いついたんです。でも何も確証はないんですけどね」
「ふうん? その可能性とやらはじゃあ、まだ言えない?」
「残念ながら、はい」
「でもいつかは教えてくれるんだろ? 謎のままにしておくには俺もすっきりしないしサ」
「ええ、まあ…」
 言いにくそうにサンジは語尾を濁した。俯くサンジを見てシャンクスは話題を変えた。

「それはそうと、お前ら上手くいってんの?」
「え? お前ら…って俺とゾロのことですか?」
「他にだれがいるってのよ」
 サンジはいきなり湧いた意外な質問にうろたえた。
「ええと…別に、仲良く、っつうか、まあ、はい、なんとか」
「ふーん…その感じからすると、まだまだだねえ。ま、いーや。そんな急がなくてもとりあえず協力してやってけるんなら。あの糸降りの時だって、お前サン、かなり無理してたもんなあ? ゾロのために」
 にやり、と笑う。サンジはさらに困惑して視線をあちこちさまよわせた。
「そ、そんな! あのときはもう夢中だったし、別にアイツのためとかそんなんじゃなくて…だけど、アイツはもともと洞母ノ伴侶という地位が欲しかったんだから、俺はそれに応えるしか…」
「へえ、ゾロは野心のために交合飛翔に参入したのか。知らなかったな」
 むっとしてサンジが言う。
「だってそうでしょう。わざわざテルガーにいたものを気を変えて唐突に乗り込んできて。それも男の俺相手ですよ? 野心がない者なんて、あの場にいた筈がない…あんただって、フルールスの交合飛翔の時には野心がなかったと言い切れますか?」
「うわ、手厳しいな。うーん、野心ねえ…なかった、と言ったら嘘になるかな。でもサ、俺はロビンちゃん相手でなかったら統領なんて面倒くさいもん、背負い込む気は無かったよ? あのころのロビンちゃんてば、もう高嶺の花って感じでさあ。気高くて凛としてて、あ、今でもそうだけど」
 と、しばらくシャンクスはロビンの容姿や気性についてひとしきり語った、というかのろけた。
「で、彼女を手に入れられるなら、それこそ何だっていいや、って思ってた」
「…で、そうして交合飛翔で見事手に入れられて。よかったじゃないですか」
 やけくそのようにサンジが言う。やっぱり俺とは全然違う、とはぎりぎりで言葉に出すのを堪えた。
「でもさあ、最初の頃は大変だったのよ、これでも。だってロビンちゃんてば、いくら俺が口説いても本気にしてくれなくて」
 俯くサンジに向けて、そっと言い聞かせるようにシャンクスは言葉を繋げた。
「人と人同士って、思っていることがわからないから、時間がかかるよねえ。竜だったら、って思ったことが何度あったことか。でも、わからなくて思い悩む時間てのも必要だったのかなって後から考えれば思えるんだよ、オジサンは」
 わざと自分を茶化して、シャンクスは話題を終えた。
「…少し疲れた。ロビンちゃん呼んでくれない? あ、その前にその棚から一杯だけ葡萄酒取ってくれたらすごく恩に着るんだけど」
「酒はまだダメに決まってるでしょう。貴方の洞母はすぐ呼んできますけど、おとなしくじっとしてないと…あの、いろいろ、ありがとうございました」
「おう、いつでも何か悩んだらおいで、青少年。そのときは手みやげ忘れずにな」
「酒以外なら」
 にやりと笑ってサンジは出て行った。
 閉まった扉を見ながらシャンクスは誰にともなく呟いた。
「…やっぱ、時間がかかるよ、なあ?」


(サンジ)
「ん?」
(アナタ、何ヲ思イ悩ンデイルノ? モウ眠ラナクテハナラナイ時間ジャナイノ?」
「はは、お嬢さんには何も隠し事ができないなあ…うーん、じゃあちょっと独り言につきあってよ」
(ナアニ?)
「俺はとても信じられないような事を思いついちまった。だけど、そんな筈はないって疑えば疑うほど、それが事実にしか思えなくなってくる…。どうしたらいい?」
(アナタハソレガ事実デナイホウガイイ、ト思ッテルノネ)
「そうだ。だけどまずは事実であるにしろないにしろ、確証が欲しい。だけど時を待たなければ確証は得られないこともわかってる…」
(ナラショウガナイワ。ソノ時ヲ待ツシカ。今思イ悩ンデイタッテ無駄デショ。ナルヨウニシカナラナイモノヨ)
「うん、判ってる。つまらない愚痴でごめん」
(イイノヨ。ワカッテイテモ自分デハ納得デキナイコトッテアルノネ。人間ハ不便ダワ)
「ほんと、そうだよね。君たちみたいに目の前の出来事だけを考えていられれば楽なのに」
(ケド、ソウイッタ難シイコトヲ考エルカラ、人間ハ進歩シテキタノデショウ。私タチニハ理解デキナイケレド、人間ニハ必要ナコトナンダト思ウワ)
「ありがとう…ほんと、君みたいな聡明なお嬢さんが俺の伴侶の竜だなんて本当に天の配剤に感謝するよ──ところで、身体の具合はどう?」
(イイワヨ。タダ、カナリオ腹ガ出テキタワ。重タクテチョット動キ辛イ)
「そうだね。もう飛ぶのもやめておいた方がいいね」
(マダ大丈夫ヨ)
「はいはい、わかってるけど、俺はどんなに過保護と言われようがもう君に乗るつもりはないよ。無事卵が生まれてくるまではね」
(アナタガソウ言ウナラネ。デモモウ寝ル時間ヨ。アナタダッテチャント寝ナイトダメデショ)
 ラティエスがつんと口を尖らせたような拗ねた言い方をしたのでサンジはくすりと笑った。ぽんぽんと彼女の首を叩き、目の縁を愛しそうに掻いてやってから、おやすみを言って出て行った。


 

  

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