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竜の覇者(35)




(しゃんくすハ前ト同ジヨウニマタ飛ベルヨウニナルト思ウ?)
 キダ師を無事にベンデン大厳洞に送り届けた帰路、ふとハキスがサンジに問いかけた。
 シャンクスは一時生死すら危うかったほどで、意識を取り戻してからも、今日のように数名を相手にして軽口を叩けるようになるまで、実際、かなりの日数を要したのだ。ハキスが心配するのも無理はないだろう。
 それに、キダ師も同道していた往路はそんなことを(例えキダ師にはハキスの声が聞こえないとしても)ちらりとも零さなかったのは、ハキスなりに弱みを見せたくなかったのだろう。
 サンジはハキスの問いかけに、とっさに返事ができなかった。以前と同じように、シャンクスは飛べるのだろうか? ハキスと共に? サンジにしても療法師ではないのだし、あれだけ弱ったシャンクスを目の当たりにすると何の保証もできなかった。
 しかし続くハキスの声に、何故ハキスがサンジにそれを尋ねたのか判った気がした。
(さんじハ、左目ガ見エナイシ、走レナイノデショウ。デモらてぃえすト飛ンデイルトキ、別ニ不自由ソウニハ見エナイ。何故?)
「そうだね」
 そういえば、ようやく先ほどから感じていた違和感が納得できた。ハイリーチェス大厳洞を出たときからずっと感じていたそれは、ラティエスではなくハキスに乗っているからだと思っていたが、その具体的な理由までは思い浮かべられなかったのだった。
 そうなのだ。いつ頃からかもうそれははっきりとは判らないのだが、サンジがラティエスに乗って飛ぶとき、ラティエスの視界も同時に共有していた。しかしそれは意識していたわけではない。以前に糸降りの先鋒を支えていたバシリスの視界を借りたときのように、サンジに負担がかかるものではなく、もっと自然に行われていたものだったのだ。
 今はサンジは自前の右目でしか流れ飛ぶ景色を見ていなかった。いつもならばもっと世界は広く、前後左右上下の認識範囲はずっと拡大されている。
「ラティエスが助けてくれるんだよ。彼女が俺の目になってくれている。もちろん走れない足にもね」
 感覚の共有は竜とその騎士であれば造作なくできる筈だ。少なくとも交合飛翔の時にはほとんど騎士と竜は自分たちの身体が一体になったように感じられる。
 そのようにサンジは説明して、さらに付け加えた。
「俺は、ラティエスに目という感覚器官を補助してもらってるけど、シャンクスが無くしたのは腕だから、そう簡単にはいかないと思う。だけど彼のことだから、いろんな工夫をして乗り越えていくと思うよ。代わりに棒切れをくっつけたり、いろいろするんじゃないかな。俺が以前世話になった人はね、片足が無いんだ。でも膝から下に棒をくくりつけて、足の代わりにしてる。シャンクスだって、君と共に飛ぶためならどんなことだってやってのけると思うよ」
 話しているうちにサンジはだんだんそれが確信できて、さっきまでシャンクスの復帰に疑念を持っていたのが嘘のように吹っ切れた。
(ソウダネ、マア、アノ人ノコトダシネ。火焔石用ニ腕ニ網ヲ着ケルコトクライヤルカモシレナイ)
 サンジは虫取り網を腕から生やしたシャンクスを脳裏に浮かべて、吹き出しそうになった。しかしハキスが大真面目なので、ぐっと堪えて飲み込んだ。喉がくふ、と変な音を出した。
(で、でも、人にどう思われるかなんて全然気に留めないあの人のことだから、一回は試してみるかもしれない)
「うわ、それは…あるかも。そしたら君は網から火焔石を食べる練習をしなくちゃね」
 それはものすごく情けない姿かもしれない。だけどそれをやる時は糸胞と闘っている時だから、方法がそれしかないのならば格好悪いなどとは言っていられないし、それを笑う竜騎士は誰ひとりいないだろう。
 竜と竜騎士は飛ばねばならないのだ、空に糸胞があるときは。
「大丈夫さ。シャンクスはどんな手をつかっても空に、君の元に戻ってくるし、生きている限り誰もそうする。竜と竜騎士は一対なんだから、欠けているところを補いあうのは当たり前だよ」
(ウン。アリガトウ)
 ハキスも不安だったんだな、とサンジは思う。この竜もシャンクスに似て、滅多に、というか殆どサンジに弱気を見せたことはなかった。今日は久しぶりに飛んだ空のせいか、その空にシャンクスがいないせいか、ちらりと弱気を漏らした。
(よかったな、ハキスと飛ぶことができて)
 ハキス自身も長いこと大厳洞から離れていなかったし、鬱屈したものを抱えていただろうがそれを晴らす手段がなかったのだ。今少し吐き出すことができて、まだまだ続くシャンクスの回復期も辛抱強く待つことができるに違いない。
「さ、そろそろ古巣に到着するぞ。出たときと同じように戻るところを誰にも見られないようにそっと降りてくれるかい?」
 そうしてサンジが何食わぬ顔で大厳洞に戻り、無事役目を果たしたと報告しようとシャンクスの岩室へと向かったとき、いきなりどやどやと数名の男に取り囲まれた。
「大変遺憾ながら、洞母サンジ、貴方を洞母ロビン殺害未遂の疑いで拘束させていただきます」



「それでは、洞母は無事なのか?」
「下働きのほうは死んだんだと」
「なんでも、下ノ洞窟ノ長たちが駆けつけたときにはもう死んでいたそうじゃないか」
「洞母は重体だそうだよ。おいたわしい…」
「意識が戻ってこないそうじゃないか。犯人を見たに違いないのに」
「なんだか、本当に嫌なことばかり起こるじゃないか。これももしかしたら…あの…」
「やっぱり、男の洞母は凶兆、なのか?」



「一体これは何の間違いだ? 俺がロビンを、首位洞母に危害を加えようなんて考える筈がねえじゃねえか!」
 サンジは何もない狭い一室に監禁された。
「しかし、貴方がたの部屋で洞母ロビンは倒れていました。すぐ後を追いかけていった下働きは同じように倒れていましたが、こちらは気の毒に既にこときれていた。これをどう説明するんですか?」
 サンジに詰問するのは、ロイドという騎士だった。サンジはあまりこの騎士と話した記憶がなかった。おそらく、ロイドも男性の洞母を快く思っていない派なのだろう。
「冗談じゃねえ! 俺だって何でロビンが俺の部屋で倒れていたのかは知らねえよ! それでロビンは無事なのか?」
「洞母ロビンは後頭部を強く殴られて、現在意識不明です。重体、と言うべきでしょう。死んだ下働きも同様に頭部を強打された痕がありました。洞母サンジ、貴方が今履いている長靴を見せていただけますか?」
「なんだよ、一体。別にいいけど。ほら」
 言ってサンジはひょいと片足をあげ、ロイドの鼻先に靴を差し上げた。ロイドはサンジの無礼なやり方に憤るでもなく、片手で踵をつかみ、さらにもっとよく見ようと目を近づける。
「すみませんが、脱いでいただけますか」
「ち、わあったよ」
 サンジはロイドの手から足を取り戻して、そのまま器用に片足立ちのままで宙に浮いた足から長靴を抜いた。そのままほい、と手渡す。
「この長靴はやけに重いですが、何が入っているのですか?」
 確かにサンジの長靴には錘が仕込んである。ゾロがサンジに助言をしてから、サンジは素直にそれに従って、そのような工夫を施したのだった。だが、しかし。
「おい、まてよ、まさか俺がロビンを蹴ったなんて思っているわけか? そんなことをする理由が俺にあるとでも?」
「理由なら何とでも。人の考えていることなんてわかりません。一番ありそうなことは洞母ロビンがいなければ貴方が首位洞母だ、ということでしょうか?」
「てんめぇっっっ!」
 サンジが激昂してロイドの襟首を締め上げる。ロイドは抗(あらが)おうともせず、冷たく言葉を継いだ。
「それに、貴方を疑う一番の理由があります──洞母サンジ、貴方は洞母ロビンが危害に遭ったとき、どこにいたのです? 飛べる竜騎士は全員糸降りのために出払っていた。竜騎士以外の者はそれぞれ誰がどこにいたのか確認がとれている。貴方だけなのですよ、洞母ロビンが襲われた時に居場所が確認できていない人間は。誰も貴方の姿を見ていない。ラティエスはずっと眠っていたし、起きていたところで身重の身、飛べる状態ではない。つまり貴方は大厳洞のどこかにはいたはずなのです。では、一体それはどこでしょう?」
「それは…」
「言えますか? どこにいたのかを」
「俺の口からは言えない。シャンクスとはかってからでないと」
「統領はお寝み中です。一昼夜は起きてこないだろうとターリー師がおっしゃっています」
「寝ている…って…? そうか、それではしょうがないよな。じゃあ、統領が起きるまで待つしかないな」
 とん、とサンジはロイドを突き放す。
「言っておきますが、統領が貴方に助け船を出すという期待は捨てたほうがいいでしょう。時間かせぎととられるだけだと思いますが。では、どこにいたか思い出すまでどうぞごゆっくりお過ごし下さい」

 ぎい、ばたん、と重い扉が閉まる音がし、続いてがちゃりと錠の回る音がした。
 ふううーっとサンジは長い息を吐く。一体誰が何故ロビンを…? そして折悪しくサンジがハキスに乗って大厳洞を不在にしていたちょうどその時とは。ハキスに乗っていたことを話しても、シャンクスが肯定しない限り、あり得ないと一笑に付されてしまうだろう。サンジの無実を証明するならば、シャンクスと話し合って、サンジが大厳洞を不在にしていた方法について明かさなくてはならない。いずれにしろシャンクスと話をしなくては。そういえばマキノさんはどうしただろう。おそらく彼女もシャンクスの許可を待っているのだろう。ターリー師にしてもそうだ。洞母であるサンジが監禁されるというのは非常な醜聞であるが、一昼夜くらいはサンジ本人にしても我慢できないわけではない。
 ロビンは大丈夫だろうか。同じ場所に倒れていた男は死んだと聞いた。ロビンも意識不明の重体なんて、心配でならない。統領の怪我がようやく快方に向かってきたところだのに、今度は洞母が殺されかけるだなんて、不運にもほどがある。
(でも…)
(まさか本当に自分が凶だからじゃない、よな?)
 ふるふる、と力なく首を振る。いけない、随分弱気になっている。どんなことがあっても、それには何かしら原因があることだし、凶兆だなんてただ弱い者が原因が判らないから勝手に思いこんでそういう理由付けをしているだけだ。
 自信を持たなくては。ラティエスに選ばれた自分を。
 混乱している頭を整理して、いろいろなことを順序だてて考えてみよう。
 何もすることがない部屋の中で、サンジはただ深く思考を重ねていた。


 

  

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