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竜の覇者(8)




 五巡年が経った。
 ゾロは十七巡歳となり、すらりと背が伸び肩幅も広くなって堂々とした青銅竜の騎士となった。
 つい先だって、初めて糸降りの時に飛ぶことが許され、これからは竜児ノ騎士ではない、一人前の竜騎士と呼ばれることになる。
 サンジは十四巡歳となった。彼も、この大厳洞にやってきた時はガリガリに痩せ成長も他の同年代の子より遅れていたが、十巡歳を過ぎるあたりからぐんぐんと縦に伸びてきて、今では同年代の子と同じだけの身長となった。ただ、骨格だけは依然として細いといった感じを拭(ぬぐ)えないままでいて、本人もそれを気にしているのだが、マキノはそのうちに筋肉もちゃんとついてくるから、気にせずバランスのよい食事と運動を欠かさず摂っておけばいいわ、と言っていた。

(今日もまたいい天気になりそうだ)
 サンジは朝一番に起き出して厨房に火を入れ、皆の朝食のスープを作ることが日課になっていた。ゼフがとうとう、その役をサンジに許したのである。
「ま、まだ舌が起きていない時間だから、チビナスのスープでも問題ねぇだろう」
「チビナス、って言うな! それに舌が起きていないんなら、俺のスープで目を覚まさせてやるさ! 見てろ、そのうちみんながサンジのスープでないと朝起きた気がしねぇ、って言うようになるから!」
「へ、言ってろ! せいぜいがんばるこったな。てめぇのスープで逆の意味で舌が飛び起きてしまうってことにならねぇようにな!」
「〜〜〜くぅぅ〜〜、ちっくしょう! 今に見てろ!」
 大見得を切った手前、気を抜いたものは出せない。慌てて作ったいい加減なものを出すことのないように、サンジは誰よりも朝早く起きて、じっくり落ち着いて作るようにした。おかげで今までのところ、評判は上々だった。

(ジジィめ、今に見てろ)
 サンジは手早く身支度を整え、竈(かまど)に火を入れてから、ぎいと扉を開けて外へ出た。ちょうど太陽が赤紫に染まった水平線から顔を出したところだった。東の空に赤ノ星が不気味に輝いていたが、糸降りはこの間終わったばかりだ。しばらくはない。
 この間の糸降りといえばゾロが初めて飛んだんだっけ。あの年にしては早い初陣だ。でもバシリスはとうに成竜になっているし、ゾロの技量もなかなかのものだと竜児ノ騎士ノ長も太鼓判を押していた。その話が出たとき、ちょうどサンジは厨房にいてできあがった料理を運んでいたので全部聞いてしまったのである。


「候補生はもっと年上の子供たちからにして全体の年齢を引き上げるべきじゃないかな」
「なぜ? 今のシステムでうまくいってるじゃないか」
「だけど、考えてもみろ。竜の方が早く成長するんだぞ。竜は戦える状態にあるというのに、騎士のほうが子供で戦いに出られないのなら、その期間、戦力が無駄になるじゃないか」
「その理屈はわかる。最近の感合式で一番若く感合したのは何巡歳だったっけ?」
「マキノさんところの養い子のゾロですな。確か十二巡歳でした」
「彼か。確かテルガーのミホークの子息でしょう」
「そう、そうです。まあ、血は争えないといったところで、彼が感合するのは驚くことではないのですが、それでも少々早かった気がします」
「ふむう。同時に感合した他の子たちはどうでしょう? ほら、ちょうどヤソップが来たから聞いてみましょう」
 議論していた騎士たちは片手をあげて広間に入ってきた竜児ノ騎士ノ長を呼び込んだ。そして経緯を説明して彼の意見を尋ねる。

「…あのとき感合したグループの中で、確かにゾロが一番年下だった」
 慎重に言葉を選びながらヤソップが言う。
「しかし、竜もそれぞれ性格や特性が違うように、騎士もまた違う。ただ年が若いというだけの理由でゾロが一番騎士として劣っているかというと、そんなことはない、と断言できる」
 あごを撫でながらどんぐりまなこをきょろっとさせた。そうすると、年の割に若々しい顔つきになって、少しいたずらめいた少年ぽさがのぞく。竜児ノ騎士ノ長として長年その役職にいるくせに、ヤソップにはこういった面があった。
「なら、ゾロは他の子と比べて秀でていると?」
「まあまあ。すぐそう結論づけるのは早いだろう。確かにゾロはもう充分騎士としてやっていけると思うがね。ただ初陣まで他の子よりさらに早いと本人が増長しないかどうか──まあ、それはおいておいて、長年ヒヨッコどもを見ていて思うんだが、結局のところ竜騎士に求められる一番の資質は何だろうね? 俊敏さ? 判断力? 経験値?」
「ふむ。そこまで深淵な問題になるのかい」
「そうさ。竜が成長するのと人間が成長するのでは、スピードが異なるのは最初からわかりきっている。だけど敢えてあのくらいの年から感合式に出すのはなぜか、ということだ」
 ふむう、とそこで議論していた騎士たちが一斉に腕を組んで眉を寄せ黙ってしまった。

「俺はこう思うね──」とヤソップが芝居気たっぷりに言い、一拍おいてぐるりとテーブルを見回したところで、ちょうど食堂へ入って来た赤毛と漆黒の髪の二人が声を掛けた。
「まあ珍しくヤソップがこんなところで腰を据えて飲んでいるわ」
「こりゃまた。なかなか楽しそうじゃないか。俺らも混ぜてくれ」
 
「これは統領、洞母様」
 がたがた、とベンチをずらして二人が座る隙間を作る。
「何なの、何のお話?」
「年齢を優先させるか、技量を優先させるか、といったことですよ」
「つまり…」
 もう一度議論の内容をヤソップが繰り返す。
「なるほど、騎士としての能力と竜の能力のアンバランスな時期が短いほうがいい、というわけだ」
「じゃあ、騎士として充分な能力がある、と認められたら、年齢に関係なく戦いに出せばいいじゃない。一体ここはどこ? 能力最優先の大厳洞じゃなかったの? 一緒に感合したからといって、初陣も一緒に、っていうなかよしこよしグループの気持ちでいられてはこちらが迷惑よ。能力があるものはどんどん使っていくようにしましょう。ゾロ、と言ったわね、その竜児ノ騎士。来週の糸降りから参加させなさい」
 洞母の一言で議論は終結した。ヤソップは軽く肩をすくめつつ黙って頭を垂れるという実に器用なしぐさをして、洞母ロビンに承服の意を示した。その後は、糸降りの最中いかにタイミングよく竜に火焔石を与えるか、間隙に飛び込んで身体に着いた糸胞を凍らせるにはどれくらいの間潜っているのがいいかなどという実戦の話になっていったので、サンジはそっとその場を離れた。

(ゾロが来週とうとう糸降りに飛ぶ)
 竜に選ばれた時から、そのためにずっと訓練を積んできたのだから、きっとゾロは喜ぶだろう。ただ今の議論を聞いていたので、サンジは手放しに喜べなかった。ゾロの技量はヤソップに保証されていたけれど、でも──。
 ヤソップが言いかけた残り半分の言葉が何なのか、何を言おうとしていたのか、サンジはこの後ずっと考えることになった。そしてそれは思いのほか長い年月続くのである。



 ゾロの初陣の日はどんよりと曇っていた。サンジは常の糸降りと同じように、たくさん熱いクラを鍋に作り、こってりとして腹持ちのよいスープや作業の合間にすぐ食べられる冷たい炙り肉を用意していた。すでにサンジは厨房の下働きから脱して見習いになっていたので、糸降りともなればのんびりと竜や竜騎士を眺めてはいられなかった。
(がんばれよ、とひとこと言ってやりたいけど)
 目の回るような忙しさで鉢ノ広場へ出て行くことすらできやしない、でもまあ、ゾロなら大丈夫さ、きっと上手くやってのける。昔から俺より何だって上手にこなしていたし、感合だって──
 手だけはせわしなく動かしながら、頭の中では手順と一緒に他の思考がくるくると回っていた。そのせいで、サンジは自分を呼ぶ声があるのに気づかなかった。
「…ンジ! おいってば!」
 はっとして顔を上げると、頭ひとつ上から自分を見下ろす琥珀色の目にぶつかった。

「──ゾロ。何でおまえ、こんなところに」
 びっくりして、それ以上はものが言えなかった。
 ぴったりした騎乗衣に身を包み、騎乗帽を小脇にかかえたゾロは、サンジが声を失うのも当然なほど、若さと、自信と、希望と、そういったものすべてを体現していた。すらりと伸びた手足と顔は毎日の訓練でたくましく日焼けして、肩や腕や、騎乗衣から見えるむき出しの箇所はしなやかな筋肉に包まれている。まだ確かに十七巡歳という若さは、少しだけ脆さも残していたが、それがかえってこれからさらに成長する余裕を見せて、微妙なバランスの美しさでもってサンジを魅了した。

「なんだよ、俺が今日初陣だって知らなかったのか?」
 ゾロは器用に片目をつぶってみせた。ゾロがこんなことをするなんて、とサンジはまた思う。
「い、いや、知ってたけど。マキノさんからもちゃんと話聞いていたし」
「なら、少しくらい励ましの言葉をかけに来てくれたっていいんじゃねぇ?」
「ばぁか、そんなこと、てめぇが望んでるわけねぇだろ。白状しろ、本当は晴れ姿を見せびらかしに来たんだろ」
 ようやく少し軽口を返せる余裕ができて、サンジは内心ほっと息をついた。口とは裏腹に、本当はゾロに会いに行きたかったところを、本人がいきなり現れたために実はかなり動揺していたのだ。
「腹減った。何か食うもんねぇ?」
 サンジは黙って適当にそこらへんのものをゾロに差し出した。ゾロは文句を言わず渡されたものをがつがつと咀嚼する。
(ぞろ。マダコナイノ? ボクハモウ準備万端ダヨ)
 ぴくりとゾロがバシリスの声に反応した。サンジがそっと声を掛ける。
「ほら、そろそろ行かないとまずいんじゃないの。しょっぱなから遅刻なんてしたら、ヤソップさんに背中の皮を剥がれるぞ」
「わーってるって、大丈夫。うん、元気でた。んじゃちょいと行ってくらあ」
「おう、気をつけてな」
 ゾロは軽く手を挙げてそれに応えると、通路を足早に去っていった。サンジはしばらくその後ろ姿を目で追ってから慌てて持ち場へと戻った。案の定、ゼフの怒鳴り声に迎えられて、その後糸降りの最中ずっと厨房から出ることはかなわなかった。


 やはりというか当然というか、結局ゾロは見事初陣を乗り切った。興奮に紅潮した顔を竜の吐く焔の煤で汚し、意気揚々と鉢の広場でバシリスから降り立ったのである。
 手首や、二の腕に軽く糸胞が触れた火傷ができたが、どれも軽微なもので、たっぷりの痺れ草を塗っただけで他に手当は不要だった。
 ヤソップも安心した様子だった。経験の少ない若い竜騎士と竜は、経験豊富な飛翔隊長の下について、とにかくヘマをしないよう、他の竜の邪魔になることのないよう、目を光らせておくものだが、糸降りはとにかく規則性というものに乏しい。今でこそ周期表を作成し、どこにいつ糸降りがあるか予測はできているものの、一回の糸降りの激しさや糸胞の濃度などはそのときになってみないとわからないのだ。
 そういった予測外の出来事が起こったときに、やはりものを言うのが経験なので、若い竜と竜騎士の組み合わせの方が意外と大事故を起こしやすい。ゾロとバシリスは訓練飛行では抜群の成績を残し、ヤソップの目から見てもいつも堂々としてはいたが、実戦に即して彼らのメンタルな面がどのように影響を与えるかは判らなかった。

(訓練の八割程度の実力が出せればいいが)
 とヤソップは考えていたが、実際にはゾロは終始冷静にバシリスを御し、とっさに糸胞の固まりが斜め上から降って来たときもタイミングよく間隙に逃れ、思わずヤソップをして「ふむ」と唸らせたほどだった。
(このまま経験を積んでいけば)
 少なくとも飛翔隊長にはなるだろう。もしかしたら、さらに上──いやいや、たった一回の糸降りで判断するのは尚早だ。
 ヤソップは首をひとつ振って気を引き締めると、バシリスの目のふちをやさしく掻いて今日の戦果を褒めているゾロに近づき、怒鳴った。
「こらあ! いつまでもぐずぐずしてないで、早く装備を降ろしたらさっさと水浴びに連れて行ってやるんだ! 自分のことは後回しだぞ。優れた竜騎士は常に竜を第一に行動するもんだ。汚れをとったらきちんと油を塗って、たっぷり食べさせてやれ。ほらそこ! 怪我人を先に通せ!」
 次から次へと指示を飛ばす。今日初陣を果たしたのはゾロだけではない。ようやくたどり着いた大厳洞で、安堵のあまりへたりこんでしまった騎士を叱咤しつつ、すばやい一瞥で彼らの状態をチェックしていった。


(あの時のゾロはやっぱ格好良かったよなあ)
 サンジは朝焼けを眺めながら、ゾロとバシリスが意気揚々と退場していった様子を思い出して胸の内でつぶやいた。
 案の定、というか半ば当然のようにサンジは年齢が達しても騎士の候補には挙げられなかった。
 あきらめていたこととはいえ、その事実はサンジをかなり落ち込ませた。それ以降毎年おとずれる孵化ノ儀には、サンジは同年代の男の子が皆白い候補生用の衣に包まれて歩いていくのを見るとそっと別の通路に避けるようになっていた。あの群れの中に自分の居場所はない。今ではかすかにしか引きずらない足だが、それでもできるだけ目立たぬようにそっと動かしながら候補生とはち会わないように気をつけて、物陰からひとりで孵化ノ儀を眺めていた。毎回、新しく感合するその瞬間を見るにつけ、熱い羨望を覚えずにはいられず、すべてが終わって新しく誕生した竜児ノ騎士と雛の組が連れ立って孵化場から出て行くのを見送ると、心に深い空洞ができたように感じた。哀しみというのだろうか。孤独感が──大厳洞に来る前に味わった孤独感よりさらに昏(くら)い感覚が身体を内側から浸食しているように感じていた。
 ゼフとマキノはそんなサンジを思いやって、孵化ノ儀が近づくとあれこれと用事を言いつけてサンジを忙しくさせていた。サンジも黙ってその心遣いに感謝し、人のいるところではつとめて明るく振る舞うように心がけた。
(もう何もわからない子供ではないんだし、あの二人に心配をかけさせないよう、しっかりしねぇとな)
 竜騎士にはなれずとも、竜を間近で見、竜の鳴き声が聞こえるこの大厳洞からは離れたくなかったから、サンジは自分がここで必要とされるために、と厨房で毎日自分のできる限りの技を習い覚えた。実際には熟練コックたちを注意深く観察して、その技量を盗んだ。


 

  

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