こちらのプルダウンボックスで読みやすいスタイルをお選び下さい。






竜の血脈(2)




 マキノにそう約束したものの、実際にゾロとどう話し合ったものかどうしても上手いきっかけが思い浮かばず、サンジはここ三日間ほどゾロと顔を合わせるとぎこちなく何か言いかけては目を逸らして、すぐにその場を去るということを繰り返していた。
 ゾロも似たようなことをシャンクスから言われたに違いなく、互いに会うと白々しい会話が続いていた。ただそれも限界で、いい加減はっきりさせねえとと思って、昨晩ずいとゾロに向かって話を切り出した。
「おいゾロ。話がある」
「ん。わかってる。俺もだ」
「もういい加減奥歯に物が挟まったような雰囲気は飽き飽きだ。はっきりさせようぜ」
「俺もそう思っていたところだ。だがまずお前から言ってみろ」
「…──あー、まあお前も同じ事を言われてると思うが…」
 そこでサンジは言葉に詰まった。一体なんて言えばいい? 言い寄ってくる女性を無碍(むげ)にするな、か? 俺のことは放っておいていいから、お前は子孫を残すよう努力しろ、か? どう言っても即物的だし、俺がゾロを突き放したいように聞こえる。身を引く、なんて言葉はふさわしくない。そもそも俺らは夫婦ではない。マキノさんはなんと言っていた? 強く結びついたままで、かつ互いから自由で有り続ける、だっけ?
 ゾロはサンジが口を開いては閉じるのをじっと見ながら辛抱強く待っていた。しかしサンジはなかなか次の言葉をひねり出せなかった。
 しょうがなく、ゾロが口を開く。
「つまりは結局、俺たち二人とも女と寝てちゃんと子供を作れ、つうこったろ」
 あまりにも直裁な言い方にサンジは目を丸くしてゾロを見た。
「い、いくら何でもお前そりゃ…」
 身も蓋もない、というのはこういうことを指すのではないだろうか。
 サンジは一瞬ゾロの言葉に驚いて目を瞠(みは)ったが、すぐ伏せて顔を逸らした。
「つまるところ、俺が男だからなんだ。俺がラティエスを感合したときからさんざん言われてきた。『なんでお前は男なんだ、女でないのは何故なんだ』ってな。もういい加減皆慣れてくれたと思ったがなあ」
 ふうっと長く息をついて、天井を仰ぐ。普通と違う──それはサンジがほんの幼い頃から常に感じていた違和感であり、自分の異質さに対する周囲のとまどいを敏感に察知して幼心にも「目立たない」ことに意識を砕くようになった原因だった。
 結局、サンジだけが持っている際だって強い竜との共感・遠話能力は大厳洞に来てさらに磨きが掛かり、同様の能力者=竜騎士の中で埋もれて目立たなくなるどころか、黄金竜ラティエスに見いだされて大きく開花した。
 そしてサンジの性別が男性であったことで、サンジの異質性がさらに際だつこととなった。男性でありながら洞母となり、それはサンジが高い能力を発揮することで受け入れられ、認められてきた。がしかし、サンジが努力して優れた洞母で有り続けようとすればするほど、ますますその存在も突出してゆく。
「何いまさら弱音を吐いてるんだ。それこそ、お前こそいい加減慣れただろうに」
 ゾロが寝台に腰掛けて真っ直ぐサンジを見て言った。
「弱音じゃねえ! …ってゆーか。あー、まあ…愚痴だ、愚痴。くそ、とにかく、お前はちゃんと女性とつきあって、そして子供を作らねえと。テルガーの名統領と洞母の血を受け継いだテメエはちゃんと青銅竜を一発で感合して、誰よりも速く巧みにバシリスを飛ばせるしな。やっぱり血ってすげえと思うよ、お前見ていると」
「…お前、だがわかってるのか? そっくり同じことがテメエにも言えるんだぞ? 血統を残すことがそんなに大事だってんなら、お前だってそうだろう。お前の能力の数分の一でも受け継ぐことができればまず普通に竜騎士になれる。竜騎士に求められるのはまず竜との親和性、だろ? ヤソップの受け売りだけどな。まずお前の血を引いた子供なら普通の城砦民や工舎の人間になんかならねえ。それがわかるだけにお前の血統こそ無駄にすべきじゃねえってことだ」
「そんな…俺なんか、どこの誰とも知れない孤児で…」
 ゾロの顔がたちまち険しくなる。
「まだそんなこと言ってやがんのか。かなり前にも言ったよな。その『なんか』ってのやめろ、自分を卑下するな、ってな。俺が言ってるのはお前の能力だ。血筋の正しさ『なんか』じゃねえ。全ての竜と意志を通じさせることのできる能力という意味の『血』だ。ラティエスが選んだのもそこだと思うぜ。そしてこれも前に言ったよな。ラティエスを信じ、彼女に選ばれた自分を信じろって」
「………」
 サンジは下唇を噛んで俯(うつむ)く。ゾロの視線が痛い。わかっている。でもどうしても自分の根底に染みついている自らを卑小化したがる傾向は拭(ぬぐ)えないで、たまさかこうやって頭をもたげるのだ。
「…悪ぃ、もう言わねえ」
 そうだ。ゾロは「誇りを持て」と言ったのだ。
「もう一度言うぞ。お前だって、女と寝て子供を作ることを期待されてんだ。──で、どうする?」
「どうって?」
 いきなり振られた言葉にサンジは困惑する。
「だから、女と寝るかどうかだ。俺はお前こそそうすべきだと思う。あー…俺の相手ばかりじゃお前だって物足りないことだってあるだろ?」
「なんだと? テメエがそれを勧めるのか?」
 サンジがキッとゾロを睨む。今度はゾロが視線を下げて、ぼりぼりと頭を掻いた。
「…俺にはよせということができねえ。それくらいお前の能力を買ってるんだ」
「待て待て。結局お前は能力の事しか頭にねえワケ? 俺が女の人とどうこう、ってことは気にならねえの?」
「それを俺の口から言わせてえのか? それを言いたくねえから、能力とそれを残すことに話を絞ってるんじゃねえか」
「………」
「俺は──お前がもし、他に配偶者を決めたところで反対しねえよ」
「──ッッ!!」
 サンジがバッと顔をあげてゾロを見る。隻眼がぐぐっと見開いて、信じられないといった顔つきをした。
「俺は──しょうがねえから、もう知らんふりをして拒むことはしねえ。誰でも俺の子種が欲しいヤツと寝てやることにする…ただ、ひとりに絞ることはしねえ──俺の方からは、それで以上だ」
 そう言ってゾロはサンジに背を向け、寝台に身体を横たえた。
「ゾロ…」
「ん?」
「でもそれって…もし、もしも俺が…そしてお前がそうしたとしても、俺とお前は…か、変わらねえ、よな?」
「お前は、そう思うのか?」
「………」
 またしてもサンジは答えに窮した。今夜はもうこれで何度目だろう。
 背中を向けたまま、ゾロが言った。
「お前がそう思いたいのなら、そうだろうさ」
 サンジは、ゾロのその言葉に百八十度反対の答えを聞いた気がした。以前もずっとそう思っていた。二人の関係は変わらない、と。でもそう思いこんでいた、いやそう望んでいたのはサンジだけであって、現実はサンジの思いとはかけ離れていたのである。
 そしておそらく今度もゾロが正しい。
 今の生活が、ようやく繋がった二人の思いが、こうやって現実の重みに浸食されてまた離れてしまうのか。そして離れ去ってしまえば、思いは過去となり、「そういえば昔はこうだったよな」という思い出話でしか思い起こさないようになるのだろう。
 それほどまでに脆(もろ)いのかもしれない。俺が男だったから。
「ゾロ、こっちを向けよ」
 サンジは着ていた物を乱暴に取り払った。
 もしいつか俺たちが離れていって、こうした行為が全て思い出話に過ぎなくなってしまっても。
 俺は覚えていよう。そしてゾロも覚えていて欲しい。互いの肌の熱さと、血潮の流れる音と、息を、汗を、筋肉の動きを、声を、全ての官能を。
 刹那的かもしれない。でも俺たちがこの大地で奇跡的に出会って二人で生きて結ばれたことは確かだったのだから。今だけは、今の俺たちはここにいて、そして二人で思いを向け合っているのだから。

 その夜の二人は終始無言のまま、何度も何度も身体を絡ませた。最初ゾロはサンジが珍しく積極的に動くことに少々とまどっていたようだったが、それも互いの欲情が徐々に高まってくるに従って遠慮するような動きは綺麗さっぱり取り払われた。
 何度も舌を絡ませ、ゆっくりと互いの口中を味わう。その間も手は互いの身体の上をそろそろとはいずり回り、筋肉やひとつひとつの傷や火傷の痕を確かめるように動いた。五指を絡め、手を握りあい、相手が今ここに確実に存在していることを自分自身に覚え込ませるように、何度も何度も、ゆっくりと確かめ合う。
 夜の底で二匹の獣がのたうつように、ただ無言のままにその動きはやむことがなかった。



「はあああ……」
 サンジは何度目かわからないため息をついた。テラスの石造りの手すりに両腕を載せ、その上に顎をのせて夜明け前の空を見る。ほんのり明るくなってきて、尾根の稜線の上に見張り竜のシルエットがぽつりと浮かび上がっていた。
 まだ昨晩の熱が身体の中で渦巻いているような気がする。いつのまにか寝入ってしまったが、ほんの少し眠っただけでぽかりと目が覚めてしまった。ゾロの指が手のひらが、そして身体じゅうの肌が自分の上を滑っていった、その感触を忘れない。
 サンジは自分で自分の身体を抱くように手を回し、そっと目を閉じた。もう考えることは止めにしよう。ゾロと話し合って、結論は出た。大厳洞の繁栄のため、これは義務なんだと自分を納得させなければ。
 ふと口の端に苦笑いが漏れる。そういえば最初の交合飛翔の時もそうだった。これは黄金竜を感合した者が果たさなくてはならない義務だと考えていたっけ。その時に比べたら、すくなくともゾロが統領である限り俺と離れることはないわけだし、些細な代償だと思わなくては。
「五巡年間、かあ…」
 五巡年間。つまり五回、ゾロと一緒に交合飛翔を導いたということだ。最初の数年はそれでもゾロに対抗しようと数名の青銅ノ騎士がラティエスと共に自分たちの竜を飛ばせていた。サンジはラティエスの意識に乗って、一緒に青銅竜たちが熾烈な競争を仕掛けるのを眺めていた。誰が自分に追いつくか? 本能に煽られ、青銅竜たちの先頭を切って飛び、時に鼻先を掠め、時に急反転をしてからかいながら飛ぶのは愉快であったが、目の端でバシリスの位置を常に意識していたものだった。そしてバシリスの尾やかぎ爪が自分を絡めとったとき、楽しい遊びが終わってしまったという残念な気持ちより先に、サンジの心の奥底では喩えようもない安堵を覚えていたのである。
 そしてついに昨年の春は、ゾロとバシリスに対抗しようという青銅ノ騎士は現れなかった。洞母サンジに並び立つ大厳洞ノ伴侶としてゾロが広く認められたのである。同時にフルールスが交合飛翔に飛び立たなかったため、この時自動的にサンジの首位洞母とゾロの統領就任が決定した。

「そろそろ、また春が来る…」
 太陽は今にも顔を出すだろう。空は藍色からインディゴ、セルリアンブルーへと徐々に色を変えつつある。と、その瞬間ぱあっとまぶしい光がサンジの目を射た。夜明けだ。
 早春の太陽は厳しい冬を押しやり、力強い色彩を引き連れて昇ってきた。
 そっと思念を伸ばしてラティエスの柔らかな息づかいを感じる。彼女はぐっすりと眠っていた。ラティエスも五回の交合飛翔と産卵を経験し、今では堂々とした女王竜として自然な威厳を帯びてきた。
 サンジはほんのりと笑みを浮かべ、今度はそっと見張り竜へとその思念の先を触れさせた。
(ナニ、さんじ?)
 今日の見張り竜は緑竜のルンバスだった。騎士はそう、確かヨーキと言ったか。ルンバスは退屈な見張りがそろそろ終わりかけているときに、いきなり思いも寄らぬ洞母からの呼びかけがあったので緊張した声を返してきた。
(なんでもないよ。素晴らしい朝だね、ってそれだけ。ヨーキとはうまくいってる?)
(ウン、本当ニ綺麗ナ夜明ケダッタ。よーきトウマクイッテルカッテ? キット大厳洞中デワタシ達以上にウマクイッテル竜ト騎士ハイナイト思ウワ! よーきハ素晴ラシイ騎士ナンダカラ。歌モ上手イシ、ソレニ…)
 いきなり饒舌にしゃべり始めた竜にサンジの口元がほころぶ。
(はは、そうだったよね。それはよいことだよ。ヨーキは特に大厳洞ノ竪琴師を兼任もしてるんだったっけ。彼の宵ノ歌はいつも皆にアンコールを強請(ねだ)られてるよね)
 本人をすぐ傍にしてルンバスが自慢話を始めたら、さすがに気づかれたようで見張り台の上に小さく人影がひょいと乗り出したのが遠目に見えた。
(おっとと、大切な仕事の邪魔をしちゃったね。俺は退散するよ。ヨーキによろしく言ってくれ)
(ワカッタワ。マタ今度ユックリオ話デキタライインダケド。さんじハイツモ忙シイカラ)
(はは、ごめんね)
 そしてサンジはテラスを後にした。

 大厳洞の中のごつごつとした岩肌がむき出しになった通路を歩きながら、サンジはゾロもルンバスも思考の片隅に追いやって、今日出迎えることになっている新任の鍛冶師と、彼がもたらすであろう最新の仕掛けに思いを馳せた。足早に歩きながら、今後のスケジュールを頭の中で反芻する。首位洞母となり、ますます平素の仕事が多くなったが、サンジは周囲に忙しさを感じさせることなく淡々とこなしていた。
 昨秋の収穫が平年よりも一割ほど多かったので、余裕で城砦民も工舎の民もそして大厳洞も冬を越すことができた。普段よりも暖冬だったから、動物たちの毛皮がそれほどふっくらしていないが、それを使う人間もそんなに多くなかったから、結果的にもまあよかったと言えるだろう。
 春の訪れは例年どおりになりそうだ。作物に関してはティレクの太守と農夫ノ頭にまかせておけばよい。あとは野生の菜種草が育つ草原を見て回っておきたい。何しろ竜の皮膚に塗る油を採るために必要なのだし。
 さて、次の糸降りの予定はいつだったっけ。確か来週の初めに東北地域で降り始めるのだったと思うけれど、後で周期表を確認しておかないと。そういえば女王竜部隊に今度新しい子が入ってくるって話だ。ベンデン大厳洞の、名前はなんと言ったか。ベンデンは大陸の反対側でとても遠いけれど、その時の孵化ノ儀はゾロと二人で見に行った。黄金竜を感合した娘はかなり明るい茶色、赤毛と言ってもよいくらいに明るい色の髪の毛をしていた。
(その帰り、時ノ間隙を二人で飛んだんだっけ)
 竜は二地点間を瞬時に縮めて飛ぶことができる。竜騎士は、目的の風景を細部にわたり頭の中に思い浮かべ、それを竜に座標として思念で伝えることができなければならない。
 ゾロとサンジは偶然にも、竜は距離だけでなく時間をも越えて飛ぶことができると発見した。ただし時ノ間隙飛翔は通常の間隙飛翔より遙かに危険がつきまとう。戻るべき「時」を間違えて永遠に間違った時の流れのなかで迷子になる危険性は言わないまでも、飛んだ先の「時」で自分自身に出会ってしまうという別の種類の危険が常に在った。
 ゾロとサンジは──特にゾロは十巡年前の過去へと飛び、そこで大怪我を負ったあとで幼い自分自身の非常に近くまで接近するという、かなり危ないことをやってのけて、結果危うく死にかけたという経験がある。
 それくらい大変な経験をしておきながら、二人はこっそり時ノ間隙飛翔をすることをやめなかった。なにしろ、大厳洞中で一番目と二番目くらいに忙しい二人だったから、時間をやりくりするために「つくる」こともやむなし、としたのである。「つくる」というよりほとんど「ひねり出す」に近い感じではあったが。
(あの日は、二人とも気分がよくて、えらく興奮してて──)
(どうせベンデンからハイリーチェスまで時差があるんだから、って戻る途中にたくさん愛し合ったっけ)
 爽やかな初夏の宵に、転げ回りながら何度もキスを交わした。柔らかい草地の褥(しとね)は生命力の匂いに溢れていて、自分たちの若さも周囲の空気に発散し融け込んでしまったように感じられた。巣に戻る鳥の声が近く遠くで呼び交わしているのを聞き、まだ冷たい湖の水を撥ねかして大はしゃぎをした。バシリスもラティエスもまじり出すと、大波が押し寄せて溺れそうになったものだ。それをまた深い水の中へとゾロが誘い、不意打ちの口づけを仕掛けてくる──お前がそんな器用な真似ができるなんて、それまで全く思ってもみなかったよ──
 あんな「時間」を共有することがまたできるだろうか。
 サンジは首をひとつ振って、足早に歩き去った。


 

  

(1)<< >>(3)