こちらのプルダウンボックスで読みやすいスタイルをお選び下さい。






竜の血脈(31)




 ゾロが竜児ノ騎士フェラーロとその伴侶のリーチスを救ったことはあっという間に大厳洞中に広まった。ゾロがふたたび竜騎士として飛び、糸胞と戦ったこともあって、しばらくはどこもかしこもその話でもちきりだった。
「やっぱすげえよなァ。いきなり『飛べる』と言ってヒヨッコどもの捜索隊を指揮したんだって?」
「それどころか、糸胞と遭遇したときに、ゾロとあと竜児ノ騎士のジムとふたりきりで守ったそうじゃないか」
「ブランクなんて微塵も感じさせない飛行技術だったってなあ」
「竜児ノ騎士の話じゃあ、とても早過ぎて目で追えないくらいだったそうだぜ。凄い男(ひと)だよ」

「…凄え人気じゃねえか」
「そんなつもりじゃなかった」
 憮然とした顔でゾロが言う。
「ま、お前がそんな華々しいことをねらってするようなタマじゃねえってことは俺がよく知ってる。あれは全部偶然の出来事だったよな、確かに。まあでも起こってしまったことはしょうがねえ。しばらく英雄譚で皆を楽しませてやれよ」
「………」
 ゾロはサンジのなぐさめともつかない軽口にますます眉間の皺を深くして黙り込む。
「…でも俺も見たかったよ、お前の復帰戦」
 くすりと笑ってサンジはゾロの眉間の皺をつついた。サンジは例によってロビンと共に黄金竜の別働隊で動いていて、この一連の出来事は全て終わってから知ったのだった。
「どうせ、黄金竜は他と異なるルートになるから、一緒に飛んだところで見えねえだろ」
 ゾロは何言ってんだという風に眉を上げてサンジを見た。
「…わかってっけど…。カァーー! これだから鈍チンは…」
「…ありがとよ。お前の気持ちはわかってるつもりだ」
 大げさに嘆くサンジに対して、突如真面目な顔になってゾロが居住まいを正した。
「予定外だったが、これでもう俺も竜騎士として飛べると証明できた。早いうちに飛翔隊に組み込んでもらうようにアレックに言うつもりだ」
「お前が黙っていてもこの雰囲気だ、自動的に組み込まれるだろうよ。しかしまあ建前上筋を通すことは必要だな」

 サンジの予測どおり、ゾロがアレックに飛翔隊への復属を願いに行ったところ、アレックは視線を逸らしながら、それは既に決定された、と告げた。
 この予定外の糸降りに端を発して、この春はその後立て続けに糸降りに見舞われた。そのたびごとに、ゾロは見事な手腕を発揮して、あの復帰戦が偶然ではなかったということを重ねて証明したのだった。
 短い間にゾロはヒラの隊士から飛翔隊長補佐、そして飛翔隊長へと駆け上がる。通常いくら出世が早い騎士でもここまで短時間に階級が上がることはあり得ない。しかしゾロはかつて最高位の統領であったということを周囲皆知っていたため、騎士たちがこぞってゾロを推薦したのだった。



 風が暖かく吹き、傾きかけた太陽が柔らかく熱を降り注いでいた。吹き渡る風の中に草いきれの匂いが混じって、遠くで野生のフェリが鳴き交わす声が聞こえてくる。生命が、その活動を全力で行っていると知らしめているのだ。
 またラティエスの交合飛翔の時期が近づいてきていた。
 今回は昨年までと大きく異なって、水面下でこそこそとした声が囁(ささや)かれているのを当事者であるサンジでさえ感じていた。曰く、今年はゾロが交合飛翔でも復帰するのではないか? というもので、アレックとゾロではどちらに軍配があがるのかの予想にそれぞれのシンパがしたり顔で尤もな理由を述べていた。
(くだらねえ)
 ラティエスというトロフィーの一部としてのサンジは、毎春少なからず出るこういった類の話はあまり嬉しくない。今年は特に今までにないくらい真剣に「その日」を迎えようとしているのを、悪気はないとしても、賭けの対象のように語られるのは嫌気が差すくらい不愉快だった。
 直接見てはいないが、ゾロとバシリスの飛翔技術と指揮ぶりは、以前と同様かそれ以上に際だったものになっているようだった。その点に関しては当然と思いつつもそこに至るまでの血の滲(にじ)むような努力を知っているだけになおさら誇らしくて堪(たま)らない。
 ゾロは、約束したとおりものすごい勢いでもとの地位まで駆け上がっていく。あとは交合飛翔だけだ。
 しかしその前に、ゾロが何故あのような目に遭ったのかを解明しておきたかった。以前ゾロがあやふやに思い出したように、そこには誰かがいた。その人物が関係したことは間違いないと考えていいだろう。彼か彼女かとにかくその者の意図を知って、二度目もしくは二人目の悲劇が起こらないようにしておきたい。あれは一体ゾロ個人を狙ったものか、たまたまゾロが居合わせただけなのか、ゾロが感じたようにそもそも悪意がなかったのならば、ゾロの怪我は偶然の出来事だったのか──?
 何にしろ、その人物を特定しておきたかった。ゾロの記憶が戻るのを待つしかないのが歯がゆいところだったが、肝心のゾロは最近は飛翔隊の訓練と実戦とで毎日忙しく、同じ岩室に住んでいてもサンジとほとんど言葉を交わすゆとりもない。
 サンジには一つだけ試してみたいことがあった。
 ゾロが飛べるようになった今、同じ条件下にゾロを連れ出せば、一番鮮明にその時の記憶がよみがえるのではないか──そう思って忙しいスケジュールの合間にゾロを呼び出したのだった。
 あの春の日からすでに三巡年が過ぎた。季節は巡り、また同じ春がやってきて、ちょうど日の傾き具合や草木の成長度合い、平原の緑の濃さ、風の匂いや温度や頬にあたる感触まで、今ならほぼ同じだろう。
 ごとり、と背後に重たい長靴の音がした。サンジは振り向きもせずに言う。
「ほんのちょっとだけ付き合ってくれ。すぐ済む」
「…いいぜ」
 ゾロもまた、これがサンジのお遊びではないことを察していた。黙ってサンジの言うとおりバシリスに乗り、ラティエスと先行するサンジを追って飛んだ。

 間隙を抜け、到着した場所はロイ平原というところだった。三巡年前、最後にゾロが統領として糸胞と戦った場所で、それは偶然にもシリルがベンデンの壁画に遺していた。
 日はすっかり傾いて、辺りを茜色に染めていた。多分、糸降りが終了したときもこれくらいの明るさだったはずだ。
「ゾロ」
 サンジは適当な箇所に降りると、真剣な顔でゾロを見つめ、言った。
「いつだったかお前は言った。あの時、ここで誰かに会ったと。その人物は誰にも目撃されていないところから、おそらく竜騎士で、竜に乗ってやってきた。それからお前とその人物は、どこかへ跳躍した。俺とラティエスが本気になって探しても感じ取れない場所へ。これが俺が持っている情報のすべてだ」
「そうか」
 ゾロは首肯した。
「それで俺は俺なりに調べてみた。あのとき、糸降り直後にまた抜け出してここまで飛んで来ることの出来た竜騎士は誰だったんだ? 答えはノーだ。誰もいない。少なくともハイリーチェスの竜騎士ではあり得ない」
 またしてもゾロはこくりと頷く。
「なら他の大厳洞の竜騎士ということになる。ただあの日は他の大厳洞からも飛翔隊が出ていたし、もうそうなると全ての騎士の不在証明(アリバイ)は解らない。だから特定するためには、何かもう少し別のピースが必要なんだ。何でもいい。思い出してみてくれないか」
 ゾロはサンジの真剣な眼差しに押され、黙って周囲を見渡した。確かにこの場所には覚えがあった。だが、ゾロにとって景色は記憶を刺激するものではなかった。
「悪ぃ…なんにも…」
 サンジを向いて言いかけた時、ふとゾロの脳裏にひらめくものがあった。
「そうだ…そいつは、ちょうど今のお前のように俺を見つめてた。そして、そう、最後落ちかけた太陽の長い光が瞳に映り込んでいた。その光が…蒼い色の中に浮かんで、まるで夜明けのようだ、と思ったんだ。今のお前と同じように」
 サンジは目を見開いた。
「それで! そいつは他にどんな格好をしてたんだ! 髪の色は? 背は? 声は? お前が知っているヤツなのか?」
 そのとき、名残の太陽がとうとう落ちた。辺りは急速にオレンジ色から藍色へと染める色を変え、暗さを増してゆく。
「……ダメだ、それ以上は何も」
 ゾロは残念そうに首を振る。
「…そうか…」サンジもしばらくうなだれ、しかし気持ちを素早く切り替えると、
「今日はありがとな。こんなところまで付き合ってくれて。帰ろうぜ。身体が冷えちまう」
 そう言ってラティエスにも優しく声を掛けて飛び上がった。ゾロはサンジに対してすまない気持ちがわき上がるのを堪えつつ、バシリスに乗って帰っていった。



 同時刻、アレックは自室で昔から親しい竜騎士のパーヴェルと葡萄酒を酌み交わしていた。
「…ちっ。ゾロがまさかこうまで見事に復活するとは」
「今度の交合飛翔、危ないかもしれませんね」
「ばか言え。俺は何としたって統領の地位を守ってみせるぞ。そう、何としたって」
「でも、正直ゾロは強敵です。どうなさるおつもりで?」
「要は、交合飛翔のその場に姿を現さなけりゃいい。いない者はどうにもできないだろう」
「そりゃそうですけど…どうやって遠ざけるんです?」
「方法はいろいろあるさ。まあ見てな」
 アレックはゾロがこうも短期間に力をつけめきめきと頭角を現してきたことに驚愕し、実際のところ恐怖すら感じていた。
(最初は口も利けなかったくせに。ほとんど寝たきり状態で、とても介助なしでは生きていけないくらいだったのに)
 なのに最近のゾロはどうだ。以前一度見舞ったときは筋肉はげっそり落ちて痩せていたのに、その面影はなく、とても一時は半身不随の状態だったとは思えない。今は外を飛び回っている分日にも焼け、身体も顔も引き締まって見える。
 まさかこのままで行けば、本当に交合飛翔を攫(さら)われてしまうかもしれない。
『宣戦布告だ』とヤツは言った。なんて無茶を言う、とその時は思ったが今となっては笑い飛ばすことができない。
 なんとかしなければ。せっかく手に入れた統領の地位、絶対に手放すわけにはいかない。
 アレックは暗い考えに沈みこんだ。彼はサンジとまあまあの関係を保っていたが、それは「大厳洞をうまく統治していくための同志」という考え方を捨てたせいだった。サンジはただの黄金竜ノ騎士、彼を抱くことは統領の椅子を手に入れるために支払わなくてはならない代償のようなもの、そう割り切って考えるようになってからは自然と衝突することもなくなった。皮肉なことにそれからのほうが穏やかな関係を築くことができたのだったが…。
 いや、と首をひとつ振る。とにかくサンジとラティエスだ。彼らの身柄を押さえ、ゾロを遠くへ追いやれれば──。

 

  

(30)<< >>(32)